○
参考人(
大野泉君)
大野と申します。よろしくお願いいたします。
本日は、新しい
日本の
ODAを語る会の共同幹事の一人といたしまして、一昨年の七月から昨年の十月にかけて非常に白熱した議論を
関係者で行いまして、その最大公約数とも言える
意見を集約する形で取りまとめさせていただきました
提言、皆様のお
手元にこのパンフレットとそれからこのパワー
ポイント形式の
資料があると思いますが、こういったものをマニフェストとして、私的マニフェストとして
提言させていただきました。今回、そういったものを紹介させていただく
機会をいただきまして、本当に有り難く思っております。
本日は、この二つの
資料を基に御説明させていただきたいと思いますが、私自身、今の
政策研究大学院大学に参る前は
JICAで
日本の技術
協力それから
世界銀行それからまた
日本に戻りましてJBICで円借款といった業務を担当したこともございまして、非常に異なる職場で
援助の実務を経験してきました。そういった経験を通じて、
日本の
援助の良さというのを非常にしみじみ感じたんですね。と同時に、やはりもっと良くできるんじゃないかと、そういった
可能性も感じました。そういった経験も踏まえまして、今
大学を拠点にして、外部という立場ではありますけれ
ども、外から
ODA政策の分析とか
調査、
提言を行っていると、そういうことでございます。
こういった経験に基づく問題意識とか、まさにお二人の
先生方がおっしゃられたように、今年、二〇〇八年というのは
日本でいえば開発の年ということで、よく考えますと、これは四十年に一度のもう絶好の
機会なんですね。
TICADは五年に一回、それから
日本が議長国となってサミットを主催する、これは八年に一回回ってきます。こういった千載一遇の
機会にやはり
世界も注目していると。
日本として開発の分野でどういったメッセージを出していくのか、それを本当に真剣に考え、その
機会を使っていくことが必要じゃないかというふうに思いました。そういったこともありまして、有志の方たちと集まってこういった活動をしたわけでございます。
加えて、この
資料を御覧いただけると思いますと、今年は秋には新
JICAが発足いたします。
一つページをめくっていただくと幸いでございますが、御承知のようにこれは数年前から始まっていた
ODAの本格的な実施体制の改革がこれをもって形式的には完了するわけですね。ですから、戦略的なレベルでの改革それから
外務省の政策立案機能の強化それから今年の秋で新
JICAができるということで実施レベルでの体制的な整備が整うということで、そういった
意味では
世界最大級の二国間の
援助機関が誕生するということで
援助効果が更に改善するだろうということで、やはりこれも
国際社会は
日本に大きな期待を寄せていると思います。
そういう中で、有志が集まってつくってきた活動なんですが、どういうことをやってきたのか、どういう会なのかといったことをちょっと簡単に御説明したいと思います。
このマニフェストの冊子の一ページ目に「はじめに」というページがございます。そこの
最初の行が、「
日本の
ODAは、今、「崖っぷち」に立っています。」と書かせていただきました。この言葉にはまさにこの会に集った
人たちが抱いた共通の
危機感、それが集約されているのじゃないかと思います。
横田先生や
渡辺先生がおっしゃったとおり、
日本の
ODAは五位に転落したというような残念な知らせが最近報道されていますが、そういった
危機感というのが現実になりつつあるんじゃないかというのが共通の認識です。
そういったことを背景にして、一年以上にわたりまして、政界とかマスコミ、産業界、NGO、学界、官界それから
援助実施
機関の方たちなどがこれは本当に半ば自発的に集まりまして、皆さん本当に手弁当で、それで
日本の
ODAが直面する課題は何なのか、何を変えればいいのか、どうすべきなのかといったことを本当に真剣に議論しました。本当に使った
予算というのはこの冊子を印刷した
予算だけです。
この冊子の恐らく
最後の方の十二ページ目に問題提起者と取りまとめチームと書かさせていただいています。御覧いただけますように、まさに
マルチステークホルダーによる取組でございまして、政界からも大きな御
協力をいただきまして、昨年度は
ODA特別委員会の当時筆頭理事を務めてくださった阿部先生、それから今日御
出席いただいております犬塚先生、それから遠山先生にも
お話ししていただきましたし、谷合先生にも
会議には参加いただきまして、その後もいろいろ激励をいただいております。そういったこと、それからまた
ODA有識者会議のメンバーの
方々も何名か御参加いただいていると、そういった取組でございます。
次のページなんですが、そういったことを踏まえた、作ってきたこのマニフェストの幾つかのメッセージというのを御紹介したいと思います。全体像というのはこの冊子の小さい二と三といったところで、三十の
