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西山参考人 どうも、
西山でございます。
私は、当局の
内部には携わっていませんので、
外部からの私なりの
認識、あるいはまた、私がその後にいろいろ調べました
アメリカの
関連文書、相当たくさん読みましたけれども、そういうものとの対比においての、主として
沖縄返還交渉を
中心として、簡単な
意見を述べさせていただきたいと
思います。
その前に、これは
密約の
調査に
関連しての
委員会でございますから、まず、
密約というものがなぜ
日米関係だけに集中して行われているのかという、これはお気づきになったでしょうかね。
外務省、財務省を含めて、この四つの
調査対象項目というのは、全部
日米同盟に関する
密約でございます。戦後のいろいろな
外交史の中でも、重要な
外交案件がたくさんありましたけれども、
密約に関して今までのところ発覚しているのはすべて
日米同盟に関するもの、ここに注目していただきたいと
思います。
なぜ
日米同盟に
密約が集中するのか。私の
認識では、戦後の
戦勝国アメリカと
戦敗国日本という冷厳な上下に近い
関係が
冷戦構造の中に組み込まれて、そしてその後、非常に冷厳な
日米同盟の
関係が維持され、強化された、そしてそれが一種の
日本の寄りかかる
聖域のような形で
認識されていたということですね。
しかし、その一方では、これは五五年
体制にかかわらず、その前も後もそうですけれども、もう
一つの流れがあった。それは何かというと、やはり、反核、非核であり、憲法九条による
戦争放棄に対する非常に強い感覚がありましたし、それからまた、戦後、断絶したいわゆる
近隣諸国、特に中国、朝鮮を
中心とした
近隣諸国との
関係をもう一回再構築しなくちゃいけない、何とかしてこれを調整してもう一回
日本との
関係を樹立しなくちゃいけない、片方ではそういう
一つの
潮流が根強くあったわけですね。
したがいまして、もし、
前者の
日米同盟、絶対的な形の
聖域の方にそのときの
政策なり
方針がぐっと傾斜していった場合には、必ずそこに
日本国内政治独特のあつれき、摩擦というものが生じてきます。それをいわゆるカムフラージュするというか、それを調整するというような
一つの
機能を
密約という形で持った、まず私はそのように
認識しております。
それからもう
一つの要素は、これは、今、
一つの大枠的な考え方ですけれども、やはり、そのときの
内閣の
政治思想、それから
内閣の
性格、それからまた、いわゆる
内閣を取り囲む
政治環境、そのときの
国内政治事情からくる
政略論というようなものも、やはり
密約という問題には絡んでくる。そのいい例がまさに
沖縄返還交渉でありまして、
ニクソン政権と
佐藤政権による
沖縄返還交渉というのは一九六九年の事実上五月から始まった。今ではもう有名になっていますけれども、例の
アメリカの対
沖縄施政権返還交渉方針の
基本方針である
メモランダム十三号、これができましたのが五月の二十八日です。それで、そのときの
沖縄返還協定にまつわる大綱がすべて固まったのが、いわゆる
佐藤・
ニクソン共同声明、十一月二十一日です。
ですから、このわずか五カ月ちょっとの間に、あの重大、
複雑多岐な
日米間の
最大の
懸案と言われた
沖縄返還問題が全部実質的に解決した。というのは、要するに、そのときの総裁の
任期が七〇年から七二年、これは四選で
最後の
任期だったという、もう既にその方から逆算されてきた
政治日程があるわけですね。したがいまして、結局、どうしても七一年の
前半には調印を終えていなくちゃいけない、そのためには六九年中に絶対に
日米間の諸
懸案を全部解決してしまわなくちゃいけない、そういうような逆算的な
一つの
政治日程がありました。
それで、
アメリカはこのときに、今言った
メモランダム十三号、これは、もし
日本が七二年
返還を望むのであれば、この六九年中に
米軍の
使用にかかわる不可欠の諸問題、これを細目に至るまで全部解決しろ、それが解決されない限りは七二年
返還には応じられないという鉄の
方針を打ち出してきたわけです。その
最大のものが、要するに
朝鮮半島、台湾及びベトナムに対する
最大限の
基地の
自由使用であり、そして、そのもう
一つの大きな柱がいわゆる財政問題、これをいうわけなんです。
ですから、結局、そのときの
国内的な
政治情勢、
国内的な
政治環境というものがやはり
密約を促進させる
一つの大きな材料になる。今さっき私が申し上げましたように、大きな
二つの
潮流を埋めていく、これを調整していくということが
密約の大きな
機能ですけれども、もう
一つの
機能は、やはりそういう
