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坂元参考人 大阪大学の
坂元でございます。
本日は、お招きいただきまして、ありがとうございます。
私は、十年ほど前から、いわゆる
密約問題につきまして、
政府、
外務省はいつか本当のことを言わなければならないと言い続けてまいりました。したがいまして、今回、
岡田外務大臣の指示のもと、
政府、
外務省がそういう努力を行ったことを大変うれしく思っております。
もっとも、
密約といいましても、今回取り上げられました
四つの事例は、どれもこれまでに
日米の
関係者や
研究者の指摘により公に知られていたものばかりでございます。したがいまして、何を今さらと、この
取り組み自体を冷ややかに見る向きもあるかと思います。今このタイミングで取り上げれば、ただでさえぎくしゃくしている
日米関係に悪影響を与えるのではないかとか、しょせんこれは旧
政権に対する
攻撃材料ではないかといった疑念や
批判があろうかと思います。
しかし、私は、
国民の同意に基づく
政治という
民主主義の
原理原則、また
国民の理解と
信頼を背景にした
国民外交の推進、あるいは
日米同盟の健全な発展ということから考えまして、
政府、
外務省が、
冷戦中、
国民に正直に
説明していなかったことを、
極秘文書の
公開も含めて、今回詳しく
説明する
決断をしたことを高く評価しております。
有識者委員会の
報告書で、私は第二章を担当し、
核搭載艦船の
寄港問題に関連し、
日米間にはこの問題の処理に関する
暗黙の
合意があったと
結論いたしました。詳細は
報告書をお読みいただければ幸いですが、簡単に申しますと、
核持ち込みに関する
事前協議を定めた
交換公文の
解釈において、
日米両
政府間には
立場の差があった。両
政府は、その
立場の差を知りながら、あえてそれをあいまいにし、双方がそれぞれの
解釈に従って
行動したり、あるいは
国民に
説明したりすることを許した。ただ許すだけでなく、そういう
状況が公になることを防ぐべく互いに
協力し合う。そういう
暗黙の
合意があったというものでございます。
こうした
結論に至りましたのは、要するに、
事前協議を定めた
交換公文の
文言があいまいでございまして、そこには、
艦船や
寄港はおろか、
核兵器や
持ち込みといった
文言もございません。そこから、その
文言から
核搭載艦船の
寄港も
事前協議の
対象になるんだと確実に言うためには、実は
日米間には何らかの明確な
了解が必要だったのですが、そうしたものがない。そういうものがないというのはどういうことかと考えた結果がこの
結論でございます。何もないということは、
核搭載艦船が
事前協議なしに
寄港することを事実上黙認することになるというのがこの第二章のいわば話のみそでございます。
この
結論については、納得していただく方もあれば、そうでない方もございます。本日もそうですが、これからも疑問や
批判にはきちんとお答えしたく思っております。
本日、私が呼ばれましたもう
一つの理由は、その
報告書で指摘しました
文書管理の問題かと存じます。
私は、今回の
調査で利用できました
外務省文書の量と質は問題の構造を大まかにつかむために十分だけれども、
重要部分に欠陥があり、解明できないところが残ったと書きました。当然あるべき
文書が見つからず、見つかった
文書にも不自然な
欠落が見られるので、そうなった経緯について
事情調査が必要だと指摘したわけでございます。
外務省はその
調査に踏み切るようでございますが、本日は、その
調査の
参考にもなればと思い、どういうところが不自然かというところを、
四つの
タイプに分けて要点だけお話ししたく思います。
まず
一つ目は、あるべき
文書がないという
タイプでございます。
これには
二つの
種類がございまして、
一つは、
米側には
文書があって、
日本側も本来
文書にすべきと思われる
文書の不
存在です。例えば、
安保改定交渉の
最初の
段階で
アメリカ側から
事前協議の
文言を提案された際に、
日本側はその
文言について六点にわたって
意味確認を行っておりますが、その
文書は、そのやりとりの
記録が
米側にしかない。
もう
一つの
種類は、
安保改定時の
日米会談の中で、幾つかの
会談については
記録がないということでございます。これは、
記録をとった当時の
東郷文彦安保課長のきちょうめんさからいって、
安保改定当時からなかったとは到底考えられないものでございます。
次に、二番目の
タイプでございますけれども、この二番目の
タイプは、
文書はあっても、その中に不自然な
欠落があるというものでございます。これは、
文書に附属すべき
別添文書がついていないとか、記述のつながりがおかしくて途中が抜き取られているように見えるとか、そういうものでございます。
以上、
二つの
タイプは、どちらも
交換公文及びいわゆる
討議の
記録の
形成過程をよく知るためには欠かせない
文書でありまして、大変残念な
欠落でございます。
三番目の
タイプは、
討議の
記録や
朝鮮議事録などの
文書に関して見られる不自然さの
