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石澤参考人 こんにちは。
実はきょう、子供の小学校の卒業式でして、子供に国会に行くと言ったら、それは大事なことだからぜひ行ってこいということで励まされて来ました。
実は、今回ここに参加させていただいたのは、私
どもがそもそも
飼料米というのを始めたきっかけというのが、卵の黄身の色は黄色くなきゃいけないよということとか、それからスズメは何でもみのままで米を食べるのかということとか、そういうことを、私が小さいときはやっていたんですけれ
ども、今、
飼料というのは全部配合
工場でつくられてしまった形で来ているものですから、そこに対する、ひとつ私
たちも実証してみようということで、青森県の藤崎町の協力を得て、
平成十八年に一ヘクタール、三名の方から始めて、昨年は約十五ヘクタールで十一名の方々に協力していただいてやりました。
どちらかというと、ほんの瞬間的なものはミニマムアクセス米でもう既に実証されているんですね。ですから、先ほど
阿部先生がお話しされたように、一
年間通して飼ったことによってどういうふうに変わるのかということに対する
取り組みをやってきました。
その中でやはりびっくりしたことは、鶏は米が大好きなんだということがわかりました。選んで食べます。しかも、最初は
玄米でやりましたけれ
ども、
玄米のときはそんなにわからなかったんですけれ
ども、今回もみで食べさせるようになったら、鶏舎の中がみそ蔵のような香りになります。臭くなくなるんですね。ですから、私は、これは本当にびっくりしました。
そういう中で始めていって、いろいろなことが出てきましたけれ
ども、実はもう
皆さんも御存じのように、地方は非常に大変で、特に青森県は非常に厳しい経済
状況の中で、今、
生産調整ということで、約四割ぐらいの
生産調整をしている
農家の人
たちは、自分
たちで大豆をつくりながら、いろいろなものに挑戦しながら、非常に大変な思いをしながら今農業をやっています。
飼料米をやることによって何が見えてきたかというと、私
たちで一番最初につくったのが実は「べこあおば」という品種だったんです。これは青森には向かない品種なんですけれ
ども、たまたま天候がよかったので十六俵とれたんですね。二年目はやはり天候の
関係もあって少なかったんですけれ
ども、去年つくった「べこごのみ」というものは一トン二百ぐらいとれました。
ですから、こういうのは、先ほど
今野さんもお話ししましたけれ
ども、非常に
農家にとっては意欲的になってきて、実は、私
たちのところで三
年間ずっとお手伝いしていただいた佐々木さんという方は、非常に意欲的になって、今まで家族で農業のことについて語り合うことは余りなかったんですけれ
ども、この
飼料米をやってから家族が本気になって農業のことを考えるようになって、あるとき、だんなさんが入院したときに、今までやったことのない奥さんが、これはやはり
飼料米で一トンとらないとだめなんじゃないかということで、追肥の手伝いなんかをして、しかも、やったことがないものですから真ん中にぽこっと行って稲が転んだんですけれ
ども、だんなさんは怒れなかった、そういう非常に温かい話があります。それと、家族がみんな協力して、後継者も来たというような形になって、非常に楽しい、夢がある、そういうような形になってきたように思います。
そういう中で、青森県には今二万ヘクタールの
生産調整の
面積がありますけれ
ども、もしこれに全部つくると、青森県にいる四百万羽の鶏の
自給率は、
自給率と言うと言葉に語弊がありますが、
トウモロコシを食べさせている
部分をすべて米にかえることができる。そうすると、単純にいけば、これは私の素人計算なんですけれ
ども、
皆さんの方が詳しいですけれ
ども、大体百億ぐらいの直接的な、それは、
トウモロコシでアメリカに行っていた
部分の経済効果、これが全部回っていけば三百億の経済効果があると私は思います。
日本全国でいえばもっとあると思いますので、それは後ほど計算していただければと思います。
それと、実は
生産コストの問題がやはり一番大きいと思いますけれ
ども、私
たちは今、
キロ五十円で
農家の方から買っています。それは
玄米換算です。そうするとどういうことが起きていくかというと、実際、
農家の方々は、今までどちらかというと、一俵何ぼになればいいとかそういうことを話していましたけれ
ども、一反歩から幾らとれればいいのかということを考えるようになります。
そうすると、実は、米だけで考えていくと、これは五十円ですから仮に一トンとれても五万円にし
かなりません。ところが、稲わらも考えていけば、非常にこれは可能性が出てきます。今現在は、私
どものところでは大体
キロ二十五円で買っていますので、そうすると、五十円足す二十五円ですから七十五円。もうちょっとのところへ行くと、実は先ほど先生の方からも話があったのと、もみでやることによって乾燥調製の手間暇が少なくなりますので、ざっくりと言って八万円ぐらいでできることになるんですね。ですから、実は、将来的なことを考えていけば、
飼料米を余り国に頼らずにできる可能性はあると私は思います。
ただ、今のところ、先ほど先生お話しされたように、いろいろな
技術の確立等がちょっとまだ見通しが立っていないところもありますので、今後三年から五年ぐらいはまだまだやはり国の
皆さんの御協力が必要だなと私は思っています。
もう少しだけ言わせていただけば、この機会を逃せば、私は、二度と農村、
農家の自立を促す機会というのはなくなるんじゃないかなという気がします。というのは、どういうことなのかといいますと、今、農村は非常に年をとってきています。平均六十五歳です、
農家の人
たちの年齢。
技術の伝承をするのはこれが
最後のチャンスじゃないかなと私は思っています。ですから、私は、できることであれば、
日本の中で、特に青森のあたりでも農業というのは基幹産業として非常に重要な位置づけにあります。青森県というのは、やはりすばらしい環境もありますし、いろいろなことができる中で農業を残していく、続けていく、そして
農家が自立していく、本当に一番重要なことだというふうに私は今感じています。
それと、
水田を、それこそ今までつくっていなかったところがつくられていくことによって、いろいろな生き物なんかもますますふえていくような形になりますし、川とか湖、海までも影響してくることになると思っています。
そういう点でいけば、ここ最近、よくテレビで、アポロが月に行って月から見えた
人間のつくった創造物は何なのかというので、万里の長城だというのが出ていましたけれ
ども、実は、このことについて、私が大学のときに教わった岩手大学の石川武男先生が、万里の長城よりもすばらしいものが
日本にはあるんだ、
皆さん、それは何だと思いますかというふうに言われたときに、みんなだれもわからない。余りにも身近過ぎてわからないんですね。それは
水田ですよと。ですから、
皆さん、この
水田という
人間がつくった、しかも
日本人のつくった
文化をきちんとやっていくことが、私はやはり国として今一番大事なことなのではないかなと。
そういう点では、今回の
法律がきちんとできることによって私
たち農家がずっと続けていける。しかも、
畜産も私は非常に大事な職業だと思っています。
日本人はそれこそ農耕民族だと言いますけれ
ども、実は昔から狩猟もしていたわけですね。ですから、そういうようなこともひっくるめて考えていけば、これから、
畜産と農業、
耕畜連携という言葉だけではなくて、やはり有畜複合という非常に大事な時期をこれからやっていける、今ちょうど転換点というか、
皆さんこれから進めていくこの法案がきちんとできることが私
たちのあすへの期待が持てるということで、ぜひこの機会を逃すことなく
皆さんの力で法案化していただけることを期待して、私からの発表とさせていただきます。
御清聴ありがとうございました。(
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