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2008-04-09 第169回国会 参議院 少子高齢化・共生社会に関する調査会 第4号 公式Web版

  1. 会議録情報

    平成二十年四月九日(水曜日)    午後一時開会     ─────────────    委員異動  四月八日     辞任         補欠選任      蓮   舫君     林 久美子君     ─────────────   出席者は左のとおり。     会 長         田名部匡省君     理 事                 岡崎トミ子君                 前川 清成君                 有村 治子君                 南野知惠子君                 鰐淵 洋子君     委 員                 相原久美子君                 岩本  司君                 植松恵美子君                 大石 尚子君                 大河原雅子君                 大久保潔重君                 津田弥太郎君                 林 久美子君                 藤谷 光信君                 礒崎 陽輔君                 古川 俊治君                 丸川 珠代君                 義家 弘介君                 山本 博司君                 紙  智子君                 福島みずほ君    事務局側        第三特別調査室        長        吉住 芳信君    参考人        早稲田大学大学        院日本語教育研        究科教授     川上 郁雄君        可児市長     山田  豊君        学校法人HIR        O学園理事長・        学園長      川瀬 充弘君     ─────────────   本日の会議に付した案件 ○少子高齢化共生社会に関する調査  (派遣委員報告)  (「コミュニティ再生」のうち外国人子女  等の教育)     ─────────────
  2. 田名部匡省

    会長田名部匡省君) ただいまから少子高齢化共生社会に関する調査会を開会いたします。  委員異動について御報告いたします。  昨日、蓮舫君委員を辞任され、その補欠として林久美子君が選任されました。     ─────────────
  3. 田名部匡省

    会長田名部匡省君) 少子高齢化共生社会に関する調査を議題といたします。  先般、本調査会が行いました委員派遣につきまして、派遣委員報告を聴取いたします。南野知惠子君。
  4. 南野知惠子

    南野知惠子君 去る二月十四日及び十五日の二日間、静岡県及び愛知県におきまして、少子高齢化共生社会に関する実情調査を行いました。  派遣委員は、田名部会長木俣理事岡崎理事有村理事鰐淵理事相原委員岩本委員植松委員大石委員大河原委員大久保委員津田委員藤谷委員礒崎委員塚田委員丸川委員山本委員紙委員福島委員及び私、南野の二十名であります。  以下、調査概要を御報告申し上げます。  一日目は、まず、石川静岡県知事及び鈴木浜松市長のあいさつの後、静岡県より、多文化共生地域づくりに関する取組概要を聴取いたしました。静岡県は製造品出荷額全国三位というものづくりが盛んな県であり、外国人比率全国五位と高くなっています。特にブラジル人比率が高くなっており、社会保険年金への不加入集住化による外国人コミュニティーの形成、公立学校教育困難や不就学等の問題が表出しています。県では、日本人外国人地域構成員として地域社会で安全に安心して生活することのできる多文化共生社会の実現のため、多文化共生シンポジウム開催等の事業を行っております。  次に、浜松市より、多文化共生取組について概要を聴取いたしました。浜松市は、平成十九年末現在、総人口に占めるブラジル人の割合が二・三六%と日本一となっています。その結果、在籍児童数の約四分の一が外国籍児童となっている小学校があり、また住民の約一三%が外国人世帯となっている市営団地がある等の状態が生じています。浜松市の外国人は、その多くが製造業派遣請負契約で働いており、日本語ができない人が半数を超えているといった特徴があります。その結果、社会保険の未加入日本語学習学力向上が困難、外国人学校の大半は私塾扱い公的助成がない等の問題が生じており、市では外国人学校への支援公立学校における加配教員による取り出し指導などの取組を行っております。このほか、浜松市の都心再生のための中心市街地活性化基本計画についての説明も行われました。派遣委員からは、外国人集住都市における行政の在り方、雇用企業の責任、外国人労働者派遣請負対策と劣悪な業者の取締りの必要性住民登録制度外国人登録制度制度間のギャップ等について質疑がなされました。  次に、ブラジル人ペルー人小中学校生教育を行っている学校法人ムンド・デ・アレグリア学校視察を行いました。日系外国人労働者増加に伴い、その子弟学習不振やドロップアウト、また母国語の喪失による親子関係希薄化などの問題が表面化しています。ムンド・デ・アレグリア学校は、平成十六年に日系人労働者子弟教育の充実と日本高校大学への進学目的として、私塾形式で設立されました。現在は学校法人となり、市の補助金及び企業寄附等が入っていますが、校舎の老朽化に伴う移転先のめどが立っていません。また、企業寄附が税制上の優遇措置を受けられる特定公益増進法人認可が得られないなど、多くの問題を抱えています。学校側からは、定住する外国人子供たち教育をおろそかにするなら、将来、日本教育レベルの低下や日本人に対して良い印象を持たない人を増やす結果につながりかねず、行政一体となった取組が必要であるという意見が述べられました。派遣委員からは、行政対応状況特定公益増進法人認可基準外国人学校卒業生公立小学校卒業生公立中学における差の有無等について質疑がなされました。  次に、外国人労働者雇用企業であるヤマハ発動機株式会社IMカンパニー視察を行いました。IMカンパニーヤマハ発動機社内カンパニーとして、産業用ロボット等製造を行っている会社です。現在百二十から二百名ほどの外国人労働者が働いており、雇用形態は多くが派遣社員ですが、健康保険及び厚生年金加入雇用条件とし、また終業後社内日本語教室が開講されています。説明の後、外国人労働者のインタビューの時間が設けられ、派遣委員からは、日本に来て良かったことと困ったこと、海外送金有無雇用形態と業務の内容日本における相談相手等質問がありました。このほか、会社に対しては、海外進出の是非、派遣に切り替えるまでの雇用形態外国人相談体制等質疑がなされました。  二日目は、まず豊橋市の専用工作機械メーカーである西島株式会社視察いたしました。同社は創業大正十三年、従業員百五十名の会社ですが、「一生元気、一生現役」をスローガンに定年制がなく、六十歳以上が二十人、七十歳以上も六人働いております。工場においては、県の匠にも指定されるほど優秀な技能を持つ七十歳を超えた社員が、後進を指導しつつ元気に働いているところを見ることができました。派遣委員からは、工場見学の途中において、定年制を廃止するに至った経緯、生産体制会社経営の心構えなど多様な質問がなされました。  次に、愛知県から、多文化共生社会づくりに対する取組概要を聴取いたしました。愛知県は全国出生率が第三位、年齢別でも若い人口が多く、高齢化の進行が全国より四、五年遅くなっています。外国人も多く、外国人登録者は東京に次いで全国二位となっています。県では多文化共生重要課題の一つと位置付け、全国の自治体で初めての試みである多文化ソーシャルワーカーの活用、「あいち多文化共生推進プラン」の策定、公立学校に対する日本語適応学級教員配置等施策を行っています。  次に、豊橋市から市の概要と主な多文化共生施策についての説明を聴取しました。豊橋市の外国人登録者平成十九年時点で五・三%となっており、市内の公立小学校では児童六人に一人が外国人である学校が何校か存在しています。豊橋市では、外国人増加に伴い、「広報とよはし」のポルトガル語版の発行、日本語学習生活指導を行う「CSN豊橋」の開設、ラジオニッケイ放送加配教員及びスクールアシスタント等配置などの対策を行っております。派遣委員からは、愛知県における今後の外国人増加の見通し、加配教員語学能力ブラジル人学校の利点と認可条件緩和等質疑がなされました。  次に、ブラジル人学校である学校法人カンティーニョ学園視察を行いました。カンティーニョ学園平成十八年に設立された九年制のブラジル人学校であり、現在百八十人が在籍しています。設立の年にブラジルから認可され、昨年は我が国で二番目の学校法人認可を得ています。教材はすべてブラジルから取り寄せ、日本にいながらブラジルと同じ教育を受けることができます。派遣委員からは、全国ブラジル人学校との連携、学校法人認可を受ける際の苦労教育内容、卒業後の進路等について質疑がなされました。  最後に、豊橋市立岩田小学校視察を行いました。同小においては、外国人児童が全児童数の一五・七%を占めており、新たに入学した際に日本学校になじむようポルトガル語による適応指導教室であるアミーゴ教室学級からの取り出し日本語指導等を行っています。学校側からは、外国人児童は転出入が激しいこと、日本語の壁から、漢字や九九の段階からつまずく児童が多いこと、外国人児童集中の結果、日本語に対する意欲を持続できないこと、親の勤務形態から子供と接する時間が短いこと等の問題点が指摘されました。派遣委員からは、取り出し授業内容学校養護教諭とのかかわり、教材費給食費支弁状況などについて質疑がなされました。  我が国においては、少子化による労働力不足に対応して、多くの日系ブラジル人が働いています。彼らは主に生産現場において働いているため、工場の立地する地域では人口相当数外国人で占められるという状況になり、様々な問題が生起しています。今回の派遣を通じて、このような外国人との共生教育に取り組んでいる方々のお話を伺い、意見を交換することができ、本調査会として充実した調査を行うことができました。  最後に、今回の調査に当たりお世話になった関係各位の御協力に対し、心から感謝を申し上げ、報告を終わらせていただきます。  ありがとうございました。
  5. 田名部匡省

    会長田名部匡省君) 以上で派遣委員報告は終了いたしました。     ─────────────
  6. 田名部匡省

    会長田名部匡省君) 次に、「コミュニティ再生」のうち、外国人子女等教育について参考人から意見を聴取いたします。  本日は、早稲田大学大学院日本語教育研究科教授川上郁雄君、可児市長山田豊君及び学校法人HIRO学園理事長学園長川瀬充弘君に参考人として出席いただいております。  この際、参考人皆様方に一言ごあいさつ申し上げます。  本日は、御多忙のところ本調査会に御出席いただきまして誠にありがとうございました。  参考人皆様方から、外国人子女等教育について忌憚のない御意見をお述べいただき、調査参考にいたしたいと存じますので、よろしくお願いいたします。  議事の進め方でございますが、まず参考人皆様方からそれぞれ二十分程度御意見をお述べいただき、その後、各委員からの質疑にお答えいただく方法で進めたいと存じます。  なお、質疑につきましては、あらかじめ質疑者を定めず、自由に質疑を行っていきたいと存じます。  また、意見の陳述、質疑及び答弁のいずれも着席のままで結構でございますので、よろしくお願いいたします。  それでは、川上参考人からお願いいたします。
  7. 川上郁雄

