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参考人(
岩本愛吉君)
東京大学医科学研究所の
岩本と申します。よろしくお願いいたします。
今日は、医科学研究所の封筒をお手元に配らせていただいておりますが、その中に、これから御
説明させていただく
パワーポイントファイルのプリントアウトが入っております。裏表になっておりますが、よろしくお願いいたします。
医科学研究所は、ここに見えているところがそうですけれ
ども、港区白金台にございまして、明治二十五年に、ドイツから
帰国しました北里柴三郎を福沢諭吉が援助する目的で私立伝染病研究所としてできましたが、大正時代に文部省を経て東京大学に移管されまして、現在では医科学研究所ということで、
感染症以上に広く、ゲノムでありますとか幹細胞、そういったような広い研究所として機能しておりますが、全国で今、大学附置研究所としては唯一
病院を持つ研究所でありまして、私はその中で
感染症の臨床分野を担当しております。
今日いただきました御
指示の方で、個人的な
経験に基づいて
意見を述べるようにということでございましたので、内容としましては、次に書かせていただきました。
まず、簡単に一枚のスライドで、非常に大
規模な
感染症が成立して拡大するための条件というのを一枚のスライドで振り返ってみたいと思います。
それから、私自身の少ない
経験でございますが、アフリカで
経験したこと、それからアジアで
経験していることを
お話しさせていただきたいと思います。
それから、そういう経過を通じて、私は主に今アジアで
活動しておりますが、
感染症の成立、拡大、そういうものと
国際協力について多少の私見を述べさせていただきたいというふうに思っております。
まず、ここには、大
規模な、学生に講義で話すようなことで誠に恐縮ですけれ
ども、当然人から人への
感染症が成立するには人の密度が大事で、人口が多数存在することが大事で、そのことによって、病原体の種類によって、例えばインフルエンザであるとか二〇〇三年に流行しましたSARSですと、飛沫感染、人のつばとか唾液に病原体が乗った形で人から人へ感染いたしますし、ポリオとかコレラ、ノロウイルス、病原性大腸菌といったようなものは、腸で増えて、それが便となって出て、それが飲み水に入ったり食べ物に入って、いわゆるふん口感染という形で感染が成立します。それから、梅毒であるとか淋病、クラミジア、こういった病気は人の性行為によって
感染症が起こるわけです。
非常に歴史上大事な
感染症を拡大する要因というのは交通手段と人の
移動でありまして、古くは、シルクロードが発展したときに、中央アジアを中心としたところからペストがヨーロッパに持ち込まれて、当時のヨーロッパの人口の四分の一ほどを死に至らしめたというような歴史がございますし、十五世紀末から十六世紀にかけてのコロンブスや
バスコ・ダ・ガマの大航海の時代には、天然痘や麻疹といったものがヨーロッパから新大陸に、あるいは梅毒といった性
感染症が世界的に拡大した世紀であります。それから、もちろん、最近では大量高速輸送の時代ですので、二〇〇三年には
中国の南から発生しましたSARSという呼吸器の
感染症があっという間に世界に広がったことはまだ記憶に新しいと思います。
それに加えまして、物の
移動、例えば食べ物でありますが、例えばコレラ菌に汚染した輸入食物で
日本人が感染するであるとか、あるいは薬物使用による
感染症、これ、後でちょっと出てまいりますが、そういったようなもの、物流によって人の
感染症が拡大するといったような事情がございます。
私、
国際的には非常に数少ない
経験しかございませんが、それの例を三点ほど御
紹介したいというふうに思います。
一番
最初に、大変短い、二〇〇〇年にウガンダで
経験をしましたエボラ出血熱の
お話を少しさせていただきたいと思いますが、私、このとき五十歳でしたので、
国際経験としては非常におくてでありまして、五十ぐらいまで、北アメリカに留学した時代を除いては
余り国際経験というものがございませんでした。その後、一九九九年から二〇〇四年には、
JICAがやっておりましたタイの保健省のNIHという機関の強化プロジェクト、それから、二〇〇五年から現在にかけては、
中国で
感染症の共同研究を担当させていただいております。
アフリカでの私の短い
経験は、二〇〇〇年のウガンダで起こりましたエボラ出血熱のアウトブレークのごくわずか二週間ぐらいの
経験ですけれ
ども、当時、背景因子としましては、一九九九年に明治時代から続いた伝染病予防法というのが
