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参考人(
片山壽君)
片山でございます。
かなり量の多い、ボリュームのある
資料をお示ししておりますので、それと同じ
内容についてはこの
パワーポイントにおいては余りダブって触れないようにいたします。それと、この
内容と同じ順番でしゃべるわけではございませんので、後でまた補完していただけたらと思います。(
資料映写)
私は、
医師でありますし、
医師会の
立場ということがありまして、
地域コミュニティーの
再生について
医療抜きには考えられない
立場にあります。
そこで、
医療が動けば
地域が動くという概念を持っておりますので、それから、やはり
高齢化に対応する
地域医療の
モデルを転換した結果が新・
地域ケアと、いわゆる新・
地域ケアという
言葉がありましたけれども、なかなかその
実存性がなかったということであります。これにつきましては、もう
医療圏の配備を示しているだけでございますので、
資料と同じものです。
ただ、一市二町ありますが、このピンクのところが旧
尾道市で、ここは一応
都市部と呼んで差し支えない
地域であります。市制百十一年です。ここは、だから同じような
医療密度ではなくて、中
山間地域から
島嶼部まで今、
尾道には入っております。
高齢化率は今三〇%を超えたところです。一応九〇年から、ただ、もうその当時から
高齢化の
進展、これは
全国平均を十年は上回っていると言われていましたので、そこに向けての
医師会としての
地域医療の
整備として作業を開始しております。
これが、その
医療モデルとして
尾道市
医師会方式と言われているもので、
急性期病院に入られた方がちゃんと
退院のときに
退院前
ケアカンファレンスをして家に戻られる。あるいは、
急性期医療の後、
平均在院日数が今短縮していますから、後の追加の治療あるいは
リハビリテーションをして
回復期以後ということであります。それから、
老健施設はすべて
在宅復帰プログラムというもので動いています。
この絵でいくと、
医療と
介護は
ケアマネジメントでつながるということであります。左に向いている矢印が太いのは
在宅を重視しているシステムということで、これは
アクションチャートです。結局は、この
高齢化の
問題だけではなくて、すべての全領域に対応する、
神経難病を含めてですね、
急性期、
回復期、
生活期。
維持期という
言葉は大変失礼な
言葉なので使わないようにしています、
生活期としています。この
連携の
マネジメントをきちっとやるための
連携図であります。
これは長期継続的に、一回目は脳卒中、二回目は転倒、骨折、三回目は肺炎と、そのようなことでこの
チャートを何回も
患者さんは行ったり来たりされる
可能性が高いわけです。その都度システマチックに必要なことを行うと。これは
患者さん本位にシステム化された
相互補完のできる
地域完結型の
地域医療と思っております。ここにあるのは、すべて
リハビリテーションを最重視している
生活期の
機能改善、
生活支援プログラムです。
これが、絵で見ていただければ、これは
退院の前の
カンファレンスで、
意識のない方が、もう帰って家でみとりたいと言われた方で、じゃ帰りましょうというのを病棟の
カンファレンスで、
ナースステーションで行っています。
ここで、こういうふうに帰られたところがこうですが、まずスタートは
退院前
ケアカンファレンスです。
在宅ではこのように
気管切開をされて、
意識がなくて、
既往疾病がいろいろあって、
泌尿器系の
がんがあるということで、このようなことで
訪問看護ステーションの業務が一番大きいですね。
それから、
高齢介護者で、
介護力が弱いので二十四時間の
訪問介護が入っています。こういうメンバーが、この
右下の
在宅の多
職種協働チームが
モニタリング、
カンファレンスを繰り返しながら現場を展開していくと。
これが、一枚で見える言わば
尾道方式ということですけれども、本体は
在宅医療の中に
開業医が
チーム医療を行っていて、周りに必要な、
訪問看護は必須ですけれども、必要な資源を分け合って、いわゆる多
職種協働というものを成立させていると。これを
急性期病院がよく理解していなければ、
退院支援という
言葉は絵にかいたもちになります。
これは、
在宅で、その同じ方の
モニタリング、
カンファレンス、ちょうど
退院して一年たちましたという
カンファレンスです。このとき、ちょうど尾辻さんが
厚生労働大臣でおいでになったときです。これで一年十か月で御希望どおりきれいにみとりまして、非常に満足であったという奥さんの
言葉でした。
このように、今
問題は、二〇三八年に総
死亡者数、年間百七十万人を超えるというのが国の一番の大
問題です。ここに向けてどういう
整備ができるのかというのが
問題ですが、この三分の一は、今でもそうですけど、
がんによる
死亡です。
ここで、やはり、
がんだったら全部