    参考人川上郁雄君) じゃ、座ったままで話をさせていただきたいと思います。  ただいま御紹介にあずかりました早稲田大学川上と申します。本日は、このような機会を与えていただきまして誠にありがとうございます。どうぞよろしくお願いいたします。  本日は、外国人子女あるいは外国につながる子供たち教育について、現状課題、そして提言の順で日本語教育の立場からお話をさせていただきたいというふうに思います。  初めに、私自身のことを話させていただきます。  所属は早稲田大学大学院日本語教育研究科です。この研究科は、日本語教育専門家を養成することを目的に設置された大学院であります。その中で私が担当いたしますのは年少者日本語教育という領域です。この年少者日本語教育といいますのは、日本の国内及び国外の初等中等教育レベルにおける日本語教育をいいます。  また、私は、子供のための日本語教育にかかわるようになりましたのは、一九八〇年代にインドシナ難民として入国した子供たちへの教育にかかわったことがきっかけで、以来二十年近くこの研究を進めております。  さて、本日のテーマであります外国人子女等についてのお話をしたいと思います。  まず、日本でなぜこのような子供たち増加しているのかという点からお話を進めたいというふうに思います。  現代社会大量人口移動時代だと言われています。大量の人間が様々な理由から国境を越えて移動する時代という意味です。その理由も、労働、移住、留学、研修、観光、国際結婚など多様化しています。ただし、これらはすべて大人理由です。つまり、大人自分目的によって移動をしているわけですけれども、それに随伴する形で家族、特に子供たち移動を繰り返しているということだろうと思います。また、これは日本だけではなく、世界的な現象であるという点も重要な点ではないかと思います。  では、そのような子供たちは、現在、日本にどれくらいいるのでしょうか。  その数は正確には分かりませんが、文部科学省が一九九一年以来、公立学校に在籍する日本語指導が必要な外国人児童生徒の数を公表しております。今御覧のグラフは、近年のその数の推移を示しております。平成十八年は二万二千人余りになっておりますし、近年増加していることもお分かりいただけると思います。しかし、私はこの数は氷山の一角だというふうに認識しております。日本語指導が必要な子供たちは、この数以上にいるのではないかというふうに思っております。そのことは後で詳しく述べたいと思います。  このような調査だけではなくて、私の調査も含めまして、これらの子供たちの全般的な傾向を申し上げますと、まず言語的な背景が多様であるという点を指摘できると思います。ポルトガル語中国語スペイン語タガログ語、韓国・朝鮮語などその言語の数は六十言語を超えております。また、外国人集住都市が形成される一方で、このような子供たち全国に居住しておりますし、短期的な滞在型から、定住する傾向も生まれてきています。したがって、日本生まれ子供たち増加しているというのが現状だろうと思います。  では、このような子供たちが通う学校ではどのようなことが起こっているのでしょうか。  まず、学校先生方は一般に外国人児童生徒を指導した経験がないため、外国人児童生徒をどのように指導したらよいか分からないという状況にあると思います。したがって、先生方は戸惑いや負担を感じることが多く、何らかの支援が必要と感じる先生方もたくさんいらっしゃると思います。  一方、子供たちはどのように感じ、どのように学校生活を送っているのでしょうか。  ここで、ある子供の例をお話ししたいと思います。このお話特定子供の例ではなくて、外国から来た子供がどのように成長するかを示すために私が作ったお話です。ただし、内容は、これまで私が見てきた多くの事例に基づいて作られています。その点を御了承いただきたいと思います。  A国から来たAさんを主人公にしたお話です。Aさんは小学校の二年生のときに母親と来日しました。編入当初、全く日本語ができませんでした。担任先生母親と片言の英語で話を通じることができましたが、Aさんには英語も通じませんでした。担任先生母語通訳をしてくれる人を探しましたが、見付かりませんでした。授業中はAさんは黙って座っているだけです。せめて通訳授業内容を伝えてくれたらと担任先生は思います。Aさんは日本語を覚えることも平仮名を書き写すこともできませんでした。  ここに見られますように、外国から来た子供を担当した学校先生は、子供や親とのコミュニケーションを図るために大変苦労をされます。そして、子供母語が分かり、日本語に訳してくれたり、あるいは授業中に日本語母語に訳してくれる通訳がいればいいなというふうに思ったりします。確かに、学校のことを親に説明したり授業内容を伝えるためには母語の分かる通訳者がいることが必要ですし、助けになることは事実です。しかし、そのような通訳者を付ければこれらの子供たちの問題がすべて解決するわけでもありません。  このAさんは、さらに小学校高学年になります。高学年になると友達もでき、大分日本語も話せるようになりました。子供言葉を覚えるのがとても早いと担任先生はつくづく思います。でも、あれだけ日本語が分かるようなのに、テストをすると点数は低いままです。数字を使うので分かりやすいはずの算数でも、文章問題になるとほとんどできません。元々学力が低いのでしょうか。そういった印象先生方は持たれることもあると思います。  来日して一年以上たつと日本語が多少分かるようになり、日常場面での会話もできるようになります。しかし、この例にありますように、担任先生方はなぜ成績が伸びないのかと思うわけです。  しかし、ここで重要なのは、多少日常会話ができても授業に参加できるとは限らないということであります。つまり、日常会話ができることと学習に参加できることは同じではないということです。また、言い換えれば、学習に参加できる言葉の力が育っていないということも言えると思います。  このように小学校時代を過ごしたAさんが、中学生になるとどのようになるのでしょうか。  Aさんが中学生になると、学校勉強はますます難しくなっていきました。Aさんの日本語の力は小学生のときよりも伸びていますが、学校勉強に付いていくには十分ではありません。最近、学校が面白くないと言い出し、家でゲームをして過ごすようになりました。母親母語で話しかけると、Aさんは日本語で返事をするようになりました。でも、日本語母語も不十分で、高校進学は厳しいと担任先生は言います。どうしたらいいのでしょうか。  ここにいらっしゃる先生方は、このような子供がいたらどのようにされますでしょうか。日本に長く暮らしていても日本語が伸びず、かといって母語による教育も受けていないので母語の力も伸びないということがあるのです。日本語も弱い、母語の力も弱い、その結果、学力も付かず学校も面白くなく学校に行かなくなるというような不就学、さらには進学進路の問題にも子供たちは直面していくということです。  このような子供たち課題をまとめますと、まず第一は言葉の問題があると思います、日本語の問題。日常会話を行う言葉の力、生活言語能力という問題と、学習をするときに使う言葉の力、学習言語能力といったものがどのように育っていくかという課題があろうかと思います。これまでの研究では、日常会話を行うときの生活言語能力は一年から二年で身に付いてくるというふうに言いますが、学習をするときに必要な学習言語能力を育成するには五年から七年掛かるとも言われています。このような日本語の力が付かないと、教科学習に参加することもできず、結果的には学力が付かないということになります。  さらに、言葉の問題としては母語の問題もあります。日本に長く滞在すると母語の力が弱くなり、親子コミュニケーション母語でできなくなるという問題があります。さらに、日本語力が付かず、学校勉強が面白くなくなると学校へ行かなくなる、いわゆる不就学の問題にも発展する場合がありますし、さらに進学進路で悩むなど心の問題、カウンセリングが必要な場合も出てまいります。  では、どうしてこのような子供たちはこのような課題に直面するのでしょうか。それは、子供たちが国と国の間あるいは地方地方の間を移動しているからであります。また、母語日本語の間といった言語間の間を移動しているということであり、また学校やあるいは学習内容に関するカリキュラムの間を移動している。さらには、生活の習慣や考え方あるいは学校文化といったものの間を移動しているからであります。  先ほど述べましたように、大人たち自分目的によって移動しますが、子供たち自分の意思とはかかわらず移動せざるを得ない状況になっているとも言えます。つまり、移動せざるを得ない子供たちだということです。  したがって、こういう子供たち特徴をまとめますと、まず第一の特徴としては、移動するという点です。それから第二が、移動に伴い複数言語母語日本語あるいは複数言語の間、多言語環境で育っているという点であります。さらに第三は、日本語を第二言語として学んでいるという点に特徴があります。この第二言語としての日本語は、英語ではジャパニーズ・アズ・ア・セカンド・ランゲージと言いまして、頭文字をつなげてJSLと言ったりします。このような特徴を持ちながら日本に住んでいるJSL子供たちというのは、いわゆる日本人の両親から生まれ、日本日本語だけで成長している子供たちと必ずしも同じではないというふうに言えると思います。  このような理由から、これらのJSL子供たちを教える学校先生方も様々な課題に直面せざるを得ないわけです。例えば、日本語が全く分からない子供の場合であれば、子供や親御さんとどのようにコミュニケーションを取るかという問題、あるいは日本に来る前に子供たちがどのような勉強をしてきたか、どんな環境で育ってきたかというのが分かりにくい。したがって、子供の学びの分断が生まれているという問題があります。さらに、そのような中で学校先生方日本語指導をどのように行うか、日本語を教えながら教科内容もどういうふうに指導するかといった問題にぶつかるわけです。つまり、端的に申し上げますと、これらの問題は先生方がこれまで経験してきたことでは対応できない問題であるというふうに言えると思います。  これは先生方お話ですが、それは子供にとっても同様であると思います。つまり、子供にとっても教室で使われている日本語が分からない、また学校のやり方やルールが分からない、授業内容が分からない、勉強を教えてくれる人がいない、さらに滞在期間が長くなると母語を忘れる、入学試験が難しい、将来に不安を感じる、居場所がないといったような問題に囲まれていくわけであります。  ここで重要なのは、これらの課題学校だけの課題ではなくて、地域行政大学研究などとも密接に関係しているということです。つまり、これらの課題子供課題というよりは、子供が抱えさせられている課題であるということであります。したがって、その意味で、これらの課題子供の問題というよりも、私たち課題あるいは社会課題であるとも言えると思います。その点を強調しておきたいと思います。  では、これらの子供たちに対して、これまでどのような教育的支援が行われているのかについて申し上げたいと思います。  国や地方レベル教育行政では、例えば推進地域の設定、そのための予算措置、そしてその予算を使ったバイリンガル指導員雇用など様々な施策が施されてきているところもあります。ただし、多くの学校では依然、学校教員又は地域のボランティアによる指導に依存しているところは多数あります。また、これらの子供たちのための教材やカリキュラム開発も行われております。例えば、文部科学省JSLカリキュラムもその一つです。私自身もこの文部科学省JSLカリキュラムの開発に五年ほどかかわりました。しかし、これらの施策の効果は十分とは言えませんし、新しいカリキュラムも十分に普及しているとは言えません。なぜでしょうか。それは、これらの子供たちを受け入れるシステムがないからです。さらには、これらの子供たちを指導する専門的な教員がいないからであります。  ここで改めて、冒頭で御紹介しました文部科学省日本語指導が必要な外国人児童生徒というくくり方の問題を考えてみたいと思います。  文部科学省が毎年、日本語指導が必要な外国人児童生徒について調査を行っていますが、日本語指導が必要かどうかの明確な基準は示されておらず、その判断は学校にゆだねられております。一般的に、学校では日常会話ができるようになるともう日本語指導が必要でないと判断する傾向があり、その結果、日本語指導が終了してしまうということになります。また、母語の分かる指導員を派遣する場合もありますが、その場合も派遣指導員が指導するのは数か月間だけであります。なぜ数か月間で終わるかといえば、それは予算がそれしかないからであります。  そのような数か月間の日本語指導で教えられることは、せいぜい平仮名や片仮名、少しの漢字、幾つかの文型や表現にすぎません。しかし、子供たちに必要なのは、人とやり取りする言葉の力、あるいは授業に参加できる言葉の力、あるいは考えるための言葉の力です。このような力を育成するには、その数か月間だけではなくて、それ以上の時間が掛かりますし、言葉の力の発達段階を見極め、指導を考えることが必要となります。そのためには、そのような言葉の発達と指導をよく知っている専門的な教員言葉の力を把握する物差しが必要になるわけです。現在、そのような教員養成も行われていませんし、言葉の力を把握する物差しもありません。  そこで、私の研究室では、このような言葉の力を把握するJSLバンドスケールという物差しを開発しています。これはテストではありません。日本語でやり取りする子供たちの様子から日本語習得の段階を把握するという方法です。具体的には、日本に来たばかりで全く日本語が分からない、そして黙っているというような状態、それからあいさつの言葉を使い始める、あるいは二語文、三語文から自分のことを話し出す。さらに、よく知っている場面では日本語でのコミュニケーションはできるけれども、新しい話題になったときに一対一の説明や繰り返しを求めたりする、そういったような子供たちの様子からその子供日本語能力の発達段階を把握するという方法です。  JSLバンドスケールの枠組みは、今スライドでお示ししていますような枠組みになっております。小学校の低学年、それから小学校の中高学年、さらに中学・高校の三つの年齢集団に分けて作ってあります。そして、日本語の力の四技能、聞く、話す、読む、書くごとに一レベルから七レベルあるいは八レベルまで刻んでおります。一レベルというのは、日本語が全く分からず初めて日本語に触れる段階、そして七あるいは八レベルは、流暢に日本語を使用できる段階ということです。  今、お手元に資料を配付させていただきました。A三サイズのこういった紙になっていますが、これはJSLバンドスケールを使って子供たちの力を把握するために作ったチェックリストです。片面が聞く、話す、裏面が読む、書くといったレベルの説明が書いてあります。大変細かい字で恐縮なんですが、ここに幾つかのチェックリストがありまして、子供がどういうことができるのか、日本語でどういうやり取りができるのかできないのかということがここに書かれています。これと目の前にいる子供の様子を見比べながら、その子供日本語能力の発達段階を把握するという仕掛けになっております。  では次に、このバンドスケールを使った調査結果を少し御紹介したいと思います。  今、御覧のスライドは小学校の例です。左から聞く、話す、読む、書くという順序になっておりまして、数字はこのJSLバンドスケールで把握した子供日本語の能力のレベルを示しています。一というのはレベルの一という意味です。左側に子供の記号がA、E、Fというふうに書いてあります。三人の例を出しておりますけれども、一番上の例は、日本語指導が始まって一か月の段階です。当然まだ日本語には慣れていませんので、レベルは一から二といったレベルです。下の二つの例は、日本語指導を始めて六か月たった段階の子供の例です。大体二から三レベルに上がっているのがお分かりいただけるかと思います。この三レベルというのは、大体自分のことをあるいは自分が好きなものとか嫌いなものを易しい日本語で簡単な日本語で言えるという段階であります。これは小学生の例なんですけれども、じゃ中学生はどうか。これが中学生の例です。四人お示ししていますけれども、六か月日本語の指導をした場合の結果です。大体二から三と、やはり小学生と同じように進んでいることがお分かりいただけるかと思います。  しかし、この後がどのように発達していくか。それは個人によってかなり差が出てきております。今スライドにお示ししているのは小学生の三人の例ですけれども、見た感じ二から三ないしは三前後ということでほぼ同じように見えると思いますけれども、実は一番上のLという子供の場合は指導を受けて一年の結果のレベルです。それから、真ん中のMという子供の場合は日本に来て一か月たった段階の様子です。そしてさらに、Qという一番下の子供さんの場合は一年十か月の日本語指導を受けた結果の日本語能力のレベルです。したがって、一見同じように見えますけれども、実は発達は個人によってかなり違うということがお分かりいただけるかと思います。  では、日本に長くいると日本語は伸びていくのでしょうか。これは高校生の例です。聞くが七、話すが六、読むが四から五、書くが五といったレベルの高校生です。この子供さんの場合の注目していただきたいのは、一歳で来日し家庭内言語スペイン語で滞日期間が十五年です。しかし、この聞く、話すはかなり高くて我々とも話が十分できるんですけれども、読む、書くが四から五という形になっています。これは、高校レベルの授業に参加して読む課題あるいは書く課題といったことには参加するのが困難な段階であります。もう一つの例は、これは高校生の例ですけれども、聞く、話すが四、読む、書くが三レベルです。中学二年で来日し滞日期間が三年です。この子の場合ですと、高校授業に参加して聞いて理解することも困難な状態にあるということが言えると思います。  では次に、具体的な音声を先生方に聞いていただきたいと思います。これは神奈川県立愛川高校という高校調査によって得られたデータです。  では、ビデオの方、よろしくお願いいたします。    〔資料映写〕
  8. 川上郁雄

    参考人川上郁雄君) ありがとうございました。  今、高校生二人の声を聞いていただきました。内容お分かりいただけましたでしょうか。自分の将来について語っている語りでしたけれども、男子生徒は小学校高学年で来日しまして、滞日期間が約五年です。そして、女子生徒の方は三歳で来日し、滞日期間は十四年です。ですから、お聞きになっていただいて、コミュニケーションが十分取れるというふうにお感じになったかもしれません。  しかし、この二人の読む力、書く力をJSLバンドスケールで把握しますと、大体四から五なんです。この五でも実は高校授業の読む活動とか書く活動、これに参加することには困難があるということです。この調査をした結果、高校先生方はその問題を把握されました。しかし、その前までは、あれだけ日本語がうまく話せてコミュニケーションができるので、子供たち課題というものを十分に認識されていませんでした。  そういうふうに考えていきますと、再度ここで考えなければならないのは、日本語指導が必要な子供というのはだれかということだろうと思います。文部科学省が公表している日本語指導が必要な児童生徒というのは、学校現場では日常会話がなかなかできない子供たちというところでとらえられる傾向があります。そして、日常会話ができてくると、先生方はもう日本語指導は必要でないということで在籍クラスに戻してしまう。しかし、日常会話が非常に難しいという数が二万二千人だろうというふうに私たちは見ています。しかし、実際はそれ以上のレベルでも実は日本語指導が必要で、そしてその子供たちは実は数えられていない。ですから、二万二千人以上の子供たちが実際はいるだろうというふうに私たちは見ています。  そして、そのバンドスケールのレベルでいえば四以上とか、四とか五といった子供たちも、実は支援が必要な子供たちなわけです。しかし、その子供たちは在籍クラスの中でほかからの支援がないまま放置されているというのは言い過ぎかもしれませんが、実際に彼らは何も支援のないまま学校生活を送っている。その結果、日本に長く生活していても、先ほどの例にあるように、日常会話コミュニケーションはできるんですけれども、読んだり書いたりするところに困難が残るということであります。  したがって、こういうことがなぜ起こるのか。それは日本語能力を把握する物差し、つまりシステムがないということ、さらにはそれを見極めて支援をする専門的な教員がいないというところに原因があろうというふうに思っております。現場では今ボランティアに依存したり、先生方の御苦労でこういった問題を解決しようということをやっておりますが、これは対症療法的な教育行政の表れだろうと思います。もうそういった教育行政の限界に来ているというふうに私は思っております。  ここで、最後に提言ですけれども、年少者日本語教育の専門的な訓練を受けた教員JSL教員の確立と養成がまず第一です。第二に、教育関連法規の改定とJSL教職科目の設置。さらに、JSL教員養成の教員養成教育への位置付け。そして、そういったところで訓練を受けた教員を新規採用していくというシステム、あるいは現役の先生方大学院等で研修を積んでいただき、JSL教員として活躍していただく、そういったJSL教員化。さらに、そういった先生方を特別に配置した学校を設立する、そして子供一人一人に対応する長期的な支援体制を確立していくということが必要ではないかと思います。そして、外国人子弟を含む国家的な言語教育政策及び多文化共生教育の策定といったことが今後の課題になるのではないかというふうに思います。  最後に、このような考え方で教育実践が行われているところを御紹介したいと思います。三重県鈴鹿市それから東京都目黒区と私どもの大学では、昨年度協定を結ばせていただきました。その協定の目玉というのは二つあります。一点は、年少者日本語教育学の訓練と知識を持った専門家雇用していただいて、市あるいは区の日本語教育コーディネーターとして設置していただくという点。それからもう一つは、先ほど御紹介したJSLバンドスケールによってこういう子供たちの能力を把握し、そしてその結果に基づいて指導体制を確立していくといったことが目玉になっております。今年度これが実際に動いております。これは地域大学の提携をした実践例であると思います。こういった実践例を参考にしていただき、是非とも国としてのシステムを構築していただければと思います。  以上で私の話を終わらせていただきます。どうも御清聴ありがとうございました。
  9. 田名部匡省

