○大石正光君 言葉的には確かにそのとおりでありますけれ
ども、今までの行動や行政を見ておりますと、口では言っても行動では伴ってきていないというのが
現実である。確かに理想を求めることは一生懸命ですけれ
ども、
現実とのギャップが非常に大き過ぎて、なかなかそれを達成することは難しいというのはおっしゃるとおりだと思います。
しかし、今地球温暖化に起きている課題の中で、
環境省、日本
政府がやっている、世界的な流れでありますけれ
ども、特にアメリカを中心に地球温暖化の二酸化炭素の排出ガスを規制し一九九〇年までに戻していこうという
一つの地球の枠組みの中で考えると、要するに、省エネによって我々の生活を維持して、さらに、経済的にもある程度維持しながらその
目的を達成するといい、相矛盾するものばかりでありますね。そういう矛盾する中で一体どれだけ進めるのかということを考えたときに、私はもう一回振り返って見直すべきことが幾らでもあるような気がしてならないんです。
特に、
環境省が発足をしてから最初にできた一番の課題は、水俣と大気
汚染それから四日市ぜんそくでありました。
健康被害をいかにして防いでいくか。日本の、今の中国におけるような現状と同じように、昭和三十年代にはもう非常にひどかった。それを解決するために
環境庁をつくって、
環境庁で健康を守ろうといって初めて四日市ぜんそくや、さらに水俣病のために水質汚濁や大気
汚染の
法律が優先的にできました。
ところが、なぜか、大気と水と土というものは一体化しているはずなのに、
土壌汚染だけは三十年たってようやくその
法律ができ上がったわけであります。当時、私は
環境委員長、
衆議院でしておりまして、川口
議員が
環境大臣のころにちょうどその
法律ができ上がったわけであります。三十年たってできて、これからここまで来たときに、大気と水質とそれに
土地が、
土壌がどのようなバランスでうまくいっているのか、その辺が非常につかみにくいでいるわけですね。
バランスの取れた人間や、バランスの取れた品物というものは、どこかが秀でていたら必ずどこかが駄目になります。すなわち、レベルが同じレベルで
一つにまとまっていることによってバランスが取れて物が動いているという形になる。地球という
一つのものがすべての大気や水や空気やあらゆるものがうまくかみ合って、そして初めてバランスが取れて地球が動いていると同じように、この日本の国内でも同じように、大気と水と土がうまくバランスを取れて初めてその自然なバランスの中に育っていけるわけでありますから、
土壌汚染法が三十年遅れて出ても、できたということは非常にプラスでありますし、そのバランスがどうなっているかということを、やはり
環境省がバランスを取ってきちっとうまく順調に回転していく仕組みをつくっていくことが原則として必要だと思うんですが、そういう考えに対してはどのようにお考えでございますか。