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宮島参考人 どうぞよろしくお願いいたします。
きょう、このような
機会を与えてくださいまして、心から感謝をいたします。
どうしても、今の
体制、
児童虐待に
対応する
体制を変えなければならないという危機感を持っています。
先生方は、その力を持っている
先生方でいらっしゃいますので、その
先生方の前で
お話をさせていただく本当にすばらしい
機会を与えていただきまして、心から感謝をいたしております。
私は、今、大学で教員をしておりますけれども、実務者教員という位置づけで働いております。
二十四年間、埼玉県の福祉職として働いてまいりました。主な働きの場所は、
児童相談所の
児童福祉司を十四年間やりました。また、
子どもたちを一時的に
保護する一時
保護所というところで三年間、
児童指導員を行いました。また、知的障害児の
施設で一年間、県本庁で
児童相談所とか
児童養護施設の仕事を三年間務めました。現場の人間です。
そして今、この専門職大学院という、現場の人間を育てる、あるいは再
教育をするというところで働かせていただいております。私は、そのような立場ですので、現場に近い話をさせていただきたいというふうに思っております。
どのように現場に近いかということですけれども、今、
高橋先生が、親育ち、親が育つための
支援が必要だと。非常に長期的な取り組みが必要だというふうに私は受け取ります。本当にこれは大事なことだというふうに思います。しかし、現場の私としては、今、命を落としている
子どもたちがたくさんいる、今、苦しみの中にいる
子どもたちがたくさんいる、この
子どもたちのことをしっかりやらなければならないと考えております。そして、この
二つのことは矛盾しないと考えております。
ただ、気をつけなければいけないのは、長期的な
視点が重要だということで、今やらなければならないことをおろそかにすることだと思います。両方をしっかり取り組むために考えていきたいというふうに思っております。
資料ですけれども、
三つ用意をさせていただきました。
一つは、長い
資料ですが、パワーポイントの
資料です。偶然ですけれども、
高橋先生のスーツの色と同じ色になってしまいましたが、これを用意しました。
そして、この
資料の次に用意しているのが、三月の半ばにNHKの「
視点・論点」という番組で、約十分間ですけれども、
児童虐待の
対応について
意見を述べさせていただきましたが、そのときに
お話をさせていただいたことを原稿化したものをお配りさせていただきました。
もう
一つが、これは私の友人が昨年スウェーデンに行ってきたときのレポートです。村田和木さんという方ですけれども、もと婦人公論の編集をやっていた方で、数年前、公明党の公明新聞に
里親のことを長く連載されて、今、中公新書でその内容が新書版となっていますが、この方がスウェーデンに行ったときの
お話です。
今、
高橋先生がスウェーデンのことをちょっと
お話しされましたが、村田さんが一年前に行ったときには、多くのおなかの大きい方がいた、小さい
子どもを連れた親御さんがいた、むしろ出生もふえているというような内容。しかし、論点はそこにあるのではなくて、そこで行われている
児童虐待と
社会的養護の内容がレポートされておりますので、それをぜひ読んでいただきたいというふうに思いまして、用意をさせていただきました。
それでは、中身に入らせていただきたいと思いますが、パワーポイントの
資料に沿って
お話をさせていただきたいと思います。非常に長い
資料ですので、全体を取り扱うことはできません。主に一
ページ目から六
ページ目を使って
お話をさせていただきたいと思います。
それ以降は、
事例が載っております。この
事例は、本当は、むしろ
一つ一つ吟味をしたいところですが、その時間は許されないと思います。しかし、一
ページ目から六
ページ目の
お話をするこの根拠がそこの
事例を検討する中であるので、根拠を持って
お話をしたいと思いまして、後でごらんいただくなり、また、もし可能であれば、御質問をいただく中で取り上げられたらと考えております。
この二十年間、
児童虐待の
対応はさまざまに進んでまいりました。
平成二年に厚生労働省の方で
児童相談所の受け付け
対応件数の統計がとられるようになってから二十年が
