○柳田
分科員 民主党の柳田和己です。
質問の機会をいただき、
決算行政監視委員会の
委員長初め
皆様に厚く御礼申し上げます。よろしくお願い申し上げます。
私は茨城の農家の長男に生まれました。私は二十で両親を亡くし、そしてその後、大学に行き、富士銀行という、今はなくなり、みずほ銀行になりましたが、大手町を中心に、新橋、日本橋、日本の経済の、まさに江戸時代から、徳川家康が四百年前、駿府から江戸に持っていき、そして、日本橋小舟町に私は副支店長で四年間おりましたが、そのときにバブルが発生しました。その中で、まさに日本の成長を見てき、そして昭和の終わりから、私は新橋におりましたが、そのころからバブルが出てき、崩壊し、そして失われた十年、二十年という中で、私は非常にいろいろなことを学んでまいりました。
私がちょうど文京区の白山の支店長をやっていたときに、バブルがはじけ、山一証券や北拓もつぶれました。私がたまたま九州に家内と旅行したときなんですが、あした山一を、つぶすと言ってはあれですけれ
ども、するから、支店長は現場にすぐ戻れということでしたが、九州におりましたので、お昼ごろ戻ってきました、副支店長にそれをやるように言いましたが。いろいろな中で、私は本部に戻り、不良債権の
処理を二年間やってまいりました。
私は、この国が、本当に
政治がやっていたのかなと。それで、非常に後追いなんですね。やることが遅いんですよ。私は非常にじくじたる思いを今持っております。
そして、昨年の八月、嫌と言われた女房を説き伏せ、死に物狂いでこの
国会に上がってまいりました。しかし、
国会議員はかわっても、ここにいる頭がいい方、官僚の
皆さんはかわっておりません。これが問題だと思います。
そんな中で、例えばバブルのときを思い出しますと、よく言われました。要は、GDP以上に貸し出したために、これが今まで六〇%だったのを、GDPのそれよりも多く貸し出した。五百五十兆ぐらい。それで、その分がバブルがはじけたと言われております。そして、まさに私もそうでしたが、上へ下への大変な阿波踊り状態だったんです。国もそうだったんです。
例えば、
一つの例が、ゴルフ会員権があります。ゴルフ会員権は経済産業省の
管轄だと思いますが、あるAというゴルフ会員権を募集するのに、本来なら、このゴルフ場の開発だけに募集した人の
お金を使えばいいのに、AからB、BからC、CからD、最後にはロックフェラーまで買っちゃった。ジャパン・アズ・ナンバーワン。今は何ですか、この国は。
そして、昭和四十一年、建設国債を出した佐藤総理。時の大蔵
大臣が福田赳夫さん。今、国債は幾らですか。九百兆近くになっちゃったんじゃないですか。私が思うには、やはり成長して安定したときに、国は
借金を抑える。亀井
大臣、今民主党にいろいろなものを任されても本当に大変だと思います。
そんな中で、金融機関も半分ぐらい減りました。都市銀行も十二行あったのが今は五行。そして、今一番減っているのが、信用金庫や信用組合。地方ですよ、地方。
また、ここへ持ってきて、まさに経済至上主義、そしてブッシュからオバマまで八年間。イギリスも戦後初めて連立するということですが、あの揺りかごから墓場まで、非常に悩める英国病を、鉄の女、保守党のサッチャーさんが出てきて、しっかりと改革して、労働党のブレアさん、ブラウンさん、そしてまた保守党へ戻った。日本は、残念ながら、小沢
先生も言っていますが、万年与党の自民党、万年野党の社会党、これではだめですよ。切磋琢磨して、しっかりと政権公約を実行する。それが、まさにこれから日本が歩む道じゃないかと思っております。
そんな中で、亀井
大臣にお尋ねいたします。
そういうような大きな日本の中で、まさに金融円滑化法は発動され、私も注意深く見守っております。
ところが、私の耳に入ってくるのは、要は、バブルの前のときの都市銀行やいろいろな銀行の数や店舗数が減ってしまったために、本当に借りたい人に、中小企業の社長さんや個人事業主や個人の方が借りられない。僕は本当に心配なんですよ。
そして、不良債権のときは、ちゃんと債務者区分というのがありました。今はどうなっているか、当時と変わっているか、これもお答えいただきたいんです。
要は、
金融庁の
皆さんが銀行に行ってがらがらやるものだから、私も、いたときは大変ですよ。
金融庁が入ってきて、上を下への大騒ぎなんですよ。そして、
金融庁はみんな東大出ですから、大体うちの同期も東大のやつを、MOF担というんですけれ
ども、入れておくんですよ。やりましたよ、私は日大ですけれ
ども。
そんな中で、金融安定化法について心配しておりますし、そういう資金を借りたい人は本当に借りられているかどうか、そこら辺の御所見を
大臣にお伺いしたいと思います。よろしくお願いします。