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橋下参考人 大阪府知事の
橋下徹です。
僕は、去年一年間、まだ
行政の経験は一年間しかありませんので、
行政の長についた素直な感想といいますか、感覚といいますか、難しい話は全部前の三人の先生方、知事さんと
神野先生がお話になっていただきましたので、僕は
行政の長として感じたことを話させてもらいたいと思います。
まず、
行政の長につきまして、国は一体どういう方向に向いていっているのか、どうしたいのかというのが全くわかりません。
地方の
行政の長につきまして、国家戦略、偉そうに言わせてもらいますと、国の
方向性、また国の形、国のあり方、これが今後どうなるのか、全く今見えない
状況であります。
僕は、明治維新から近代国家が成立するときには、一部の勉強していた人たちが、知識の蓄積については一般の庶民とはいろいろな格差があって、一部の者ががんがん国を引っ張っていく、また、近代国家成立に向けて、中央が号令をかけて、
一つの目標に向かってみんなで走っていくということはそれなりに合理性があったのかなというふうに思うんですが、今や、何も一部のテクノクラートといいますか、霞が関にいる官僚だけが知識を蓄積しているわけではありません。
地方の自治体の公務員組織も知識は蓄積しております。
また、これだけ複雑化した現代社会において、
国民全体が
一つの目標に向かうなんということはあり得ません。北は北海道から南は沖縄まで、みんなそれぞれ
地域の実情が違いますし、目指すべき
方向性も違いますし、また、重視すべき価値観とか優先順位とか、そういうものもみんな違う中で、今、大阪府は、
埼玉の
上田知事もいらっしゃいますが、
首都圏と関西というツインエンジンの一翼を担う大阪府という組織においても、それでもまだ何もできません。僕の判断で何もできません。
今回の追加経済対策についても何にしても、とにかく天を仰いで降ってくるものを待つだけ。大阪の実情に応じてやりたいことはいろいろありますし、府の職員もいろいろ考えているところもあるんですが、すべて上から降ってくるものを待つだけ。また、何かをやろうと思っても、
財源もありませんし、何よりも、借金について総務省がぴしゃっと財政指標を厳しく引いておりますので、その範囲内でということになりますと、とてもとても、大都市圏の日々の
行政需要、
行政サービスを賄うだけで手いっぱいとなりまして、何か新しいことをやっていくというような余裕も全くないような
状況であります。
もう
一つは、僕は、一年間公務員組織に身を置いて仕事をしたんですが、公務員の
皆さんと価値観が合わないところがたくさんあります。大きな判断を下すときに、組織で右と言えば、大体僕は左に行く、組織が左に行くべきだと言えば、僕は大体右に行くと、反対することばかりやってきたんですが、それでも府民の
皆さんからは、ふわっとした民意ではありますけれども、まだ反対
意見もいろいろ受けますけれども、多くは、頑張れと言っていただけるというような
状況でもあります。
仕事の
やり方にしても、何を優先すべきかにしても、とにかく公務員組織というのは大きい組織になってしまっていますし、過去をずっと継続して、引き継いでいかなきゃいけないということもありますので、やはり大きな方向転換もできません。それから、目の前の
利害関係者のところにどうしても目が行ってしまいますので、これは大阪府という、国から考えればちっぽけな組織ですけれども、それでも、大阪府の組織の公務員の担当者は目の前のことで精いっぱいになってしまいまして、大きな
方向性を打ち出すことが府の組織ではなかなかできない
状況であります。
こういう中で、政治主導とかいろいろ言われているところでもありますが、先生方を目の前にしてこう言うことは大変恐縮ですけれども、国
会議員の先生方、衆議院で四百八十、参議院で二百四十二名の先生方が、三十何万人を擁する巨大な公務員組織を本当にコントロールできるのかどうかというところは、申しわけないんですけれども、大阪府の
行政の長をやらせてもらいまして、非常に疑問であります。
