○泉
委員 小渕
大臣、この青少年総合対策推進法案、ポンチ絵なんかで見させていただいたときに、今回の新しい理念では、青少年の
立場を第一に考えることというのが載っていますね。
大臣もちょっと想像していただきたいんですが、青少年の
立場を第一に考えること、何となく文言として響きはいいんですが、青少年の
立場を第一に考えること、青少年の
立場を大人として第一に考えることと、青少年の
立場になって法案を見詰める、大綱を見詰めること、ちょっと違う気がしませんか。違いますね。
どうやら、この今回の推進法案の中身を見ていても、やはり私は、正直、上から目線がぬぐえないなという気がしてならないんです。
ニート、フリーター、問題だ、問題だ。しかし、当事者の子供たちや、その友人たちや、同世代の人たちは、本当にニートやフリーターが問題だ、異常だ、そういう
意識を持っているんでしょうかということも含めて、逆に言えば、私が言いたいのは、ニートやフリーター、こういう問題や、あるいはいじめも、いろいろな問題、子供の問題とされるものの原因として大人
社会があるんじゃないですかと。そういう視点が余り見えてこないわけですよ。
正しい大人たちが子供たちを正しく導きます、それは子供たちの
立場に立って考えますということなんですが、本当に子供たちの気持ちが、心が、子供たちからの意見も募集されたとはなっていますけれ
ども、そういう問題ではなくて、やはり大人から子供たちを見たときに、それが異常か正常かで政策の立案がなされている、そのこと自体が私は間違いじゃないかなというふうに思うんですね。やはりそろそろ考え直していただいた方がいいんじゃないかな。
ですので、私は実は、旧大綱に入っていた大人
社会の見直しという言葉は非常に重たい言葉だと思っているんです。
これまでの流れを見ていますと、かつては戦後の混乱期の少年非行の緊急対策という性質からこの青少年問題がスタートをして、もちろん校内暴力だとか戦後の混乱期が収束するまでの間の青少年のさまざまな問題というのがあった。当時は、それこそお父さんが戦争で死んで、お母さんもいなくて、子供たちが一人で生活せざるを得ない環境があって、そういうところで、生活のためにいろいろなことをやってしまったということが少年非行としてカウントされるものですから、そういったことで対策が打たれてきたけれ
ども、やはり
時代が変わってきて、前回の大綱では、例えば青少年の権利というものが世界的に認められてきた、あるいは自立だとか自己決定を支援していこうという流れになってきたわけですね。
しかし、今の若者たちからしてみると、いきなり自立と言われても逆に困る。
社会がその自立を本当に支援してくれているのか、もっと言えば、支援してくれる前に、大人
社会というのは本当にそれだけいい
社会なのか、大人
社会というのは本当にでは責任を果たしてくれているのか、青少年対策よりも、もしかしたら必要なのは大人対策、成人対策をもっとちゃんとやってくれというのが子供たちの声じゃないのかなというぐらいに私は思うんです。
そういう視点は正直余りないというか、大人の責任、大人の反省、個としての対等な
意識、もちろん、家族の中の序列というか、ある程度の上下
関係、あるいは
教育現場における上下
関係、それは当然あるでしょうけれ
ども、大人だってかつては子供だったという視点から物事を見るだとか、そういうことが正直私は足りないんだと
思います。
そういった
意味で、この新しい大綱ですとか推進法案についてはこれからもっともっと深掘りをして
議論していきたいと
思いますが、きょうは二点だけちょっとお伺いをしたいわけです。
一つは、今回の推進法の中では、ニート、引きこもりだけを特出しをしたわけですね。しかし、例えばいじめの問題もある、虐待の問題もある、そして、例えば女性でいうと特に多いのが摂食障害、いろいろ問題がある、若年うつなんという話もある中で、ニート、フリーターだけをわざわざ
法律で
定義づけて特出しをする、逆にほかの問題を抱えた困難な子供たちへの支援が表に出てこないというのは、私はちょっと違和感を感じるわけですが、そこについてはいかがお考えですか。