促進機能は、そういったような
国内の
内閣の
性格及び
内閣を取り囲む
政治的環境というものが大きく影響しているということでございます。
その中で、私が申し上げたいのは、結局
最大のテーマは、やはり今度の
基地の問題、それから核の問題及び財政問題でございますけれども、今度の
調査委員会の
報告書との
関連で申し上げますと、まず私の
調査委員会に対する簡単な
一つの感想を述べさせていただきますと、一九六〇年
安保に関する
密約が二本、それから
沖縄返還にかかわる
密約が二本。
前半、後半、二本ずつです。
その中で、
前半の六〇年
安保における核の
持ち込み問題、今、
森田さんがおっしゃいましたけれども、それともう
一つは
朝鮮半島に対する直接
戦闘作戦行動。これはいずれも、そのときの
岸内閣としては、
日米同盟を再編強化する、要するに、相互の義務を確定するということを打ち出しましたけれども、やはりそこに、私が今さっき申し上げました、もう
一つの
潮流に対する配慮、それから
日本の
自主性、
日本の自主的ないわゆる
選択権といいますか、
日本の国家としての
独立性、これを定義するためにいわゆる
事前協議三
項目を出したわけです。ところが、そのときの
事前協議三
項目のうちの二
項目については、やはりこれは虚偽の表示であったということが判明した。それは今度の
調査委員会における
報告で明確になりましたけれども。
私が問題にするのは、
前半の
二つよりも後半の
二つについてです。
後半の
二つについては、まず第一に、
沖縄に対する核の
持ち込み、
緊急事態における核の
持ち込みについての
佐藤・
ニクソン秘密合意議事録、これは若泉さんが暴露しましたけれども、これを今度の
調査委員会は
密約ではないというように言い切っております。
その
密約ではないということを断定した
二つの根拠は、
一つは、これはあくまでも、
日本側からいえば、全部
総理大臣の私邸に隠匿されていたということもありますけれども、要するに、次の
政権に
引き継ぎがなかった、引き継がれていないんです。これが
一つの
理由ですね。
二番目は、
佐藤・
ニクソン共同声明の第八項に、いわゆる
事前協議あり、
事前協議というものをやるぞということを核の問題に
関連して言っているんだから、この
秘密合意議事録の
中身といわゆる
共同声明の第八項とはそんなにニュアンスは違わないということで、その
二つを
理由に挙げております。
しかし、私は、そういうような
見方はやはり
一つの誤認だと
思います。むしろ
少数意見じゃないか。
二〇〇〇年に、若泉・キッシンジャーの間にできたあの例の
秘密合意議事録の草案をそのままつけて、朝日新聞ですけれども、これを米国の
国務省に、これと同じ
文案があるかないかということを提示したわけです。そうすると、それと同じものがあるかないかということで、その
文案そのものをここで開示することはできないけれども、その
文案に相当するものは
国務省にちゃんとあります、
イエスだ、
イエスと言ったわけです。
そういうことから考えて何が言えるかというと、
アメリカ側は、
日米の
最高の
トップが
実名で署名した
文書はそれは絶対に揺るがすことのできない
両国政府の
合意事項である、
秘密合意であろうと何であろうと
合意事項である、そういう
認識のもとに
国務省にちゃんとおろしているわけです。
国務省におろしているということは、国防省にもおろしているということでしょう。
そういうようにして、
日本側において、
内部において
引き継ぎがなかったとかという
国内的な手続上の問題を仮に言ったとしても、
アメリカには何らの影響もありません。
アメリカは、そういう
最高の
トップの
実名による
合意を
前提として対
日政策を立案し、それを
前提にして対
日政策を進めていきます。ですからこれは、
見方としては完全に、今言ったように、
引き継ぎがないからこれは
密約ではない、そういうのは全く、これは学者の
概念論争としても間違っている。
第二番目は、
合意議事録の
中身は
共同声明の第八項とほとんど変わらないじゃないかという
見方、これも間違っていると私は
思います。
というのは、
合意議事録の
中身は、辺野古、那覇、それから今言った嘉手納、この三カ所の
核貯蔵施設はそのまま維持する、そして、
非常事態のときにはいつでも
ナイキハーキュリーズ基地と一緒にそれを全部すぐ動かすことができる、そういう
体制を持っている。そして、結局、
緊急事態のときには、
事前協議はするけれども、遅滞なくその必要を満たす。はっきり言えば、
イエスの予約です。
事前協議はやるけれども、事実上はすぐ
イエスするということを言っている。片一方の