地方分権、
地方分権ということで、これは何も僕が権限や
財源をもらって好き勝手なことをやらせてほしいということではなくて、やはりここは国
会議員の先生方と
地方の議員ないしは選挙で選ばれた我々知事とで、役割分担をきちんとさせていただいて、役所をコントロールしていくということが必要な時代になったのではないかというふうに思っております。
いろいろな先生方と
議論をさせてもらうと、国は親、
地方は子、まだそういう
関係だとか、上下の
関係だとか、いろいろなことを耳にするんですが、今の
行政の
仕組みのままでいきますと、霞が関の役所が全国津々浦々のことを仕切っていくようなことをこれからもやっていくのかと思うと、僕はもううんざりですし、そんな日本に将来はないというふうに思っております。
色で例えれば、今の日本はネズミ色一色。これは、霞が関や永田町や、僕も大阪府庁のあの執務室に入るとどうも、慣行だったり文化だったり、職員からいろいろな
意見を聞くと、ああ、やはりそういうものなのかななんということで流されそうになるんですが、やはりそこはまずい、まずいと思って、できる限り外に軸足を置いて、府庁の組織だったり国だったり、そういうものを客観的に見ようというふうに心がけているんです。そうすると、どうしても今の日本というものはネズミ色一色といいますか、ネズミ色というのはちょっと僕の感情的な面もあるんですが、でも、一色の色。僕は本当に、やはり今ここでこそ、この日本の国を、八色、九色、色とりどりの、色のある国にしたいという思いもありますし、そうならなければ日本の発展はないものというふうに思っております。
そういうことをいろいろ考えている中で、じゃ、どうやってそういう国のあり方を、
地方の
行政の長として、国
会議員の先生のように国の
制度を変えるような権限がない僕がどうやって国を八色、九色、色とりどりの国にしようか、また、役所というものを政治主導でコントロールしていく、そういう
行政の
仕組み、国の
仕組みになるきっかけを、知事という
立場で何かそういうきっかけを起こすことができないかなということをいろいろ考えたところ、僕はこの
直轄事業の
負担金という問題にたどり着きました。
地方分権という問題は、いろいろ勉強してもやはり難しいところが山ほどあって、府民の
皆さん、
国民の
皆さんにはなかなか伝わらないところがあります。そこで、
直轄事業というもの、真正面からこの
制度にぶつかると、これはもう本当に国の言いなり。
知事会は四十年、五十年、ずっとこの
直轄事業の
負担金の問題を、問題提起されていたというふうに言ってきているんですけれども、なぜ全く何もこの
制度が動かなかったのか。
これはやはり
地方の
責任もあると思っています。言われたままの
請求書を何の
チェックもせずに払っていた。とてもじゃありませんが、僕みたいに中小企業のおやじ感覚といいますか、自分も法律
事務所を経営していますので、細かく細かく
請求書を
チェックするような細かい性格の者からすれば、あんな
請求書で何百億という
お金を払うなんということは信じられない。
また、この
お金を払うに際して、こちら側が何か主体的にこういう
事業をやってほしいということや
決定権が基本的にはないという中で、言われるがままに払っていく。
国の
直轄事業負担金という形で国で取られる
内訳の中には、これもまたびっくりしたんですけれども、国家公務員の職員の
退職金が入っていたり、逆に、
地方が国からもらう
補助金の中には
地方公務員の
退職金は当然含まれておりません。また、
地方が国からもらう
補助金には、
事務経費についてはいろいろパーセンテージで上限の設定があるにもかかわらず、国が
地方から取っていく
お金には
事務経費の上限設定が全くなかったり、
庁舎についても、
地方が国からもらう
補助金については現場の土木
事務所等についての分しかもらえないにもかかわらず、国が
地方から
お金を取っていく場合には、ありとあらゆる、土木
事務所に限らず、総合
事務所についても
お金を取っていく。
こんな不公平なことをよくもまあ許していたなと。やはりこれは
地方と今の国の
