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赤澤委員 今、いきなり
全国展開につながったものというのが十四次で七件、さらには
現行規定でできるものが二十九件、これから何らかの
対応を考えるというのが三件ということです。
私は、きょう特に
指摘をしておきたかったのは、
構造改革特区というと、まず小さく産んで、
特区をつくって、その後
全国展開という、一応当初想定をした
メーンストリームですね、これにばかり注目が集まって、そこのところで
評価を論じるような
感じがちょっとあるように思うんですが、累積を見ると、
規制改革につながった六百四十一のうち四百二十六はいきなり
全国展開、さらには
現行規制でできるものも発掘されている。
何が申し上げたいかというと、小さく産んで大きく育てるという発想でつくった
制度でありますけれ
ども、実は、小さく産もうとして着手をした、要するに、ハードルが下がってやってみようということで取りかかったら、いきなり
現行規制でやれることがわかったり、あるいはいきなり
全国展開できたりと、小さく産もうとしたら
最初から大きく産めたという例が非常に多いということで、その点、私はこの
制度の大変なメリットかなと。逆に、
区域を限って
具体例で
検討してみると、案外、難しいと思ったものができるじゃないかとか、あるいは手を挙げる側も、むしろ
特区であればいけるんじゃないかと。
そういった
意味では、この
制度、私
自身は、
提案数が減ってきたりいろいろしていますけれ
ども、いまだに、この
制度が存在していることで、あきらめずにチャレンジするという人を、かねや太鼓で探すというような
効果が大いに期待できるし、一方、
省庁の側も、話を聞いてみて具体的な例で
検討してみたら、これは
全国展開いけるんじゃないかといったような前向きな
対応がかなり出てきているというふうに思いますので、本当に
意義深いと思います。
そういう
意味で、一つ御
紹介をしておきたい例があって、これは実は私がかかわったので、
自分の体験として非常にこれはよかったなと思うものです。
それは何かというと、
在宅ホスピスカーというものの
関係で、四月一日から、まさにきょうから、お
医者様が
在宅ホスピスの
患者さんのところに行くために
サイレンを
自分の車につけることができる。これは別に白色の
緊急車両っぽいものでなくてもいいんですけれ
ども、そういう
改正がなされました。それも実は、私は
特区法の産んだ大きな産物かなと思っております。
簡単にちょっと経緯を
お話しすると、
栃木県に、
在宅ホスピスをやっております
とちの木診療所というのがございます。そこの所長の
渡辺邦彦先生という方が今の
お話の主人公でありますけれ
ども、彼は、
日本で
緩和ケアというものをしっかり浸透させたい、そして
在宅ホスピスがこれからの主流だということを長らく主張して、その二つについて本当に真剣に取り組んでおられます。
緩和ケアについて言えば、
末期がんの
患者さん、
激痛に耐えるわけですけれ
ども、彼に言わせると、
日本ではまだまだ
モルヒネの
使用量が少な過ぎる、
先進国、多くの外国と比べると圧倒的に少ない、何分の一ということで、きちっと
モルヒネを使用すれば、中毒といったようなことにもならずに
痛みはきちっとコントロールできて、
最後まで人間らしい生活を送れる。
モルヒネについては、どうも
鎮痛作用というのが限界がないようでありまして、どんな
痛みであっても、量をきちっと工夫すれば抑えることができるということです。
加えて、
ホスピスについても、病院ではなくて
自分の自宅をついの住みかにしたい。余命半年とか三カ月とか言われた方が
ホスピスの、
終末期のターミナルケアの
対象になる
患者さんでありますから、家族と一緒に
自分の住みなれた家で住みたい、そのことを
実現したい、このことに
とちの木診療所の
渡辺先生はかけておられるわけです。
そのときに、彼は本当にスーパーマンみたいなところがあって、
年間の
緊急出動回数が四百回です。
モルヒネについて言えば、きちっとした量を
処方すれば、症状が変わらない限りは
痛みは抑えられているわけですけれ
ども、彼の表現で言えば、
がんの部位がぱかっと割れたようなときは
激痛が走って、さらに
痛みの次元が上がる、
モルヒネの
処方量をふさなきゃいけない、飲む
回数も場合によってはふやさなきゃいけない、そんなようなことで、緊急に駆けつけてそこの
処方をやるわけです。
その際に、彼がずっと
問題意識として持っていたのは、彼は、
栃木県の中で十三市五郡すべてに、
在宅ホスピスの
患者のところに行った経験があるわけですけれ
ども、あるときは