たちますけれども、非常に件数もふえたということです。そして、二〇〇〇年に
児童虐待防止法ができましたけれども、その後、改正が重ねられてきました。本当にすばらしい前進がされたと思っております。しかし、相変わらず悲惨な事件が続いております。
また、大事なことだと思いますが、せっかく
家庭から救い出されて
施設や
里親のもとで暮らす
子どもたちがいるわけですけれども、そこの
施設でもかなりの件数の悲惨な事件が起こっている。後で
お話をされる須藤
先生の
児童自立支援施設がございますけれども、この
児童自立支援施設の三割から四割は、
児童養護施設や
里親のもとでトラブルがあって、多くが性的なトラブル、性的な加害が発生して、その加害者である
子どもをその場所に置くことができないで、
児童自立支援施設に変更するというようなことが実際に起こっています。また、
里親のもとでも
虐待が生じるということが起こっています。本当に悲しい事件が起こっているというのが実際のところだと思います。
次の
ページに移ります。
この二十年間、
児童虐待の
対応を前進させたものは何だったのかというふうにいろいろ考えますけれども、何よりもこれは怒りであったろうというふうに私は考えます。
それまで無関心、無視されてきた
児童虐待が、気づかれるようになった、またマスコミでも報道されるようになった。そして、こんなことがあってはならない、かわいそうな
子どもをひどい親が
虐待する、そして行政が動かない、何たることだという怒りによってこの
制度が進められてきたと思います。そして、この怒りは必要だったというふうに考えております。
しかし、この怒りによって前進した
児童虐待の
対応については、そのためにゆがみが生じているのではないかというふうに思います。発見、通告、安全確認、
調査、一時
保護、分離、また
在宅指導、これが、全体を怒りが覆っているというふうに感じております。そのために、
虐待が発生する構造が平板な理解で終わっている。その平板な理解の上に
対応が少しずれてしまっているのではないかというふうに感じております。
次の
ページをごらんいただきたいと思います。
虐待が発生する、なぜ起こるんだろう、どんな
保護者が
虐待を起こすのだろうということがしばしば話題になります。マスコミ等の取材がありますと、どのような親が
虐待をするのかということをいつも聞かれます。世の中あるいはマスコミの論調ですと、大体この
ページの上の理解にとどまっているのではないかと思います。
大方の
保護者の方は、
子どもをちゃんと大事にして一生懸命育てている、
子どもの利益を図れる
保護者である、しかし、悪いやつがいる、特別なやつがいる、そして
虐待をその人
たちがしている、とんでもない悪いやつが
虐待をするんだ、これがどんな親なのかということが話題になっているのだと思います。
このような理解に基づいておりますので、一生懸命
子育てをする人
たちに対しては
子育て支援を充実させよう、そして、特別な親御さんに対しては、介入、分離、ケアだということになります。その結果、
子育て支援には市民が参加しますけれども、
虐待対応には市民が参加しない、市民は通告をする、そして行政に任せる、むしろ市民の参加が不活発になっているという構造が起こっていると考えております。
実際に
虐待をしてしまう親御さん
たちはどうなのか。これは、私の臨床経験もですし、また、昨年発表になりました
全国の
児童相談所所長
調査というのがございました。そこで、三カ月のすべての
事例を検討いたしました。その結果も裏づけておりますけれども、実際に
子どもを
虐待する親御さんは、下のスライドのような、この
資料のような状態だと思います。
確かに、多くの親御さんは、
子どもの利益を図れる
保護者である。しかし、
虐待が発生するのは、とんでもないひどい親だけが行っているわけではない。確かに、とんでもないひどい親はいます。悪意の
虐待をする人がいます。自分の支配力を誇示するためにする人がいます。自分の性的な欲求を満たすために、自分の
子どもに対して性の対象とする親がいます。確かに、その存在を認めなければなりません。
しかし、それだけではない。むしろ、多くは、自分の
子どもの利益を図りたい、何とかしたい、そう思いながらできない親御さんが多いということが間違いなく言えると思います。
また、一見、
子どもの利益に無関心だなというように感じる方がいます。しかし、その多くの