提言一覧表と書かせていただいています。そこを御覧いただけますと、全体で十の課題に基づいてどういった
提言をつくらせていただいたかといったことが御覧いただけるかと思います。
例えば、理念と戦略につきましては国会を含めた政治のかかわりを強化していくということ、それから
途上国の現地の体制を強化するためにタスクフォース、
ODAタスクフォースもより効率的に働けるようにするということ、それから
世界の
援助潮流をリードするために基本的な発信メッセージを明確にした上で、例えばシンクタンクみたいなものをつくってみようじゃないか、それから
国民参加ということでやはり
ODAの広報というのを改革しよう、実施体制とかいろんな
制度を行政改革していこう、それからもちろん
予算の問題ということを含めても経済水準にふさわしい
ODAの額ということと同時に、一般会計
予算とともにいろんな財源ということも考えていこうじゃないかというような話、それからキャリアパス、
人材育成の話、官民連携の話、
アフリカ支援と、そういったようなことを網羅させていただいております。
こういったものを貫くメッセージとして三つほど強調したいことがあります。こちらのパワー
ポイントの
資料の方に目を向けていただければと思います。
三つほど挙げたいと思うことは、
一つは
ODAから国際
協力へといった
考え方でやっていこうじゃないかということ。それから二つ目は、
日本と
途上国の現場それから
国際援助社会というそういった三つの場、そこを軸に考えて、そこのそれぞれの場で有効な
援助をしていこう、国際
協力していこうということ。それから三つ目ですが、これは自助努力支援とも重なるメッセージですが、卒業のための
援助といったことを基本メッセージにしていこうじゃないかということです。
簡単に
一つ一つ説明させていただきますと、まず
マルチステークホルダーによる国際
協力をというところなんですが、これはもう十年以上にわたる
ODAの
予算削減というのは非常に悲しいことでありますが、やはりこれは根本的な問題が、理由があるんだと思います。それは
日本にとって何のための
ODAなのか、私たちの日々の生活とどういうふうにつながっているのかと、やっぱりそこが一人一人の
国民のレベルでよく分からないというところだと思います。ですから、やはり理念とか戦略性については、それをより開かれた、
ODAを超えた広いコンテクストで議論していくと、そういった場が必要じゃないかというのが私たちの問題意識です。
日本が
トップドナーだった九〇年代までは、
国民各層で広く議論をしなくても、恐らく政界も財界も多分時代ごとに、あるときは戦後賠償だ、あるときは高度成
長期の輸出の促進だ、あるいは冷戦時代の西側
援助だなどなどいろんな理由からアジア重視だということについてのコンセンサスはあったと思います。また、黒字還流が国策だったという時期もあったと思います。
ただ、冷戦も終わって国際的な
援助環境が非常に変わっている今、例えば市民社会が台頭しているアジアの
援助から卒業国が出てきている、新興ドナーが出てきている、それから
アフリカ開発に国際的な関心が集まっている、そういった中で
日本としての
世界観を問い直すことなく今に来ているために、やはり
ODAの戦略性といったことが不明確だといったことになっているんじゃないかと思います。
という
意味では、進行中の
ODAの体制改革は非常に画期的だと思いますが、三層というような構造の枠組みを超えて、やはり一歩進んで民間や
国民の参加を含めた四層構造というふうに、これは
有識者会議の中間
報告でも名付けていますけれ
ども、そういった発想で取り組む必要があるんじゃないかというのが基本的にございます。
そういった
視点から幾つかの仕掛けというものを
提言させていただいています。これは例として書いてありますが、幾つかもう少し具体的に御紹介したいと思います。
次のパワー
ポイントのページをめくっていただけますでしょうか。
これは現在の
日本の
ODAと四層構造、オールジャパン、
マルチステークホルダーによる国際
協力、進むべき方向といったものを図示したものです。
外務省の
有識者会議の中間
報告でも同じような発想ではありますけれ
ども、恐らく一層、二層、三層という言葉遣いが若干違います。ただ、これは序列を言っているのではなくて、政策の体系、
流れからこのような形で付けさせていただいているだけです。
まず、現在の三層構造といったことを考えたときに何がやはり問題かというと、一層と民間と
国民、ここは非常に政治と
国民というのは関連しているわけですけれ
ども、そこと
援助業界と言われる二層、三層、
政府と実施
機関、そこのかかわりが非常に断絶しているということではないでしょうか。
ODAの
予算の削減というのは確かに二層、三層の
援助業界
関係者、私も含めてですけれ
ども、それにとってみれば深刻な問題ですけれ
