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前田参考人 首都大学東京法科大学院の
前田と申します。
児童ポルノに関しては、初めに、
平成十一年の
法律のころにも若干お手伝いさせていただいて、
森山先生以下に若干の御
説明をさせていただいたことがあるんですが、
法律ができたことによって、やはり
児童ポルノ、少なくとも、活字媒体といいますか、本屋の店頭からはかなり様相が変わって減った。非常によくなったと思うんですが、
状況の変化に合わせて、やはり今回、両党の案、非常によくできていると
思いますが、さらに進歩をさせていただきたい。
その意味で、
法律の細かいことをちょっと申し上げるかもしれませんが、私は刑法の専門ですので、刑罰法令をつくるときの観点からいって、それから現行の
処罰の
状況を踏まえて、どう
改正するのが最も
児童のためになるかという観点から発言をさせていただきたいと
思います。
一つは、初めの立法のころに比べて特に留意しなければいけないのは、ネットの問題ですね。法益侵害性が非常に高まってきている。
児童ポルノが一たんネットの中で流れ出してしまうと、もう消えることはあり得ない。永遠に残ってしまう。もちろんなるべく残さないように消していくことが重要だと
思いますけれども、本人にとって非常におぞましい画像が一生消えない形で残り続けるということ、これを何とかしなきゃいけないということなんだと
思います。
立法の
状況としてもう一つ変わってきているのは、刑事法の側からいいますと、刑罰というのはなるべく狭い方がいいというのは今でも変わらないんですが、例えば、家庭内の
子供のしつけなんかについて刑罰が入るのはとんでもない、男女間のトラブルに
法律を使うのはとんでもない、夫婦げんかは犬も食わないと言っていたのが、
児童虐待の
法律ができた、ストーカーの
法律ができた、そしてDV法ができた。その間ずっと見ていまして、やはり適切に、
国民の意識の変化に合わせて立法
状況、進めていっていただいていると思っております。
その中でやはり、
児童ポルノ法を初めにつくったところで、後で申し上げますが、
日本の文化の特殊性という意味で、非常に慎重目につくっていった。だんだん機が熟してきて、さらに国際的なレベルに合わせて動いていけるようになってきているという
感じがいたしております。
やはり、ネット
社会が中心になってくると余計そうなんですけれども、グローバルな視座というのは非常に重要だと
思います。ほかの研究会なんかでアメリカ大使館の方なんかに来ていただいてお話を伺っていても、やはり、その国の評価をするときに、
子供に対してのスタンス、しかも、こういう画像に対してのスタンスがどうであるか、これが非常に大きなものであるというのが実感としてわかります。今回、いや、外国の言うなりになってどうこうということだけではないんですが、やはり恥ずかしくない立法ということで、どういう
理由でこうしたかということを世界に向かって常識的に
説明のできる立法ということが重要だと思っております。
先ほど、ちらっと申し上げかけたんですけれども、
日本の特殊性といいますか、東洋の特殊性といいますか、性に関しての問題というのは国ごとに大分事情が違うわけで、何をどこまで
処罰するか、例えば、同性愛
処罰というのは西欧では非常に問題になるんですが、
我が国では同性愛そのものを
処罰するということはないわけですね。近親相姦の
処罰ということもない。
そういう
状況の中で、
児童ポルノの
平成十一年の
法律ができる前は、刑法百七十五条のわいせつ罪の
対象として
児童ポルノをどうやってマネージしていくか、抑圧していくかという観点だったんですね。ところが、その当時は、わいせつ物というのは、これはこういう場ですから申し上げざるを得ないんですが、例えば、陰部の陰毛の部分がどれだけ写っているかがわいせつ罪にとって重要である、わいせつのチェックはそれでやっていたわけですね。そうすると、
児童はそれがないからわいせつではないから、
児童ポルノは問題が少ないものとして、大人の性的な好奇心の
対象のものに代替するものとして、より広く使いやすいものとして出版されたというような
経緯も少しあるんです。
それが、
児童ポルノの
法律、世界の流れの中で、単なる性的な法益侵害、風俗としての法益侵害を超えて、
子供の人格権、
