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高橋(昭)
委員 高橋昭一でございます。
今、この日程表を見ておりますと、玉城
委員の後、私の後は照屋
委員、下地
委員と、
沖縄にちょうど間が、私だけ違う話でございますけれども、それぞれにやはり地域事情でありますとか、
あと、それぞれの経験の中から御
質問をさせていただいておりますので、私は、私のこれまでの活動等々、地域のことも含めまして御
質問をさせていただきたいと存じます。
私は、いつもこの白いジャケットを着ておりますということを申しております。これは私の
地元の播州織というので織っておりまして、地産地消で着ております。その播州織を織り上げました加東市という市がございますが、その加東市を含むエリアに、実は
陸上自衛隊の青野原駐屯地がございます。第八高射特科群という、中SAMという〇三式の地対空の中
距離誘導弾の
基地でございます。
私はよくそちらで
お話をさせていただくんですが、中SAMといいますのは、純国産の
防衛のための設備でございます。先ほど中野
委員の方からPAC3の
お話もございましたが、この中SAMというのは、当初は、ミニパトリオットと言われるように、そういうふうな
機能も強化をできるのではないかという
議論もあったようであります。コストからしますと、国産で非常にコストも抑えられるというふうな
お話もあるようでございますから、純国産ということでの
防衛に対する取り組みというのも必要ではないかと、まずもって
指摘をさせていただきたく存じます。
私は、阪神・淡路大震災からということでいつも申し上げておりますけれども、台風二十三号がありましたときには、この青野原の
基地が防災の出動をされました。特に
基地がここにあるということは余り平生では
認識をいたさないわけでありますが、災害のときにおきましては、本当にそこに防災出動をしていただく
基地があるということに関して心強い思いでありますし、また、非常に地域と連携をした活動をしておられます。
地域では
防衛協会がございますけれども、また今度十月ぐらいには、この地域の
防衛協会の小林勝弘会長を初め、
防衛に地域でリンクをしておられる
皆さんが上京をされるという
お話もございます。ぜひともまた、
防衛大臣、よろしくお願いを申し上げたいと存じます。地域の声にも聞き入っていただければとお願いを申し上げたいと存じます。
実際にこの
基地の問題をずっと
考えるんですけれども、私たちの防災という
観点から申しますと、ことしの施政方針演説で
総理がおっしゃいましたように、命を守りたい、そして阪神・淡路大震災のことから
お話をいただきました。
私は、いつも同じ話ばかりで恐縮でございますが、私自身も体にしみつけるために、一九九五年の一月十七日午前五時四十六分というこの時間を申し上げております。実際に、被災地の現場というのは
混乱をいたしておりました。私は、あのとき、もう
自衛隊は出動、出ているんだと思い込んでおりました。それで瓦れきの中で待っていたわけでありますが、災害出動は非常におくれました。本当に、瓦れきの下から声が聞こえてくる、その声がだんだんだんだん小さくなってくる、あげくには聞こえなくなってしまった。そういう
状況にあって、一時間でも早く
自衛隊の到着を待っていた思いでありました。
そこから
考えまして、実は、せんだって、チリの大津波がありましたときに、私も、こういう経験から、思い余って仙台まで飛びまして、そして
安住委員長の
地元にまでお伺いをさせていただき、最終は、女川まで到達をいたしましたのがその日の夜でございました。いろいろそのときに
委員長にはお世話になりまして、ありがとうございました。
しかしながら、本当に思いましたのは、後で気がついた話でありますが、女川港も完全に冠水をしていて、ファミリーマートでありますとか、その地域のお店が床上冠水をしておりました。しかし、この実情がなかなか中央にまで届いていなかったということも、その日、その後、私も災害対策特別
委員会の
理事もさせていただいておりますので、
認識をいたしました。
しかしながら、実は心強く思ったことがございます。といいますのは、女川のあそこは第一中学校でございますね、その横に運動場がございます。そこからちょうど出たとき、あれは夜でございましたが、
陸上自衛隊の車列が並んでおりました。私はびっくりして、一番先頭の指揮車のところまで行きまして、これはどういう形で来られたんですかとお伺いをしましたら、災害に備えて待機をしていたんだというふうに御報告をいただきました。
この件につきまして、私は実は、災害のときに初動がおくれたということだけが非常に心の中に残っておりましたし、今回は確かに事前に予測をされた災害でもありましたので、出動をされたことに対してはすごくうれしく思いました。
そこで、やはり気になりましたのが、こういうケースはまれではありませんけれども、今後、東海地震でありますとか、予測のつく地震でこういう出動というのがなされることがあろうかと思うんです。そのいわゆる意思決定もしくは出動に対する指令のプロセスとか、意思決定の段階というものに関しては、今回、女川だけではなかったと思うのですが、例えばP3Cも
飛行していたと聞いておりますし、そのような出動に対する指揮系統というのはどのようになっているかということを、まず
防衛省にお伺いさせていただきたいと存じます。