○甘利
委員 本当に随分久しぶりに
質問をいたします。七、八年ぶりですか。ここのところずっと答弁ばかりしていたものですから、
質問して自分で答えちゃわないように気をつけながら
質問をさせていただきたいと思います。
ようやく
国家公務員法改正案の審議が始まるわけであります。
思い起こしますと、もう二年以上前になりますか、
政治主導をしっかりと進めていこうというもとに、国家
公務員制度改革基本法、当時は
渡辺喜美
大臣でありました。
渡辺大臣が
提出をされて、この
法案が、たしか反対は共産党だけでしたでしょうか、大多数の政党が賛成をして成立したわけであります。
渡辺大臣の後、短い間、茂木
大臣というのが入りました。その後、私が
担当したわけでありますけれども、基本法というのをまずよく読み返してみました。
国会の大多数が賛成をして成立した基本法が具体的な指示を出しているわけですね。普通、基本法というのは理念が中心なのでありますけれども、この
公務員制度改革基本法というのは随分と具外的な項目がたくさん入っている基本法だなということを思いました。掲げる理念に基づいて具体的にこういうことをやりなさいという指示が各所に書いてあったわけであります。
まず、一条にその目的が書いてあるわけでありますけれども、その一条の目的を達成するために、
幹部職やあるいは管理職の
あり方をこういうふうに規定せよ、それから、将来その管理職や
幹部職になって
日本の
官僚機構を担っていく若手を育てるという
意味で、
幹部候補生の育成課程の設置を
各省に要請しているわけであります。
とかく
幹部職のことばかりが言われるのでありますけれども、しっかり読みますと、この基本法には、
幹部職だけではなくて、管理職について、あるいは
幹部職、管理職候補生について、そしてもっとしっかり読んでいきますと、一般職の職制にまで
改革の手を広げているわけであります。
でありますから、私に言わせますと、グラデーションをかけながら
公務員制度というのをしっかりグリップしていく。一番上の方は一番きついグリップになります。次は少し緩くなる。下の方はもっと緩くなる。でも、ガバナンスのグリップが途中でとまっているんじゃなくて、全部下まで行っているんだということをしっかり
認識しなければならないわけであります。
人事院であるとか、あるいは
総務省、そして財務省もありますが、そういう
人事にかかわる
関係省から機能移管をして、その機能移管をした
内閣人事局というのを一年以内に設置せよ、これも基本法の指示であります。それから、それ以外のかかわる
法案整備を三年以内にちゃんと終えておけ、そして、全部がきちんと動き出すようにするのを五年以内にせよというふうに要請しているわけであります。かなり細かいところまで要請をしている基本法なんですね。
私が就任しましたときには、正直言って、かなりストレスがかかる状態でありました。内外から、どうせ骨抜きになるんじゃないかとか、やれ先延ばしになるんじゃないかとか、やれ
官僚にだまされておしまいだとか、いろいろな話がもううんざりするほど私のところに入ってきたんですね。
私の性格はこのとおりでありますから、ならば徹底的にやってやるということで、有識者
会議というものを徹底的に、ハッパかけて動かして大議論をさせて、それから、具体的な工程表に各項目を落とし込んでいく作業があるのでありますけれども、そのためのプロジェクトチームというのを編成して、それも徹底的に、回数をふやす。一カ月に一回なんかとんでもない、毎週やれ、毎日だってやれということを要請しました。
この有識者
会議というのはフルオープンにしましたから、動画で同時中継で配信ですから。その中で必ず私は出席をしました。それから、プロジェクトチームが終わった後には必ずブリーフをするということで、極力オープンでやっていったわけであります。まさに休日返上ぐらいの勢いで、幅広い議論と深い議論をして各項目を詰めて、それを工程表につくったわけであります。
それから、やれ
改革のスピードが遅いだ何だと絶対に言わせまいということで、基本法が要請している工程を全部前倒ししろという指示を
大臣名で出しました。つまり、一年、三年、五年というスケジュールがあるわけですね。それを、一年を短縮したらゼロ年になっちゃいますから、
内閣人事局をあした出せなんということは幾ら何でも不可能でありますから、そこの一年部分はおいておいて、三年、五年を一年ずつ前倒ししろということで、一年、二年、四年に前倒しして、それに加速をさせる議論の濃密度を上げたわけであります。
そういう経緯を経て、昨年の通常国会に、第一弾としての、今ここに出ています
法案の、私が
担当したときの旧法でありますけれども、
内閣人事局の設置のための
法案を
提出したわけであります。
ところが、あれだけ審議を急げと国会内で言われていたにもかかわらず、ちっとも審議に入らない。急いだ方がいいじゃないかと思ったのでありますけれども、全然審議に入らない。結局、審議入りしたのはもう会期末ぎりぎりでありました。これじゃとても成立はしないかという悲観的な思いにも駆られましたけれども、そこで、実は水面下の与野党協議の場がずっと生きていましたから、これを断続的にやって、最後はかなり精力的にやりました。