共同声明の方は、ただ単に、
共同声明というものの
事項に反することなくと言って、
イエス・オア・ノー、そういうことを言っているわけで、これは重大な差があるというのが
一つ。
それで、私は、これは
密約というものの条件を備えていると
思います。
それからもう
一つ、
最後の問題ですけれども、財政問題。
これは、四百万ドルについては、広義の
密約は認めるけれども、狭義の
密約は認めない、こういうこともまたある、これも言っています。しかし、一九七一年の六月十七日の日に
沖縄返還協定は調印されたんです。そして、
吉野・
スナイダーの例の
密約文書、VOAの
肩がわりの
密約は六月の十一日です、
局長室で。六月十二日の日に
吉野・
スナイダー、これは今言った
軍用地復元補償の
肩がわりの
議事録、
議事要旨です。これは十一、十二と連続しているんです。これが
最後の
懸案だったんです。
ところが、そのときの直前の九、十の、今はもう
秘密解除をされておりますけれども、八百七十七号という
極秘電信文並びに五百五十九号という
極秘電信文は、詳細に書いております。いわゆる、もう完全に
秘密書簡は
合意したと。
秘密書簡の
内容は
合意したんだけれども、これはひょっとしたら
外部に漏らすんじゃなかろうかということを
愛知外務大臣の方から
アメリカ側にただしております。そうすると、
アメリカ側は、国会に説明するという場合もあるから、ひょっとしたらそれは発表、公表せざるを得なくなるかもわからないと言ったものですから、それは大変なことだということで、どうしても
字句を修正して和らげよう、和らげようということで十日は終わっているんです。
そして、その
字句を修正した結果が、
最初は
日本側が四百万ドルを全部支払うということを明確に述べた
秘密書簡案だったんです、ところが、それをだんだん緩めて、今言ったのが、発表するかもわからないというものですから、
字句を徹底的に緩めようという形で行われた
字句調整の結果があの
吉野・
スナイダーであって、これは
吉野・
スナイダーというものが
愛知・マイヤーにかわってやった。
愛知さんが
警戒心を持ったから、それは恐らくリタイアしたんでしょうけれども、少なくとも、
吉野・
スナイダーが代行した。
例えば、
柏木・ジューリックがあのときに
福田大蔵大臣と
ケネディ財務長官の代行としてすべてを調印して、そして、それによってあの
沖縄返還に伴う財政問題というのはほとんど全部解決して、それに基づいて動いていったという面から見れば、
吉野・
スナイダーがやっても何にも差し支えない。
私は、だから、そういう意味で、
秘密書簡というものの、
秘密取り決めというもののジャンルにやはり入るというように
認識しております。
最後に、財政問題というのは、四百万ドルであるとか千六百万ドルであるとか、あるいはまた
アメリカに対する無
利子預金であるとかといって、
項目ごとに分析しても何にもならないんです。これは氷山の一角をあらゆる面からなでているだけで、財政問題の本質というのは、
アメリカの
最高方針というものに基づいて分析しなくちゃいけないんです。
その
最高方針は、二十七年間にわたる
アメリカのいわゆる
沖縄に対する投資七億ドル、これを全部回収する、第二番目は、
返還に伴っては一切の支出をしない、ドルを一文も出さない、第三の
方針は、要するに新たなる財政負担の枠組みというものをつくるということで、これから全部流れてきておるわけです。そして、それがつかみ金、ランプサムという方式で、全部
アメリカ側の要求を底上げする形でのんでいったということでございます。
そして、
最後に私が申し上げたいのが、
最後の、
日本側に対する新しい枠組み。これを要求したのが六千五百万ドルの
米軍施設改良工事費で、これは七二年から七七年までの五年間にわたって、
協定外において盟約されながらも、国会にかかることなしに、全部
アメリカ側に物品及び役務によって供与された。それが終わったのが七七年の三月です。そして、それに続いたのが七八年四月からの
思いやり予算。だから、
思いやり予算というのは、七八年の四月から始まったんじゃなくて、七二年の
沖縄施
政権返還に伴う六千五百万ドルから始まったんだ。
これは私は、
最大の秘密だと思う。
密約というのはこれが
最大だと思っています。ほかの
密約と性質が違う。というのは、前向きの新たなる後年度負担であり、新たなる安全保障の枠組みをつくり出した、安全保障の枠組みを変えたということです。ですから、これは、最も国民が知らなくちゃいけないという意味では、
最大の
密約であった。この点の解明を、国会の
調査権なるものを発動していただいて、今後ともひとつ検索していただきたいと
思います。
以上です。