○藤本祐司君 確かに、六人の
参考人の
方々の御
意見を聞いていると大変面白かったなと思いますが、今日も話を聞いていると大変面白く、参考になりました。ありがとうございましたと言って終わるわけにいかないので、少し
お話しします。
森先生がおっしゃった、やはり
家族単位で考えるという、これは確かにそのとおりなんだろうなというふうに思いましたが、そこでふと思い出したのが、もう随分、四半世紀ぐらい前の言葉なんでしょうね、だんな元気で留守がいいというのをふと逆に思い出しまして、当時と今がそのぐらいの変化があったのか、今もそういうことがあるのか、その辺はよく分かりませんが、それぞれの
家族あるいは
個人個人のパターンというか、その中で多分
家族単位で考えていくことの比重が多分高くはなってはきているんだろうなというふうに思いますが、そうでない人ももしかしたらいるのかなというふうにちょっと思ったということです。
あと、亀井先生が
休み罪悪だと、罪悪感を持たない方がいいというふうに言われまして、そのとおりだと思うんですが、多分これ二十年も三十年も前から言われていることで、そこのところが多分直っていないというところもやっぱり大きな問題でして、多分二十年ぐらい前からもうずっとそういうことを言い続けてきた
方々というのもいらっしゃるんだけれども、結局まだ直っていないというのは何か問題があるのかなというふうにちょっと感じたところでございます。
そして、今回、休日・
休暇が多いというのがまず前提にあったんですが、休日・
休暇が多いことなのか、あるいは
日数、休日・
休暇は少なくても、むしろ自分で自由に
休暇が取れるということの方がむしろメリット、幸福感につながるのかというところは少し考えさせられております。
国民の休日、恐らく
日本は十二日間ありますので、欧米諸国と比べると、祝日という点では多いんですね。大体、ヨーロッパ辺り、八日とか九日とかということですので、多分多いんだろうというふうに思いますが、その一方で、何か
休暇取った気にならないというのも
日本の問題点を表しているのではないかなというふうに思っていまして、もうすぐゴールデンウイークです。我々といいますか
政治家は、余りゴールデンウイークというのは
休みという感覚がないのかもしれませんし、きっとないんだと思いますが、一般的にはゴールデンウイークは長い
休みの非常に最たるものだというふうに思いますが、ゴールデンウイーク、これだけ取っても何か
休暇取ったという気がならないというのは、恐らく強制的に取らされているということと、集中しているということなんだろうと思うんですね。
集中というのは、要するに、みんなが一斉に
休みに入りますので基本的にはどこへ行っても込んでいます。旅をしても、どこへ行っても高いです。本来の普通の平日だったら一泊二食一万円ぐらいで過ごせるところが三万円、四万円になりますので、
家族で一泊したら、四人
家族で二十万という数字、そういうことになってしまいますので、むしろこれ、それで渋滞に巻き込まれてへろへろになって、ああ、休んだけどすげえ疲れたみたいな話になってしまうというところがやはり問題であるような気がしてなりません。
ということは、先ほど、冒頭申しましたとおり、
休みというのはある程度自由に自分たち、自分の都合で休めることの方が数が多いよりももしかしたら重要なんではないかなというふうに思いました。
私もアメリカに留学していたとき、一九八〇年代の後半なんですが、こういう話がありました。レジャーと
ワーク、要するにレジャーというのは
ワークに対することだと。
ワークの合間を縫っているものでレジャーをするというのが一九八〇年代までの
考え方で、これからは
ワークとレジャーはボーダーレスになると。要するに、レジャータイムを
日本の場合
余暇時間と訳していましたが、
余暇というのは
仕事の合間とか
仕事がないところを
余暇と言っているんだけれども、むしろ自由時間と訳した方がよくて、その自由時間の中に、この間、
溝畑参考人がおっしゃったように、
仕事をやろうと何しようと全然拘束されない自分の自由になる時間というように訳した方が多分これからはいいだろうというのは一九八〇年代の後半に
