○小野(次)
委員 自由
民主党の議員の場合は朝一番に当たることが多いんですけれども、きょうは、
委員長また
理事の議員の
方々、そしてまた同僚
委員の御配慮をいただきまして、ちょっと私の時間の調整をしていただきましたことをお礼申し上げたいと思います。きょうはトリをとらせていただくということで、頑張ってまいりたいと思います。
きょうは、
大臣、拉致の問題についてお伺いしたいと思っています。
私は、拉致には、この問題の解決に向けて自分なりにある種のこだわりを持ってきました。それは一つには、自分が公務員、警察にいたときに、鹿児島の県警本部長をやりました。そのときに、
平成十年だったと思いますけれども、歴代、県警本部長に着任すると必ず現場にまず行くところというのがありまして、それは、吹上浜という、鹿児島のあれは日置郡というところだったと思いますが、増元るみ子さんと市川
修一さんが拉致されたというところにまず行きました。しかしそこは、白砂青松、季節によってはウミガメが卵を産みに来る、大変きれいな海岸でございます。正直申し上げて、その時点では、その後の展開というのは知る由もない時期でございましたから、本当にこういうところで北朝鮮によって拉致というのがあったんだろうかと、私もそういう思いがあったということを、その後の展開の中で、自分自身も取り組みについてじくじたるものを感じているところがございました。
その後、総理秘書官になって四年半務めている間に、皆さんも御存じのとおりの大きな展開が初めて見られたわけでございます。
この北朝鮮による拉致の問題というのは、私の知るところでは、昭和六十三年に、当時の梶山国家公安
委員長だと思いますが、国会で公式に北朝鮮による拉致ということを表明しましたけれども、実はその後も、政治のレベルにおいては、北朝鮮に対して真正面から向かい合うということが、少なくとも見えるものとしてはない状態が続いておりました。
それが、
平成十四年の九月十七日、小泉総理
大臣による第一回の訪朝によりまして大きな展開が出たというふうに思っています。そういった問題について、キーパーソン、やはり田中均さんという方が大変大きな役割を果たしたと思っています。しかし、その方ももう政府を去られた。小泉総理も今期限りで引退されると言っておられる。
その後、安倍
内閣、福田
内閣、麻生
内閣、続いていますけれども、自民党の議員が言うのもおかしいですが、来る総選挙も間近になっていて、場合によっては、麻生
内閣にとってもその後続けられるかどうかもその選挙の結果にかかっている、これが現実だと思います。
そうなってきたときに、私自身はまさにかいま見た程度のものでございますけれども、だれか、きちんと、その時期時期における展開について、もう一度疑問やあるいは確認しておく点について協議をする、意見交換をするということがこの後のために大事なんじゃないかと思うわけでございます。
相手が北朝鮮ですから、外交はいずれのものでも大変難しいですけれども、特に難しい
課題でもあると思うんです。彼らが出してくるシグナル、彼らが行う行動について、それが何の意図で、どういう経緯でそうなっているのかというのを、私たちは、ガラス張りならわかりますけれども、端々で、あるいは時期がたってから後に振り返って判断しながら、さまざまなシナリオを
考えて、そのシナリオを絞り込んでいき、さらには政治の意思によってそこに突破口を見出していくという、そういう手法しかないんだろうと思います。ある
意味でいえば、難解な事件を解いていく探偵みたいな目で見ていかなきゃいけないというふうに私は思っています。
その
意味で、まず押さえておきたいと思いますのは、
日本と北朝鮮の二国間の交渉で、この拉致の問題についての二国間交渉というのは最近進んでいないように思いますけれども、最近の
状況についてまずお伺いしたいと思います。