ども、政治家や有権者にとってみれば必ずしもそうじゃないというのがやっぱり現状じゃないかというふうに感じています。特に、やはり
国民の今の関心というのは、医療であったりとか年金であったりとか教育問題とか地方の活性化とか、そういったときにやはり票にならないといったことを皆さんよくおっしゃられます。
そういう中で、しかもこのように国際
環境が変わっていく中、やはり司令塔たる第一層が今こそ
世界の中の
日本とかその中で国際貢献という
観点から
ODAをどう位置付けるのかと、そういったような議論をしてほしいと。ただ、必ずしもそこでの議論というのが司令塔において
透明性ある形で伝わってきてないと、そういったような課題もあると思います。また、それがゆえにということもあると思いますが、行政、
政府に対してどういう戦略に基づいて
予算を配分していけばいいのか。重点国、
重点地域、重点分野、
多国間、二国間の
援助の配分の仕方、その辺がよく分からないということがあって、それで
外務省を含む総合調整機能を担う
関係省庁も恐らく苦労をしているということもあるのではないかというふうに思います。
ということで、提案したい四層構造というところを下に書いてありますが、これは実は犬塚先生からは図をドーナツ型にして一層と四層はくっつくようにした方がいいんじゃないかと、そういった御提案をいただきまして、まさにそのとおりなんですが、もう印刷してしまったものですから。でも、気持ちはそういうことでございます。
ですから、やはりそこを凝縮してみんなでやっていこうというのが趣旨です。そのための仕掛けとして幾つかあるんですが、限られた例を言いますと、やはり
ODA政策に対して国会のかかわりをもっともっと強めてほしいと。私はこの
参議院の
ODA特別委員会というのはすばらしい
機会だと思いました。ただ同時に、ほかの
援助国を見てみると、もっと国会が強い役割を果たしている国もあるんですね。
ですから、そういった
意味で、国会に専門
委員会を、
ODA政策も含めた専門
委員会を設置するというような話、それからやはり司令塔におきまして、これは官民から成ります諮問
会議といったものも開いて、それで民間の声を吸い上げた形での戦略ということを作るということができるような体制にしてはどうかというような話。そして、
外務省が
援助政策を一元的に立案、調整することを前提として新
JICAが三つのスキームというのを統合的に、一元的に管理しながら実施していくと、そういったような仕組みをつくるということ。
それから、やはり国際
協力戦略シンクタンクという
提言をしておりますが、これは官主導ではなくて民にも開かれた形でこういうシンクタンクを
JICAの研究所とはまた別につくって、そこでもちろん国際的な
援助潮流とか
援助のグッドプラクティスな
ども整理、体系化すると同時に国内での国際
協力についての議論を喚起していくと、そういったことも必要じゃないかというふうに思います。
また、官民連携の重要性というのは
渡辺先生が
お話しされたとおりだと思います。そのための仕組みづくり、
マルチステークホルダーで議論するような協議会の場をつくろう、ミクロの
制度設計をしようというようなこと、それから広報の改革とか、より
人材の流動性が高まるようないろんな職場で国際
協力に携われるようなキャリアパスをつくっていこうと、そういうための仕組みとして
人材育成センターというのも提案させていただいております。
そういったようなもし広い基盤ができれば、国際
協力がみんなにとって身近になって、
予算の
増額の話、財源面の改革、例えば国際航空税とか消費税の一%を振り分けてはどうかと、そういった提案も私たちはしておりますけれ
ども、そういったことに対しても、なぜなのかといったような理解がより得られるようになるんじゃないかというふうに思います。
次のページですけれ
ども、三つの場で有効な理解される国際
協力をと書いてあります。
つまり、この
日本それから
途上国の現場、
国際援助社会と、この場それぞれにおいてやはり
効果があって理解されて、そしてしかも同時にこの三つをつなぐ形での
協力というのは非常に重要じゃないかというふうに思います。つまり、そのネットワークも強化した上で
日本の中にある良い経験、良さといったものをやはり
途上国のニーズに合う形でこたえていくと。その結果というのをベストプラクティスとして
国際援助社会にも発信していくと、そういうような体制ができないかということです。
そのためにやはり幾つかやるべきこともあって、
途上国の現場における現地の体制を強化する、これは
ODAタスクフォースを強化していこうというような
提言ですが、具体的にはこのマニフェストの中でも書かせていただいていることは、特に新
JICAが設立されるということを考えたときに、やはり
JICAの権限といったものを強化して、現地では例えばタスクフォースの
事務局機能を担うなど、そういう形で恒常的に