関係というものが端的にあらわれている事例なのかなというように思っております。
僕は、昔の
制度を全部否定しているわけではありません。国がどんどん国土全体を引っ張っていくような国のあり方というものは、今の近代国家成立までにおいては非常に合理性があったというふうに思っておりますけれども、やはりこれからの将来はそうではないという思いがどうしても僕は強いです。
そこで、税
財源の問題や
補助金の問題、
知事会が言われているいろいろな細々とした問題はあるんですけれども、やはり府民、
国民の
皆さんが一番わかりやすい問題、国から一方的に
お金を支払わされるこの
直轄事業の
負担金ということを
一つ突破口として、
国民の
皆さんに問題提起をして、もはや霞が関一極集中で全国津々浦々を仕切るような国ではなく、色とりどりの日本のありようを目指していく。もちろん、それは住民の
責任というものも問われます。
地方分権ということになれば住民の自己
責任も問われることになるんですけれども、それはそれで今後の日本のあるべき姿かなというふうに僕は思い、
国民に問題提起をさせてもらいました。
その中で、いろいろ国交省とも協議をさせてもらっていますが、ただ、非常に危険な問題といいますか、このままいくと、国交省、国との
事前協議をやるかどうか、それから
資料の詳細なものを開示してもらうかどうか、また
維持管理費についての
負担を
廃止するかどうか、そこだけの問題に何か収れんしてしまうのであれば、非常に危険だなと僕は思っております。
直轄事業の
負担金をもし
廃止ということになれば、当然
補助金も
廃止の方向にならざるを得ないと思っております。そうなってきますと、読売新聞の社説等、また、これは国交省が多分プロパガンダしているのかなというふうには思うんですが、やはり一部の
負担金は必要ではないかというような
議論も今出てきております。猪瀬さんも、どこかのコラムに、この
負担金をなくしてしまうと陳情合戦が始まる、
道路の必要性が吟味されず、国が好き勝手をする、
負担があることで
地方が吟味できるなどと言われて、
地方分権改革推進
委員会も、
直轄事業の
負担金ゼロというのはまずいんじゃないかというふうに言われていますけれども、僕は、これは
制度論といいますか、
鳩山総務大臣が言われていましたとおり、国の
直轄事業というものは、国全体の
利益のためにということであれば、今の
事業量、国の
事業はずっと縮小するものになるのかなというふうに思っております。
地方の
利益になるようなものは、
地方に権限と
財源をゆだねていただければ
地方がきちんとやりますので、陳情合戦なんということはしなくても済むのかなと。僕は、
直轄事業負担金の問題で金子大臣にわあわあ騒いでいたにもかかわらず、きのうは
高速道路の問題で陳情に来ました。非常にばつが悪かった思いもありますけれども、やはりこういうことも、
地方の
利益になるようなことであれば、
地方に任せていただければ、陳情合戦にもならないというふうに思っております。
国
会議員の先生方におかれましては、そうなってくると、みずからの権限と
財源が少なくなってしまうのではないかというようなことも考えられる方もいらっしゃるかもわかりませんが、やはりここは役割分担ということで、大きな国家戦略といいますか、国土全体のことに集中していただいて、住民生活のことは
地方できっちりと担う。こちらが、我々がきっちりとそれは
責任を持ってやりますので、国
会議員の先生方には、国のあり方、国家戦略、外交、防衛、
道路についても国土軸を貫くような基幹
道路、空港戦略、そういうものに集中をしていただければ、僕は、国の
方向性というものがはっきりと
国民にわかるのではないかというふうに思っております。
今回、
直轄事業の
負担金について、追加経済対策等でこの
負担分を軽減するというような話が国から出ております。これは
地方にとっては非常にありがたい話なんですが、何かこの辺でうやむやに終わってしまうような気がしてなりません。
金子大臣は、追加経済対策と
制度論というものは全く別物だというふうにおっしゃってくださっております。今、