東北自動車道を百キロ走って県の端にまで行く、そのときに何回か、年に四百回ぐらい出動する中の十回もいかないぐらいかもしれないけれ
ども、お盆とかのラッシュにかかってしまって、
激痛が起きた、
先生来てくれと言われてから、百キロなら通常一時間ぐらいで着くんでしょうけれ
ども、
渋滞に巻き込まれて三時間も四時間もかかってしまう。彼は本当にこのことが心にひっかかっていて、何とか
患者さんのところに早く行けないだろうかと。そのときに
相談を受けたわけでございます。
当初、私も途方に暮れまして、
厚生労働省とかあるいは
道路運送車両法を持っている
国土交通省とか、いろんなところに聞いたわけでありますけれ
ども、
関係部局は結局、
厚生労働省の
医政局、あるいは
警察庁の
交通局もそうであります、
道路交通法を所管しておられます。そして、
自動車交通局の
技術安全部、これは実は、
緊急車両は白とか、
車両の色を扱ったりしております。そういった
関係のところに
相談をしまくって、
最後どうなったかというと、これを
構造改革特区でやってみようじゃないか、
栃木県ということでやってみよう、そういうことで、
内閣官房の
地域活性化統合事務局、
構造改革特区の
事務局が呼ばれ、
検討しておりました。
その
検討を開始したのが昨年の二月で、それから多くの、今の
関係する役所の
皆さんに集まっていただいて、四回ぐらい
会議を行って、次第に話が煮詰まってきました。
最初のうちは、いや、こんなことをやったらお
医者さんがみんな
サイレンをつけて走り回れるようになるからだめだというような話で、どうやって絞れるかがわからないからだめだ、こんな議論でした。では、みとった
患者さんの数を実績として出してもらって絞りをかけたらどうだとか、
年間の
緊急出動回数が把握できないかとか、いろいろなことをやりました。最終的に、
一定の基準でこれはいけるんじゃないかということで、
栃木県にも
最後は加わっていただいて、
特区申請を六月に行い、八月には何とか
対応できるだろうということになったわけであります。
ところが、その後、さらにいろいろな
検討をしていただいているうちに、これについてはいきなり
全国でいけるぞということまで
省庁の
皆さんが踏み込んでくださって、結局は、緊急に
患者さんの要請があれば、二十四時間三百六十五日出動できる態勢を整えておられるそういう
医療機関であればいいだろうということで、そういったところの方は、当然
緊急車両ですから運転について
一定の講習は受けていただきますけれ
ども、だけれ
ども、
サイレンを鳴らして
患者さんのもとに駆けつけられる。
今までは、
緊急車両というと、
患者さんを
医療機関に送る
救急車と、あとは
輸血用の血液を運ぶ車だけが
医療関係の
緊急車両に認められていましたけれ
ども、三番目の例として、これからの時代の流れである
ホスピスも
在宅でやる、そこにお
医者様
自身が行く。しかも、民家ですから、家のそばに来たら、
サイレンを消して普通の車のように入りたい、
救急車両が来た
感じをわかってほしくないという要望が強いようでありまして、ここは普通の車でもいいということに結論が落ちつきました。
これを本当に具体的に
お話ししたのは、やはり
特区制度があるからこそ何かみんなでチャレンジする気になる、これでやってみようやと。いきなり
全国展開ということだと、
省庁の側も身構えてしまって、だめです、だめです、絞れません、お
医者さんが
全員サイレンをつけて走るようなことはいけませんみたいな話から始まるわけでありますけれ
ども、最終的には、
省庁の
関係者の皆様も、
栃木に限って
検討し、具体的にいろいろ
検討してみたらいけるぞと。私は、本当にこれはいい例だったというふうに思っております。
そういう
意味で、四月一日から、
とちの木診療所の
渡辺邦彦先生は、大
渋滞になれば、
サイレンをつけて、場合によっては
路側帯を走るような形で、
激痛に耐えかねている
患者さんのもとに通えるようになったということで、これは非常にいい例だったかなと思いました。
以上のことも含めまして、私は、やはり
特区制度に、数字にあらわれてくる以上の大いなる価値がある、小さく産もうとしたら
最初から大きく産める、そして多くの方のチャレンジ、この
制度でやってみようということ、さらには
省庁の側も、具体的な
検討を特別の
区域で始めてみたら、これは一気に
全国でできそうだということをかなり前向きにとらえる雰囲気も出てきている、そういう
意味で
大変効果が大きいと
自分では
感じているところです。
その辺も含めて、
大臣から、これはちょっと通告をしていないんですが、感想も含めて、何かもしいただければ大変ありがたく思います。