開発援助に携わるプロフェッショナルたちが大使館あるいはほかの
関係機関、民間それからNGOの方たちも含めた形で連携しながら活動していけるようなそういった体制ができないかというような提案もさせていただいております。
同時に、新
JICAの
調査研究機能を強化して、良い経験といったものを体系化していく、
日本の比較優位に基づいた経験というのを発信していく、そういったこともやっていってほしいと、プラス、シンクタンクといったものができれば非常にいいと思います。
それから、三つ目ですけれ
ども、基本メッセージとして私たちが出したいと思っているのは、卒業のための
援助をということなんですね。これは自立のための支援ということでもありまして、基本的な
考え方というのは、
援助はやはりやめるために
援助するというのが根本だというようなことを再確認することです。
非常に
日本人にとってみれば当たり前なのかなというふうに思われるかもしれませんが、やはりチャリティー精神が非常に
中心となる欧米のドナー、
援助国にとってみては、彼らは必ずしもこういうふうに考えていないと。いずれは、もしかしたら
自分たちの競争相手にもなるかもしれない、あるいはパートナーなんだと、そういったような
考え方というのは余り強くないと。これはやはり
日本自身が
最初の
先進国に仲間入りした非西洋
国家であり、また
自分たちが
自分自身の努力によって、自助努力によってここまでの経済的な地位を築いたと。同時に、そういった経験を共有しながら東アジアの諸国と一緒に
援助を通じて歩んできたと、そういったことだと思うんですね。
ですから、
日本が自らの東アジアにおける経験を糧にして
世界が共通に直面している課題に対して取り組んでいくといったこと自体が、
途上国のニーズにこたえる
意味でも、やはり
日本にとっても非常に
意味があることではないかというふうに思います。
そういった
意味では、成長を支援していくといったことが重要になりますが、同時にそれは成長自身が包括的じゃなきゃいけないと思いますし、社会的な安定、社会的な
貧困削減というのも同時にもたらさなきゃいけないということで、
環境面とか格差の問題とか社会的な問題とか、そういったことにも対応していくと、そういった取組です。
四月の初めにG8の開発大臣会合が開かれましたが、そのときの議長総括を読んでおりました。そうしましたら、まさにそういったような趣旨が生かされたような議論がなされたというふうに聞きまして、ここはその総括の抜粋を付させていただいておりますけれ
ども、やはり
日本としてはこういったことを自信を持って示していけるんじゃないかというふうに思いました。
次のページめくっていただけますでしょうか。
最後に一言ですが、
アフリカ支援について考えることを紹介したいと思います。
たまたまなんですが、
有識者会議のメンバーとして
アフリカの支援についても
渡辺先生を含め
会議の
先生方といろいろ話させていただく
機会がありまして、そういった
意味で
有識者会議の
提言と重なるところが非常に多いんです。
アフリカ支援というのは、やはりある
意味では
日本の
ODAの問題の縮図じゃないかと思うんですね。それは、例えばなぜ
アフリカなんだ、どこまで
アフリカを支援するのかといった理念の問題から始まって
予算の問題、現地の体制、人員の問題、やはりないない尽くしというのが現状でありまして、そういった
意味ではこの問題というのは本当に集中して考える必要があるというふうに思います。
それから、非常に
アフリカにおいてはいろんな
援助機関が活発で、活動しています。
援助協調も活発です。ある
意味では、
援助協調というよりか
援助競争じゃないかというような現場もあります。
配付させていただいた
資料の別添のところなんですが、幾つか図表を添付してございます。ちょっとそれを御覧いただけますか。
図表の一というのは、
日本の二国間の
ODAの
地域的な配分と
アフリカのシェアの推移というのをある程度
長期の期間見ているものなんですけれ
ども、この
比率というのは、二〇〇六年は、これは済みません、書いてませんが、三四・二%だったそうです。金額も非常に大きいと。ただ、これを除けばほぼ一〇%前後という推移です。なぜ二〇〇六年が多かったかというと、ナイジェリア等を含む
アフリカの諸国に、主にナイジェリアですけれ
ども、公的債務の債務救済をした、これが非常に大きくて、それを除いたいわゆる真水と言われる
部分ですけれ
ども、そこは五百億円強というふうに聞いております。ですから、これは恐らくベトナムとかインドネシアとか、そういったアジア一か国に対する支援よりかはるかに小さいわけなんですね。
また、ほかの
援助ドナーが
アフリカへの
ODAを増やす中、例えばこれは二〇〇五年は比較的多いですが、二〇〇四年と十年前とを比べてみますとほぼ半分に減っていると、そういったことがございます。