感染症法に切り替わりまして、ウイルス性出血熱というアフリカに存在する非常に強毒なウイルス
感染症を
日本人でだれも
経験した者がいないということで、厚生省とWHOが
協力しまして、合計五名の
日本人がウガンダに入って
活動いたしました。その中で、私は臨床医の一人として参加させていただいたという
経験がございます。
ここの絵で、実際問題ここで申し上げたいのは、病棟で勤務したときで、この病気は治療法がありませんし、それから、放置しておくと人から人へ感染が起こりますので、とにかく感染した人は隔離する、あるいは亡くなった方は埋葬するというふうなことが起こるわけですが、ここで一つ取り上げさせていただきたいのが、やはり、こういう途上国における
感染症の
協力といいましても、例えばこれはアメリカのCDCが持ち込んでいた診断室でありますけれ
ども、基本的には、こういう途上国に行けばマラリアもある、デング熱もある、非常に高熱の病気は幾つもあるわけで、エボラ出血熱とほとんど区別が付きません。そういう中で、最先端のやはり診断技術を持ち込んでアメリカが対応していることが非常に印象的でありました。
また、一番こちら側に出ている
現地のマチューさんというお医者さんは、私、帰ってくる日に、隣でこれから
帰国するというような話をしまして、WHOの人と今後の話をしていたときに、一週間たちましたら彼の訃報が届きまして、その後、私が
帰国した後、同じ
病院で働いていた
看護師さんが患者さんから感染して、その
看護師さんの応対のときに少し防御が甘くなって感染してしまって亡くなったという、そういう強毒な病気で。
でしたので、私にとっては大変貴重な
経験でありましたが、エボラ出血熱はアフリカの病気ですので簡単には
日本に来ることはないわけですが、そういうのは幸運なことですけれ
ども、私が行ったことがどのぐらい
日本の国益になったのかということは甚だ自信のない話で、私自身のアフリカの
経験というのは大体このときで終わっております。
続きまして、タイで
経験しました
JICAのプロジェクトで、これは一九九九年から二〇〇四年まで、短期専門家として、
国内専門家として私もタイに何度も行きましたし、私の教室の者が何度もタイに参っております。タイのNIHというのは保健省傘下のいわゆる予防衛生研究所ですけれ
ども、今はNIHだけで十個以上の
ビルがありますが、これはその第一
ビル、
ビルディングワンと呼ばれるもので、
日本のODAで建設された今でも恐らくタイのNIHの中で最も立派な
ビルであります。
そういう中で主に
感染症に対する
活動をさせていただいたんですけれ
ども、もう長い間このNIHに対しては
日本の
協力が行われていまして、ちょうど二〇〇二年にタイのNIHの、当時、現在ももう一度復帰しまして所長ですけれ
ども、パトムさんという方が、続いて、タイだけではなくて、この
日本が強化したタイのNIHを使って、カンボジアでありますとかラオス、ベトナムといった
地域のネットワークの強化と、そこの
感染症診断ラボラトリーをメコンデルタ
地域に造ろうといったようなプロポーザルを
JICAに我々と一緒につくってしたわけですけれ
ども。
残念ながらこのプロポーザルは通りませんで、それはやはり、
現地事務所と
JICAのヘッドクオーターのどちらの判断が優先されるのであるかとか、あるいは、我々
現場の専門家として、
日本人の
現場専門家あるいはタイ人の専門家、それと
国内で我々の
活動を見ていただいている
国内リーダーといったような者の、どういうことで
感染症に対応していくことの
継続性と、それから新しいプロジェクトが決まっていくのかということに多少吹っ切れないものを思いながら、ああ次は続かないのかというところで、次は何しようかなと考えて、もちろん
国内的には忙しかったんですが、考えておりましたところ、二〇〇三年に、
先ほどちょっと出ましたけれ
ども、SARSという病気が起こりました。
そのときに、こういうことで、要するに、一つの
感染症のプロジェクトの
継続あるいはそれをどのように変化、発展させるか、中止するのか、そういうときに国はどういう方針を取るのか、だれがどのようにするのかといったような決断の
リーダーシップを是非この国につくっていただきたいし、それが参加した者にどのように伝わるかといったようなこともお考えいただきたいというふうに思います。
二〇〇三年にSARSという新しい
感染症が全世界的に流行したものですから、省庁が連携してプロジェクトをつくっていただいたというふうに伺っておりますけれ