方々は、その方自身が追い詰められているために、自分自身のことも大事にできない、自分の
家族のことも大事にできない、パートナーのことも大事にできない、そして
子どものことも大事にできない、そのような構造の中で実は
虐待が起こっているということだと思います。
そして、大事なのは、このとんでもないひどい親のもとで起こる
虐待だけが深刻な事態を引き起こすのではない。何とかしたいけれどもできない、そのような親御さんのところで、むしろ多くの
子どもたちが命を失っている。
子どもが命を失うのはゼロ歳が一番多い。そこで追い詰められた、ノイローゼ状態にあった、そういう中で命を落とす
子どもが実に多い、むしろその方が多い。また、心中によって命を失う
子どもたちが非常に多い。その親御さん、
家族が追い詰められている状態にあることは間違いありません。
そして、このように、実際の状態に目を開くならば、確かに専門家だけが介入しなければならない特別な
事例はありますけれども、むしろ、
子どもの利益を望んでいるけれども適切に
養育できない
保護者、あるいは自分の利益に関心を寄せることができないように追い詰められている方、ここにも実は国民は参加できるんだ、市民は参加できるんだということに目を開かなければならないというふうに考えております。また、市民が参加するために、適切なコーディネーター、スーパーバイザーが必要だというふうに考えます。
次の
ページを見ていただきたいと思います。
児童虐待が起こる構造を別な面で考えてみたいと思います。
児童虐待は、
子どもに対して
保護者が、
家族が
虐待を起こす、この二者の間で生じるものが
児童虐待だというふうに言われています。また、定義もそうなっています。そして、ここで強調されてきたのは、すべての
家庭で
虐待は起こるのだということが言われてきました。これは正しいことだったと思います。しかし、これゆえに見落とされてきてしまったものもあるということを忘れてはならないのではないかと思います。
下のスライドを見ていただきたいと思うんですが、
子どもと
家族の間で起こるのが
虐待である。しかし、この
子どもと
家族だけでカプセルのようにそこにあるわけではない。むしろ、その
子どもと
家族は、
地域社会の中で生きているわけです。そして、この世の中で生きているわけです。この時代の中で生きているわけです。そして、その
子どもや
家族はさまざまな問題を背負っているということが実際に見てとれます。
全国の
児童相談所の所長
調査を見ても、育児ノイローゼや、DVや、孤立や、不和や、離婚や、再婚
家庭や、育児の経験不足や、病気や、障害や、薬物依存や、不安定な就労や、貧困や、住宅環境が非常に劣悪な状態だ、そのような中で起こっているということです。
子どもと
家族、
子どもと
保護者の間に着目することは当然必要です。そこの問題を改善しなければならないことは当然です。しかし、冷静にこの状態を見るならば、それだけではだめだと思います。全体的にかかわっていく必要があると思います。
次の
ページを見ていただきたいと思います。
実際、この二十年間を見ると、確かに国民の関心は高まりました。通告件数はふえました。介入の
仕組みは整いました。しかし、多くの国民は、
虐待は自分の問題だというようなことを考えませんでした。
高齢者
虐待が発生するときに多くの方は思います。大変だったんだろうな、追い詰められていたんだろうな、介護の
社会的
支援があったらば、親を殺したり、あるいはけがをさせたりすることはなかっただろうなと。しかし、
子どもの
虐待を見るときには、ひどい
保護者がやっている、どんなに追い詰められていても、経済的にちゃんとしていても、まともなやつは
虐待をしないよという論調でとらえられます。これは誤りだと思います。
国民は、自分の問題と考えることが必要だと思います。外注化するだけではだめだと思います。
子育て支援と
虐待対応、
社会的
対応、これを分断してはならないと思います。問題の
社会的要因をちゃんと見ていかなければならないと思います。
また、通告ですけれども、これも、早さだけ、そして介入の強さだけが問題になりました。実際は、この通告の質ということをちゃんと考えていかなければならないと思います。
そして、総合的な
支援が必要だ。
在宅の
支援も必要ですし、
施設に入っている
子どもたち、