そういったことを考えますと、やはり二〇〇八年以降、もちろんグレンイーグルズの二〇〇五年のサミットのときの公約というのもありますし、そこは恐らく債務救済といったことを入れると多分
達成されるんだと思います。ですから、その後の、つまり
TICADそれからサミット、そのとき、これからどうしていくんだといったときに、
日本がどういうビジョンを持って二〇〇八年以降のビジョンをどんな形で示していくのかと、これは本当に考えていただきたいと思います。私たちは、やはり金額も含めて、もちろん中身も含めた形でのビジョンを示していただきたいというのが根幹にございます。
図表の二ですが、その下にございますが、これはアジアと
アフリカを比べると、DACの二国間ドナーの中で
日本はアジアでは今でも三割強と
トップドナーであると。ただ、
アフリカではやはり本当にこの中の
数字にも出てこないという形で、
援助金額では非常に小さいドナーだということが分かると思います。そういう中で、やはりきらりと光る有効な
援助をしていくためにはどうすればいいのかと。それはやはり選択と集中といったことはあると思いますし、いろんな
機関と連携してやっていくといったことがやはり不可欠じゃないかというふうに思います。
それから、次のページなんですが、図表三、これは
アフリカは意外と
日本に身近なんだといったことを示すために
外務省の
資料を活用させていただいています。
非常に歴史的にもそれから距離的にも遠いというイメージがありますけれ
ども、いろんな
意味で、毎日の食生活それから
資源といった
意味でも
アフリカと私たちって非常に強い
関係があるわけなんですね。ですから、そういったことを考えると、やはりこれだけの国際的にお互いに依存し合っているグローバル化の中で国際益と
国民益といったものは本当に不可欠ではないかと思います。
そういった中で、
アフリカの支援の
骨子というのを提案させていただきますと、そのパワー
ポイントのページに戻っていただきますと、これはマニフェストの
提言二十七で書いているのは、やはり二〇〇八年以降も贈与を含めた形で拡充していってほしいということ。
それから、やはりいろんなステークホルダー、民間の方、NGOの方も含めた形で
アフリカの支援の
在り方それから具体的な方法について議論する、そういった開かれた協議会をつくってほしい。特にこれは
アフリカから始めようじゃないかというような提案。
それから、やはり成功例をつくっていかなきゃいけないということで自立のための支援それから卒業のための
援助と、そういったことをできる
可能性がある国といったことを幾つか絞りまして、
援助増額分をやはりその国に集中して、本当に
長期的な
意味で人と
資源、体制を強化していくと。そういった
意味で成功例をつくっていくと。そういったビジョンというのを
日本の理念とともにアナウンスしていってほしいというふうに思います。
それから
最後ですけれ
ども、これはやはり官民の連携。やはり民間の投資、
アフリカが期待しているのは
日本の技術であり投資であり貿易の
関係であります。そういったことを考えていったときに、やはり
援助を超えて開発といったフレームワークで考えると、そういったときに民間の投資が来やすい形で、アジアよりかもっといろんな
意味でリスクが大きいと。そのためのリスクを緩和できるようないろんな
制度設計をしていってほしいということがございます。
これらが、私たちが感じました
アフリカの支援について特に強調したい点でございます。
最後に本当に一言だけ申し上げさせていただきますと、昨年十月にこのマニフェストを公表させていただいてから、発表のセミナーも十二月にさせていただきました。その後、いろんな
関係者から連携のお誘いもいただきまして、また
渡辺先生の御厚意もあって
有識者会議へのインプットもさせていただきました。経団連とかNGOの方たちとの
意見交換もいたしました。
あとそれから、
イギリスとか
アメリカにも出張いたしまして、その中で非常に彼らも私たちの取組に関心を持ってくれましたし、私たち自身が、やっぱり
イギリスというのは非常に面白い例で、サッチャー政権時代、八〇年代それから九〇年代は
援助というのは非常に低い支持があったと。非常に
援助額も低かったと。だが、それを変えたのは政治なんですね。九七年以降、やはり国としての
ODAの位置付けというのを非常にまた違う形で明確にして、新しい省庁をつくり
援助も増やしていくといった政治的判断もしているということで、これはやはり政治が変わることの
意味、大きさといったことをまざまざと感じました。
ということもありまして、今日、何といっても、こういった本当に
国民を代表する皆様のいらっしゃる場に御説明させていただく
機会をいただきまして、本当に私たちとしては光栄に思っております。もし、こういった方向に御賛同いただけるのであれば、是非皆様のマニフェストとしても御活用いただければ非常に有り難いと思います。
本当にありがとうございます。