    会長田名部匡省君) ありがとうございました。  次に、山田参考人にお願いいたします。
  10. 山田豊

    参考人山田豊君) 可児市の山田豊と申します。このような機会を設けていただきまして、心から感謝を申し上げます。  それでは、時間の関係がございますので、早速御説明をさせていただきます。ただいまより、人に優しく本当に住みよい町を目指し、現在取り組んでいる可児市の外国人児童・生徒学習保障事業について説明をさせていただきます。  まず、一九九〇年の入管法の改正以来、可児市においても年々外国人登録者数が増加し、平成十三年以降急増してまいりました。今年の三月一日現在七千百六十一人の外国人登録者数があり、人口の六・六%となっております。国籍別では、ブラジル国籍が四千八百十二人、次いでフィリピン国籍千五百八十五人でございます。  外国人児童生徒の受入れが急増したことにより、各学校では次のような課題が出てまいりました。  一つ、授業内容が分からないので教師一人では対応できない状況が続きました。日本の保護者からの心配する声もあり、外国人児童生徒の対応は学校地域、保護者ぐるみの課題となりました。  二つ目に、日本語が分からないことや学校生活になじめないことで学校生活への不適応を起こす児童生徒が多く、学校関係者の苦労が続きました。  三つ目に、外国人児童生徒の中には自分の将来への不安から自暴自棄になり、生徒指導上の問題に発展することもありました。  四、日本学校を知らない外国人児童生徒の保護者とのかかわりが課題となりました。  五、就学年齢の児童生徒で学校に行かない不就学子供の対応に迫られました。  このような課題解決に向けて、市民みんなが本当に住みよい町の実現のために次のような施策を実施いたしました。一、通訳サポーターを配置すること。二、教育相談体制を丁寧に行う体制づくり。三、ばら教室KANIを開設し、初期指導を集中的に行う。四、各学校の国際教室の指導を充実する。特に教科指導に重点を置き指導すること。そして、これを支える体制を整備することを柱とし、不就学ゼロを目指して、外国人児童・生徒学習保障事業をスタートいたしました。  さて、ここで、可児市における外国人児童生徒学習保障のあゆみを紹介いたします。初めに、平成二年度から通訳指導員を配置し、市内の該当する学校を巡回し、外国人児童生徒の相談活動を行いました。当時は市内全校で十二名の児童数でございました。その後、平成三年度から日本語適応指導教室を開設し、県費の加配教員配置されました。大きな転機は、平成十五年と十六年に実施した外国人子供教育環境に関する実態調査です。約七%の不就学子供がいることが判明いたしました。この調査を踏まえ、外国人児童・生徒の学習保障事業をスタートさせました。その核となるものが学習適応指導教室、ばら教室KANIの開設であります。  可児市では不就学ゼロを目指しておりますが、その方法として、第一に市の関係部署の連携を次のように図っています。まず、市民課では、外国人登録時や編入時に、就学年齢期の子供有無を確認し、該当年齢の子供がいるすべての家族に就学説明をします。まちづくり推進課の通訳を介しながら、市民課から学校教育課へと連携します。学校教育課において、可児市の学校教育の仕組み、就学の手続、ばら教室などを説明し、日本学校への就学を希望する家族はその日のうちに入学する学校移動し、各学校外国籍担当と懇談して入学の手続を取ります。さらに、ばら教室KANIでの初期指導を希望する場合はばら教室KANIへ移動し、外国人児童生徒コーディネーターと懇談します。和やかな雰囲気の中で時間を掛けて懇談し、できるだけ不安を取り除き、安心感が生まれるように心掛けております。  このように、各担当課の共通理解の下に確実な連携によって、可児市に外国人登録をした児童生徒の不就学をなくすように努めております。さらに、外国人登録後、就学先が不明確な家庭についてコーディネーターが中心となり家庭訪問などを実施し、状況把握に努めております。  市が取り組むこの事業は、外国人子供たちのレベルに合わせた学習指導内容を決定し指導するプログラムです。外国人子供たちが将来の夢や希望を大切にしながら学校学習し、高校進学や資格などを取得し、自立した社会人、共に可児市を築く職業人となっていくことを期待しているものであります。  まずステップ①として、ばら教室KANIでございます。ばら教室KANIの主な指導内容は、初期的な日本語指導学校生活で必要な生活指導です。期間は個々に応じますが、二か月から四か月間通います。次に、ばら教室KANIを修了すると、ステップ②に移ります。在籍する学校学習生活に入ります。この学校には国際教室が設置され、学習言語を中心とする日本語指導や学年に応じた教科指導を行います。もちろん、在籍学級での学習学校行事などにも取り組みます。言葉の面では、市費の通訳サポーターが付きます。県費の通訳も二名配置していただいております。さらに、国際教室を修了した児童生徒は、在籍学級ですべての学校生活を進めていきます。  このプログラムのスタートはばら教室KANIの指導が原点となっており、そのスタッフは室長、通訳を兼ねる指導助手が中心となり、外国人児童生徒コーディネーターも加わります。コーディネーターは学校との連携の中心となり、全員教員免許を所有しております。  ばら教室KANIは、平成十七年度の開設以来二百十五名の児童生徒が学び、百九十七名が修了し、市内の各小中学校で元気に学んでおります。家の都合で途中帰国した者やブラジル人学校などへ転校した子供もいます。ばら教室KANIの適正人数は十五名程度ですが、多いときは二十名以上の時期もあります。このグラフは十九年度のばら教室の月別在籍者でございます。  ばら教室KANIの日課を紹介します。授業は九時三十分より始まり、午後三時には下校となります。送迎は保護者の責任で行います。午前中の指導内容は、個々のレベルに合わせ、日本語学習、算数・数学の学習日本語学習の三時間授業を行い、日本語の習得、計算の基礎の習得と学校生活への適応力の育成を図っております。午後は、体験を通した日本語学習を実施しております。  ばら教室KANIは学校外にあり、学校の日課でなく、自分たちのリズムで生活できる利点があります。昼食は歩いて五分のところにある小学校に行き給食を取ります。給食の時間では、給食の配ぜんやみんなでそろって食べる活動を通して、役割分担や給食の楽しさを体験を通して学ぶことができます。  以前は、いきなり学校生活を始めたことで、給食を全く食べることができない子供や、楽しみな給食の時間が苦痛な時間になった子供もいました。現在は、ばら教室KANIでの取組により、外国人子供が給食のことで困ることが少なくなってきております。  次に、ばら教室KANIの指導で大切にしていることについて二点説明いたします。一つには、初期の適応指導が重要なことは、日本語指導だけではなく、学校生活に適応できるトータル的な教育的指導を実施すること。二つ目には、学校と保護者との連携を十分に取ることでございます。  まず、一つ目のトータル的な指導の内容は、日本語指導、教科指導、生活指導日本の文化に触れる指導などでございます。これは各学校の国際教室での指導にもつながるため、教員免許状を所有している指導員や学校での指導経験のある者がばら教室KANIの指導を担当しております。  次に、連携については、およそ二か月から四か月間の初期指導を、ばら教室KANIを基礎に在籍校の担当者、保護者などで確実に連携を取りながら個々に応じて進めてまいります。保護者には、送迎時のちょっとした懇談や電話連絡、家庭訪問など、子供学習生活の様子を伝え、子供とその家族を丸ごと抱え込む体制で指導を進めております。保護者にとっても日本学校生活は分からないことばかりであり、気軽に相談ができるようになり、学校生活の在り方を理解しながら、持ち物、学校での学習用具や制服などを余裕を持って準備することができます。  ばら教室KANIの指導で重要な行事の一つとして修了式がございます。子供や保護者にとって、ばら教室KANIを修了し学校へ行けるということは大きな節目であり、自信にもなります。保護者は仕事を休んで出席される方も多く、写真に我が子の姿を収めたり、時には目頭を熱くされたりする保護者も見受けられます。まさに感動の修了式でございます。修了はばら教室KANIで学ぶすべての子供たちと保護者の目標です。  次に、ばら教室KANIを修了し、学校の国際教室学習する子供たちについて説明します。  国際教室外国籍児童生徒の多い学校に設置し、現在、市内の小学校三校と中学校一校に合計九教室がございます。県より加配の教員配置していただいております。ここではばら教室KANIの指導を引き継ぎ、日本語指導や教科の学習日本生活習慣や仲間関係などの指導、援助をしております。以前は名称を日本語適応教室と言っておりましたが、平成十七年度より、日本語指導だけではなく、教科指導、特別活動など、トータルとしての外国籍児童生徒の学習の場、学級として位置付け、国際教室と名称を変更いたしました。  ばら教室KANIを修了したといっても、まだ十分な言語活動ができない子供も多く、各学校の国際教室での指導、支援を充実させるために、市費の通訳サポーターや巡回指導員、県の適応巡回指導員を配置しております。また、緊急時にはまちづくり推進課の通訳も対応することとしております。写真のように、英語の時間では、フィリピンの生徒がブラジル人の生徒に援助することもございます。  これは、日本語会話授業でございます。様々な教材、教具を用い、生徒が興味、関心を失うことなく、主に生活に必要な言語学習をしております。写真の教師は英語の免許を持ち、しかもポルトガル語も話すことができる教員でございます。  これは、日本語読み書きの授業です。主に、その生徒の能力に応じた漢字の書き取り練習を行っております。通訳サポーターが援助しているところでございます  これは、今まで説明いたしました学習保障事業の全体のチャート図でございます。  さて、外国籍児童生徒の指導を構成する要素は、ハード面、ソフト面、そしてこれらを有機的につなげるネットワークであると考えております。ばら教室KANI、国際教室、それに当たる各指導員はハード面であります。ソフト面は、就学時の教育相談体制の充実、指導の工夫と指導力の向上、外国籍児童生徒理解の推進、教材、教具の工夫、開発などであり、主に教師自らの教育活動などであります。ハード面、ソフト面、それぞれ充実を図り、ネットワークを進める上で重要で不可欠となっているのが綿密な連携であるととらえております。可児市は、これらの構成要素のバランスを保ちながら、総合的な実践を進めてまいります。  続いて、成果と課題について申し上げます。  成果として、第一に、ここ三年間で倍増という状況に対し、連携を図り適切に対応することで、外国人子供教育について、市内の各学校で動揺することなく、日本人子供を含めて安定した教育活動がなされています。教育の活性化にもつながり、日本人の保護者の理解も深まっております。  二点目に、ばら教室KANIを修了した児童生徒は、学校生活への適応にも戸惑いが少なく、安定した学校生活ができており、修了した児童生徒には学校を途中で辞めてしまう子供はほとんどなく、多文化共生社会に生きる児童生徒の意識向上にもつながっています。  三点目に、初期指導の実施により学校学級担任が無理なく受け入れることができ、指導上の負担も軽減されております。また、本人や保護者の日本学校教育への理解も図られ、言葉や文化の違いから生じる誤解などによるトラブルも減少しており、外国人の保護者もPTA活動に参加し、役員になっております。  四点目には、中学校では将来の夢や希望を大切にしながら学校学習し、進学する生徒も増加しております。平成十八年度外国中学生の卒業生十四名のうち十名が公立高校、私立高校、定時制高校、専門学校進学できました。将来、可児市を支える人づくりにつながっています。  また、ばら教室KANIは地域にも受け入れられ、地域の方の畑でイチゴ狩り、秋には焼き芋、正月になるともちつきなども行っております。  今後の課題といたしまして、外国籍児童生徒の教育の理解と支援体制であります。市内の学校では百人以上も在籍する学校もあれば、全く在籍していない学校もございます。可児の教育として幅広い理解と支援体制を構築していくこと、さらに、国際教室や各担任の指導力を向上することや教材開発を進めること、進学希望者への対応、保護者や企業地域との更なる連携を進めることが必要であると考えます。  最後に、外国籍の子供たちも可児市の将来を背負っていく大切な若者と考えております。人口の七%の外国人が暮らす本市において、多様な民族文化を持った人々が共に安心して暮らせる共生の町づくりを進めてまいります。  なお、外国人児童・生徒学習保障事業チャート図及び御説明申し上げました事業の実施基準や実施の手引を添付いたしましたので、御参照ください。  御清聴ありがとうございました。
  11. 田名部匡省