ども、最終的には、文部科学省から新興・再興
感染症研究拠点形成プログラムというものが二〇〇五年に発されまして、当初は、東京大学の医科学研究所が
中国、それから長崎大学熱帯医学研究所がベトナムのハノイ、それから大阪大学の微生物病研究所がタイの私が前におりましたNIHという、その三か所を中心にプロジェクトが始まりまして、それが現在増えまして、このようなたくさんの海外拠点で
日本の研究者が
感染症の共同研究を行っております。
私はその中で
中国を担当させていただいておりますが、
中国をやろうと自分で決意しましたのは、このプロジェクトができたときに申請いたしました理由は、やはり一番歴史的にも大きな国であって、SARSでありますとかいろんないまだに
感染症が
中国から出てくると、そういったようなものに対して
我が国としてやはりちゃんと対応していく必要があるだろうということでこの実はプロジェクトの一つとして応募して、その申請を採択していただいて今も
継続しております。
北京市に新しくプロジェクトオフィスを造りまして、
北京市の中の
中国科学院の生物物理研究所、それから微生物研究所という、この二つに日中共同の研究室をこのプロジェクトで建設しております。それから、ハルビンには
中国の鳥インフルエンザの全国組織の国立研究所がございますので、そこで医科学研究所が誇ります世界的なインフルエンザの学者であります河岡教授と
中国ハルビン研究所の陳教授が共同研究をしております。
そういうことで、日中
感染症研究所というものは、我々が現在ハルビンに一個、これは高病原性の鳥インフルエンザウイルスに特化した共同研究ですけれ
ども、
北京の中に日中ジョイント・ラボラトリーということで二つの研究室を造らせていただいて、
日本人の特任教授、それから特任助教授、若手研究者が合計六名常駐いたしまして共同研究を行っております。そういう中で、やはり我々大学の一つの良さというのは、いろんな形で気軽にネットワークを作れる
部分ということですので、幅広い人的なネットワークが既にできつつあります。
それから、
中国科学院というのは全国で百ぐらい研究所がある大きな組織ですけれ
ども、その中で医学・生物系統は非常に基礎的な研究所なんですけれ
ども、我々はそれ以外に衛生部や
北京市のいわゆる患者さんを持つ
病院、あるいは大学
病院といったようなものとも連携を始めております。
そういう中で、まあこの方は御
説明することはないと思いますが、
真ん中の方は、当初からこのプロジェクトの
中国側のリーダーで、当時、このプロジェクトが始まりましたときに
中国科学院の副院長であった陳竺さんでございますが、現在、昨年から
中国衛生部に移りまして、衛生部長、すなわち
中国の厚生大臣になっておられます。もちろん、厚生大臣、閣僚になられると我々、直接の関係はできなくなるわけですけれ
ども、非常に彼の人脈を通じて今も我々の
活動を彼はよく知っていただいているというふうに思いますし、こちらで四人で手を握っております一人は南開大学の学長にその後なりまして、南開大学というのは天津市にありまして周恩来首相の出られたところですので、今後、いろんな意味で、我々のネットワークを使っていただいて
中国での
活動を広げていくことができるのではないかと思っております。
それで、これから少し私の
意見を申し上げさせていただきたいと思うんですが、
感染症は、
先ほど申しましたように、感染経路によって
感染症の性質が違います。
例えば、インフルエンザウイルスというのは常時流行していますが、時々、新型インフルエンザウイルスというのが登場しまして、
我が国でも大変政府が力を入れて強化対策をしていただいておりますが、これは、社会体制や文化の背景にかかわらず
一般人口の間で一挙に呼吸器で感染する
感染症ですので、一世紀の間に何度かこういう新型が興ってたくさんの
一般国民が感染し得る病気であります。
これは、このためには
国際ネットワークや
情報の交換というのが大変大事になると思いますが、私が専門としておりますHIVという病気は、感染経路が幾つかございまして、例えば性行為であるとか薬物を静脈から注射する、あるいは汚染した血液中にHIVがいるといったようなことで、幾つかの感染経路を通じて感染し得ます。
そういうことで、例えばタイの歴史を見てみますと、初めにごく少数の薬物使用者の中でHIVが流行し、それから女性のコマーシャル・セックス・ワーカーの中で感染が起こり、それで、その顧客であります男性の中で感染が起こり、それからその男性から主婦にうつる、それで、主婦が感染したために子供に感染が広がるといったようなことで、こういう津波のような