地方は非常に財政が厳しいものでありますから、経済対策というものを政府が打っても、この
負担金があるとなかなかそれに乗っかっていけない。ですから、その部分については
負担を軽減していただいて、経済対策というものを実効性あるものとするという
方向性には僕は乗っかっていきたいと思うんです。
しかし、やはり根本の
制度論といいますか、国のあり方、国家観、そういうところで
地方分権という問題にはいろいろと賛否両論あるかと思うんですけれども、国
会議員の先生方と
地方の役割分担ということで、役所をコントロールしながら、一色のこの国を何とか八色、九色、僕はもっと色とりどりの日本にしていきたいと思っているんです。そういうような国を目指していきたいという思いで、この
直轄事業の
負担金については、ぜひ
廃止というような方向で
議論を進めていただきたいなというふうに思っております。
繰り返しになりますけれども、
地方の
財政負担を軽減させるというような問題に矮小化することなく、国と
地方のあり方を根本的に変える。これは大変な問題になるということも周囲から言われております。
補助金をなくす、それに伴って税
財源を移譲する。そうなってきますと、今、国が借金を無制限にして、それを交付税や
補助金で配っていくというような構図がもし変わっていくということになれば、
地方が借金をする主体になってくるということになってくるので、本当に国家の根本的なあり方を
議論しなければ、この
直轄事業の
負担金の
廃止というような問題は解決されないんだというふうに思っています。
これまた政治家の先輩でいらっしゃる先生方には大変恐縮ですが、やはり
地方は住民の顔が目の前に見えていますので、借金をするにしても、非常にシビアに借金をしていきます。また、借金をするぐらいであればというようなことで、職員の人件費を真っ先に切りにかかりますし、議会の先生方の報酬も、大阪府は一五%削減。大阪府は、職員の
退職金についても五%のカットということに踏み込みました。
また、
庁舎についても、大阪府庁は今日本で一番古い
庁舎で、ぼろぼろの状態で、耐震化についても、Is値がとんでもない低いレベルでいつ崩れてもおかしくないような
状況であるにもかかわらず、やはり、小学校、中学校が耐震補強されていない、住民の顔が見えているような
状況で、建てかえなんというような
議論は、今の大阪府の財政
状況からは全く出てこない。国は、一方で莫大な借金を負っているにもかかわらず、
庁舎の建てかえという問題が簡単に出てくるような
状況であります。
霞が関の役人さんと話をして、国の
お金、国の
お金ということをすごく言うんですけれども、僕は、国の
お金なんというものはない、これはもともと住民の
お金で、預かり金だと。まずは
地方が預かって、それを国に必要な分だけ、国がやるべきことについては
地方から納めるというのが本来の姿であって、やはり
お金はできる限り自分たちの近くに置いておく、住民の近くに置いておく。
僕らは住民訴訟やそういうことで厳しい
チェックを受けます。いざとなれば何十億、何百億というような賠償
責任も負わされるような
行政責任を持って税金の使い道を決めております。それが国になるとどんどん離れていって、霞が関の役人は、そういう賠償
責任も何にも負わないところで、平気で
お金を使っていきます。
根本的に、今の国の財政
状況も、とにかく我々の将来世代にきれいな日本を引き渡すということを考えていこうと思えば、やはり
お金はできる限り住民の近くに置いて、そこで
責任を持って
お金の使い道を決めていくというところが本来のあるべき姿かなと思います。
非常に抽象的な話ではあるんですけれども、
直轄事業の
負担金の問題を
地方財政の軽減の問題に矮小化することなく、ぜひ本当に先生方に、明治維新に匹敵するような、
平成維新というようなことで、国のあり方を根本的に変えていただいて、我々
地方にも、また住民にも、この国の将来のあるべき姿、子供を産んで本当によかったな、また子供を産んでいこうというような、そういう日本の国をつくっていただきたいなというふうに思っております。
以上です。(
拍手)