○谷
委員 何か、ややすれ違いでございましたが、しかし、きょうは
木材利用の審議でございますので、本題に入らせていただきます。
別に与野党を問わず、これから我が国を、政治をリードする、リーダーたり得る
前原大臣だからこそ、しっかりとした政治家としての所見を私は聞きたい、そういう
思いがありましたが、やや残念でありました。
木材利用について、さて、これから
質問をさせていただくわけでございますけれ
ども、中身は三つの項目に分かれております。
一つは、やはり私なりに、私も山村と言われる
地域に生まれ育って、現在も住んでおりますけれ
ども、いろいろな壁がある。
一つは町づくりをするに当たっての壁、そして
二つ目は建築基準法と各省庁の施設の設置基準という壁、そして三つ目は
農林水産省の壁であります。まず、町並みづくりの壁についてからお話に入らせていただきたいと
思います。
お手元にカラーの写真があろうかと
思います。これは、各
議員が用意するということで、何ときょうは合同審査でカラーで百二十枚も、いや、実際、大変物入りでございました。しかし、これは白黒であれば、この町並みの景観というのが出ないんです。
これは私の選挙区の兵庫県北部の城崎温泉であります。千四百年の歴史を誇る大変古い温泉です。この城崎は、大正十四年に北但大震災という地震、そして大火災で壊滅的な被害を受けました。当時の写真を見てみますと、外湯は倒壊、旅館街も消滅、焼け野原という言葉がありますけれ
ども、まさしくそういう感じの状態になりました。この城崎地区、七百戸ぐらいあったんですけれ
ども、当時、五百四十八戸が焼失している。死者も二百人をたしか超えたかと
思います。
そして、この壊滅的な震災を受けて、町の人
たちは立ち上がりました。
自分たちの土地を提供して道路を広くして、そして河川の幅を広げて、木の橋をコンクリートもしくは石の橋にして、そして
木造の三階建ての棟ばかりではなくてコンクリートの
建物を入れる、そして
公共施設は
自分たちで頼んで防火の用をなすようにした、あるいは防火壁も設置した、そういう町づくりを続けてきました。
あわせて、景観に配慮した、ここに今各
委員の
皆さん方のお手元にもあると
思いますが、情緒のあるこういう町づくりをずっと進めてきたところであります。
地域の方々が自主的に、外壁の色とかテントとか屋根とか壁面とか、そして看板とか、あるいは、冷暖房機の室外機というのがありますけれ
ども、それを自主的に目隠ししよう、こういうこともやりました。自販機も、あれは赤とか割と派手な色がありますね。それをメーカーに話をして、周囲に調和するように色も変えてくれ、そういうことも今やり、そしてそれが実を結んで、まだ完全ではありませんけれ
ども、電線地中化にも一部既に取り組んでいまして、こういう町並みができ上がってきたところであります。
そして、古い
日本の
木造三階建て、写真の一ページ目にございますように、こういう旅館も今なお残っております。一ページ目の左下が、かの有名な志賀直哉が大正の初めに「城の崎にて」を書いた三木屋旅館です。右側が、一番今では由緒あると言われている、大きい、格式の高い西村屋という旅館であります。こういうふうに綿々と残っている。
しかし、このときも、私の
現地を見た写真を添付させていただいているんですけれ
ども、やはり町の方が言うには、今は何とかこの景観を守れている。しかし、
木造がいつまでも永久にもつものではありません。また建てかえなきゃならない。では、そのときに同じような
建物が建てられるかというと、壁がある。壁は二つだ。建築基準法と消防法だ。大変厳しいと。
それで、私なりにいろいろ
考えて、やはり今の、それぞれ各省庁も頑張っていると
思います。しかし、
建物ごとの規制ということで、こういう城崎のように、町全体で一生懸命、防火壁をつくって、土地を提供して道路を広くして、災害に強い町づくりに建つ、そういう町にある
建物と、そうでない、いわば自然発生的に密集している
建物と、規制は基本的に同じなんですね、建築基準法もあるいは消防法も。
このことについて、大変硬直的といいますか、町全体の安全性ということを加味した規制になっていないのではないか。その辺について、これは今すぐはなかなか難しいです。難しいんですけれ
ども、そういう観点でこの問題をとらえて、法規制のあり方というのをぜひ
考えていただきたいと思うんですが、
前原大臣の御所見をお伺いします。