○笠井
委員 やがて知るに至るからいいのではないかという話も最後にあったんですが、結局、そういうことでもって暗黙の合意というふうに
有識者委員会でも言われて、そういう
報告書が出たわけですが、実践的に見ますと、それを正すことにならないわけですね。それを正していくという話にならない。
そもそも、歴史家の将来の研究課題というよりも、私は、この問題は今につながるんだと思うんです。そもそも、この密約が六〇年当時に結ばれたということを、はっきり密約と認めないということになれば、対処の上では、それはずれがあったとしても、その後はお互いにそれをやりながら対処においては一致していたという話をされるんですけれ
ども、結局、それは現状を変えないまま置いておくわけですね。そうすると、何も変わらないということになりますね。そういうことになったときに、これは実践的な、これから聞こうと思うんですが、実際持ち込んでくるという問題についてどういう対応をするのかということにかかわってくるから申し上げているわけです。
しかも、私も
参考人質疑をやらせていただきましたが、
有識者委員会の坂元さんもおっしゃっていました。大体、欠落して重要
部分が足りないものがある、不自然になくなっているものがあるということをおっしゃりながら結論を出された。そして、私が伺ったら、新しいものが出てきたらまたそれは正してもいいんですと言われるんですけれ
ども、しかし、そういう
報告書に基づいて少なくとも
岡田外務大臣も
政府も今対応しようとしている。
結局は、密約について、きちっとそれをあったということで正す、あるいは廃棄するということもやらないということになっているわけですから、私は、そういう問題が問題になってくると思うんです。
しかも、やはり当初に一致していたという問題を私は提起しているわけで、交渉第一日目の問題で、
アメリカの電報に対応する
日本側の
会議録というのも、一九五八年の十月四日付というので、今回の
報告書とあわせて膨大な
資料の中で出てまいりまして、私もこれを読みました。
例えば、この中でも、マッカーサー大使の説明がずっとされていて、それを記録されています。そこで、第五条、六条というところに来てマッカーサー大使が述べている中で、「第五条、第六条も重要視している。」こう書いてあるんです。その後に、わざわざパーレン、括弧づけしてあって、「(以下条文の説明は記録より省略す)」と書いてあるんです。
重要視している問題をわざわざ
外務省は、マッカーサー大使が言ったことについて、記録より省略するといって書かなかった。これは私は非常に、今、この間の密約問題が議論になっている中で、なぜ書かなかったのか、そんなに大事な問題を記録に残さなかったのかという問題を、これを見て非常に疑問に感じたわけです。これ
一つとったって、
アメリカの電報が正しい前提に立ってとおっしゃいますけれ
ども、
日本側の記録が正しいのかと。そうでないことがほかにも随所にあります。
大体、電報が正しいものでなかったとして、後で交渉相手の藤山
外務大臣と
アメリカの国務長官が直接会って会談したときに、こういう交渉をしていた、いや違う、マッカーサー大使とはこんな話だったと言って、そんなことになってしまったら、マッカーサー大使にとっては、それこそ大使生命といいますか政治生命を問われる
責任問題になっちゃうわけです。それを、
アメリカはいつも信用できるとは言えないんだという言い方で先ほど
大臣は言われたので、むしろ、共通の理解は米側の理解であって、それを記録するためにこの
文書自体については不公表とすることとして作成された合意
文書、まさに密約そのものじゃないかと私は思うんです。
もう
一つ確認したいのは、第二問で聞いた中で、「
政府は、一九九四年以後も、
日本に核兵器搭載能力を維持した原子力潜水艦が寄港している可能性があることを認めるか。それを否定するというなら、その根拠は何か。」「
政府は、寄港する原子力潜水艦に核兵器搭載能力を維持したものが含まれていないことを保証できるか。保証できるというのであれば、その根拠は何か。」という設問をいたしました。これに対して答弁書では、「現時点において、」「核兵器を搭載する米国の
艦船の
我が国への寄港はないと判断している。」と回答しているわけですけれ
ども、その根拠とされているのは、一九九一年に米国がとった核兵器に関する政策であります。
私はこれを見て思ったんですが、これまで
岡田外務大臣と私も何回かやりとりをさせていただいて、三月十日、私が
質問したのに対して
大臣は、一九九一年に、水上
艦船及び攻撃型潜水艦を含む米海軍の
艦船及び航空機から戦術核兵器を撤去したというふうにおっしゃるとともに、一九九四年の核体制見直しで、水上
艦船及び空母艦載機から戦術核兵器の搭載能力を撤去することを政策決定していると答弁を繰り返しされました。
九四年以後もというふうに、能力を維持しているか聞いているのに対して、今回の答弁書では、なぜ、この一九九四年の核体制見直しについて、答弁されたようなことについて触れなかったんでしょうか。