病院なのかということではいけませんということですね。
開業医によって、あるいは
地域医療連携によって
在宅緩和ケアの推進は必要。それでなくても世界一の
高齢国家ですから、必然的に
高齢多
死時代を迎えます。そのピークが二〇三八年ということですね。
これは、
がんの方で、八十七歳の
高齢の方で
相当重度の末期の方ですが、家に帰りたいということで、
病院で緊急に
カンファレンスをやっています。こういう場合、朝、これをちょっとやってくれないかということを
病院の主治医が言ってきて、その日の十八時まで手術があるからということで、じゃ十八時四十五分からやろうと。その日のうちに開く。これはもう
緊急性があるから、残っている時間がない方ですからタイミングを外してはいけないと。こうやって御
長男、御
長男のお嫁さん、御次男、それからお孫さんと、ちゃんと参加されています。
在宅を支える
チームが全部ここに出ています。これを十五分間の
カンファレンスできちっと話を集約しますけれども、私は何度も病室をその前に訪れています。
これは、その後、
カンファレンスが終わった後、じゃ、もう
先生が迎えに来たんだから家に帰ろうという御本人の一言で
退院が決まったときのすばらしい
家族写真ですね。こんなすばらしい
家族写真が撮れる家庭はなかなか、今の
先生のお話からすると、
家族機能というものがいかにすばらしいかということです。
これは、実際、家に帰られたところです。御本人の顔も全然違います。これは、その翌日、夕方帰られたので翌日の十二時半から一時に
カンファレンスをやりまして、緊急
カンファレンスですね。この
チームがここにいます。これは、数々の
患者さんを、いろいろ重度な方をみとっている長年の
チームです。これは、その
カンファレンスの後、すぐ
患者さんのところへ行って、みんなで、このメンバーで
チームで行きますからということですね。
患者さんの
在宅生活には
在宅医療という
生活支援の
医療空間があるのだということが必要です。どのような
状況においてでもですね。
御本人は大変喜ばれております。それで、この方がとうとう誕生日、八十八歳をお迎えになりまして、これはいい顔になられていますね。誕生日のお祝いを
皆さんでされていると。これは究極の個人の尊厳の重視がかなった瞬間です。広島テレビで、この後の番組でやりましたんですが、インタビューだけですけど、御
長男が、亡くなったことは寂しいけど、おやじの満足が我々の満足ですというインタビューでした。
これは
患者さんをお送りしているところです。
片山医院では二十年以上、これはどの時間帯でもこのようにしております。グリーフケアですね。
在宅で過ごすことが難しい困難な理由は、このようにありますけれども、これは現場の体制で対応することは可能です。結局、この
チャートの中で、ここはすべて
在宅療養のバックアップ機能だという位置付けをしています。最終段階がエンド・オブ・ライフ・ケアですね。自宅で最期を過ごしたいという方の希望をかなえるために、個々の
在宅主治医がこの
チームを持っていなくてはなかなか難しいです。
それと、
急性期病院としてはタイミングを外さないでちゃんと
退院させてあげる、家に帰ることを認めてあげることが必要です。先ほどのように、
連携のスピードなくしては、残っている時間が短い方ですので難しいことになります。
これも
資料に示していますから余り言いませんけれども、今どこでも、
医師不足というのは御多分に漏れず
尾道でもそのようになって、公的
病院で市民
病院が内科の
医師の派遣が減りまして、夜間救急診療所の当直、日直が大変になってきました。
では、どうしようかということで委員会をやって、すぐ即決したのが
開業医の有志が出向いて応援しようと。
開業医の三十五人、まあ
高齢の
先生は抜いて若い、といっても僕より少し上ぐらいまでで、三十五
医療機関のアンケートで二十二人がすぐオーケーし、やろうと。別に
尾道市
医師会では、日曜休日当番医で内科系、外科系、小児科系、AEDを配備してずっと行っております。これと別ラインです。それから、隣の町の松永沼隈地区
医師会から六人が応援するということです。合計三十一名の内科
開業医。それと、もう一方のJA
尾道総合
病院から二名の勤務医が応援する。これは救急蘇生委員会というものをつくりましたこと、九一年から十七年目の成果でありますね。
尾道市
医師会では、この
連携の結果、勤務医と
開業医というのは
地域医療を最高レベルに創造する
チームメートなんだから、困ったときはお互い様だということです。
これは、私が実際八月十七日に一日フルタイムで日直をやっているところです。これは、実際、
在宅で急変した
患者さんを、僕とよく
チームを組んだことのある
先生が救急搬送で連れてきて、一応蘇生をしてうまくいったので、もう病棟に上げようと。ここに救急隊員がいます。私は別に救急は苦にならない方です。実際の実績は、ここは全部
開業医がやっているというところです。
だから、
医師不足で