    会長田名部匡省君) ありがとうございました。  次に、川瀬参考人にお願いいたします。
  12. 川瀬充弘

    参考人川瀬充弘君) 学校法人HIRO学園の学園長及び理事長の川瀬でございます。  私は、皆さんのようにこういうスライドはありません。自分の経験、感じたこと、それから、これからやらなければならないなと思っていることを淡々とお話しさせていただきます。  それでは、まず順番に、なぜ私のような日本人ブラジル人学校をつくるようになって、またなぜそれを続けなければならなくなったのかということをお話ししたいと思います。    〔会長退席、理事岡崎トミ子君着席〕  学校法人HIRO学園は、二〇〇六年の十一月二十八日付けで岐阜県の方より認可をいただきました。その前身でありますHIRO学園、これは法的に私塾という扱いであったんですけれども、その学校をつくったのが二〇〇〇年の四月、開校いたしました。なぜそのときに私が学校を開校しなければならないかということをちょっとお話しさせていただきますと、半年前に話はさかのぼりまして、九九年の九月に私の知人が、ブラジルの託児所が先生の御懐妊で廃園になるから、あなたやらないかという一言で、それを見に行ったときから始まりました。  朝六時にワゴンで、子供たちが四DK、私、不動産屋もやっておりますので、土地でいう三十坪の土地と建物のところに子供たちが朝六時にワゴンで運ばれてきて、朝御飯を食べるんですね。順次運ばれてきますので、順次食事をし、食べ終わった子供たちからNHKの教育テレビを見ると。全員食べ終わると、外がお天気であれば公園に行って少し遊んで、また帰ってくるとお昼御飯を食べて、当時、九九年の子供は十六人から始まりまして、皆、就学前のお子さんでしたのでお昼寝をさせていました。その子たちが昼寝をして、また起きると少し遊んで、夕飯を食べて、またワゴンに乗って順番に帰っていくという一日を繰り返してみえました。  私は、ああ、すごくもったいないなと思いました。何がもったいないかと思ったのは、三十時間も離れて親と一緒に来て、来たい国でもないのにこういうところにいて、日本の文化に触れていない子供たち、もったいないなと思いました。  私がなぜそこに友達から声を掛けられたかといいますと、三十年ほど前、幼稚園の先生をやっておりまして、五年六か月経験があったということを知っていたものですから、おまえやらないかという声を掛けていただいたわけでございます。  その子たちを見て、そうだ、昔やっていたことがふつふつと思い出されまして、まずはハーモニカから教えようと。音楽だったら言葉分からなくてもできるんだろうという単純な発想でした。ドレミを教え、ハーモニカをみんなに買い与えて、吹いたり吸ったりということも、言葉は分からないですけれども、一生懸命手まねで教え、並行しながらですけれども、日本文化で紙芝居、これも言葉が全然通じなかったんですけれども、笑うかな笑わないかなという心配は乗り越えて始めました。  ハーモニカについては、ドレミも覚え、最初の曲は「さくらさくら」をやりまして、皆さん上手に吹くことができました。紙芝居の方は、手ぶり身ぶり、面白おかしくお話をさせてもらったこともそうかなと思うんですけれども、面白いところでは笑う、悲しいところでは泣く、喜怒哀楽が分かってもらえる。子供はやっぱり純粋なんだな、先生が何を与えて何を教えようかというところを子供は素直に受け取ってくれるなというのを実感しました。  そういうことがしばらく続きまして、ブラジルの方はコミュニケーションを取るのに携帯電話で連絡を取るみたいです。いいことも悪いことも流れていくみたいですけれども、九九年の九月に私が受け取ってから、十一月の終わりには八十余名のお子さんを預かることになりました。当然、八十余名ですので、今の三十坪の建物には入りませんので、ヤドカリのように大垣市内で違うところ、六十五坪の土地、建物のところに移りまして、先生ももちろん増やしまして、三歳、四歳、五歳、学年別に先生を入れて、ワゴンから中古のバスですけれども、今にも壊れそうなバスですけれども、そのバスを買いまして、大型免許を取りまして、やっておったんです。  そうこうするうちに、変わったところぐらいだと思います。十二月の初めぐらいに、しきりに親御さんが毎日交代でやってくるようになりました。話す内容は大体同じようなんです。こういうお話でした。  先生先生のところに預かってもらっている子供にお兄ちゃん、お姉ちゃんがいるんだけれども、今、大垣市内の小学校、中学校に行っているんです。私たちはいずれブラジルへ帰るんです。ブラジルへ帰って、日本教育はとってもいいんだけれども、帰ったときに大変困るんです。まず言葉、学歴、もろもろ。学歴がない、就職できない、そういう問題が起きているんです。だから、ブラジルへ帰っても困らない学校をつくってもらえませんかというお話でした。  だけど、僕のイメージでは、学校というのは独り、個人がつくるものじゃないので、大垣市も岐阜県にも教育委員会がありますので、教育委員会に皆さんに代わって聞いてきますというお話をしました。実際、行ってきました。  九九年の十一月ごろですので、当然、予算も計画もありませんと、けんもほろろに言われました。十二月の半ば、父兄を集めました。八十名の親御さんが、両親が来たんですから、三、八、二百四十名、百五十名ぐらいの会場を借りたんですけれども、とても入り切れなくて、もう皆さん立ち席で聞いていただきました。  当然、県、大垣市の教育委員会のお話をしました。皆さんを集めるまでに十日間余り私に時間がありましたので、いろんな角度、いろんな立場で考えました。まず、父親として考えました。二番目に、地域住民として考えました。日本人として考えました。そこで出た結論が、私ができるだけのことをやらせていただきますと答えました。  父親としてというところで考えたのは、私にもそのとき中学三年の息子がおりまして、その前の話になるんですけれども、お父さん、外国人の子がね、僕のクラスに入ってきたんだよというお話をしていました。ああ、良かったねという、まあそれだけのことだったんですけれども。次、あのね、お父さん、最近、復習やるようになったんだわ。それは、あなたが勉強できないから先生やってくださるんだわ。うん、それもあるけど、今回のはちょっと違うみたい、言葉から始まっているから。ああ、そうか、前の話のことを思い出しまして、困ったな、頭悪い息子が高校受験、大学受験で、全国そうであればいいんですけれども、自分のクラスだけ外国の子と同じクラスになってという親心で心配したこともあります。    〔理事岡崎トミ子君退席、会長着席〕  地域住民としてというのは、その子たちが未就学、不就学になっていって学校へ行かなくなった。学校へ行かなくなると、いったん自分のアパートで過ごしますが、それはもう何日も何年も過ごしません、町へ出ていきます。町へ出ていくと、やっぱりブラジルの子も悪いかもしれませんけれども、日本の子はもっと悪い子はたくさんいます。その子たちに手足にされて何か悪い事件、問題がこの町で起きないだろうか、それも心配しました。  だったら、おまえ、どうするんだということで自問自答を繰り返しました。布団の中でも繰り返しました。どうしよう、どうしよう、どうしよう。こういう日にちが十日間過ぎて、先ほども申し上げたように、私ができるだけのことをといって結論を付けました。じゃ、おまえはブラジルのことを知っているのかというと、全く無知でございました。何年の義務教育があって、何を教えて、何のことをやっているのかということは分かりませんでした。後になってドレミは教えないということは分かりましたけれども、びっくりしたんですけれども。  そういうことで、何せ学校をつくるということは当時考えていなかったので、どこを参考にしようか、あちこち尋ねますと、やっぱり群馬県の太田市と愛知県の豊田市にブラジル人学校というのが一校ずつあって、問い合わせますと、見せてくれないという返事がありましたので、残念だな、じゃ、そっと見に行きまして、豊田の方ですけれども、見に行ってきまして、それで分かるわけがありませんので、どこかないかなというところで、名古屋のブラジル領事館訪ねますと、東京大使館に行ってくれと、東京大使館に行きますと、ブラジルにも教育省というのがあるのでブラジルへ行ってくださいということで、ブラジルまで行ってきました。  ブラジル教育省参事官の方にお会いして、いろいろお話を聞いて、ブラジルでも本当に社会問題になっている、日本から来る子は、日本語は読めて話せて書けるんだけれども、ポルトガル語が書けない、読めない、話せないと三拍子そろって、優秀な子でも就職できないというお話を聞かされました。  それで、また日本へ戻ってきて、ここではやることがたくさんありますので、まず箱、教科書、先生に伴うこと、もう山ほど。開校が翌年の四月一日ですので、三か月余りしかありません。その中で全部動き回ってやっと開校に至りました。  当初は、先生十三名、生徒百二十名で開校いたしました。開校はしたものの、四月の給与を払うときにふと見ると、赤字が四百万円、五月が四百五十万円。じゃ、六月はどうなるんだろうと真剣に考えました。やめたい気分もありました。どうして続けるんだろうかなという、自分でまた自問自答し始めておりました。お金だけではなくて、ブラジル人子供のためにやっているんだけれども、ブラジル人の人が僕を裏切っていくという、本当に転がるように、もうやめようかなという思いが強く感じた時期でした。  上手にやめられるチャンスはないかなという思いで一年をやっていたんですけれども、転機が来まして、一年にちょうどなる前ですね、二〇〇一年の三月に、日本小学校を四年生まで行きまして、HIRO学園ができたということを聞いて、一年様子を見て訪ねてきた女の子です。  HIRO学園はペーパーテストはありません。ですけれども、親を両親そろえて、そして入ってくる子供お一人来ていただいて、書類を書いていただいて面接をするということをやっております。まず、いつも開口一番に聞くのは、あなたは日本に残りますか、ブラジルへ帰りますかという質問から始めます。最近は、もう日本に残りますという方はお見えになりませんけれども、以前は日本に残りますというお答えをいただいた親御さんもあります。そしたら、HIRO学園へ来ないで、日本小学校、中学校へ行ってください、そして高校大学へ進んで、いい日本人になってください、その方が子供のためになりますから。まだ分からないという親御さん、時々見えます。分かってから学校へ面接に来てください、子供のためですから、よろしくお願いしますと返します。  ブラジルへいつか分かりませんが帰りますというお子さんを持った御両親に面接をさせていただきました。先ほど申し上げたように、女の子が面接に来ました。書類を書いている間は私の担当ではありません。今度、面接になったときに私の担当になりますので、その部屋へ入っていきました。大柄の子でした。髪は金髪、目はブルー、肌は真っ白、体格は、小学校五年生になる子なんですけれども、もう中学の子かなと思ったぐらい立派な体格をした女の子でした。  いつものようにお父さん、お母さんに聞きました。ブラジルへ帰るというお話だったので、今度は女の子に聞きました。日本学校は楽しかった。黙っていました。もう一度聞きます。日本学校は楽しかった。下向いて、横に首を振りました。日本語が分かると言ったら、縦に振りました。じゃ、先生お話ししてって聞きました。まだ黙っていました。もう一回、これ最後ね、日本学校は楽しかった。横に振りながら、いいえ、楽しくなかったです。どうして。あのね、先生、私ね、幼稚園のときから来て、小学校一年生から日本学校に入りました。一年生から四年生まで毎日いじめられていました。えっ、そしたら先生に言わなきゃ、担任に言わなきゃ。どうして、どうして言わなかったの。  先生、あのね、お父さん、お母さんは日本へ来る前に、私が小さくても相談しました。家族で相談して日本で働くということを決めました。そして、日本へ働きに来ました。お父さん、お母さんはブラジルでは会計士をやっていました。そのお父さん、お母さんは今、日本で夜勤で働いています。それは将来のため、私のため、一生懸命働いています。我慢しています。だから、私も我慢しています、我慢しましたと流暢な言葉お話しされました。その中に丁寧語も含まれておりました。  それだけぺらぺらにしゃべれるの、どうして勉強覚えたの。あのね、先生、最初はね、クラスのみんな、私のことを何か思っていると思ったからね、日本語が分からないから早く日本語を覚えて、早く友達になりたかった。だけれども、日本語を覚えていくうちにがっかりしたという。先生、さっき見たでしょう、髪は金髪、目はブルー、肌は白色、体型は大きい、全部これでいじめられました、はっきり言われました。  思わず、ごめんなさい、でもね、そんな子ばっかりじゃないからね、日本というのは。これからポルトガル語勉強して頑張りましょうねと言ったものの、今までちょっと恥ずかしい思いがしました。いつやめよう、どうやってやめようという自分の心がすごく恥ずかしかったです。今度、その子の面接を終えてから私は、その子のためにどう続けよう、どうやったら続けられるだろうかということの頭の切替えをしました。その後も金銭的には大変だったんですが、何とか乗り切って学校法人にまでなりました。  続きまして、HIRO学園の教育について少しお話しをさせていただきます。  HIRO学園は、先ほど申し上げたように、面接で子供たちを受けております。ポルトガル語授業で、ブラジルのカリキュラムに沿って勉強をしております。朝九時から三時二十分まで授業が入っております。五十分間授業です。昼間に一時間の休みがあって、お昼弁当を食べるという形になります。外国語として、先ほどの先生もおっしゃったように、英語日本語を入れております。  二〇〇六年のときには、新聞の資料にもありますように、三人の一級、日本語検定一級という合格者を出したと。二〇〇七年、昨年夏ですけれども、六名の受験者がおりまして、これは一級、二級、三級と分かれたんですけれども、前回は四名の一級を努力して、そのうち三名受かったんですが、より人数が増えまして勉強意欲が出てきたという判断をしておりますが、一級が一人、二級が二人、三級が三名という合格者を出した結果が出ております。  では、学校ブラジル人で囲ってしまうのか、文化交流しないのかということですけれども、きちっと年十二回を定めて、日本の大垣市を中心にした、あと、養老とか垂井とかいろんな周りに地域があるんですけれども、そういうところと、小中高大学と交流をしております。  文化交流といえばいろんな文化交流があります。食、音楽、音楽も踊り、楽器、民謡、それから体育でもスポーツ、いろいろあります。いろんな文化、もう本当にどれを取っても文化なんですけれども、言葉も文化ですけれども、もう全部それを交流の課題として続けております。  私どもの学校教育方針というのは、書いてあるとおりなんですが、もちろんブラジルに帰っても困らない教育をしてあげたいと思う中、精神面でおじいちゃん、おばあちゃん、お父さん、お母さんの国は本当に良かったなと、町がきれいとか道路が整備されているとかいうことではなくて、教育をきちっとやってくれていい国だなということの、心の中でいつまでもいつまでも残ってもらいたいなと、そういう教育テーマを持っております。  高校の卒業生は二〇〇三年から出まして、おかげさまでブラジルの国公立に二〇〇三年度に三名のうち一人受かりまして、それがまたブラジルの方で話題になりまして、何でブラジルで話題になったかというと、ブラジルの国立の大学の方は無料で、教科書も提供ということで、倍率がすごいんですね。当然、母国で倍率がすごいということは、こんな地球の反対側の、岐阜県の大垣と聞いても分からないような町の学校からそこへ合格者が出たということは、ブラジルでは有名になったそうです。そういうすばらしい生徒がいたのと、それを指導する先生たちの努力があったからだと思っております。  私どものHIRO学園は全校で今三百名の生徒を抱えておりますが、大垣市内からは二百名の生徒、通学しております。大垣市内に小学校、中学校がありますが、二百十五名のブラジル人子供たちが通っているそうです。これは永住する子供かと申し上げますと、そうではないです、はっきり申し上げて。私どもの授業料よりうんと安い給食費だけ払う公立の小学校、中学校へ、親は預けているという教育観を持った親が預けているということです。  やっぱり教育観の違いでいろんな親御さんもお見えになります。先ほどのような事例の会計士、弁護士の親御さんもお見えになれば、義務教育を途中で終えた親御さんも来るというのが現実でありまして、それをどう対応していくかがまたこれ学校としても大きな課題になります。  今後進むべき道と望むことについてお話をさせていただきます。まず、学校だけの話をさせていただきます。後で、問題点とかいろんなまた御質問のときに答えられるものは答えたいと思いますが。  まず、本校のHIRO学園についてのハードの方ですけれども、市内に上面校という小学校四年生以上高校三年生までの学校と校舎と、東前校と申しまして、幼稚園の年長組さんから小学校三年生までの校舎があります。大変、分けていますと、分散していますと、人も物も経費も掛かってきますので、今後、分散ではなくて上面校に統合し、人、物、経費の削減を図って、今分散しながら、百五十坪ぐらいの建物で、トータル三百坪で三百人がキャパとしていっぱいいっぱいですので、より多く子供たちを受け入れられる体制にしようかということを考えておりますし、ソフト面では、先ほども日本語お話をされていましたが、本校も日本語授業を強化したいなと思っております。  二年連続でやっぱり日本語検定一級の合格者が出まして、二級、三級の資格を取るという意識が、やっとその成果が出てきた。七年目、八年目という長い年月だったんですけれども、やっと今芽生えてきたなということを生かさないわけにはいきませんので、頑張っていきたいなと思っています。二か国語を話すブラジル日本の懸け橋になる人間がより多く出れば、これも両国のためではないかなと思っております。  最後ですけれども、この場をお借りして本当にこういう発表ができたことは、いろいろテレビで、日本の政治の方も行ったり来たりしておりますけれども、なかなか捨てたものじゃないなという思いがいたします。申し訳ございません。  最後ですけれども、弱者の子供のために良い行動を御協力お願い申し上げます。御清聴ありがとうございました。
  13. 田名部匡省

    会長田名部匡省君) ありがとうございました。  以上で参考人からの意見聴取は終わります。  これより参考人に対する質疑を行います。質疑はおおむね午後四時五分をめどに終了させていただきます。  質疑及び答弁の際は、挙手の上、会長の指名を受けてから御発言をいただくようにお願いいたします。  また、一回の質問時間は答弁及び追加質問を含めまして最大十分とし、できるだけ多くの委員が発言の機会を得られますように、質疑、答弁とも簡潔に行っていただくよう御協力をお願いいたします。  なお、質疑の際は、最初にどなたに対する質問であるかをお述べください。  それでは、質疑のある方は挙手を願います。  福島みずほ君。
  14. 福島みずほ

