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山内徳信君 ただいま審議されております三つの
協定について、私は基本的に同意する立場であります。とりわけ、ベトナムとの関係について、少しだけ総括的な立場から
外務大臣の、あるいは
防衛大臣の御認識もお伺いしておきたいと思います。
御
承知のように、ベトナム戦争は、
アメリカが言っておりますように、
日本なくしてはベトナム戦争は戦えなかったと、こういうふうに言われておるわけです。たしか神奈川県にあります相模原から
アメリカ軍の戦車は送り込まれていきます。そして、横須賀とかあるいは佐世保とか那覇軍港等からは艦船がベトナムに参ります。そして、港湾労働者も送り込まれてまいります。嘉手納飛行場からはB52が連日連夜爆弾を満載して攻撃に行っております。
その結果は、ベトナム戦争の犠牲者は、九五%は民間人であったというふうに言われております。十年以上にわたる
アメリカとベトナムとの戦争は、結果は、世界最強である
アメリカをしてもベトナムで戦争の勝利はあり得なかった。いわゆるベトコンを相手にして、ジャングルにおるベトコンと戦って勝てなかった。これはやはり今後の世界にとって、戦争を語るときの大きな教訓があるだろうと私は思っております。
その当時、ベトナムのお母さんたちから
日本のお母さんたちに、あるいは沖縄のお母さんたちにいっぱい手紙が送られてまいりました。
日本から戦車を送らすな、飛行機を飛ばすな、軍艦を送らすなと、こういうふうな手紙が随分
日本に送られてきたわけでございます。
私は、そういうふうなベトナム戦争と関係のあった、あるいはその戦いを支えてきた
日本政府が、今日ここに参議院の
外交防衛委員会で、ベトナムとの
経済連携協定の
締結に向けての審議までこぎ着けていただいた関係者の努力を多とすると同時に、やはり加害者の立場に立っていた
日本、被害者の立場にあったベトナムとの間にこういう
経済提携の
協定というのは、大変私は個人的にもうれしく存じております。そして、当時ベトナム戦争を指揮された
アメリカのマクナマラ長官は、ベトナム戦争は間違っていたと、彼は自らの回顧録でそういうふうに振り返っております。
そういうふうに、私たちも今日は
大臣にはそのことは要求しませんが、やはり踏んでいる者には踏まれておる者の痛みは分からないと、私は常々そんなことを申し上げるんでありますが、そういう立場に立って、そして、ナパーム弾だとか枯れ葉剤の被害は現在も続いておりまして、今年の三月二十六日にベトナムの被害者の皆さん方を沖縄にお呼びしました。私の住んでおる読谷にもおいでいただきましたし、那覇でもその体験を語っていただきましたが、そういうふうに交流をしておりましても、やはりベトナム民衆のあの大きな傷はいまだいえておりません。
そういうことを私たちは踏まえた上で、今日こういう
締結に向けての審議が進んでおるわけでございますが、こういうベトナムに対する
外務大臣の認識といいますか、やはり過去において直接ではないにしても間接的に戦争に加担をしてきた
日本政府として、今新たな出発をしようとしておるこの時期にどういう感慨をお持ちでいらっしゃいますか、お伺いしておきたいと思います。