○馬渡委員 自由
民主党の馬渡龍治でございます。
きょうは拉致問題を中心に
質問させていただきますので、
河村官房長官、よろしくお願いいたします。
昨年十二月十三日、拉致問題を
考えるみんなの集い、御一緒させていただきました。あそこにお越しいただいた方が本当に強い
思いで拉致の問題の解決をと思っていただいたと
思います。ああいったことが全国各地で行われて、すべての
日本国民が拉致に対する正しい
認識を持っていただいて、ともに解決のために行動していただく、こういった啓発活動をぜひ展開していただきたいと
思います。
実は、その一カ月前に、私は名古屋でありますが、十一月に、拉致問題の解決を願う名古屋市民の集いというのを開催させていただきました。私の
事務所のすぐ近くに、横田めぐみさんがお生まれになった病院があって、それを一昨年にお聞きしたときにびっくりして、そして、その
地域の方々にそのことをお伝えすると、ほとんどの方が知らなかった。
では、ここでひとつ集会をやりましょうということで、実は、民間の、町内会だとか子供会の御父兄だとか各団体の
地域の方々に実行
委員会をつくっていただいて、横田めぐみさんのお母さん、早紀江さんにお越しいただいて、公会堂で集会をやったところ、千五百人の方が集まっていただいて、そして、そこではじっくりと横田早紀江さんに
お話をしていただきました。
皆さん、本当にしいんとして、涙を流して聞いていただいて、その中で、横田早紀江さんが、めぐみさんがいなくなった当時、毎日のように自転車で、あちらにいないか、こちらにいないか、本当に死に物狂いで捜して歩いて、
警察にも相談した、でも、全く取り合ってくれなかった、そういったことがずっと続いてきて、とうとう三十年を過ぎてしまった。
その講演の中で、もう随分長い月日が流れて、私
たちも年をとりました、一体いつこれが解決するのやら、最後まであきらめません、この
思い出の土地に来て、本当は涙があふれそうですけれども、泣いている暇はないんです。そういう話を聞いて、ああ、一日でも早く解決してほしいな、そんな
思いをいたしました。
拉致問題は、今まで十二件十七名、未遂事件が一件二人いますけれども、最初に政府認定の拉致問題として明らかになったのが、昭和五十二年の九月の久米裕さんの事件であります。実はその前に、昭和三十八年五月に、石川県の寺越事件、これは極めて拉致の可能性を排除できない事件ということですが、仮に政府としての認定の最初の五十二年に拉致問題があったとすれば、それでももう三十一年、二年が過ぎようとしています。
この間、肉親の帰りを待ち続けた拉致被害者の御家族の方も、残念なことに相次いでお亡くなりになっていて、最近では、昨年の十一月に市川修一さんの御母堂が御逝去なされましたが、一体何でこんなに時間がかかるんだろう、それから、これから先、一体どれだけ待たなきゃならないんだろう、そういう
思いが皆さんおありになろうかと
思います。
政府には、
内閣総理
大臣が
本部長を務められておりまして全閣僚がメンバーである拉致問題対策
本部があります。その拉致問題担当
大臣として
河村長官が今五代目でおられるわけでありますが、このように政府を挙げて拉致問題の救出をしていこう、そういう体制が組まれたのが、事件発生後二十九年、まだ三年にならないわけで、何でこんなにその体制づくりがおくれてしまったのか。
昭和六十三年三月に、実は、参議院の予算
委員会で、当時の梶山静六
国家公安
委員長は、昭和五十三年の三組六人のアベック失踪事件を北朝鮮による拉致の疑いが十分濃厚であるという、いわば
歴史的な答弁をされています。本来であれば、この後すぐに、政府が今の対策
本部のような体制づくりをして、その解決に向けて取り組んでいくべきだったと
思います。こんなにおくれている現状を見て、今まで拉致被害者の家族の方々がそれこそ血のにじむような努力をしてきて、報われない、そんな悔しい
思いもあるんじゃないか、そう思うわけであります。
そこで、昨年、麻生総理が就任直後に家族会の方々とお会いになったときに、ここまでかかった理由は、政府が本格的に取り組む体制をつくらなかったためだと語ったと聞きました。拉致問題は、
国家の
主権と
国民の人権侵害の重大な問題でありますから、これについては政府が最優先で取り組むべき
国家的
課題であると
思いますが、これについて官房長官の御所見をお伺いしたいと
思います。