    福島みずほ君 冒頭、質問させていただくことにとても感謝をいたします。ありがとうございます。  今日、お三人の参考人の皆さん、本当にどうもありがとうございました。大変考えさせられる中身を話していただいて、政治で頑張らなくちゃということを改めて思いました。どうもありがとうございます。ごめんなさい。社民党の福島みずほです。  川瀬参考人にお聞きをいたします。  先ほど、裏切っていかれてやめようと思ったということをおっしゃっていて、具体的にどういうところで苦労されているのか、もしよろしければ話していただきたいということと、こういう外国人子供たちの問題は、うまくいくとバイリンガルになって多元的な文化を持つという可能性がとてもある。日本人ではないバイリンガルとしての良さが出る反面、悪くすると母国語日本語も両方しゃべれないということが、余り不十分ということがあるわけですよね。  私たち愛知静岡学校に行って思ったのは、初めからブラジルに帰るということであれば徹底してポルトガル語でいいんですが、あるいは日本に必ず残るということであれば日本語学校日本語を徹底的にやるのでいいんですが、子供たちの未来は分からないし、親の予定も変わると思うんですね。そうすると、どっちかなのか両方なのか、あるいは両方できないという様々なことがあって、結構これは難しいなということを思ったんですが、その辺の、例えばカリキュラムを見ますとポルトガル語が圧倒的に多くて日本語がないわけですが、予定からいえば日本に残る人もいるだろうし、子供の考えも高校ぐらいになったら日本で働こうと思ったりすると、日本語が余りできないことがすごいハンディキャップになるんじゃないかと思うんですが、その二つの言語の間で学園をやっていらっしゃることで、その辺はどういうふうに整理されていらっしゃるのか、教えてください。
  15. 川瀬充弘

    参考人川瀬充弘君) 一問目、何でしたっけ。
  16. 福島みずほ

    福島みずほ君 苦労です。
  17. 田名部匡省

    会長田名部匡省君) ちょっと個々のやり取りは困りますので。
  18. 福島みずほ

    福島みずほ君 済みません。ごめんなさい。
  19. 田名部匡省

    会長田名部匡省君) 議事録を取っていますので、会長の発言を求めてからやってください。
  20. 川瀬充弘

    参考人川瀬充弘君) もう本当に苦労話はいいことよりもたくさんあるんですけれども、全部言うわけにもまいりませんので。  まず、百二十人からスタートをしまして、物の考え方がやっぱり外国の方は違うんですよね。日本は前払という、基本的ですよね。これは家賃に対しても何に対してもそうですよね。向こうの方は違うんです、後払いなんですよね。これが基本みたいですね。やったからお金を払う、やってもらったからお金を払うという考え方。ですから、お金の方では大変苦労しました。  あと、授業料を銀行振り込みでも駄目だし、銀行引き落としでも駄目だったんですね。というのは、銀行の口座の中に働いた給料を残しておかない人たちですので、どんな手段を使っても銀行引き落としができない。ということは、昔私たちがやっていたような授業料袋に判こを押して、それを子供に持たせて、親がその中に入れて持ってくるというパターンなんですね。これが大体八割ぐらいはやっていただけるんですが、あとの二割は、袋が行ってしまって、なくしちゃった、どこか行っちゃったというお話がある。なかなか、私が取りに行けばいいんですけれども、ブラジルの庶務の人にお願いをすると、もらってこれませんでした、しばらくしたら親が来て、払いましたよ、どこへ行ったんでしょう、猫ばばされたという、これを警察に話を持っていったこともあるんです、実際に。そうすると、警察の方は被害届の金額を出してくださいというところで、金額が分からない、もういつからやっているのか分からないから、分からないと言ったら、それは被害届にはなりませんのでというお話を受けて帰ってきたこともありました、といういろんな苦労がございます。  あと、バイリンガルのお話ですが、基本的に学校をつくろうと思ったときは、本当にこの子供たちが来たくもない日本に親と一緒に来て、そのころは親と一緒のポルトガル語を話していたんですが、やっぱり日本学校に入れられたり、もっと悪い子は、家で何かゲームを買わせて遊んでいた子もいたそうです。そんなお子さんなんですけれども、途中で計画変更の親御さんもあります。そういう親御さんは、すぐに日本学校に行ってもらうように手続をします。実際、そういう親御さん、何人か毎年お見えになります。逆に、日本小学校、中学校から転校してくる計画変更の親御さんもお見えになります。私どもは、できるだけ面接のときに親の意見を聞いて、そこで止めたいなと思っております。計画変更の方は、担任先生が見えますし、事務、庶務の方がありますので、そこら辺やるように今も続けております。  あと、バイリンガルの方ですけれども、実は、学校法人になる前に市内のある歯医者さんのお子さんを就学前までお預かりしておりました。これは日本人の方の男の子です。とても喜んでおられました。なぜかというと、朝御飯、夕御飯のときにポルトガル語でごあいさつをすると。おじいちゃん、おばあちゃんも一緒に生活をされていて、すごく喜んでおられたみたいです。英語圏の学校に入れたいと思っていたんですけれども、なかなか大垣にはそういう学校がありませんし、じゃ、バイリンガルでHIRO学園を選ばれたということで、当然、小学校就学、上がるときには日本小学校へ編入いたしました。  以上です。
  21. 福島みずほ

    福島みずほ君 川上参考人にお聞きをいたします。  手探りで公立学校先生たちが教えているという、必死でやっているという印象を持ったんですが、提言の中でJSL教職科目の設置ということと、JSL教員の新規採用と現役教員JSL教員化と、こうあるんですが、これはどこでやったらいいか分かりませんが、研修ということで、JSLに関しての研修というのは実際行われているのかとか、あるいは、現在ある公立学校の中にたくさんブラジルの方とかいらっしゃるわけですが、かなりこれは行われているのかということについてお聞かせください。
  22. 川上郁雄

    参考人川上郁雄君) 今の御質問は、JSL教員をどういうふうにつくるかということに関係するわけですけれども、まず、非常に重要なのは、こういう子供たち年少者日本語教育の知識とかあるいは経験を持って先生方が指導をするということが重要なんですけれども、それが最終的な目標にならないというふうに思います。  ということは、どういうことかといいますと、実際に教室の中にはいわゆる日本人子供たちもたくさんいるわけですね。そして、こういう子供たち、つまりJSL子供たちを教えるのはJSL教員だけではないわけですよ。そうなると、日本教員養成の枠組みというのは、いわゆる日本子供たちをつくる日本人先生をつくるという、そういう前提の中で今教員養成が行われているわけですね。JSL子供というのはそういう枠の外にいる子供たちなわけです。ところが、実際にはそういう子供たち日本に来る、あるいは日本の国籍を取っても日本語が十分でないという子供たちも含まれているというのが今の実際に進んでいる現状なんですね。  そうなるとすると、日本教員養成の枠組み自体をもう一度とらえ直していくと。つまり、日本の国籍の有無にかかわらず、日本学校に入ってくる子供たちをきちんと教える教員をつくっていくということになろうかと思うんですね。  そういう意味で、教員養成の在り方を含め考えていただければというふうに思いますし、それから、実際、先ほど御質問ありましたJSL教員の研修が行われていないのかというお話がありましたけれども、実際は文部科学省が毎年夏になると全国から集めて、指導主事の先生方など含めて実際にやっていらっしゃいます。  それから、私もそこでの講師を頼まれてお話をしたことがあるんですけれども、それは非常に短期的な訓練になるんですね。もっとそうではなくて現場と密着した形で、どういうふうにして子供たち言葉の力あるいは困難点を把握し、そして適切な指導を行うかということを現場とリンクした形で研修をやっていくということが非常に必要だと思うんですね。そういったところがまだまだ全国的に見ても十分ではないというふうに思います。
  23. 福島みずほ

    福島みずほ君 ありがとうございました。
  24. 田名部匡省

  25. 岡崎トミ子

    岡崎トミ子君 今日は、三人の参考人の皆様、ありがとうございました。  私の身近なところで外国子供たちというのは、中国から帰還された家族の子供たちは身近なところにたくさんおりました。その子供たち小学校、中学校公立学校に行くということをもう卒業してしまった年代の人たちでしたので、なかなか社会の中で受け入れてもらえない、あるいは就職もうまくできなかった。そういうところから、初めはとても元気だった子供たちが本当に引きこもりになってしまう、それだけではなくて精神的な疾患も出てきてしまうということで、もう三十数歳になっておりますけれども、家から全く出ないというような、そういう生活になってきております。  そういう状況を見ておりますと、やはりいかにきめ細かく情報が公開されて、その家族に到達しあるいは子供にも到達しているということが大事なのかなということをずっと感じております。今でもそういう子供たちと時々向き合うことがあるんですけれども、とても大事なことを本当にいろいろ皆さんに示唆をしていただいたなというふうに思っております。  そこで、最初に山田市長にお伺いしたいと思いますけれども、小学校、中学校、公立以外のところで盲・聾・養護学校でも受け入れているというところがありますけれども、そういう障害を持つ子供たちが受け入れられるというような、そういうことでとても大変だったとか、こういうような悩みがあったとか、現実にそういう問題がおありになりましたでしょうか。
  26. 山田豊

    参考人山田豊君) 現在のところ、障害を持った子供さんを受け入れるというような状況の該当者はございません。
  27. 岡崎トミ子

    岡崎トミ子君 それは私も、直接見出すためには、どういう家族がいてということについてよく市の方の行政では受け止めていらした、その上ででしょうか。
  28. 山田豊

    参考人山田豊君) そういうことですね。
  29. 岡崎トミ子

    岡崎トミ子君 ゼロということですね。
  30. 山田豊

    参考人山田豊君) はい。
  31. 田名部匡省

    会長田名部匡省君) ちょっとお願いしますが、会長の了解を得てから発言をしてください、速記取っていますので。
  32. 岡崎トミ子

    岡崎トミ子君 失礼いたしました。  家族丸ごと受け止める体制ということですので、多分そういうことがうまくいっているという例ですね。
  33. 山田豊

    参考人山田豊君) そのとおりでございます。
  34. 岡崎トミ子

    岡崎トミ子君 ありがとうございました。  それから、川瀬参考人にお伺いしたいと思います。  外国人学校の在り方と公立学校の役割の違いですね、そういうのは川瀬参考人はどのように感じていらっしゃるでしょうか。
  35. 川瀬充弘

    参考人川瀬充弘君) 本来ならば、車でいう両輪にならないといけないと思っているんです。公立学校公立学校の片輪でしっかり外国人子供をサポートをしてもらう、私どもの学校みたいな外国人学校はそれなりにやっぱり片一方の輪っかでなければならないと思うんですが、なかなか実際教育委員会の壁というのは、学校法人になるまでは、おまえが勝手に好きでやっているんだろうという立場に置かれまして、お話に行っても外国人学校については何も答えてくださらなかったというのが事実です。  本来、やっぱり日本小学校、中学校に行っている子供たちも、きっとその八割、九割は帰るだろうと私は思っていますが、その子たちにもやっぱりポルトガル語を教えられる機関があれば、わざわざHIRO学園のような授業料の高いところへ来ることはないんではないかなと。私どもも、日本へ就職するまた学校へ行くという子供たちは預かっておりませんけれども、文化として日本語勉強してもらう、それに興味を持ってまた日本語検定で級を持っていってもらうという姿勢がありますので、やっぱり同じぐらいになってもらいたいなとは思っております。
  36. 岡崎トミ子

    岡崎トミ子君 山田市長にもう一度お尋ねしますが、公立校と私立のこうした学園ですね、そういう役割の違いがあるとすればどういうことだというふうに思われますか。
  37. 山田豊

    参考人山田豊君) 具体的にその役割というのは、私は今の可児市の状態から見ますと、平均的に調整を十分連携をしておりますので、公私何ら問題はないというふうに、おかげさまで順調にいっておると思っております。
  38. 岡崎トミ子

    岡崎トミ子君 十分、公立校で役割が、私立校でなくできているということで受け止めてよろしいわけですね。
  39. 山田豊

    参考人山田豊君) はい、そのとおりでございます。
  40. 岡崎トミ子

    岡崎トミ子君 ありがとうございました。  もう一つ、川上参考人にお伺いしたいと思います。  川上参考人が事前に出されました内容によりますと、本当にJSL、この教育をしっかりやっていくということは、国家の言語教育体制というものをしっかりつくっていこうと。その国家のということは日本社会のためであるということ、それは国語の授業というか、そのことだけではなくて、本当に教室内外ですかね、そういうところで年少者の子供たちに対しての言葉教育、全体としてとらえるべきだというふうに書かれてあるわけなんですけれども、日本子供たちに対して求めることというのはどういうことになりますでしょうか。
  41. 川上郁雄

    参考人川上郁雄君) 御質問ありがとうございます。  冒頭で述べましたとおり、現代社会移動する時代になっていると。そうしますと、日本の中に少子高齢化ということもあって様々な外国人の方が今後入ってくるということが予想されます。そうすると、そこの中に子供たちが生まれて、そして子供たち日本学校に入ってくると、そういう状況というのは今後ますます強くなっていくだろうと思うんですね。そうすると、日本子供たちというのは、常にそういう社会的な状況に対応しないといけなくなると。それから、もちろん将来的に日本で活躍する子供たちもいるでしょうし、海外に行って活躍する、そういうお子さんも日本人の中にたくさんいるというふうに思うわけです。  重要なのは、考え方とかあるいは育った環境とか意見の違う様々な人たちと常に接していく、その中で言葉を使って相手とやり取りをしていくという、こういう経験を積むことが今後非常に子供たちにとっては必要だと思うんですね。そういう意味で、JSL子供たちにとっても学ぶことは重要ですし、そういう子供たちと一緒に同じクラスで学ぶことのある日本人子供たちにとってもこういう状況というのは非常に大切な環境だと思うわけです。  そこの中で、じゃ言葉を使って、あるいは言葉が分からない子供たちと接触したときにどういうふうにして相手の気持ちを理解し、そして相手とコミュニケーションを取っていくのかといったようなことを小さいときから経験をして、一緒に考え、そしてお互いに尊重し合いながら成長していくといったことが必要になってくると思うんですね。それは多分、JSL教育だけじゃなくて、全教科でかかわることだと思うんですね。  そういう意味で、JSL教員化ということと、それから言葉の力を育成していくそういうプログラムを各教科の中に染み込ませていくといいますか、そういうことが大事ではないかなというふうに思っています。
  42. 岡崎トミ子

    岡崎トミ子君 ありがとうございました。
  43. 田名部匡省

    会長田名部匡省君) 次に、丸川珠代君。
  44. 丸川珠代

    丸川珠代君 三人の参考人の皆さん、今日は大変御苦労さまでございます。大変示唆に富んだお話を聞かせていただきまして、ありがとうございます。  まず、山田参考人お話を伺いたいのですけれども、可児市で、初期指導から初等、中等、高等と日本語教育、それから教科指導まで、本当にシームレスにステップアップをする仕組みをつくり上げて、実際にそれを運営していらっしゃるということで非常に感銘を受けました。そうした仕組みづくりの参考にされた自治体、あるいはどこかの国家の言語教育なり外国人児童の受入れの仕組みというのが何かあったのでしょうか。  また、現実的にそういった仕組みづくりができずに、事実上、外国人児童受入れができないということを言ってしまうような自治体もある中で、大垣市も集住都市の一つと考えていいんでしょうかね。外国人児童が多い地域であるからこそ理解もあったと思うんですが、同時に、それが可能になった予算的なものの背景というのが何かあるのかどうか、あっ、可児市です、失礼いたしました。可児市の人手とか予算が許された背景というのが一体、大きく考えるとどういうものなのかと。もちろん、平成十三年から子供の数が一気に増加したというのはあると思うんですが、その背景も併せて教えていただければと思います。ちなみに、年間に幾らぐらいそれで市は使っているのかということもお願いします。
  45. 山田豊