人権、そういうものに移っていく中で、
児童ポルノというのは従来のポルノ犯罪とは違うという形に変わってきた。名前を
児童ポルノとしておくこと自体、私はそれ自体は全然問題ないと思うんですが、その揺れ動きはきっちり見ておく必要があって、レジュメにも書いたんですが、性的自由といいますか、性犯罪に関しては、強姦、強制わいせつというのが片一方であって、もう片一方にはわいせつ物陳列みたいなものがあって、
児童ポルノはわいせつ物陳列的なものの延長線上としてとらえてきたのが、いや、もっと人間の人格の根本を害すると。その意味で、強姦、強制わいせつに近いような、
被害者は
社会じゃなくて少女そのものだという方向に大きく振れていくんですね。
ただ、
児童ポルノの問題というのは、それだけに特化してしまいますと、限定してしまいますと、問題を見誤るのであって、やはり
児童ポルノ自体が
社会全体に対して風俗的な侵害も与えているということも考えていかなきゃいけない、これが今回の
改正案を見るときの一つの視座になると
思います。
この中で、よく小児性愛の問題なんかを考えるときに、
児童ポルノを禁圧すると、特にこの場合は
漫画のことなんかを考えている人が多いんですけれども、これを禁圧すると犯罪がふえると。要するに、幼児に対していたずらをしないで済んでいるのは
漫画や画像を見て満足しているからであるというようなめちゃくちゃな
議論もあります。これはもちろん立証されていない。逆に、こういうものがなくなれば、幼児に対してのそういう侵害が減るかといったら、そう単純ではないと
思います。だから、これをなくしてもそういうものが減らないから禁圧すべきでないというようなめちゃくちゃな
議論をする人もいます。
これも、犯罪を減らすためだけの手段でやるのではなくて、その画像が出ること自体で少女自体が大変な侵害を受けて、おぞましいものを見せられているというものもあるし、それから、
社会全体から見て、小学生等を強姦しているものを写して、それが、いや、強姦罪に当たるけれども画像としては問題ないんだみたいな
議論、これはやはりおかしいんだと
思いますね。
その辺のバランスをどうつかまえながら現在の国際的な常識に合わせて
法案をつくっていくかということなんですが、その意味で、両案を見せていただいて一番気になったのは、やはり
児童ポルノの
定義ですね。
現実に、きのうも東京都の関係で、こういう画像とか出版物の問題点をチェックしていて、一番たくさんあふれているのはやはり幼児の裸なんですが、裸になるかならないかぎりぎりのところで、小さな切れ端をつけて水着様に見せて、これで今全裸ではないからオーケーだみたいなものをたくさん出しているわけですね。それでも十分広まる可能性があるし、重要な部分である。
今回のものを見ますと、殊さらに露出させとかなんとかという絞りをすると、要するに、ただ全裸のものの写真だけで性器が余り写っていないみたいなものが落ちる可能性がある。これは非常に危険なことだと
思います。現実に広がっている画像とかそういうものの観点からいって、この点は、
児童ポルノの問題を考えるとき、それからPTAの方々や何かの御意見を伺っていても、これは非常に困るということですね。
「殊更に」というのがどういうふうに解釈されるか、我々
法律家の常識からいったら、これはやはり専ら性器を写したもの以外取り締まれないというふうに変わると読みます。その意味で、この案は気にはなる。
ただ、
民主党案にも非常にすぐれた点があって、後でも述べます、盗撮の
防止とか、それは非常にすぐれていると
思いますけれども、性器に余りこだわるのはよくないといいますか、それに特化してというのは、先ほど申し上げたような意味での広い法益侵害をカバーするという意味で十分ではないという気がします。
私は、わいせつ物の審査みたいなものを警察の関係でも若干お手伝いしている中で、結局、わいせつの方に引きつけ過ぎると、性器が何%写っているかだけでいってしまうんですね。だったら、性器がぼんやりしか写っていないから、女の子から見たら耐えがたい裸の写真でもこれはオーケーということになる。これは非常にまずい。その可能性があるようなものであるとすれば、むしろ後退になるのではないかという危惧感を持っているということでございます。
ただ、それに関連して、盗撮
防止なんかで
民主党案が