感染症の連続性が起こってくるのが一つの特徴で、タイの場合には、一九九〇年代の初めから非常に強力な抗HIV対策を進めたことが有名でありまして、そのために、例えば、タイは徴兵制を取っておりますので、新兵は全部HIVの検査を受けますが、これは、一九九〇年代の初めからこういうふうにHIV対策に成功した例であります。この三角の点がそれでありますけれ
ども、一方で、薬物常習者の中の感染率であるとか、あるいは男性同性愛者の感染率は変わらないか、むしろ増えていると、そういったようなことの歴史がございます。
これはお隣のカンボジアも一緒ですし、一方で、アジアの国を見てみますと、インドネシア、パプアニューギニア、ベトナムといったようなところでHIVはその後、タイやカンボジアに遅れてですが、感染が次第に次第に増えていっている。それも、各国によって、ある国では薬物使用が中心的なHIV感染の原因でありますし、国によっては異性間の性感染であります。そういったように、主要な感染経路が異なる
感染症であります。
これは台湾の例でありますけれ
ども、台湾は
日本と非常に流行形態が二〇〇四年ごろまで似ておりまして、性感染として徐々に徐々に感染者が増えていると。そういう中で、異性間の性行為によるものと男性同性間の性行為によるものがだんだん増えていったわけですが、ここの図で見ていただきますように、二〇〇四年から薬物使用者によるHIV感染というのが爆発的に増えました。
ただいま台湾の非常な努力で減少しつつありますけれ
ども、こういう爆発的に増えやすいのは薬物使用者の中のHIV感染が起こったときで、それはウイルスの遺伝子の研究から、インドや元々流行していたこういうタイ、カンボジア、このゴールデントライアングルの辺りから、要するに江西省それから広東省、そういったようなところを通って台湾に薬が入ってきたというルートが追えるわけです。
こういうようなことで、HIVは現在、世界的には、ここにお示ししますように、世界の感染者の約六六%ぐらいがサハラ砂漠以南のアフリカにいるということで、アフリカが最も火急の問題でありますけれ
ども、アジアの人口を考えますと、やはり非常にHIV感染というのはアジアで大きな問題である。しかも、HIVの場合には国によって流行拡大の時期、歴史が違う。あるいは、ここにちょっとお示ししておりますけれ
ども、国の中でも、要するに均一的に流行が広がるんではなくて、非常に流行が固まる
地域あるいは流行が少ない
地域がございます。
例えば、
中国の雲南省は、ゴールデントライアングルのすぐわきですので薬物中毒者の感染が多いですが、ここの河南省の辺りは売血問題を中心に感染が広がってしまった
地域であります。それで、今、急速に拡大している沿海部はこれから恐らく性感染としての問題が出てくるというふうに思っております。
そういうことで、途上国、中進国、先進工業国、それぞれ
感染症の問題点を持っているわけでありまして、
感染症イコール発展途上ということではないということをよく御理解いただきたいということであります。それから、アジアのHIV感染は、特にアジアは文化的に非常に国の特徴がございますので、非常に多様かつ複雑であります。
中国は、これは加藤徹先生のお書きになった「貝と羊の
中国人」という本の受け売りですけれ
ども、貝というのは、いわゆる購買とか購入とか、そういうお金のことであります。羊は、下を取れば義理とかの義という字でありまして、言ってみれば、貝はお金、一つのハードパワーであって、羊は一つのソフトパワーと言えるかもしれませんが、最近これも、全く私は政治学の専門家ではありませんが、ジョセフ・ナイさんのお書きになった、今の
リーダーシップの問題は、ソフトパワーとハードパワーを合わせたスマートパワーが重要だということをお書きになっておりますけれ
ども、まさに
中国は大きな国であって、そこと
協力していくには貝の
部分と羊の
部分、すなわちソフトパワーとハードパワー、どちらも必要だというふうに考えます。
そういう中で、どうしても国が前面に出ますと当然、国と国の問題が出てきますけれ
ども、私、大学に所属しますので、それを受け売りをするわけではないですが、大学NPOはそのソフトパワーという面を使う分で少しアドバンテージがあるかなというふうに思いますし、今日はアジアの話を中心にさせていただきましたけれ
ども、もちろん、こういう
感染症の研究でアメリカやヨーロッパとの共同研究、共同が重要であることは言うまでもありません。
どうもありがとうございました。