○自見庄三郎君
民主党・新緑風会・
国民新・日本の統一会派でございます。統一会派として
国民新党の副代表をさせていただいています
参議院議員の自見庄三郎でございます。
今日は、
民主党さんの本当に御配慮によりましてこういった質問の時間をいただきまして、大変
政治家としてお礼を申し上げる次第でございます。
今日は、
福田総理始め各閣僚に、本当に私の
思いのたけを
皆様方にきっちりぶつけていきたいと。どうも今の日本の国はおかしい、何かおかしい今の日本、そのことを我々は、
与党、
野党はあっても、お互いに国権の最高機関の
国会議員として直していかねばならない、そのことを深く思って今日質問に立たせていただく人間でございます。
それではまず、(
資料提示)
福田総理、リンカーンという大統領がおりますね。有名な、ゲティスバーグで人民の人民による人民のための
政治だと言いましたね。リンカーンの言葉にこういう言葉があるんですよ。
福田さん、
総理、聞いてください。大多数の人間を短い間だますことはできる、少数の人間を長いことだますこともできるというんです、しかし大多数の人間を長いことだますことはできない、これが民主主義の大前提だというのが、リンカーンの有名な、私は、言葉なんです。
福田総理、この前、これ見ていただいたら分かるように、私も町村官房
長官も
額賀福志郎財務大臣も甘利
大臣も、我々は八三年に
国会議員にならせていただいたんです。当時お互いに三十八、九で若かったけれ
ども、これ見ていただいて分かるように、ずっと日本のGDPも実に伸びて、それから
国民の一人当たりの所得も伸びて、
考えてみれば本当に古き良き時代でしたよ。
私は昭和二十年十一月五日生まれですけれ
ども、私が十歳のとき昭和三十年に、日本国は十八年間平均一六%の経済成長をしたんですよ。そして、その後、今度は十六年間平均九%の経済成長をした人類ただ
一つの国家なんです。そして、アジアでありながら、
総理、G8の国、日本国だけでしょう。アジアの貧困から脱出することができたただ
一つの近代国家、今中国も頑張っていますけれ
ども、これ日本国なんですよ。私は小学校の三年生でしたよ。
考えてみたら一九八九年まで、米ソの冷戦構造が終わるまで実にいい伸びやかな時代に育ったと思っていますよ。
ところが、私は前半にも責任ありますが、この後半、だあっともう九〇年の後半からGDPがもう伸び半分、二十五年前と一緒ですよ。
国民一人のGDPは、
総理、一九九六年、世界で一番目か二番目だった。今、十八番目に落ち込んでしまったんです。そして、本当に
国民に夢がない、希望がない、何かおかしい今の日本だ。
総理、この前、私は
民主党の小沢一郎団長に同行させていただきまして、
国民新党でございますが、副代表として中国に行かせていただきましたよ。四十五人のはじけるような
民主党の新人の
国会議員もたくさん行かれた。
胡錦濤さんとお会いしまして、まあいろいろ言われるけれ
ども、私は小泉純一郎さんって
総理は極めて、私に言わせれば、変人奇人だって言った人がいますけれ
ども、従来の
総理大臣と違っていると
思いますよ。
今までの
総理大臣っていうのは、
福田さん、あなたのお父さんも含めて、ちゃんと右手でアメリカともヨーロッパの国とも握手をしながら、左手は、我が国は日本国ですから、ちゃんと中国始めアジアの国と握手したんですよ。ところが、小泉純一郎さん、両手でブッシュと握手した。だから、私は、小沢一郎さんが中国行ったことは大変に歴史的
意味があると思っているんですよ、
参議院の第一党になった人ですから。その後、
福田総理も中国に行かれた。私、そのことを高く評価していますよ。
総理、
総理、孔子の生まれたところ行かれましたね、孔子の生まれた山東省の町に。何で行かれたんですか。行かれた理由、あるいは感想があったら申し上げてください。