○
長島(忠)
委員 うまくいっているところとまだまだ意識が薄いところとあるという認識を持たれているということですから、あえて申し上げると、私は、どっちかというと
田舎で
災害でしたから、濃密過ぎるぐらいの
人間関係の中で
被災をしました。だから、知らなくてもいいことまで知っている
間柄の
被災でしたから、隣の人がどこに行っている、隣の奥さんはどこから嫁に来たまでわかる
間柄で
被災でしたから、そういう
意味では、ある
意味コミュニティーが濃過ぎるぐらいの
関係の中でおりましたから、やはり
連携はとりやすかったと思うんです。
私は、
災害を受けて、最近、都会の方にこういう話をよくするんです。
災害のとき、
災害を受けて初めてわかったことがある、隣に人がいることほど心強いものはない、それは、ふだん
あいさつをしようがしまいがではない、隣に人がいたら、必ず
自分が困っていたら
助けてくれる、それがやはり
日本人の信頼だろう、そんな話を実はさせていただく一人なんです。
ただ、
きっかけだと思うんですね。そのことを信じられて
あいさつをできるという
きっかけをだれが与えてあげることができるのかだ、私はそう思うんです。
だから、私は、
マンションに住んでいる人はうらやましいと言うんです。
マンションに住んでいる人は
コミュニティーが薄いと結構
皆さん言われているんですけれども、
マンションは実は
長屋の
高層住宅でしょうと私は言うんです。
長屋と言うんですよ。
私は
仮設住宅は
長屋だと
思いましたから。玄関あけたら隣なんですよ。隣のおばあちゃんがつくった大根煮を届けてくれたり、まさに、
日本人、我々農村も失おうとしていた
コミュニティーを見事によみがえらせてくれたのが
仮設住宅だと私は思うんです。だとしたら、
マンションは
長屋の
高層住宅だ、ただ足りないのは
あいさつをする
きっかけだ、それをだれが与えてあげるのかということだと思うんです。
だから、隣に人がいることほど心強いものはない、それが
内閣府の
メッセージだとしたら、
災害のとき、どんなことがあっても隣の人はあなたを見捨てないという
メッセージだとしたら、やはり
情報を
共有することにそんなにいつまでも消極的ではないような気が実はするんです。だって、きのうから
一緒に住んだ
マンションの人に、我々
田舎みたいに五代も六代も長い
間地域に暮らしてきたと同じ
人間関係をつくれという方が多分無理なんだと思うんです。最後はやはり、だれかが発信をしてあげて、隣に人がいることほど心強いものはないという
情報伝達の方法を、ぜひ
内閣府は各
自治体に主導して伝えられるようにしていただきたいな、私はそんなふうに希望をしていきたいと
思います。
特に
災害弱者、
東京でも、決して
寝たきりの人がいないわけではありません、
高齢者がいないわけではありません、そして、人の手
助けを必要とする人がいないわけではありません。そういう人の
情報をきちんとお互いにわかり合っていることが、
災害が起きたときにやはりいち早く立ち直ることだということを、絶えずやはり繰り返し伝えてほしいなと
思います。
もう
一つ、
被災地には非常に大きな、通常ではない
精神状態が実は起こります。私らみたいに小さな村でも、村を空っぽにしたために、たった一人の人が
避難所で、知らない人が村に入っていたと朝言ったとしますね。そうすると、次の人は、知らない人が
うちに入っていたと言うんです。そして次の人は、
うちの中から何かを持ち出した人がいると言うんです。そして、その次の人は、村に泥棒が入っている。一日の
うちに、あっという間に、
誤報が
誤報を呼んで
パニックを引き起こしそうに実はなるんです。
ですから、私は、
都市型災害を受けたときに、
人命を
助けるいわゆる
災害救助、それから
災害復旧もさることながら、
被災地を混乱させない、やはり
治安をきっちり守る、
治安を維持するという
観点がどうしても欠かせないような気がするんです。
事前にお聞きをしたところ、
治安の
対策には
警察庁がお当たりになるんだというふうにお聞きをしております。日本は性善説の国ですから、
犯罪が起こらない限り
警察も多分踏み込めない、逮捕ができないという事柄があるんだと思うんですけれども、
被災地の中で不安になったりしたときに、
パニックになりやすい心境ができたときに、きっちりと町を守ってあげるという
役割を果たす人がきちんと町の中にいてくれることほど心強いものは多分ないんだと思うんです。
ですから、例えば
東京で
直下型地震が起こって、さっき一番
最初に
お話を聞いたように、六百五十万人の
帰宅困難者が出たときに、その
人たちを含めた
治安対策を
警察庁としてどんなふうに考えていらっしゃるのか、少しお聞かせをいただきたいと
思います。