里親のもとで委託されている
子どもたちのための
支援も充実させることが必要だと思います。
この問題を解決するためには、特定の
対策では効果は出ないというふうに考えます。
次の
ページですけれども、
虐待の問題を解決するためには、
子どもと
子育てを
社会全体で支えるという土台が必要であろうと思います。その上で、
課題を持った親子、
家族に丁寧にかかわるということが不可欠だと思います。そして、それを担うのは、
子ども、
子育てに国民が参加する、国民みんなが参加する、また国と地方公共団体が責務をきちんと果たす、セーフティーネットをきちんと
機能させるということが必要だと思います。
それでは、具体的にどういうことかということですけれども、下のスライドです。
まず、広報や研修を今までもやってきたと思いますが、その中身、その質を少し変えていく必要があると思います。
通告というのが活発に行われるために、疑いでもいいんだよと、それは本当に必要だったと思います。国民の義務だということも周知することが大事だったと思います。しかし、実際に起こっている
事例を見ますと、重いケース、命を落とすようなケースは通告されないわけです。それは、悪事を告発する通告だというイメージと認知があるからだと思うんです。むしろ、本当に親子を救い出すんだということをちゃんとイメージするような啓発が必要だと思います。そして、丁寧に
情報提供することがとても重要なんだということが大事だと思います。通告を、外注ではなく、参加ということにすべきだと思います。
また、この二十年間、当事者からの
相談がむしろ後退したのではないかと思います。確かに、放棄してはいけません。
子育ての
責任を親はきちんと担っていかなければなりません。しかし、できないときや困難に陥ったときには
相談していいんだよということを、もっともっと広報を活発に行わなければならないと思います。
相談は、自分の問題を解決してほしい、助けてくださいということですけれども、
虐待の問題が
社会的な問題であるとすれば、そうであるがゆえに、
相談をするというのは、自分がその
社会の問題に参加するんだというような位置づけで、これは参加を促すべきですし、受けとめる方もそのような意識で受けるべきだと思います。
次の、
地域、関係者の
対応力を上げるということですけれども、実際に
子育て支援を頑張っている方には、かなりの難しいケースが
地域にいっぱいあるということがわかっています。その人
たちを応援する必要があると思います。
民間の方が実際にこの問題にかかわると、難しい、こうしたときはどうしたらいいのか、こういった判断に迷うというときに、やはり、きちんと
地域に専門家がいて、市民の参加をサポートして、
相談に乗って助言をする、場合によっては、それは私どもがやりますよと肩がわりする、そういった
体制がなければ市民の方は活発にこの問題に参加することはできないと思います。それを行うには、やはり
市町村の職員の質を上げて、そこにきちんとした方を置くということが必要だと思います。
全国の
市町村の
児童相談担当の方ですけれども、
社会福祉士、ソーシャルワーカー、このようなトレーニングを受けている
方々は何と四%しかいないということです。さまざまな
資格を持っていらっしゃいます。教員であったり、
保育士であったり、看護師であったり、そのような立派な
資格を持っていらっしゃる方はたくさんいます。しかし、実際に
家族支援とかソーシャルワークをトレーニングされた方は四%しかいない。また、三割は、何の
資格もない一般事務の方です。一般事務の方ができないというわけではない。その人
たちにも有能な方はいますけれども、しかし、難しさはあるのではないでしょうか。やはり、ちゃんとトレーニングを受けた方が
市町村に配置されるべきだというふうに思います。
また、
学校というのはやはり重要なところだと思います。義務
教育ですべての
子どもたちが
学校に行くわけですけれども、そこにいる
学校の
先生方に、ある
程度の力をつけてもらわなければならない。これは研修では足りないと思います。
保育士の養成課程には、
児童福祉とか
家族支援論ということが科目として位置づけられています。しかし、教員養成の課程にこのような科目はないのではないでしょうか。やはり、
先生になる前の段階できちんとした
教育を受けていくということがとても重要なのではないかと思います。
