○
義家弘介君 私も教師のときたくさんのカラーパンフレットが来たわけですけれ
ども、そのパンフレットを渡したところで子供たちの心というのは実は動かないし、問題はどういう
教育をしていくかというところだと思うんですね。
私自身、だからこそ道徳の教科化を強く主張している。これはいろんな反対があっていい、しかし私は一貫してそれを主張してきたわけですけれ
ども、まず、例えば道徳なき性
教育は一体どうなるか。単なる性行為を教えることにつながっていくわけです。道徳なき
情報教育は一体どうなっていくか。これは有害
情報に触れながら、それに振り回されている結果になるわけですよね。道徳なき経済
教育はどうなるか。金持ちになればいい、手段は選ばないというような人間を当然つくっていくわけですよね。道徳なき薬物
教育は、結局、薬物に安易に手を出してしまうことになる。
つまり、午前中の谷岡
委員の
お話の中では、道徳観というのはいろんな経験をして醸成されていく旨の趣旨がありましたけれ
ども、私は本来、守るべき道徳観というのは当然スタートにあるべきだと思っています。
道徳教育をしっかりしていない上で性
教育をしていこうなんて、これとんでもないことなんですよね。
道徳教育をしっかりとしておかないで経済
教育をしていこう、これだってどれほど危険なことになっていくか。だからこそ、まず私なんかは、零歳から十歳までに大人を介することなく自由に社会
情報にアクセスできるツールを手にする前に、人間としてあるいは大切なものを持つ存在として守っていかなければならない倫理観、道徳心をしっかりと教えていく
責任が今こそ公
教育に問われていると思います。
というのは、核家族化が進んで、親たちも非常に多様化している、そして
道徳教育イコール価値観の押し付けでタブーとされてきた、その中で育った戦後世代が今親になっているわけですから、道徳とは何たるか、倫理とは何たるかというものが非常に希薄な親の状態なわけですね。だからこそ、学校の
教育の中で、特に小学校の中でどれだけ充実していくかということは今重要だと思うんですが。
先ほど、西田
委員の話の中でもありましたが、心のノート、道徳というのは本来私は価値観の押し付け、もっと正確に言えば、愛情に基づく価値観の押し付けであると私は思います。その中で、あの心のノートは考える
授業ですよ、この問題について皆さんはどう考えますかという。でも本来、愛する者としてこれは絶対に許されないんだ、例えば性
教育であったならば貞操の観念等も含めてしっかりと伝えた上での性
教育であるべき、薬物の
教育も全くそうなわけですね。
それで、心のノートの改訂、さらには現実には今心のノート配っていますけれ
ども、学校現場で私も道徳の
授業、幾つも見に行きました。しかし、
現状には心のノートなんか使っていないなんという実態が、文科省の届けでは九十何%使っているという数字が上がってきていますが、現場から上がってくる数字というのがいかにいいかげんなものなのかはもう既にお分かりになっていることと思います。現実に抜き打ちで道徳の
授業を見に行ってもらったら、その実態は分かると思います。それから、見せてもらったらまるっきり新品だった子供もいましたよ。
そういう中で、
道徳教育は駄目だという戦後の一部の流れの中で現在もそれは引きずっているわけですね。だからこそ、先ほどの英語
教育と同じようにしっかりとした
基準を示していかないと、家庭が、地域が、社会がと言うけれ
ども、じゃ果たして社会は本当にそれ教えられるのか、家庭は本当に教えられるのか。そもそも道徳観というのはもっともっと宗教的なもの、本当に倫理的、宗教的なもの、普遍のものとして伝えていく、もちろんそれを伝えたからって子供たちは言うことなんて聞きませんよ。必ずいろんな問題起こっていく。でも、問題が起こったとき、だからこの問題についてもう一回考える、そこで初めて
教育が生まれるわけですね。いいも悪いも示さずに、さあみんなで考えようといっておいて、具体的な深刻な問題が起こったときだけさあ大変だというのは、私はやっぱり無
責任であろうと思います。
だから、知と体、これについて様々な施策をしているのと同じように、この徳の問題はいいかげんな議論だけではもう済まない、凶悪事件、信じられない事件が起こっているわけですね。私なんかは、じゃ今度どうするんだという人がいます。例えば教科にしたら教科書も必要で、教える人がどうか、あるいは
評価はどうするのかという話が必ず出てきますが、じゃ総合学習はどうですか、総合的学習の時間、導入されていますけれ
ども、別に専任はいませんよ、教科資格もありませんよ、教員免許の資格もありませんよ、さらに
評価も付けませんよ、さらに教科書もありませんよ。大切なものであるならば、我々はそれほどどうしてちゅうちょするのか、当たり前のこと、弱い者は守りなさいとか、例えば先人たちの記録、これをしっかりと読んでいく。
私、今
大学で
授業を持っていますが、先日二宮尊徳について生徒に質問したときに、どういう人か知らない人が圧倒的、
学生が圧倒的なんですよ。戦後のあの勤勉さが
日本の国体の中心になったみたいな形でどんどん壊されていったのかもしれませんけれ
ども。
先生からこの二宮尊徳像があったという
学生に何だって教えられたと言ったら、これ笑いましたけれ
ども、学校の七不思議の
一つとして教えられたと。四時以降に学校に残っていたら尊徳像が歩き出すって
先生に教えられたと、追いかけてくるというんですよ。本来、我々が習ってきた二宮金次郎、二宮尊徳、それがもう伝わっていないわけですよね。
そういうことを、歴史の教科書からも消えたからこそ道徳の中でしっかりと伝えていく
責任が私はあるんじゃないかと思うし、もし心のノート云々というんならそういうものを入れてほしい。例えば、中学校の心のノートの中には伊能忠敬ぐらいしか出ていないんですかね、やり直すには遅いものはないという。残りはほとんど出ていないような
現状なわけですよ。
だからこそ、心のノートに歴史的な偉人とか、そういった大切にしてきた道徳心とかをきっちりと書き込む。それはいかがお
感じになっているか。もう時間ですので、是非、最後に
大臣、お聞かせ願いたいと思います。