病院がなくなるというのは、こういう方法をどこでも用いるだけの、
開業医が協力する力があればそういうことは回避できます。
結局、この後、これを皆でやっていると、あと五人が新たに、私たちもやるからねということで、二十七名になりました。実に、だから八割の
開業医が今応援して、ずっとこのスタイルを続けています。
救急蘇生委員会というのは九〇年に立案し、九一年に設置しました。この三つの
急性期病院から緊急出動で、
医療機関で何かあったというときに緊急出動して救急蘇生を行うと。ところが、それだけを頼むのではなくて、
状況に応じては近隣の
開業医同士がサブシステムとして互助、要するに助けに行くというか、簡単に言えば、さあどうしようということで、ここには消防と、最初からずっと話を詰めた警察も合意しています。一応これなりに、救命救急システムを
地域システムとしてここに構築したことにはなります。これが全部
一緒に三つの
病院が動くときは災害時のときです。
それから、年に二回、救急研修会を毎年
医療スタッフにやっております。
尾道は、だから
高齢者医療がメジャーなのか、優先政策かといえば、そうじゃありません。今でも外さず救命救急です。いかにこのレベルを高くするかということでやっていますから、救急車のたらい回しは一件もありません。
これは、結局、
医師会がプランした一つの
地域医療政策に対して
急性期病院が理解を示して、そこで
一緒にやろうということになったので、
医療の基盤の一番ベーシックなところをつながっていますから、先ほどのような、困ったときは
開業医が応援に行くということになっています。
これは保健文化賞を去年いただきまして、おととしです、この文言が非常にうまくまとまっていると思いますが、
在宅医療を推進して
開業医と
急性期病院の
連携を図り、だからさっきのようなことができますね、それから、民生委員や
社会福祉協議会などと協働し
医療と
介護を包括的に提供する体制
整備云々ということであります。これは、やはり
地域をつくることが同時に進行しているからこれができています。
これは新・
地域ケアのロゴですけれども、これは結局、
地域そのものがシステマチックに動かなくちゃいけないと。結局、こういうものはどこにでもあることです。
都市部には絶対にあります
社会福祉協議会も民生委員さんもいるし、公衆衛生推進協議会もありますね。こういうもので、救急も当然あります。
ただ、これがばらばらで動いていては、単なるエリアですね、
地域だけです。これが
コミュニティーケアとして成立するためには、長期継続ケアができるためには、これが
連携して一つの
マネジメント機能を持たなくては駄目です。ここでは緩和ケアもできれば
リハビリテーションも系統的にできて、
在宅緩和ケア、認知症治療ケアは必須です。
家族機能のサポートと個人の尊厳の重視を理念とした新・
地域ケアの空間です。こうやって、
医療が動けば
地域が動くということですね。
結局、多
職種協働というものが新・
地域ケアの本質です。結局、ここにエンド・オブ・ライフ・ケアに対応する、終末期対応ですね、こうやると、この委員会の
地域コミュニティーの再編システム化ということになっている。
地域がん対策プロジェクトもあります。これは国の
医療構造改革に係る都道府県会議の
資料に載っているものそのものです。これも非常によく書いてくれていまして、これも
資料に載っていますから後で読んでいただければ、今言ったようなことが書いてあります。
要するに、
急性期病院の勤務医と
開業医が同じミッションを共有しているし、
地域の
社会福祉協議会、民生委員さんもそこの同じ
地域で同じ住民の
皆さんを対象にしていることからすれば、
地域のミッションというのは同じだということです。こういういろんなものがあります。だから、
連携をすればどこまで力が出るかということをやっていないところが
地域医療崩壊に陥っている原因じゃないかと思っています。
結局、施設、
在宅の二元論はやめて、統合概念で
地域というものを
高齢者介護研究会のときに出しました。個人の尊厳を重視するためには、この両方がなくてはこれは難しいです。これで、難病でも重度障害があっても独居でも認知症でも末期
がんでも同じように個人の尊厳が重視されて、できれば最期まで自分らしく暮らしたいということになります。これだけのいろんな病気がありますけれども、この
家族機能の維持・向上サポートというのは非常に必要です。だから、支援型
医療の中でこういうものができていくということです。
これは
高齢者介護研究会のときに示したものですけれども、三つの課題です。これについては、こういうもので
尾道は対応しています。すべて新・
地域ケアで対応すると。要するに、
高齢化対応ということですね。
地域一体型です。名簿としたらこういう名簿で、
医師免許を持っているのは僕と本間
先生だけでした。
これは堀田座長ですけれども、このときには、新・
地域ケアというのはさっきから言っているけれども、それは何なのだと言われるのでこれを出したんですけれども、これは二〇〇三年の四月十六日の私の委員としてのプレゼンテーションのときに新・