    参考人山田豊君) 今、これまでの経緯と申しますのは、端的に申し上げますと、外国人集住都市会議を立ち上げましたのが私どもと、全国では少なかったわけでございます。それが最近は二十三の市町がその組織に入って、毎年いろいろ研修、検討をいたしておりますが、今御質問の本市の取り組み方、プロセスは、すべて独自で考えてきたわけであります。  ばら教室という名を付けたのは、可児市の花がバラであるということで、民間の建物を借用して、ここでまず全く分からない子供をとにかく面倒を見ようということがきっかけになって進んできております。  そういうことで、先生方それぞれポルトガル語の、特にブラジルでございますので、七〇%ブラジル人でございますから、そんな取組をしてきておるのが実態でございます。  年間の、職員といたしましては現在十一名ほどでございますが、もちろん市費を投入して、時間給で対応しておるということでございまして、二十年度の予算で見ますと約二千百万ほどでございますが、ボランティアの方がかなり積極的に御協力をいただいておりますので、おかげさまで順調に指導ができておると、こんなふうに思っておるところでございます。  最初にこの説明の中で申し上げましたが、一番問題はハード面だけではなくソフト面、すなわち、市の行政の部門において各担当がより一層連携を密にして対応してきたということが今日順調にいっておることだろうと、こんなふうに思っております。
  46. 丸川珠代

    丸川珠代君 ありがとうございます。  ちなみに、平成十三年から児童の数が急激に伸び始めたとおっしゃったんですけれども、それはどういうものですか。
  47. 山田豊

    参考人山田豊君) これは雇用労働力の問題、企業のいわゆる雇用の関係で急激に増加をしたということでございますし、私どもは全国に先駆けていわゆる実態調査をやったんですね。これは随分難しかったわけですが、ある大学の御支援をいただいて、研究材料にということでお願いをして、一緒になって実態調査をやりました。  都市会議で、そんなことがようできたねという話でございましたが、そのときに実態調査をやった結果、大きな資料を受けたわけであります。そういった調査報告書が、しっかりしたものが作り上げておりますが、こういうことから、これは大変だということで本腰を入れてきたということでございます。
  48. 丸川珠代

    丸川珠代君 ありがとうございます。  やはりその実態の把握というのが大切なのだなということを教えていただいた気がしますけれども、初期指導あるいは語学学習のパッケージみたいなものは、全国集住都市会議の中では共有しているんでしょうか。
  49. 山田豊

    参考人山田豊君) これはありませんですね。各市ごとといいますか、それぞれ対応の仕方があろうかというふうに思っております。
  50. 丸川珠代

    丸川珠代君 ありがとうございました。  続いて、川瀬参考人にお伺いをしたいと思います。  本当に御自身の一対一の関係性の中の熱意からここまでのことを成し遂げられてこられた、大変な御努力と御苦労をなさったことと思います。  お話の中で、授業料のみで運営されているというようなこともあったかと思うんですけれども、実際、ほかの多くのブラジル人学校でも授業料だけで運営することに苦労していらっしゃる学校も多いかと思いますが、それが現実的に今可能になっているのはどういうサポートがあるからなのか、あるいはどういう工夫をしていらっしゃるからなのか。  それから、自治体から各種学校として許認可を受ける際に、結果的には要件の緩和があったことで可能になったわけですが、その背景というのは、実績あるいは理解、サポーターがだれかいたかどうかというような、何か背景があるかどうかという点。  それからもう一つ、ちょっと大きい話になりますけれども、やがて帰っていく子供たち教育するということの意義を教えていただきたいと思います。  恐らく、想像するに、大きい意味日本を愛してくれる人たちを世界に増やす、あるいは日本という国のソフトパワーを強くするというような大きい意味があると思うんですが、事、国としてそれをもし進めていくとした場合に、どういう意義というものを私たちが持っていられるかというところを教えていただけますでしょうか。
  51. 川瀬充弘

    参考人川瀬充弘君) 本当に当初、法人になるまでは授業料のみでございました。本当に足らず米のところは自腹を切って乗り切っていったんですけれども、もう節約するところは節約しました。けれども、どうしてもお金が要るところは人件費で、先生を削るわけにはまいりません。私がバスの運転をし、会計をしという、自分がやらなきゃ、人を雇うんじゃなくて自分がやっていくというところで詰めていったのも事実です。  一年目なんかは本当に、先ほども申し上げたように、一年トータル、じゃ、どれだけだといったら、六月から少し考慮しながら今言った削減を、どう減らしたらいいんだろうという本当に細かいことから始めまして、バスの経路、送迎バスの経路を効率良いように自分で地図を描きましてガソリン代を削る。今、高騰から少し下がったんですけれども、当時も高かったんです。送迎バス六台ありますので、その分、一月百万円とは申しませんが、それに近い金額になります。それをいかに削るか。今度は運転手のところ、教育については下げれないんで、あと、運転手の時間を短くして時間給を減らすか、そこら辺の本当にもう残った部分の削り方でやっていったのも事実です。  あと、二番目の緩和の方は、静岡県の方が緩和しましたよということを県の方に言いに行ったのも事実です。というのは、もう知っていらっしゃったと思うんですけれども、岐阜県の方は。静岡県のペルー人学校学校法人になったというニュースを聞いて、じゃ、何とか岐阜県でもならないかということで緩和のお願いに行ったと。それまでに何度も教育委員会というか、今は人づくり文化課というところで、各種学校の担当の課なんですけれども、そこへ何度か足を運んで学校法人お話をしていったというのは事実ですけれども、なかなか首は縦に振らなかったというのはあります。やっぱりきっかけは静岡県ではないかなと思っております。  三番目の教育の意義については、私どもの教育の意義は先ほど述べたようなんですけれども、ただ、今度は国としてやっていただきたいなというのがあるんですけれども。というのは、外国人学校を全部一からげではなくて、私どものように一生懸命やっている外国人学校もあれば、学校屋という学校もあります、事実。  託児所であれば託児所のように未就学の子をお預かりしてやっていればそれでいいんですけれども、エスコーラという、学校なんですね、ポルトガル語でエスコーラという名前を付けて託児所をやっているみたいな、先生がいない、教える人がいないというところで、行っている子供たちがそれこそ日本語も話せない、ポルトガル語も話せない、書けない、読めない、どちらでもない人種ができてしまう。これについて何か規制をしていただければ有り難いなと思っております。  以上です。
  52. 丸川珠代

    丸川珠代君 まさに、どちらでもない子供ができてしまわない教育をということでおっしゃったんですけれども、今授業のカリキュラムの中でポルトガル語日本語の配分が、例えば小学校六年生だと二百時間対八十時間というふうになっていますけれども、この配分というのはどういうところからできてきたんでしょうか。
  53. 川瀬充弘

    参考人川瀬充弘君) まず、カリキュラムはブラジルのカリキュラムに沿って作っております。一日の学習時間が決まっておりまして、一年の学習時間も決まっております。その中でいかに日本語英語を入れて組み込んでいかなければならないかというところで時間割が決まっております。低学年の方がたしか日本語が多かったのではないかなと思います。  級を取るような子供たちは、私どもの学校から送迎で帰っていきまして、公文塾へ、日本語勉強をして、一生懸命日本語を上達しよう、また級を取ろうと思って勉強されているみたいです。  一つ、やっぱり教育というのはきっかけというところも大事だと思うんですね。だから、こういう日本語もあるよ、丁寧語もあるよというきっかけをつくる、そこで自分勉強する、そういう機会を与えたのではないかなと思っております。
  54. 丸川珠代

    丸川珠代君 最後に一点だけ。  静岡県の学校で各種学校の認定を受けたというのはペルー人学校のことだと思いますけれども、実は、私たち調査会としての視察でその学校に行ってまいりました。その学校特定公益増進法人という、寄附を受ける際に税制上の優遇が受けられる資格というものを得るのに非常に苦労しているという話を伺いまして、一方で、こちらのHIRO学園の方は、企業から寄附を受けたのは初めて、この前というようなことを今おっしゃっていたんですけれども、企業からの協力というものに関してはどのようにお考えになっていらっしゃいますか。
  55. 川瀬充弘

    参考人川瀬充弘君) 本音を申しますと、年間百万円をいただいて有り難いような有り難くないようなというのが事実でございますが、でも、今まではゼロだったので、取りあえずこれは、四学期ブラジルはあるんですけれども、四学期制には四回の教科書が私ども必要なんですね。三百人分の教科書を一回飛行機で空送しますと百四、五十万掛かるんです。それが年四回ありますので、その一部に寄附金は充当させていただいております。また、その折にそういうふうに申し上げました。  本来、学校法人になりましてから、市の学校教育課、それから私どもの学校、大垣市内にあります企業さん、そしてそれの下請になっております人材派遣会社の方々がこれで二回目の協議をするようになりました。話は進んではおりませんけれども、前はゼロだったのが二回協議がある、これから何か生まれてくるのではないかなと思っております。
  56. 丸川珠代

    丸川珠代君 ありがとうございました。
  57. 田名部匡省

    会長田名部匡省君) 次に、鰐淵洋子君。
  58. 鰐淵洋子

    鰐淵洋子君 公明党の鰐淵洋子と申します。  本日は、三人の参考人の皆様、お忙しい中、大変にありがとうございました。また、それぞれの現場での貴重な御意見を賜りまして、心から感謝申し上げたいと思います。  まず、お一人ずつ、一問ずつ伺わせていただきたいと思います。  まず、川上参考人にお伺いしたいと思いますが、今日のお話の中でも、移動せざるを得ない子供たち、こういった子供たち言語の発達、これをどう確保していくかが一つの重要な課題ということでお話もしていただきました。  その中で、やはりこの課題学校だけではなくて、国、地方自治体、また親の仕事の関係で来ていることもありますので企業だったり、また地域、それぞれのこういった役割といいますか、それぞれが役割を果たしていくことが、そしてまた連携を取っていくことが大変重要になってくると思うんですが、川上参考人の考えていらっしゃる、国、地方自治体、また企業地域、それぞれの役割についてどのように考えていらっしゃるのか、また、それがどのように連携を取っていけば先生の言われている理想的な体制づくりというか整備につながるのか、具体的なお考えがありましたらお伺いをしたいと思います。それがここに書かれている目黒の例なのか、あと三重県の鈴鹿市というのがあるんですけれども、これがそれに当てはまるものなのか、それを含めて御説明を願いたいと思います。  次に、山田参考人にお伺いしたいと思いますが、実態調査もされて、またその上で役所内での連携、外国人の登録をされて、それから教育につなげるまでの連携、また日本の文化とか言語とか、教育に入るまでのばら教室での対応ということで、大変にすばらしい市として取組をされていると思ったんですけれども、自治体としてこれから、それぞれ地域によっても課題は様々だと思うんですが、こういった外国人子供たちに対する教育課題に対して、ほかの自治体にアドバイスというか、ここがポイントだよ、ここが大事だよというようなことがありましたら、是非とも具体的に教えていただきたいと思います。  最後に、川瀬参考人の方には、日本生活するブラジル人子供たち、是非日本地域とか文化に触れていただくことも重要なというか大事な課題になってくると思うんですが、そういった点で、例えば地域の方から何か具体的に支援というか協力をいただいていることがあるのかどうか。そういったことが、例えば地域のお祭りに行っているとか、地域の人がこうやって学校に入ってきてこういった支援をしてくれているとか、そういった何か地域の方とのかかわりがありましたら、具体的に教えていただきたいと思います。
  59. 川上郁雄

    参考人川上郁雄君) 御質問ありがとうございます。  今の御質問は、どういうふうに企業地方自治体との連携を進めたらよいのかという御質問だったと思いますけれども。  まず申し上げたいことは、教育行政、これは地方行政、例えば区であったり市であったり、もう同じなんですけれども、こういう子供たちの問題があったときにどういうふうに教育行政が働くかといいますと、まず予算がないので予算を確保する。これは市であれば県から、県であれば国からという形で予算を獲得しようというふうに働くと思います。それから、次に行うことは、お金が付いた場合、じゃどうするか。そうすると、人を確保する。例えば、通訳者を雇うとかあるいは指導員を雇用するとかいう形で人を付けると。ここでは、お金と人というところまでが今全国で行われている行政の手法だというふうに私は認識しています。  しかし、これからの時代はその中身ということだと思います。つまり、どういうような教育をするかということが非常に問われてくるんだと思います。つまり、そこには、これまでの経験であったり教育的な知見であったり、あるいはこういう子供たち教育するための知識、そういったものを備えた人材によって、そして具体的な成果が上がる指導を行っていくという中身の問題が実は非常に重要だというふうに思います。  この問題は、今日もいろいろ御報告がありましたけれども、全国で様々な試みが行われていますが、今日申し上げたいのは、その根本的な問題を私は指摘したいというふうに思っています。それは、システムがないということ、それから教員養成がないということですね、この二点に限ります。だから、私が申し上げているのは、こういう子供たちを受け入れるシステムを是非つくっていただきたい。  例えばの例で申し上げますと、オーストラリアでいいますと、オーストラリアは移民の子供たちが入ってきて、英語母語としない子供たちがたくさん入ってくる。そういう子供たち英語を教えるというESL教育があります。この場合、小学校ですと五年間、自分英語母語でないのでだれか指導員を付けてほしいということを要求できるんですね。それから、小学校から中学校にまたがっていると七年間、そういう先生を付けて指導を受けたいということが要求できるんですね。日本はそうはなってない。先ほど申し上げたとおり、ほとんどが予算の問題、人の問題で、指導ができるのは数か月で終わりです。そして、後は放置されているという、そういう状況になっているわけです。ですから、まずこういう子供たちを受け入れるためのシステムを是非つくっていただきたい。  そのことと同時に、その子供たちを指導する専門的な教員を是非つくっていただきたい。これは今の教員養成行われているところには入ってない点です。つまり、教員養成系大学であったり教育学部では今教員をつくっていますけれども、その中にはこういう子供たちを想定した授業もなければ単位というものも認定されていないわけですね。だから、教員をつくる段階から、もうこういう子供たちが将来も来る、そして日本子供たちもその子供たちと接触し、そして一緒に学んでいく。そうなると、日本学校で学ぶ先生方はこういうことを想定した教育を実際に教員になる前に受けていかなきゃならない。そういったような教員養成を是非やっていただきたいというのがまず前提でありまして、その上に立って、じゃ連携って何なのか、どういうふうにして教育を進めるのか、問題はどういうふうに解決したらいいのかということを是非地方レベルでも考えていただきたいというふうに思います。  先ほどは鈴鹿の例と目黒区の例が出ましたけれども、我々はそれを教育委員会と一体となって、そしてまず現状の把握として、子供たち日本語の力をJSLバンドスケールで把握し、そして必要な指導を学校先生方と連携を取ってやっていこうというふうにしております。その点が全国では非常に珍しいケースではないかなと思います。  以上です。
  60. 山田豊

