○有村治子君 ありがとうございます。自由民主党の有村治子でございます。今日は、
大臣、副
大臣、お忙しい中本当に御協力をいただいて、このような質問をさせていただけることを大変有り難く、光栄に存じております。
日本が置かれている
現状にかんがみて、
日本の将来のあるべき姿、また私たち
国民のライフスタイルがどのように変わっていくべきなのか、
考え方、社会をとらえる感性というものをどう磨いていくべきなのか。新しい心地よい
時代をつくっていく先頭に立っていただく
大臣の皆様に御
意見を承りたく、また私たちが共になすべきことを
考えるきっかけになれば大変有り難いという思いで質問を展開をさせていただきます。
御公務の
関係で先に退出されねばならない渡辺
大臣から
お話をまず伺ってまいります。
大臣の
所信の中に、「
我が国の官僚機構は、かつては
日本の復興、高度成長を支える原動力として、内外から高い評価を受けていました。しかし、
現状では随所に
機能不全が生じ、
国民からの不信感も高まるばかりです。」と断言されたお言葉がございました。このお言葉を聞いて、相変わらずきっぷのいい
大臣の、断言される、信念を持ってのお言葉だなというふうに受け止めると同時に、そのようなことをおっしゃらなければならない
現状と格闘していらっしゃる渡辺
大臣のお気持ち、ああここまでおっしゃらなきゃいけないのかというふうに思うと少し寂しいような気持ちもいたしました。
先日、私は一冊の本、冊子と巡り合うことができました。この本を、人事院からお配りいただいたようなんですけれども、手にすることができたことを大変有り難いことだと思っています。これは、人事院の総裁賞ができてから二十周年の記念で、全国で働いている
国家公務員の中で特に使命感と誇りを持って働いていらっしゃるその
国家公務員の仕事と素顔ということを報じたものでございました。
その中には、例えば法務省の医療刑務所長の方、精神的な疾患を持つ受刑者を治療するために独自に療法を開発したり、刑務所に併設された准看護師養成所において後進の育成にも当たられるなど、受刑者の円滑な社会復帰に向けて仕事をしていらっしゃる
方々。あるいは、人里離れた生活の著しく不便な地において、多年にわたり砂防事業を実施され、社会から隔絶された地で合宿しながら、大変な精神的な労苦を伴いながら、
日本の砂防技術は立山で生まれたと言われるほどの困難な砂防事業を百年以上にわたってやってきた、富山平野を土砂災害から守ることに専念をしてきた北陸の地方
整備局。あるいは、厳しい自然と不便な生活の中で、台風が常に襲ってくるという沖縄本島から東に三百九十キロのところで、本当に全国から派遣された
職員もその家族も、へき地医療さえもそろっていないところで、島で困難な体験をしながら
日本の台風のそんな予測を守っている。あるいは、不審船で大変危険な中で、自らもその攻撃を受ける中で不審船をしっかりと捕捉するなど、非常に命の危険も顧みずにやっていらっしゃる
国家公務員がこんなにたくさんいらっしゃるんだということを知りました。
この選考に当たった高橋克彦さんという作家の方が最後に講評を残していらっしゃいます。非常にいい文章なので、数行だけ読ませていただきたいと存じます。
世の中には何と過酷な仕事があり、何と真摯な人々がいることだろう。もし私がこの選考にかかわることがなければ、
国家公務員の仕事について私は一生
認識不足のまま過ごしたに違いない。いや、これは決して私に限らず、大方の
国民が描いているイメージでもあろう。しかし現実は違った。どんなに大金を積まれたとしても引き受けたくない仕事が山ほどある。国のために働く人間なればこそ嫌でも取り組まなくてはならない仕事が幾らでもあるのだ。選考する側という栄誉より、私にはこの事実を知り得たという喜びの方が大きい。こういう人々の踏ん張りが
日本の品格と国威を支えてきたと言ってもいい。この賞の存在はもっと広く伝えられるべきだと本心から思う。どれだけ多くの
国民がこの国に誇りを持つようになることだろう。少なくとも私はこの国を見直したという発言を残していらっしゃいます。
実際に、例えばサリンの
事件では、一立方メートル当たり百ミリグラムのサリンがある空気を一分間吸うと半数の人々が死ぬという猛毒の中で、また、サリン
事件でどうやってサリンを確定すればいいのかの検出方法さえ分からない中で、自らも防護服を着ながら、何とか猛毒ガスのサリンについて試行錯誤を重ねられた科学
研究鑑定チームとか、あるいはベトナムの
政府からの要望によって、まだ治療法や診断法が確立されていないSARSが勃発したときに、本当に自らの命ということも顧みずに、国の要請に基づいて、ベトナム
政府からの要請に基づいてその地に赴かれた
国家公務員がいらっしゃる。こういう
方々の貢献があって
日本があるということはもっともっと知られていいものだと思いました。
私自身、常々感じておりますが、
国家公務員の皆さんにとって、公僕としての誇りというのはある
意味で最後のとりでだと思っております。とても大事なことだと私は信じています。というのは、
国家公務員がよこしまになって損害を被るのは私たち
国家国民であるからです。
と同時に、厳しい現実もございます。年度末に向けて暫定税率の期限切れの期日が近づいております。私自身も予算
委員会に
出席しながら、それぞれの与野党の同僚議員の
先生方が展開される質問のその
答弁を聞いていると、一体どうしちゃっているんだろうというふうに義憤を感じずにはいられないような予算の執行
状況がございます。例えば、道路
関係予算を使ってマッサージチェアを買ったりミュージカルを全国で百か所以上開いていたり、あるいは道路建設の
調査という名目で数百万円、時には数千万円、余り効果がないんじゃないかと思われるようなそんなところに
調査というような項目で予算が落とされていたりします。やはり、これをおかしいと思う官僚がいなかったのかなというふうに思うと非常に残念に、私自身、フェアに聞いていて思うことが何度かございました。
やはり、これだけ大変な
時代、これから少子高齢社会になっていく中で、ますます
国家運営が厳しくなっていく上で、国力を温存するという
国家戦略を先頭に立ってやらなきゃいけないのに、官僚の一部の
方々は浪費の先頭に立って、そのこと自体がおかしいと思っていないという強弁をされる姿、フェアに見ていて大変見苦しい。正直、
国家運営の感覚がみじんもないような姿に大変寂しい思いを私自身いたしました。
本来、公僕として公益あるいは国益のために仕事を遂行する官僚から、常識人としての正常な感覚や民に率先して範を示そうといった気概、あるいは
日本をこれからしっかりと踏ん張ってつくっていこうというリーダーとしての自覚を奪ってしまった社会の損失は大きいな、その原因の一端はマスコミや私たち政治家の
責任も重いものがあるなというふうに自ら自戒の念を強めました。
そこで伺います。
渡辺
大臣のような突破力、影響力のある方、また世論に対するアピール力をお持ちの方は
是非引き続き王道を歩んでいただきたいと存じます。行政システムの改革のみならず、
国民と公僕の心理的な距離を縮めて、敬意のある社会、犯人捜し、レッテル張りに躍起になる社会ではなく、それぞれが
見えないところでそれぞれの持ち場で踏ん張っているということに敬意、称賛をしっかりと示していく社会をつくる前線に立っていただきたいと存じます。官僚をたたいて民意をあおったり、あるいは迎合するのではなくて、その
国民対官僚という対立的概念を払拭する前線に立っていただきたい。具体的には、
国家国民の未来に向かって貢献度の高い優秀な官僚が報われるように苦心していただきたいと存じます。この点について、渡辺
大臣の御所見を伺います。