タイプ、すなわち、
藤山外務大臣と
マッカーサー大使の
イニシャル署名が入った
実物の
文書が出てこずに、その
コピーしか残っていないということでございます。なぜ
コピーしか残っていないのでしょうか。
討議の
記録について言えば、今回発見されました
二つの
コピーは、それぞれ別に作成された
コピーで、どちらも一九六〇年代に書かれた
内部文書に附属し、少なくとも一方は、
実物と同じく、古い
時代に
タイプされたもののようでございます。そうしますと、
実物の方は古いものだからなくなったということは言いにくいのでございます。
コピーだけ残っているということで問題になるのは、この
二つの
コピーが附属している
文書が、どちらも一般には知られていない
文書であり、外からの特定が難しい
文書だということでございます。これに対して、
実物の方は、
安保改定交渉の
記録をまとめた全八冊の
調書の中に入っておりました。この
調書ファイルは、
安保改定交渉について
外務省内部で
調査を行うときにはまず
最初に調べるべき
ファイルでございます。
さて、そこでですが、二〇〇〇年までに
米側文書の
公開により
討議の
記録の
存在は世に知られております。そのため、私など
研究者は、一九六〇年一月六日付の
討議の
記録、
藤山外相と
マッカーサー大使の
イニシャル署名入りのものと指定して、これを
情報公開法に基づき開示請求することができます。
そうすると、請求された方は困ったことになります。
コピーの方は、
署名もありませんし、どこにあるかわかりにくい。仮にそれを見つけても、私が請求しているものかどうか特定できないとして処理できます。しかし、
実物が
調書ファイルの中にありますと、
内部ではすぐに見つけることができますから、
公開はしないまでも、少なくとも、その存否を言うかどうかの
判断を迫られます。あると言えば今までないと言ってきたことと
整合性がとれません、見つからないと言えば
うそになります、あるともないとも言えないと言えば怪しまれるといった困った
状況になるわけでございます。ですから、
実物は残っていない方がありがたい。
しかし、もし本当に隠したいなら、
実物だけでなく
コピーも残っていない方がよりありがたいんじゃないかとの疑問をお持ちになる方もおられるかもしれません。しかし、
討議の
記録は、米国との間に交わした
公文書で、
日米同盟の運用にかかわる
重要文書であります。
コピーさえ残らず記憶から消える、
外務省の
文書記録から消えるということになりますと、これは大変なことになるわけでございます。
核兵器の
持ち込みが
事前協議の
対象になるというのもこの
討議の
記録という
文書の中に書いてあることでして、まさかその
記録をなくすわけにはいきません。だから、
コピーが残っているのは当然なのでございます。すなわち、
コピーが残っていることをもって意図的な紛失ではないと推測することはできないわけでございます。
さて、ここで誤解のないように申し上げておきますが、私は、だから
実物の方は
情報公開法施行の前後になくなった、あるいは破棄されたのだろうと言っているわけではございません。
情報公開法のはるか以前になくなった
可能性ももちろんあります。私が申し上げたいのは、
重要文書について疑問の残る
残り方だから疑惑が生じる、その疑いを晴らすためにも、紛失したなら紛失したで、単に古いものだからなくなりましたといった
説明ではない、真剣な
調査が必要だということでございます。
最後、四番目の
タイプは、
東郷和彦元
条約局長が一九九〇年代末に後任に引き継がれたという五つの赤い箱に入った
重要文書でございます。
聞くところによりますと、
東郷さんは青い箱、黒い箱も残したとも言われていますが、赤い箱に関して、時間の関係で
一つだけ申しますと、
東郷さんが残された最
重要文書十六点の中で出てきたものが八点あると報道されておりますが、それが本当に
東郷さんが残されたものかどうか、あるいは別の
コピーではないかということを調べる必要があると考えます。例えば、
東郷さんが残されたという
討議の
記録の
コピーは見つからなかったというのが私の印象でございます。
いずれにしろ、
東郷さんが
文書を残されたのはたかだか十年前ですし、赤い箱という目立つ形で残されていますので、その後どうなったかは、少し
調査をすればすぐに明らかになることと存じます。
私は、以上のように、今回の
調査による
文書の見つかり方には不自然なところがある、だから事実関係の
調査が必要だと考えます。
その際、私が求めているのは、だれかの責任追及ではございません。そうではなくて、真相を徹底的に究明して今後の
教訓にする、また、真相を究明して何がなくなったかをはっきりさせれば
密約問題全体の解明がより一層進む、そのことを求めているのでございます。
さらに、真相究明は、いつか本当のことを言うという
外務省の姿勢をさらに確固としたものにすることでしょう。その姿勢を貫徹して、
日本外交をこれまで半世紀以上悩ませた宿痾の問題から完全に脱却する。それは、
日本外交のためにもなり、
外務省のためにもなる。そう信じるものでございます。
ありがとうございました。