○山内
徳信君 日本の海軍軍縮が軍部の方から軟弱外交として批判された
歴史があります。
国会審議の中で制服を着た
軍人が黙れと言ったことがあります。そういう流れの中で、私たちは五・一五を学びました。二・二六事件を学びました。そして、いよいよ日本は大陸への、東南アジアへの侵略戦争、挙げ句の果ては太平洋のハワイの真珠湾攻撃までやってのけて、そして結果は広島、長崎に原爆投下され、東京の大空襲、一夜にして十万も死んでいったと
記録にはあります。沖縄は半年にわたって日米の唯一の地上戦でしたが、それはまさに地獄の状況でございました。
その結果、日本に平和憲法ができて、基本的人権も尊重されるようになって、主権在民の世の中になって、
自衛隊ができて、今日
自衛隊の
中身がどうなっておるか。それはもう既に、今までの
委員の皆さん方からの
指摘ではっきりしております。このままの状態だと再び戦前の轍を踏む、そういう危機感を持っているのは私一人ではないと思います。与野党問わず
国民すべて、
自衛隊はやはり逸脱していかない、こういうふうな思いでおると思っておるわけであります。
さて、私は、
論文について少し触れたいと思います。
私は、この
論文なるものを読ませていただいたときに、果たしてこれを
論文と称していいのかというところまで疑問を感じました。
論文というのは少なくとも、やはり学位
論文とか卒業
論文とか、相当時間を掛けて研究して積み上げていったのが
論文だろうと、こういうふうな思いがあったからであります。
そして、テーマは、課題は、真の近現代史。私は、これを読んだときに、なぜここに真のというのが出てくるのかと、課題を与えた方にも問題があると私は感じました。それに九十四名の
自衛官の諸君が
応募して、その頂点に立ったのが
田母神、当時の
航空幕僚長。トップに立った方です。その方が出されたのが、「日本は侵略
国家であったのか」と、こういうテーマで
論文を出していらっしゃいます。
私は残念に思いました。そういう職責にある人は、やはり、なぜ硫黄島の戦跡の
調査研究に行かれたのか、なぜ沖縄戦の
調査に行かれたのか、そして、なぜ戦前の日本のやった、その日本軍のやった
行為の検証とか反省とか、そういう反省がどうして今の憲法に収れんされてこないのかと。そこまで大変な状況に日本の
自衛隊は陥っておるということであります。
そして、悲惨なアジア太平洋戦争を大東亜戦争に置き換え、それを肯定し評価をするというこのやり方。私に言わせれば、
田母神さんのあの
論文なるものは事実に反する。侵略戦争とか植民地支配というのは日本の
歴史学会ではもう学説になり通説になっておるのを、
自衛隊の中では、あるいは
国民の間で一部おりますよ、一部おりますよ、靖国との
関係とかあるいは沖縄における教科書問題、沖縄県民の集団自決は日本軍の関与は今まで書かれていたのに、それは教科書から削っていくと。だから沖縄県民は、十一万五千人が怒りを持って県民大会に結集したんです。
そういうふうにして、
田母神論文は
歴史の真実を語らず、一部を語って
歴史を歪曲し、
歴史を改ざんしておると。沖縄戦の中を生き残った一人の人間として、
歴史の改ざん、真実を語らない、そういう
歴史は
歴史ではありません。独り善がりであります。そういうふうなことを、私はこの戦争の中を生き残った日本
国民の一人として、今力を込めて、
自衛官のトップにおられた
田母神さんに申し上げておきます。
そして、私は
田母神さんの話を聞いていて思いました。日本は悪い国だと言われたくないためにとおっしゃっていましたが、日本は悪い国じゃないんです、私はどこへ行ってもそんなことを言うんです。これほどいい国がありますか。これほど水も緑もいっぱいあって、人も良くて、地方にはそれぞれの地方語があるじゃないですか。
私が
指摘しておきたいのは、悪いことをやってきた日本の戦前の侵略戦争、植民地支配、そのことが問われてこなければいかぬのです。その結果として平和憲法が生まれたじゃないですか。したがいまして、悪かったこと、教訓にしなければいかぬこと、反省しなければいけないことは、
政府はもちろん、現職の
自衛隊諸君も、そういう視点に立ってやはり
国家観とか
歴史観を持たなければ、一部偏った
歴史観、偏った
国家観を持つと、そのやいばはどこに向くかは戦前の日本の軍隊が示しておるじゃないですか。問答無用と言って、時の犬養首相に銃弾が撃ち込まれたじゃないですか。違いますか。
そういうことを、私は今怒りと、あるいはこの時点で訴えておかなければいけないことを申し上げました。一言でいいですから、私のこの
見解に対して反省するところがあるかないかだけお尋ねいたします。