○紙智子君 領土交渉でやっぱりどれだけ頑張るかということなんですけれども、見ているとじりじりじりじりともう縮小されているというのが現実ですから、そこは本当に心してやってほしいことと、やっぱりその下で損害を受けているわけですから何らかの温かい対策が必要だというふうに、これも繰り返し言っていますけれども、またそのことを繰り返し言わさせていただきます。
それから次に、法務局の根室支局と中標津出張所との統合問題についてお聞きします。
根室支局には、
北方四島の歯舞群島、色丹島、国後、択捉島に居住していた元
居住者の戸籍副本を始め戸籍関係書類の一部が保管されていますけれども、政府の行革方針の下で、この法務局根室支局を中標津出張所と統合して、根室支局を廃止する方針が出されているわけです。根室支局にこの戸籍が保管されているということは、何よりも元
居住者を始め
北方領土
返還運動に携わる多くの関係者の支えになってきたわけです。
法務局の根室支局の存続を求める要望が国にも上がっているというのは
大臣も御存じだと思います。
大臣に登記簿をめぐる元
居住者の深い思いについてお聞きしたいと思うんですけれども。
これはいろいろ話がありまして、
北方領土関係の登記簿というのは、国後、択捉それから色丹、得撫、占守、歯舞群島を含めて、
土地でいうと百八十二冊、八千百四十八筆、建物で七十一冊、千九百十個、それで台帳は、
土地で七十三冊、家屋で二十六冊、合わせて九十九冊と。
この登記簿をめぐるエピソードというのは元島民や
住民や関係者によってこれまで感動的に伝えられているんですけれども、敗戦の年に、当時、国後島に置いてあった根室区の裁判所泊出張所の書記として赴任していた浜清さんが、そのときの九月二日に、旧ソ連の進駐で騒然とする中で登記簿を安全に保管する道は根室に移すしかないということで決意をされて、上司に電報で指示を仰いだんですけれども、混乱していて回答がなかったと。それで、どんどんソ連軍は来るということで、それでソ連船と出くわす危険を覚悟して単独で船を雇って九月七日に根室に運んだと。元
居住者の皆さんは、我々の財産の証拠を持ち帰ってもらって本当に有り難いと、もしそのまま置き去りにされていたらソ連軍によって焼かれてなくなっていたかもしれないということで感謝をされているということなんです。
しかし、当時の
状況から、この浜氏は上司から無断で引き揚げたことは許されないということで叱責を受けて実は辞職をされているんですね。しかし、当時の
状況から、やっぱり決死の覚悟で根室に運んだというのは、これは本当に勇気のある行動だったんだということでたたえられているということなんですけれども、そんな大変な歴史を言わば現地で受け継がれてきたわけですよ。
これに対しての
大臣の感想をお聞きしたいのと、あと、ちょっと時間がないのでもう一点併せて聞きますけれども。
私が言いたいのは、問題は、行政改革の名で機械的に法務局の統廃合を含めていいのかと。
全国で唯一この
北方四島の元
住民の戸籍に関する登記業務の支局なわけです。我が国の領土
返還運動の原点にこの登記簿が置かれているということに意味があるし、そこに住む人の感情や、やはり町の歴史や誇りというものを深く考慮すべきじゃないのかと。
そういうことを含めて、まず感想と、それから
大臣としてのコメントということでお聞きしたいと思います。