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仙谷委員 的確に近いところまで御認識をいただいておるようでありますが、つまり、
一つは、
裁判が別に閉鎖された空間で行われているわけじゃないんですが、新聞やテレビの報道による以外、
国民が傍聴に行こうというほど暇ではないといいましょうか、あるいは
国民の日常の
関心の外側に多くの
裁判が置かれているということが
一つの理由でありましょう。
さらには、こういう言葉、こういう文章が、私には昔からひっかかっておったわけであります。
それは、石牟礼道子さんという大作家でありますが、石牟礼道子さんが、チッソの
刑事事件というのがあるんですが、それにずっと通われて、傍聴をされた後、「魂の言葉を紡ぐ」という本の中で、「法廷で原告側と被告側の弁護人がやりとりをするのですが、法律的な問題の立て方がまずピンと来ない上に、使われる言葉は自分たちの
生活実感からあまりにかけへだたっています。魚をとったり畑を耕しているときには絶対に使わないような、実に味気なく
内容の薄い言葉で終始やりとりされますから、
裁判に勝っても、どうも勝った気がしない。」というようなことをおっしゃっているんですね。
二十年ぐらい
刑事裁判を、あるいは民事
裁判もそうでありますが、やった経験からいいますと、どうも
裁判所の中でのやりとりというのは、ある種、
プロ集団といえば
プロ集団でありますが、法曹三者の共通言語でやりとりされて、どうも概念、法律用語の意味が常識とは少々違う
部分があるということもあるんでしょう、あるいは共通言語が符牒のように聞こえるということもあるのかもしれません。
そんなことで、
国民の多くは実態的な理由、つまり、
裁判を見に行くほど暇ではないというふうな理由とか、大きい
事件は新聞、テレビ等で報道されるということもあるんでしょうけれども、つまり、それはまあ興味本位の報道の場合が多いわけでありますが、そういうところからも阻害をされているし、共通言語に入っていけないというところからも、大いに
裁判からは普通の
国民といいましょうか、一般の
国民はまさに阻害されているという
状況が続いてきたというふうに思います。
そんな中で、ある種、
国民の監視が行き届かないといいましょうか、
国民に実質上オープンにされない空間で、
裁判官、検事、そして弁護人のやりとり、そこに
刑事事件の場合は
被告人という存在がおるわけでありますが、やりとりが行われてきた。最近では
被害者側からのストレスも大変強いようでありますけれども、
被告人の側、弁護人の側からいっても、そこで行われていることが、果たしてこんなことでいいんだろうか、とんでもないことがやられていると。
それはそもそも、もとを正せば、
刑事事件の場合には、捜査の密行性、つまり、こここそ閉じられた、要するに、外には明らかにしてはならないという前提の空間の中でつくられた証拠で基本的には
刑事裁判というのは運ばれるわけで、特に
刑事事件の主導権というのは、実質上は
検察官がつくった、あるいは集めた証拠をもとに主張がされ、そして法廷はそこから始まっていって、そのことが
裁判官によって肯定されるかどうかという形で終わる、こういう仕掛けになっておるものですから、こういう筋道になっておるものですから、どうしても捜査の密行の中での、密室の中での
検察官がつくった
プロット、筋書きに従って進められるという場合が多いわけであります。
そこで、
刑事弁護人からは、日本の
刑事裁判というのは調書
裁判である、そしてさらに、
被告人、被疑者の身柄を拘置所にとどめ置くことによって
裁判が進行するということになれば、人質をとって
刑事裁判を進めているようなものである、人質
司法であるというふうなことが言われてまいったわけであります。
今度は、
裁判員裁判をするという前提で、
刑事訴訟法三百十六条の二以降ということでありましょうか、公判前整理
手続ということが規定をされまして、公判廷を開く前に、主張と証拠調べの中身と順序というようなものも含めて、まずはそこで法曹三者あるいは
被告人を含めて整理をするんだ、そして、その後公判廷が開かれれば、効率的に集中
審理で行うんだ、こういうことにするんだということに、
刑事訴訟法の改正もそういうふうになされてなったようであります。
早い
裁判というのは、今
法務大臣がおっしゃいましたけれども、これはある意味で、第一義的に
被告人にとっても、あるいはそれを見ている
国民にとってもいいことであります。
だけれども、早い
裁判ができなかった理由というのは、集中
審理で早くできなかった理由というのは、それはいろいろな理由があるわけでありますが、私は、弁護士、弁護人の経験からして、実は日本の
刑事裁判、そして
刑事被告人になった場合の御本
人たちの最も大きな理由は、
刑事事件にはお金をちゃんと払える
被告人というのがほとんどいないというところにあると思います。つまり、弁護料を、そういう少々大きい額の報酬を払う、つまり、弁護人の弁護、労働に見合う、そして事務所
維持を賄えるだけの報酬を払える依頼者というのは、
刑事事件の
被告人はほとんどいない。
したがって、集中
審理に専念するとなると、先般も今も
刑事事件をやっている弁護人とちょっと話をしましたけれども、結局、一時間の法廷をやるためにどのぐらいの時間がかかるか。つまり、調書を読み、
調査に赴き、接見に赴いて
被告人と打ち合わせをし、判例を当たり、それから参考書といいましょうか原典を読み、自分で文章をつくるということの作業にどのぐらいの時間がかかるだろうか。十倍ぐらいかかるだろうか、百倍ぐらいかかるだろうか、こういう話をしてみたわけであります。
つまり、法廷で見える姿、その何十倍もの時間をかけないと、良心的なといいますか丁寧な
裁判はできないわけですね。その時間を賄い得る費用を払える
被告人というのはほとんどいないというのが、実は集中
審理に弁護人も踏み込めなかった大きな理由であります。
今度、公判前整理
手続を、時間をかけて、ある種、早期にということも書いてありますが、具体的に、
検察官の主張をまずさせて、それに従って証拠調べをやる、順序を決める、集中してそういう証拠調べをやるんだということをやるこの公判前整理
手続も、随分時間がかかる。あるいは、ここをこそ丁寧に具体的にやらないと、いい
審理はできないと思います。そうなると、弁護人は公判前整理
手続にもエネルギーを割かなきゃならない、時間を割かなきゃならないということになります。
しかし、公判前整理
手続をやらなければならないわけでありますが、多分、
刑事弁護をまじめに真剣に取り組んできた弁護人にとっては、この中で
検察官手持ち証拠がどのぐらい開示されるかというのがやはり最大の
関心であり問題だというふうに、私の経験上もそうでありますが、
理解をしております。
この点について、まずは手持ちの証拠リストを全部開示するというふうな方針で今
法務省がいらっしゃるかどうか、そのことについてまずお尋ねをしたいと思います。