地域ケアの概念を出しました。
これは、保健文化賞をいただいた後、十一月に市民公開講座を
尾道でやりまして、そのときには、
医師会だけがもらっているんではなくて、
社会福祉協議会、民生委員、児童協議会、それから公衆衛生推進協議会の
皆さんと
一緒にやった結果いただいたんだからということで、感謝状を贈呈をしました。こういうようなカーテンコールでスタンディングオベーションでした。
これは、社協と
医師会が合体したとき、二〇〇二年ですね、社医連協がスタートしました。
これは、民生委員さんとケアマネジャーの合同研究会、勉強会をしまして、二百人以上が集まって、私が講演をして、「
高齢者介護における関係者の新たな
連携について」ということであります。
これは使う義務のあるスライドなので。全盲独居の方が支援費から移ってきて不安がいっぱいだったけれども、
カンファレンスですごく納得して良かったと。だから、こういう場合は
医療チームよりはむしろ福祉系の
皆さんですね。福祉系というとなんですが、特にボランティアの
皆さんが非常に強いです。一番ポイントは民生委員さんですね、ここは。やっぱり社医民連協なので、
医師会、社協、民生委員とかがちゃんとそろっているところ。この
カンファレンスはもうフラットな設計ですから、ボランティアさんがちゃんと出てきます。だから、重度の人の管理だけではなくて、こういう全盲の独居の方の支援もちゃんとできると。だから、約八割の主治医が民生委員さんと
カンファレンスをしたことがありますということです。
尾道は
高齢化率、独居率高いです。こういうふうに、社協、
医師会、連民児協、それから行政です、県の部長ですね、新・
地域ケアの設立総会で。そこに今度は公衆衛生推進協議会の保健推進員の研修をしてくれというので、認知症早期診断マニュアルの研修で四百人来られました。これを契機に公衛協が入りたいということで、こういう段階で入りました。大きな団体です。健康政策ですね。そうすると、これが二〇〇二年、これは二〇〇四年、新・
地域ケア二〇〇七、これはこういう分担をしている
地域団体ですね。
これは、
老人クラブ連合会が今度入るということで、プロダクティブエージングの確認をしました。ここで市長を囲んで新・
地域ケア二〇〇八のスタートです。
今度は警察との
連携協議会を始めまして、これはいろんな、
地域でやらなきゃいけない、振り込め詐欺のあれも結構多かったものですから。こういう協議会を起こして、ここに教育長、それから副市長、歯科
医師会長が入っています。この次長の方は、救急蘇生委員会のときの準備を
一緒にした
地域課長です。だから、十七、八年でまた
尾道に戻ってこられた。こうやって共有、協議をしながら、今は
医師会と警察が持っている
地域の安全のための仕事はもうほとんどダブっています。
だから、
地域の安全を最重視しています。今後予想される社会不安への対処も視野に入っていると。そうすると、この絵が、こういう
生活の安全を確保ということになると、ここに警察署が入って何ら不思議ではないということです。
いろんなプロジェクトが動いているからこれができているということですが、この子育て支援のエンゼルプロジェクトも九八年から動かしていますけれども、
尾道も少子化で母子手帳が七百まで減ってしまった。多いときは千二百ぐらい母子手帳が出ていましたけれども、八百を切ってしまったことがあって、それからプロジェクトを起こして、こういうふうなことです。結局メンバーは同じなんですけれども、ここをどうやってクリアするかということは、アセスメントを使ったりいろんなことをしています。
ここでは、今までは
高齢者モデルだったので、小児科の
先生、産婦人科の
先生は余り関係がなかったんです。ところが、この
高齢者支援
モデルを母子支援
モデルに切り替えたので、産婦人科と小児科が主治医機能を担うわけです。
医師会でこういう会合をしています。これは療養の、療育施設、すばらしい成果を持っています。これはいつも行政の子育て支援課をサポートしながら、周りが動いている。ここにも社協のスタッフも、民生委員さんは児童委員ですから、います。
これは、その全体の子育て支援の行政に対して、行政、市議会に総体説明をして、
医師会館でやったところです。関係者が全部集まっています。
周産期については、
尾道総合
病院の周産期センターが大変機能していますから、万全にできています。
開業医のと有床診の十九床の産婦人科でも五百例近いお産ができています。NICUが大変高度に機能をしていますので安心して産めるところです。この市議会議長は、まさにその救急蘇生委員会の設置準備を
一緒にした当時の消防の警防課長ということで、
地域は脈々とつながっているということです。
これは
介護保険
全国サミットで記念講演をやったとき、基調講演をしたときのスライドですけれども、結局
コミュニティーということになるとこういうことになろうかと思います。
以上です。