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田島(一)
委員 大変苦しい
答弁だなというふうに私も思いました。
実は、本当に先人の思い入れであるとかその
時代背景というものを大切にするのであるならば、この下に附則、三つ目の附則が昭和二十五年の五月四日にまた
改正されたんですけれ
ども、ここから下は平仮名なんですね。
法律をつくられた精神をと言うならば、ずっと片仮名を使用されたらいいと思うんですよ。にもかかわらず、ここから下は全部平仮名を使っていらっしゃるわけでありますし、表現も現代仮名遣いをお使いになられるようになりました。
私は、
法律というのは、つくられた法の精神を大切にすることは大事なんですけれ
ども、その
時代時代にふさわしい、その
時代の国民が読んで
理解できる
法律にすることが何より大切なのではないかというふうに思ったわけであります。なぜ私が今回、わざわざこのようなラッコ、オットセイの猟獲取締法を出したのかというと、今回の
自然公園法の
改正部分について疑問を感じたからであります。
一番下に、今回の
自然公園法の第一条の「
目的」を、現行法それから
改正案、両方併記して比べてみました。右が現行法で、今回
提案された
改正案を左に書かせていただきました。今回新たに「生物の多様性の確保に寄与すること」というのを現行法の一番
最後の
部分につけ足しなさったわけですが、それ以外の文言についてはほとんど変えることなく、今回、
改正案としておまとめになられました。
しかし、この
改正案の文言をよく読み取ってください。二行目。「その
利用の増進を図ることにより、国民の保健、休養及び教化に資するとともに、生物の多様性の確保に寄与することを
目的とする。」ぱっと読めば、そのとおり、意味は通るというふうにお
考えになるかもしれませんが、私も
先ほど質問の中でずっと申し上げてきたように、
利用を増進させればさせるほどさまざまな
問題点も上がっているということを、
環境省の
皆さんも
大臣も
認識をいただきました。しかし、
法律の「
目的」には「
利用の増進」とあり、適正な
利用だとか、ブレーキをかけるような話は一切入っていないのであります。
利用を増進させていく、もちろん、
国立公園で国民の
皆さんに自然と触れ合っていただきたい、そんな思いが込められているのかもしれませんが、今や、
時代の流れ、
時代の
背景、そしてこの
自然公園をめぐる
課題からすると、やみくもに
利用の増進とうたって本当にいいのかどうかを私は疑問に感じたところであります。
しかも、次の三行目、「国民の保健、休養及び教化に資する」とあります。
教化という言葉、実はきょう内閣法制局の方に来ていただいて御
説明いただこうかなと思いましたが、あえて遠慮させていただきました。教化という言葉は、辞書等々を調べると、教え導いて、よい方向に向かわせることという意味であります。民衆を教化するという例文も載っています。つまりこれは、一番最初に
自然公園法が
国立公園法という名のもとに昭和につくられた、そのときの精神が脈々と生き続けている言葉であります。
国民を教化する。教化という言葉が
法律の
目的に書かれている
法律は、今
法律は数多くありますが、この
自然公園法だけであります。国民を、民衆をよい方向へ教え導いて向かわせる
時代錯誤の言葉ではないか、私は率直にそんな思いがいたしました。
今回の
改正のポイントとは外れておりますけれ
ども、せっかく
改正するのであるならば、なぜ
目的全体を、そして違う条文も逐一チェックをされなかったのか、私はその点が非常に残念でなりません。
また、
先ほど例にとったラッコ、オットセイの猟獲取締法であったとしても、明治四十五年につくられたその精神を尊重してかどうか、ずっと同じように片仮名表記で、難しい、読めない漢字で
法律が残っている。これが今の日本の
法体系の
問題点ではないのかな、私はそんなふうに実は思ったところであります。
どうぞ
大臣、例えば、この教化という言葉であるとか
利用の増進であるとか、しっくりこない表現があります。これを一言一句御
説明いただこうというふうには思いません。あえてそれを言うならば、へ理屈にへ理屈を上塗りしてしまってもう後へ下がれないような
状況になってしまうかもしれませんが、
法改正をするのであるならば、そのポイントをパッチワークのようにつけ足すだけではなく、全体の
バランス、全体の
問題点も含め、何を
優先順位として取り上げなければならないかを、隅から隅までしっかり見ていただく
改正の手続を踏んでいただきたいと私は思うんです。
最後に、この私の
考えに対する
大臣の御
見解、そして、これから先さまざまな
法改正に取り組まれるだろうと思いますが、その
取り組みに対する姿勢について、覚悟と決意を聞かせてください。