また、スクールソーシャルワーカーという職種の方を
学校単位に配置するということがとても大事だと思います。このスクールソーシャルワーカーがすべてのものを担うということではありませんけれども、
学校で起こっているさまざまなことに対してソーシャルワークの
視点で見るとどうなのかという
視点を与えることによって、防げる
事例は多いと思います。
江戸川の事件は、まさにそういった
視点が
学校の中に置かれていれば、これは救えたのではないかというふうに思います。
三つ目として、困難な
子どもと困難な
子育てをちゃんと
支援していく。
保育や学童
保育の充実は必要だと思います。経済的に困難な育児を
支援すること。一人親
家庭、再婚
家庭、育児ノイローゼ。実は、双子、
三つ子の
子どもの
虐待死は非常に多いわけです。また、いまだに、
子どもの障害を苦にして
子どもを殺してしまったり、心中をしてしまうという
事例がたくさんあるのです。そういうことにちゃんと着目していかなければならないと思います。
そのために、市区町村の職員、
児童相談所の職員の質と数をふやすということが必要です。後の
資料の方にその実際の数字は載せておりますが、先ほど申し上げた状態です。
児童相談所の職員も、専門職採用されているのは実は半数です。そして、多くの職員が三年未満で入れかわるというような状態です。そのような中で、本当に、
事例でそこで起こっていることがどういうことなのかということを見抜くことはとても難しい。実際、できない。
いつもいつも、
虐待死の事件が起こりますと、何で動かなかったのかと。それは、勇気がなかったとか、そういう問題ではない。むしろ、起こっていることを読み解くことができなかったんだということだと思います。
江戸川の事件には三者がかかわっていたわけです。
子ども家庭支援センターがかかわっていました。
児童相談所もかかわっていました。また、
学校もかかわっていました。しかし、あのお子さんが体験していることがどういうことなのかということがわからなかったわけです。
一番最初に歯科医の方が連絡をくださいました、ほっぺに傷があり、また太ももに傷があったと。ここだけで、本当にこれは大変なケースだというのはわかるんです。ほっぺのあざは、感情に任せてたたくことはあります。しかし、もものあざは、これは、正座をさせて上から相当な外力を加える、踏みつぶす、あるいはけり上げるということがなければ起こり得ないあざなわけです。電話を受けたところで、そこは既にわかっていたことなんです。そこでわからなかった。
また、これを通告された方は歯科医の方だった。むしろ、歯科医の方のところに聞きに行けばよかったわけです。実際に
家庭に訪問しなくても、歯科医の方に丁寧に聞けば、これは大変な
事例だというふうにそこでわかったわけです。その最低限の
専門性さえなかったということです。
しかし、その人方がただ怠慢だったということではなく、先ほど申し上げたような
体制があるから見抜けない。それが
全国の状況だというふうに考えております。
最後のことですけれども、実際にまた
子どもを引き揚げた場合、
社会的養護の拡充をしなければなりません。
柏女先生がおっしゃった
児童養護施設、
児童福祉
施設の
地域化と
小規模化は絶対に進めなければなりません。
また、
里親委託を本当にふやさなければなりませんけれども、
里親の手当をふやしても、きちんとした丁寧なフォローがなければ、
里親のもとで悲劇は起こります。実際どのようなフォローがなされているかというのは、このスウェーデンの
資料を見るとわかると思います、今は見ませんけれども。
実際に、
施設なんかで担当の
保育士さんや
児童指導員が
子どもを見ます。一生懸命やっています。しかし、うまくいかないことはたくさんあります。そのときに課長さんや
施設長さんが、どう、うまくいっているかい、こうしたらいいよ、ああしたらいいよと言うわけです。しかし、その
体制が
里親さんのもとでなければ、
里親さんのところで
虐待が生じるのは当たり前のことです。
小規模化を進めれば進めるほど、きちんとそれをフォローする
体制がなければ、
家庭で起こったことと同じことが
里親のもとでも行われるのだということを知っておかなければならないというふうに考えています。
上がってしまったので、時間がわからなくなってしまいました。ここで終わらせていただきます。ありがとうございました。(拍手)