そこで、衆参一週間ずつあれば何とかなるよと民主党さんから言っていただきました。もっと日程が詰まってきたら、最後は、大丈夫ですよ、
大臣、衆議院と参議院を両方まとめて一週間であっという間に通せますからという返答が来たのであります。それは何をしたかというと、水面下での与野党歩み寄り作業というのをしたのであります。さっきまでさんざん騒ぎになっていましたけれども、修正に応ずる、応じないで。
私も答弁する側に何度もなりましたけれども、そのときに我々が一番気をつけなきゃいけないのは、
行政の長として、国会に対しての敬意をどれくらい払うかということを物すごく注意しなきゃいけなかったんですよ。
だから、もちろん、
政府案というのはベストだと思うから出すわけですよ。もっといいのがあると思いますけれどもとりあえずこれを出しましょうなんという態度は、それは
政府はとっちゃいけないんですから。だから、これがベストですと。そうすると、記者会見でも、修正はどうするんですかと必ず聞かれるんですよ。そのときに、もちろんベストだと思っています、しかし、もっといい
方法があるということを与野党で協議されるのであるならば、それは国会の意思として最大限尊重しますと必ず答弁で言わなきゃならないんですから。それが国権の最高機関たる国会に対する敬意なんですよ。国会
議員は自分
たちのよって立つ基盤ですから、その敬意を忘れちゃいけないということをたたき込まれるんですね。
さっき、
委員の中で言い合いになりましたけれども、あなた、ここに何年いるんだ、一年生も十回生も一緒だと。一緒なんですよ。そういうつもりで言ったわけじゃないんです。そういう長い歴史、我々が積み上げてきた国会をいかに大事にするか、国権の最高機関をいかに大事にするか、そういう歴史を知っているでしょうということを言いたかったわけなんであります。まあ、余計な話になりましたけれども。
その修正協議を経て、一週間でもいけるというところまで行った。ところが、例の
内閣不信任案が出ましたから、不信任案が出た以上は議論ができないということで、これが泣く泣く廃案になっちゃったわけなんです。
でありますから、新しい
内閣ができた、特別国会はともかくとして、臨時国会が開かれた。ここまで歩み寄って、一週間で衆参を通せますよと。これは私が言ったんじゃないですよ、民主党の
担当の
責任者の方から私に言われたことなんです。でありますから、あっという間に臨時国会で
政府提案のものを今度は新
政府提案として出されて、そしてあっという間に成立するんだろうと思っていましたら、議論のギの字も出てこない。それで、結局出てきたのが、一年たった今なのでありますね。
その
内容を見てびっくり、私は思わず卒倒しそうになっちゃいました。結局、与野党合意ができる、これでいきますというのからすると、似ても似つかないものになっちゃった。要するに、
幹部職の職制を
一つにします、要はそれだけなんですね。あと、組織改編に伴うリストラに伴う
天下り支援もしてあげますということが続いている。本体は、
幹部の職制を
一つにします、以上、おしまいということなのでありますから、一体、我々の歩んできた歴史というのは何だったんだと。
総務省とは、機能移管に関して、
事務方でやらせた後、
総務大臣をつかまえて何度も
大臣折衝ですよ。基本法はみんな賛成したじゃないか、その趣旨をないがしろにするのかと
大臣同士でやり合いましたよ。
人事院とは、例の報道されたとおりのチャンチャンバラバラ、絶対引かぬぞと。
私、この
人事院の機能移管の歴史をずっと見ましたら、法的には可能だ、でも、抵抗勢力に遭って、できない歴史なんですね。昭和四十年代からずっと歴史をひもといてみましたよ、何で、この問題は出てきて、いつもだめになっているのと。
結局、
官僚機構の最後のとりでというのが
人事院になっちゃっているんですね。だから、そこが突破できない。それで、突破できないから、今度も抵抗していればどうせあきらめるという対応だったわけです。ほかの
大臣ならともかく、相手はおれだぞ、私は絶対引かぬからねと言いまして、もう宣戦布告みたいな話ですよ。相手を見て考えてください、ほかの
大臣ならともかく、相手は甘利明ですからということで押し切ってきたんですね。
そこまでしていろいろ来た歴史、私の歴史は何だったんだろうか、こんながらんどうの
法案が出ちゃったということで、愕然としたというのが正直な思いなんですね。
そうやって苦労して、与野党の
関係者にも汗をかいてもらって
提出した。その
法案がだめになって、今度の
法案が出てきた。基本法の一番の出し主であった
渡辺元行革
大臣が
仙谷大臣に、麻生
内閣のものだってはるかにこれよりよかったじゃないかと。あのときに、ましだという表現をしたんですか。ましだというか、うんといいと思うんですけれども。そう言ったときに、いや、
渡辺さんはよく御存じでしょう、どうしようもなかったじゃないですかというふうに
仙谷大臣が答弁されたやに聞いております。私は現場にいませんでした。伝聞です。
少なくとも、私は、それだけ苦労してつくって、与党の諸君にも野党の皆さんにも汗をかいてもらって、本当によくやってもらって、それこそ胸を張って出せる
法案だったんです。それがなっていないと。突っかかりたくないですけれども、何がなっていないんでしょうか。