議論されていたようなことがあったなというふうに思いまして、やはり拘束されない自由に使える時間というところを重要視すべきなのかもしれないなというふうに思いました。
小倉先生だったかな、
休み管理は
仕事の管理だというふうに言われましたが、ちょっと
一つだけ御紹介しますと、私も前職がシンクタンクにおりまして、そのときやっぱり
休み管理を先にしたんです。
仕事柄、三月、四月、五月の連休ぐらいまでは結構忙しくてなかなか自分で調整ができないんですが、その後、半年間というのは比較的うまく調整ができる期間なので、私も二十人ぐらいマネジメントしていましたけれども、最初に半年間、六月から十一月までの長期
休暇、七日から十日間の
休みを先に出しておく。あなたはいつ
休みをするというのを全部もう埋め込んじゃうんですね。埋め込んでしまうと、マネジャーがやる
仕事というのは、
休みが多いときに
仕事を減らす、
休みがないときに
仕事をちょっと増やすという、その
仕事の量を加減してやるだけで、実はみんな自分が
休みたいときに休めてむしろ
仕事のときに
生産性を上げてくれるという、そういうのがあったものですから、
休み管理は
仕事管理というふうに小倉先生はおっしゃっていましたけれども、まさにそういう点なのかなというふうに思います。
それを考えると、何て
政治家というのは不幸な
仕事であって、あしたの
委員会、あしたの本会議までよく分からないという、こういう
状況の中で全く計画が立てられないというところがやはり相当ストレスになっていらっしゃるんだろうから、
皆さん大いに休んでいただいた方がいいんじゃないかなというふうに思っているところです。
もう
一つは、阿部先生が、
日本の
生産性という問題で、非常に丁寧に時間を掛けてやると。実際に
参考人としてここで発言をされるときも、前もって準備で何度も何度も
委員部の
方々から連絡を取ってくださったというような話があった。反面、去年の
お話の中で、やはり
日本人はちょっと細かいことに気にし過ぎるんじゃないかというような、時間を掛け過ぎてしまうんではないかというような
指摘もあったかに思います。
一つのアウトプットを出すのに百時間掛けても七十時間掛けても同じだったら、七十時間の方がいいじゃないかという割り切りというのを少ししていくということも必要なのかなというふうには思っております。
北欧なんか旅しますと、
政治家になっちゃいますと上げぜん、据えぜん、すべて交通移動まで何でもかんでも用意されますので、余りぴんとこないかもしれませんが、
個人で旅行しますと、例えば交通機関に乗ります。交通機関に乗りますと、北欧なんかは列車ほとんど時間どおり来ません。十分前にちゃんと時刻表に載っていたと思ったら、来ないからどうしたかと思ったら、キャンセルになっていると。どうしてキャンセルになったかと思ったら、運転手が寝坊したと、そんなのは当たり前と。乗ってなかなか、途中で止まっちゃうからどうしたんだろうかと思ってどうしたのと聞くと、いや、いつものことだからってみんな平然としているという。
その中でもあれだけ所得が高くなり
経済成長力が上がってくるというのは何なんだろうかなということを考えると、もちろん
日本の丁寧につくっていく、物をつくっていくという
意味での職人技ということとか、そこは大事にしなければならないと思う一方で、そうでないところは結構いいかげんにやっても何とかなるものじゃないかなというふうに考えたりもします。
そうなってくると、休日・
休暇というか自由時間の使い方ということによっては、やはり職種、業種、業態によっては確実に
生産性が上がる部分もあるのではないかなということだというふうには思っています。
こういうことを
皆さんの
意見をいただきながら考えるという、つまり考える機会というのも非常に重要だなというふうに思っておりまして、今回の六人の
参考人の先生方や
皆さんの御
意見を拝聴しまして、また
一つ、また新たに
考え方を変えながら前へ進んでいければいいなというふうに思っております。
ありがとうございました。