    参考人山田豊君) まず、外国人の方が急増したということは、最近、特に数年前は中国人が多かったわけでございますが、それが急激にブラジル人になり、フィリピン人が多くなってきたということでございますが、どの外国の方も生活文化は随分日本と違うわけでありますね。  端的に言いますと、ごみを出すこと、生活云々、リサイクル、分別収集、こういったことがとてもできないわけなんです。何でも混在して、とにかく放置するという、捨ててしまうという、そういうことですので、それが地域コミュニティーを害するという、極めて悪い方向へどんどん進んできたということから、やはり地域がもたらすところの力で外国人とのコミュニケーションをより一層深めてくると。  特に口語体の方が多くて、筆記体で幾ら文書を出してみてもなかなか十分読み切れない。端的に言いますと、市の広報をポルトガル語なり英語なりということで出しても、それを読める人は三分の一ぐらいよりないと。それより絵をかいて出してくれというぐらいのときが随分ございましたので、より一層きめ細かに、いつのときも日本の自治組織が力になって地域での努力をしていただいたのがそもそものきっかけでございます。  そういうことによって、だんだんエスカレートしてやはり共生時代だということになってき、したがって犯罪も多くあったのが減少してきたと、こういうことでいわゆる地域との輪に溶け込んでいただいたと、こういう状況学校においてもより良い方向に向いてきたというふうに思っております。
  61. 川瀬充弘

    参考人川瀬充弘君) 地域のかかわりですけれども、やっぱり大垣のみこし祭りとかいうのがあるんですね、それの見学。あと、夏祭りにサンバで参加したり、あと盆踊りを見学に行ったりしております。  これは開校当時からずっとなんですけれども、一月に一回、一度なんですけれども、木曜日、これも曜日が決まっておりまして、どの木曜日かというのはまだ決まっていないんですけれども、近所の方が三、四人集まっていただきまして、おばさんたち、おばあさんたちが掃除をしていただくと。また、幼児科の年長組さんがありますので、その子たちと一緒に遊んでくださる、そういうのがずっと続いております。  きっかけは、何かそこの息子さんがブラジルで仕事をするようになって、ブラジルというのが身近になったからということで御近所の方を誘ってやり始めたのがきっかけだと聞いております。  以上です。
  62. 鰐淵洋子

    鰐淵洋子君 ありがとうございました。  それぞれ御意見いただきましたけれども、この課題につきましては、それぞれ今日参加の私たちも関心も持って取り組んでいる課題ですので、また今日いただいた御意見参考に、しっかり国会の中で整備づくり、そういった点で頑張っていきたいと思いますので、本日は大変にありがとうございました。  以上でございます。
  63. 田名部匡省

    会長田名部匡省君) 紙智子君。
  64. 紙智子

    ○紙智子君 日本共産党の紙智子でございます。  今日は、参考人の皆さん、本当に貴重な御意見ありがとうございます。  それで、ずっとお話も聞いていて、やっぱり外国人子供たちというのは親の労働環境といいますか、不安定な状況であればそれに左右される形で学ぶ機会そのものを奪われてしまったり、あるいは劣悪な状況の中で学ばなきゃいけないということに置かれているということを考えますと、やはりそういう外国人労働者の置かれている権利の問題やあるいは労働環境といいますか、そういうところ自身もきちんとしていかなきゃいけないなということを思うわけですけれども、同時に、どの国の子供であれ、どこにいようと、どんな状況の中でもやっぱりひとしく教育を受ける権利というか、これが保障されなければならないというふうに思うわけですね。  そのときに、そのこと自体は子どもの権利条約の中にもきちっとうたっているわけですけれども、やはりそういう子供たちが生きる力とか考える力をしっかり身に付けるというためにも必要な学力というのが求められるし、そういう環境というか条件つくらなきゃいけない、これはもう行政の責任だというふうに思うわけです。  その上で、三人の方に同じ質問なんですけれども、やはり子供たちの不就学あるいは外国人学校の財政的な基盤の問題など様々な問題の根底にあるのが、日本政府は、日本子供たちは義務教育はっきりしているんですけれども、外国人子供たちについては義務教育の枠の外にやっぱり置かれているんじゃないかということも指摘されているわけですけれども、この点についてどのようにお考えかということを三人の方からお聞きしたいと思います。できれば一言ずつ。
  65. 川上郁雄

    参考人川上郁雄君) 御質問ありがとうございます。  今御指摘のとおり、不就学という現象といいますか、これはやはり学ぶところがないということで、結果的に学校を離れてしまって、そして家庭や地域の中に埋没していくといいますか、学ぶ機会が奪われたまま放置されていくというそういう現象ということで、大変深刻な状況であろうというふうに思います。  私は、義務教育という枠外にあるということも踏まえた上で、今後こういう子供たちにどういうふうに対応するかということを考えますと、今、日本文部科学省は、こういう子供たち日本公立学校に受け入れますよと就学案内など様々なことをやっています。しかし、重要なのは受け入れるだけでなくて、受け入れてからどういうようなサポートなり教育を行っていくかということになるんだと思います。  つまり、不就学というのは日本学校の中に入っても十分に学べないと、その結果として不就学というものが起こってきていると思うんですね。だから、単に義務教育化すればよいという問題ではなくて、むしろ今の制度の中でこういう子供たちを受け入れてどういうふうに指導するか、育てていくかという、そこのところの議論というものがまだ十分でないというふうに思うんですね。そのために、例えば通訳者を付ける、さっきのお話と同じなんですが、通訳者を付けるというだけでは十分ではないと。受け入れてどういうふうに指導をするかという、そこのところのシステムづくりを是非考えていただければというふうに思います。
  66. 山田豊

    参考人山田豊君) 保護者の方はどうしてもやっぱり働くということに中心を置いておりまして、なかなか子供教育ということについては熱心さが低いわけでありますが、そういう面から子供はそのままにしておくということができないというのがやっぱりだんだん情勢として判断されるようになりました。  そういう中から、本市にとりましては、生徒の学習保障事業という、当然学習をさせるという考え方で保障事業という名の下に出発をしたわけであります。進学をして、問題は、どんどん中学から高校へ行くという形と同時に、あと、進路指導というところまで考えるような体制を取らないと、今かなりいわゆる永住化の傾向がございます。そういう状況から見ると、進路指導まで対応する、いわゆる日本人と同じ形をしっかり取っていく必要があろうというふうに感じております。
  67. 川瀬充弘

    参考人川瀬充弘君) 私はブラジル人学校の立場からなんですけれども、ブラジル人学校自体もやっぱり教育レベルをもっと上げて、法人化になるよう努力しなければならないと思うんです。  なかなか法人化にならないというのは、ブラジル人学校の経営者はブラジル人の方で、各種学校、準学校法人という理解をされていない、またしようとしない人も見えるかもしれませんけれども、実際にそうだと思います。寄附行為だのいろんなことがあるんだけれども、やっぱりそれが理解できないから学校法人化にならない。学校法人化にならないというのは、逆に言いますと、レベルがまだそれに至らないという形になってきて、結局だれが困るかといったら、ブラジル子供たちが困っているということになりますので、そうではなくて、やっぱり学校として日本学校の位置付けを持ってもらって頑張ってもらいたいなと思っております。
  68. 紙智子

    ○紙智子君 それじゃ、この次はちょっと個々別々になんですけれども、山田参考人にですけれども、外国人の生徒の多い学校への教員の加配ということで、地方の財政負担、配置が単年度単年度ということで、長期的なシステムをつくりづらいという問題なども指摘されているわけですけれども、現在の国の対応策としてこれでいいのか、あるいは問題点、もっとやってほしいということがあったらお聞かせいただきたいというのが山田さんです。  それから、ちょっと続けて言いますけれども、川瀬参考人には、いろいろ悪戦苦闘されながらこられているわけですけれども、やっぱり多くのブラジル人学校が、ずっとお話の中にもありました公的支援が余りないと、財政的な基盤が非常に大変で、ですから結構閉校になってしまったりとかしていると思うんですね。そういう中で運営していくために、当然国や自治体の支援というのは必要なんだと思うんですけれども、具体的にどんな支援、そしてもう一つ併せて言うと、労働者として外国人を受け入れている企業社会的責任といいますかね、企業負担についてはどのように考えられるかということを聞きたいと思います。  それから、川上参考人には、ちょっと離れるんですけれども、最初にいただいていた資料の中でちょっと読んでいてよく分からなかったところがあって、「多文化共生社会の落とし穴」というところがあって、その中に、「多文化共生社会というイメージは、JSLの子どもたちにとって必ずしも安心できるイメージとは言えない。」という部分があって、これがちょっともう一つどういう意味なのかなというのがあったものですから、それについてお答えいただきたいと思います。
  69. 山田豊

    参考人山田豊君) 先生方につきましては、おかげさまで県費にゆだねておるわけです。県費すなわち国庫であろうかと存じますが、現在の状況は、その毎年毎年の実態に合わせて増をしていただけるものかどうかというところに来ております。継続はもちろんしていただいておるのが状況でございます。    〔会長退席、理事岡崎トミ子君着席〕  それから、当然ながら、それでは不足いたしておりますので、市でいわゆるサポーターそして非常勤の講師等、そういった方をお願いをして、いわゆる実態に即応をしたような形は市で対応しておるというのが実態でございます。できる限り、こういうことに対して、正直なところ物差しというのが、なかなか基準がないようでございますので、これはそれぞれ実態に合わせた形であるというふうに思っておるところでございます。
  70. 川瀬充弘

    参考人川瀬充弘君) 国からのどんな支援というところで頭を悩めたんですけれども、お金、物、人、何でも結構でございます。それで、法人になりましてこの三月末に初めて県の方から助成金をいただきました。とても有り難いことです。一千四百八十万ほどいただきました。やっと回るようになるかなと思っております。  より高めていかなければならないのは、助成金について、先生の給料は助成金に入らないものですから、日本語強化をしていきたい。また、この資料はちょっと古いんですけれども、今十八名の先生がおりまして、その人たちのお給料も払わなければならないという、やっぱりいい先生を雇うにはいい、高給な方が来るという、どうしてもなっていきますので、今の人の問題でもし御支援していただければ、いい先生派遣していただければ有り難いなと思っております。  あと、企業の責任なんですけれども、本音を言いますと、あると思います。就労されて、そのお子さんをお預かりしているので、行政の大垣市の方も、そうやって法人になって三者、四者会談をするようになったということは、それを期待しているんではないかなと思っております。答えが出るのはいつになるのか分かりません。  以上です。
  71. 川上郁雄

    参考人川上郁雄君) 先ほどは多文化共生社会の落とし穴とは一体どういうことなのかという御質問をいただきましたので、お答えしたいと思います。  私が今考えていますのは、近年いろいろなところで多文化共生という言葉がキーワードになって議論がされています。確かにそれは、これからの社会を考えますと外せないテーマでもあるわけです。ところが、その多文化共生ということを議論していくときに、果たしてこういう、今日のテーマでありますJSL子供たち教育の中で大切な部分が議論されているのかどうかということを常に感じます。  それはどういうことかといいますと、多文化共生なので日本人子供たちと仲よくしましょう、だからこういうプログラムを作りました、こういう行事をやりましたということが盛んに言われたり主張されたりするんですが、果たしてその教育の中でJSL子供たちが考える力となるような言葉の力が育成されていくのかどうか、そこの検証があるのかどうかということが疑問に感じるわけです。だから、そこの検証をしながら多文化共生の議論をやはり我々はやっていかないといけないんではないかなというのが一点です。  それからもう一点は、これは世界的傾向があるわけですけれども、いろんな国でこういう移民の子供とかあるいは外国人子弟教育については、予算の措置がされたり、あるいは実践がされたり、あるいはアファーマティブアクションといったような言葉で、そういった教育を改善するという試みが様々に行われているわけですね。ところが、それは国の経済が豊かなときの議論でありまして、経済が傾いてくるとこういう子供たち予算が削られていく。さらに、国全体の学力低下といったことが議論されてくると、外国人子供たちというのが言葉のハンディによって学力が低くなっている、そこにむしろ予算を削っていくというような方向で、つまりこの子供たちがスケープゴート化されて、この子供たちが悪いというような論調になって進んでいく傾向がある。そこのところが非常に危ういんではないか。  そういう意味で、多文化共生社会の落とし穴というふうに名付けたのは、そういう議論の中で欠如している視点といったことを指摘したいと思って、そういうことを表現をいたしました。
  72. 紙智子

    ○紙智子君 ありがとうございました。
  73. 岡崎トミ子

    ○理事(岡崎トミ子君) 岩本司君。
  74. 岩本司

    岩本司君 民主党の岩本司と申します。参考人の皆様、本日は誠にありがとうございます。  確認というか御意見賜ればと思うんですが、まず川上参考人には、JSLカリキュラム、私もこれはすばらしいなと思うので、このようなカリキュラムが必要だと、すばらしいなと思うんですけれども。先ほども川瀬参考人から、いじめの問題とか現場ではいろいろあるという御意見も賜りましたが、公立学校外国人子供たちの受入れで、私も視察に参加させていただきましたけれども、一クラスに一人あるいは二人の外国人子供たちを同じクラスに、日本人のクラスの中に受け入れて勉強しているんですけれども、習字の勉強しているところをちょっとのぞきましたら、その外国人の女の子は筆も墨もなしにただ座っているんですよね。ほかの子供たちは習字の勉強をしているんですね。  ですから、やはり取り残されているそういう現場も見させていただいたんですが、年は違っても、学年が違っても、同じクラスに、例えばブラジル人だったらブラジル人子供たちを一緒に受け入れて、同じ時間でそれぞれのカリキュラムに沿って、二年生は二年生の算数を教えながら、この隣では四年生のそういう勉強を教えるというような、そういう考え方についての御意見を賜れればと思います。    〔理事岡崎トミ子君退席、会長着席〕  また、山田参考人には、教員が足りないと川上参考人も指摘されておりましたけれども、国際教室、懇談会ですか、外部機関との連携を図っていらっしゃると。人材派遣会社などというふうに資料に書かれておりますけれども、これは人材派遣やあるいは駅前留学の英会話学校とか、そういうところと連携したりとかされているのかなと思って、詳しく、どういうふうに連携をされているのか教えていただければというふうに思います。  また、川瀬参考人には、ブラジル人学校を経営されている中で、現実問題、両親共働きというのもあるでしょうけれども、例えば母親子供たち教育現場で教えているような、そういうことはあるのかどうか、教師として参加されるパターンがあるか、母親が、そのことをちょっとお伺いしたいと思います。
  75. 川上郁雄