提案されているのは、私、盗撮の問題を何とかしなきゃいけないと考えている者としては、非常に重要な御
提案だと思うんですが、それが
児童ポルノの
定義の変更と組み合わさってしまうと、問題の解決が不十分になるというふうに考えております。
あと、時間の関係で、ちょっと
単純所持罪の方に移っていきたいと思うんですが、先ほどの世界の趨勢に合わせてということ、それ以上に、現実の取り締まりとか実効性のあるチェックという意味では、やはり
単純所持の
禁止をうたうことは非常に重要だというふうに
思います。もちろん
民主党案も
単純所持に対しての対応を試みておられる。ただ、
単純所持自体の
禁止規定、
罰則のない
禁止規定は、特にネット
社会で
ブロッキングの問題や何かが出てくる、それから削除要請をするというようなときに、法的にこれは違法な画像であると言えるか言えないかというのは非常に重要なんですね。
処罰するかどうかに関しては、構成
要件の明確性は非常に重要です。それに対して、
民主党案、自民党案、それぞれ苦労されていて、それについて一言申し上げたいと思うんですが、その前提として、
処罰規定の外に
禁止規定を設けることが非常に重要な意味を持っているということを強調しておきたいと
思います。
「みだりに、」という概念、もちろんこれはあいまいだと
思いますけれども、この程度の
規定というのは、ほかの法文からいって、不明確であるというようなそしりは決して受けないんだと思うんですね。
あと、具体的な
所持罪の中身ですけれども、自民党の方は、「
自己の
性的好奇心を満たす
目的で、」ということで、
目的規定、これは
考え方によっては不明確になる。ただ、一つの
考え方は、こういう縛りをつけないで、
単純所持をもっと広く
処罰すべきだというのが世界の流れからいって筋だと私は
思います。
平成十一年のころから、
単純所持を
処罰する
議論の方がむしろ強かった。ただ、
処罰範囲が広過ぎるとか、
日本ではまだ
児童ポルノがそんなになじんでいないということで、もうちょっと熟すのを待ちましょうといって今まで来ているんですね。
その中で、自民党の案もやはりなお慎重に、「
自己の
性的好奇心を満たす
目的で、」と。客観的に、ただ一枚持っているとかじゃだめで、
法律家の感覚からいくと、ある程度の枚数を持っているとか、持っている形状からいって、やはりそれはある程度判断できる、ある程度じゃなくて、今までの刑事の世界はそうやって立証するわけですね。絞り過ぎるという
感じはあるけれども、やはりこの程度の縛りをするというのは、ある程度やむを得ないかなということなんですね。
法律家から見て、あと、みだりに、
有償または反復してというのも非常によく使う合理的な根拠というか構成
要件の絞り方なんですけれども、これは実際上の
運用を考えたときに非常に厳しいことになる。ポイントは、
取得したときに
児童ポルノの認識がなきゃいけないので、
取得行為の立証、どこで、どうやって、いつ、だれから買ったかの認定をどうしていくか。
もう時間がないので、ちょっと急いじゃいますけれども、今でも
児童ポルノ捜査というのはハードルが高いです。特に、十八歳未満の認識がなきゃいけないんですね。それから、
児童をちゃんと特定していなければ、特に年齢を立証しなきゃ構成
要件該当性は認められませんから、大変なことになるし、あと、ネットにもう移ってきていますから、それをどうさせるか非常に難しい。
その中で、
所持罪をどうつくっていくかというときに、
有償、これまた
有償も立証が非常に難しいんですね。ですから、肝心の人が逃げてしまう余地がかなり高くなる。あと、反復といっても、これだけ満ちあふれているいろいろなサイトから一個ずつ持ってくると、反復じゃないみたいな
議論をされちゃいますと、潜脱することがかなり容易に見えるような構成
要件にも見えるんです。
ちょっと、重箱の隅をつつくとか、揚げ足をとるような
議論をしているように見えて申しわけないんですが。私、パーフェクトということはないと
思いますが、基本的に、今回の
改正で、両案、非常に御努力されたというのは認めるんですが、どちらかといえば、政府・
与党案については、唯一、「
自己の
性的好奇心を満たす
目的で、」というのが若干絞り過ぎかなという
感じはしますけれども、現実に動かすには、やはり現実に考えられる案としては、結局はベストに近いというふうに考えております。
以上で終わります。(拍手)