    参考人川上郁雄君) 御質問ありがとうございます。  先ほど先生が御指摘されたのは、在籍クラスの中にいる少数のJSL子供たち取り出して、そういうのを幾つかのクラスを形成するなりグループにして、そして集中的に指導できないかという、そういう御提案だったというふうに思いますけれども、実際それができる学校とできない学校があります。  それはどういうことかといいますと、そういう子供たちがたくさんいる場合は加配教員といって定数よりも追加して一人多い教員配置されて、そしてその先生がそういう子供たちを在籍クラスから取り出して、そして特別な授業を行うということが可能になります。ところが、少数の、さっき先生がおっしゃったように、一人とか二人とか非常に少ない場合は加配教員が付かないということになっていますので、そうすると、だれが教えるか、取り出したところで管理職が教えるのかというような形にならざるを得ない。ですから、実際にはなかなかすべての学校でそういった今御指摘のような取り出し指導ができるという状況になっていないんですね。それがまず第一点です。  それから、関連することで少し申し上げますと、加配教員というのは、ある一定の数のこういうJSL子供たちがいると、学校から教育委員会に要求をして教員を一人追加で配置していただくというこういう制度ですけれども、実際にそれで加配された先生が必ずしもこういう子供たちを教えることのできる先生でもないし、あるいは経験を積んだ先生でもない、一般の先生が一人追加されるだけなわけですね。  そうしますと、来た先生方もあるいは管理職の先生方も、どういうふうにカリキュラムを作ってこういう子供たちを指導したらいいか分からない。そのために、例えば中学校ですと、来た先生を教科の先生として使う。つまり、中学校ですと国語の先生だったり数学の先生だったり専門性を持っていらっしゃいますね。そういう先生を加配として受け取っても、実際は教科の先生として使う、特別な取り出し指導はしないといったところが現実にはあるんですね。  それから、もう少し言いますと、こういった子供たちが増えて加配教員を要求するとなると、教育委員会の予算が逼迫します、お金が足りなくなる。そのために、地方自治体によっては、こういう子供たちがいても数えるなと、二年以上は指導はしてはいけないという通達を出している自治体もあります。それだけ深刻なわけですね。  ですから、私が申し上げたいのは、国としてのシステムをつくることと、こういう子供たちをちゃんと、きちんと教えることのできる教員を養成しなければならない、もうそういう時代に来ているというふうに思うわけです。
  76. 山田豊

    参考人山田豊君) 私どもの方の連携というのは、国際教室というのは各外国の方のいわゆる教室を設けておるわけであります。それは、当然県からの加配教員九名を中心にして、もちろん学校長、そして人材派遣会社の関係、それから国際交流協会、これは特に国際交流協会は各国の語学の研修からレクリエーションからすべて事業を展開しておりますので、そういうこと、そしてそれに当然市の教育委員会等も含めて、総合的に絶えず連携をして事に当たっておるという状況でございます。
  77. 川瀬充弘

    参考人川瀬充弘君) 教師の件で、その子供ということですけれども、うちの学校には十八名の先生がお見えになって、十五名がブラジル先生です。そのうち三名の先生自分子供日本学校に行かせています。一番大きい子で高校二年生のお子さんが高校に行っています。あと八名の方は私どものブラジル人学校に通学させております。  以上です。
  78. 岩本司

    岩本司君 ありがとうございました。
  79. 田名部匡省

    会長田名部匡省君) 次に、義家弘介君。
  80. 義家弘介

    義家弘介君 参考人の方々、本日は本当にありがとうございました。  もう多くの先生質問なされていることと重複しますので、端的に、今疑問に思っていること、お聞きしたいことを質問したいと思います。  まず、川上参考人にお聞きします。  発表の中で、国レベル、地方レベル教育行政でシステムがないということをおっしゃっていましたけれども、一方で岐阜県可児市のシステムというのはいかがお考えになるでしょうか。
  81. 川上郁雄

    参考人川上郁雄君) 今、可児市の山田市長から詳しい御説明がありました。私は、地方自治体レベルでこれだけきちんと市を挙げてやっていらっしゃることに大変敬意を表したいというふうに思います。非常にこれは地方自治体レベルで様々な英知を結集し、そして各学校あるいは地域と連携してやっていらっしゃるすばらしい実践だろうと思います。  ただし、私は、このケースはほかの日本全国の自治体が同じようにできるかといいますと、かなり難しい面もあるのではないかなと思います。  それは外国人の集住しているところとそれから集住していないところというのがあります。それから、全国を歩きますと非常にいわゆる都市部から離れたところ、そういったところにもこういう子供というのは実際にいるんですね。そういうところでは、じゃ、どうやってその子供たちを指導するか現場の先生は非常にお困りですし、自治体としても予算がない。それで、学校外のボランティアの方に依存して、そしてその方々に教えていただくというような形を取っているところも多数あるわけですね。  そういう意味で、私は、国全体のシステムを考えていく、そういう時期にもう来ているのではないかというふうな感想を持っております。
  82. 義家弘介

    義家弘介君 ありがとうございます。  その上で、もう一点川上参考人にお聞きしたいんですけれども、JSL教員の養成あるいは加配、確かにすごく意義のあることだと思います。私も、多文化共生の町、横浜で教育委員をしてきましたけれども、二四・三%、四人に一人ぐらいが外国人だという学校がありながら、一方で数人しかいないという学校もありながら、じゃ、これをどうしていくのかという意味では、非常に専門職としての教員配置される、あるいは育てられていくということはこれから大事だと思うんですけれども。  問題となるのは、対象の生徒の母国語先生もおっしゃったように六十か国語、ポルトガル語もあればスペイン語もあればいろんな言葉の子と向き合わなきゃいけないわけですね。すると、まず生徒とのコミュニケーションが前提にならないと教育は始まらないと思うわけですけれども、このJSL教員というのは、これは、じゃ、あらゆる言語の基礎知識のある人間を育てていくということなのか、それともそういう専門家、ばらばらの専門家をやってそれを配置していくのか。  だとしたら、これは県レベルではできないので、国が人材バンク的に持ちながら、この言葉はこの人みたいに配置していかないと、ストックだけしてその言葉コミュニケーションツールとして使わなければその先生は生かせないみたいな形にもなっていくと思うんですけれども、その辺どう多国語を扱えるようにするのか、それともその言語を話せる人がそういう研修を受けていくのか、その辺について是非お聞かせいただきたいと思います。
  83. 川上郁雄

    参考人川上郁雄君) ありがとうございます。  今のJSL教員化というのは、私が申し上げているのは、教員養成課程の中にこういう教育課題があることをきちんと認識し、そしてそういうコースを設けていくということになります。そうしますと、普通のいわゆる日本人先生で、そして日本小学校先生になるという、そういう人が教職課程の勉強をしていく中にそこで学ぶことができるということになろうかと思います。  そして、JSL教員というのは、今の申し上げているのは教員全体の教員養成ですけれども、片方で、例えば私どもの行っている大学院では年少者日本語教育ということで様々な科目と実践研究がありまして、私どもの大学院で学んだ人が年少者日本語教育専門家として各地で働くことができると。その例が先ほど申し上げた目黒区であったりあるいは三重県の鈴鹿市の例なんですけれども、そういった専門的な先生をつくるコースと、それから一般の教員が教職科目を取るときにこういう問題があるということを認識して教員になっていくという二つの道が必要なんだと思います。  そして、例えば先生になって自分のクラスにそういう子が来たときに、じゃどうやって対応するかというときに、必ずしもすべての先生がすべての言語に堪能である必要はないと思うんです。それは、日本語で相手とコミュニケーションをすると、そのときに子供が多言語で、非常にバックグラウンドが普通の日本子供とは違うんだということを十分認識して、じゃどういうふうに相手とコミュニケーションを取っていくかという、その心構え一つでかなりの教育効果が上がります。実際に日本語を教えながら、相手の日本語の力も上げながら、そして教科内容も入っていくということが可能になるというふうに思います。もちろん、通訳者がいるということは否定しません。通訳者がいてもいいですし、あるいは先生が多言語を話すということも大いに奨励されていいと思います。ただし、それをすべての先生に求めるということは非常に難しい。  しかし、一方で、専門職としてJSL教員というのをやはり諸外国と同じようにつくっていかないといけない。例えば、外国ですとESL教員というのがやはりつくられています。このESL教員というのは、場合によっては、移民として入ってきた方で母語英語でない方の場合でも教員になってそして英語を教えていくという、そういうESLの先生もたくさんいらっしゃるわけですね。  ですから、日本教員採用の場合でも、例えばほかの国から来て、その言語が十分できる方で、そして日本学校で働けるような方、そういった方も任用していくということは非常に重要だろうと思うんですね。ですから、幾つかのルートは考えられるのではないかというふうに考えております。
  84. 義家弘介

    義家弘介君 ただ、私も現実に日本語をしゃべれない外国の生徒を受け持ったことが数回あるわけですけれども、このコミュニケーションができないということが本当に、実は致命的なぐらいすごく難しいことなんです。もちろん、そのためにその言語勉強しながら片言で伝えたとか、そういうこともあったわけですけれども。  これはいかに専門性をもってしてもすごい大きな壁、問題があるとは思うんですけれども、でも、その辺についても、しかし何も研修しないでそのまま担任先生にぽんと行くよりは、全く全然別の次元の指導ができるので意義はすごくあると思うので、これはもう一度精査してみる、特に教員養成課程あるいは教員の研修の中で、例えば教員免許更新制なんかの中で多文化共生という意味でそういう研修をしていくというのも一つの第一歩だと私自身は感じます。  続いて、山田参考人にお聞きしたいんですけれども、可児市は私も訪れたことがありますけれども、非常に立派な実践を町ぐるみ、地域ぐるみでやっている、まさにモデルとなる自治体だと思うんですけれども、私自身、教育に必要なのはまさに希望だと思うんですね。希望があるから教育は成り立つ、そして希望を与えるためには選択できる能力が前提になってくる、そのためには基礎が重要なわけですけれども、だからこそすべての生徒に学習保障をしていくということは非常に意義があることだと思います。  その上で、この難しさ、先ほども一つ質問に出ていましたけれども、いつか母国に帰る子、それから日本で生きていく子、それから今のところ全く未定の子、これはモチベーションがばらばらだと思うんですね。そのばらばらなモチベーションの中で出口を目指して希望を持った教育をしていく、そのコツというか、どういうところに心掛けているか、是非教えていただきたいと思います。
  85. 山田豊

    参考人山田豊君) 大変難しい御質問でございますが、問題は外国人、これちょっと基本的なお話を申し上げますと、実態調査をやったときに不就学で、それは当然保護者に対しての面談によって、どう考えておるかとこれをとことん聞き出して、それからが基本的な出発をしてきておるわけでございますが、本市の場合は、帰国云々という考え方よりも、まずは日本語を覚えたいんだという、覚えなきゃ生活がしにくいという、そういうことに方向がなってきておるものですので、ブラジル人専門の学校もございましたが、これは幼児から小学生までございましたけど、四百人ぐらいの学校がございました。しかし、そこへ行く人はいなくて、日本語勉強をするということで来ておりますのでそう難しいことではない、それが一つのきっかけにしたのはばら教室という形で、小規模だけれども始めたという、それが皆さんの理解が得て今日があるというふうに思っております。
  86. 義家弘介

    義家弘介君 もう一点だけお聞きしたいんですけれども、不就学ゼロを目指して様々な効果的な取組をしていますけれども、現実に今把握している不就学、大体何人ぐらいあるいは何%ぐらいとお考えでしょうか。
  87. 山田豊

    参考人山田豊君) 現在のところ九九%、一人ぐらいはどうもはっきりしない子がいるという程度でございますので、極めて数字的にはしっかりしておるというふうに思っておるところでございます。
  88. 義家弘介

    義家弘介君 いや、日本人の方が駄目だなと、不登校の方が多いなと本当に感じます。すごく立派な取組、是非こういった取組をもっともっと発信しながら、全国の同じような環境にあるところと協働しながら高めていっていただければと思います。  私の方からは以上です。
  89. 田名部匡省

  90. 植松恵美子

    植松恵美子君 本日はお忙しいところ、三人の参考人の方々、本当にありがとうございました。民主党の植松恵美子でございます。  先日、私も視察ブラジル人学校そして公立学校視察してまいりました。そのとき、ブラジル人ペルー人でしたっけ、とにかくその外国人学校先生も、やはり川瀬参考人の方と同じように日本人で、まさか自分がそういった学校を経営するような立場になると思わなかった、しかし、もう見て見ぬふりはできないということで学校経営に乗り出したという方、非常に悲痛な悲鳴を上げていらっしゃいました。やはり何が今必要ですかと訪ねましたら、まずもうお金ですと、とにかく学校の雨漏りも始まったし、非常に厳しい財政状況の中で頑張っているんだというお訴えでございました。  私も見て、何か政治家としてやれることはないんだろうかという思いで、次、公立学校の方の視察に移ったわけでございますけれども、そうしますと、公立学校先生方も非常に努力をして頑張っていらっしゃる。お互い頑張っていらっしゃるのになかなか思うようなお金とか物がきちっと用意されていないような状況で、私は非常にもどかしい思いがいたしました。  私は本当に、これはもう素人の考えかもしれませんけれども、例えば外国人学校、非常に校舎が狭くて、狭いところにたくさんの子供たちが押し込められているような状況で、体育館もなければ運動場もない。しかしながら、片や公立学校は、運動場も広くて体育館もあるんですけれども、今度、母国語を話してくださるスタッフとか先生がほとんどいらっしゃらない。  私はこれは、将来、母国に帰る帰らない、あるいは、次、どちらの学校進学するか、結局、意思はあってもなかなか思うようにならない方がたくさんいらっしゃる中で、外国人学校の方とそして公立学校とがうまく連携を取れないものなんだろうか。お互いの施設を使い合ったり、先生が出掛けていって教えてあげるような、そういったことができないんだろうか。もし必要ならば、行政として、あと政治としてそれを柔軟に対応できるようにしていくのが私たちの仕事じゃないかなと私自身考えたことがあるんですけれども。  川瀬参考人とそして川上参考人にまずお伺いいたしたいのは、そういった専門の分野で教育をなさっている立場として、そういったことをすると結局は何にもならない、それとも、そういうことによって、確かに、ブラジルに帰っても、あるいは日本ででも進学したり、あるいは将来夢を持って教育に進んでいくことができるかどうかをまず教えていただけませんでしょうか。
  91. 川瀬充弘

    参考人川瀬充弘君) 今おっしゃられたように、両輪が協力すれば一番いいと思います。  具体的というのは、私も本当にお互い相談をしないと分からないことだと思うんですけれども、確実にやっていかなければならないなと思っております。  それはどうしてかというと、やっぱり子供のことを考えるとそういう答えになってくるんですね。先生を採用するときに、当然経験があり免許を持っている先生を雇い入れるんですけれども、学校の規則というか、これは必ず守ってくださいねというところで、まず一番最初に子供のことを考えてください、二番目に学校のことを考えてください、三番目に自分のことを考えてくださいと。この順番が逆になったりしないようにしてくださいというお話をする中で、自分のことを最初に考える人はやっぱりHIRO学園にはおれない先生になってくると思うんですが、その中で、やっぱりそういう日本学校先生にもなってほしくないから、協力できるような先生同士やっていただければ有り難いと思います。
  92. 川上郁雄

    参考人川上郁雄君) 御質問ありがとうございました。また、貴重な御意見も、示唆もいただきましてありがとうございます。  確かに外国人学校というのが今各地にあります。特に外国人の集住都市の中では様々にあると思います。今のお話にもありましたように、経営が難しくてつぶれていくといったところも多数あるというふうにも聞いております。一方で、公立学校ではこういう子供たちをたくさん受け入れて、そして先ほどの御指摘にもありましたように、言葉によるコミュニケーションが非常に難しいので、どういうふうに教育をしたらいいのか手探りの状態といったこともあります。  そういう両者のニーズなり状況というものを合わせて連携を取っていくということは可能だろうと思います。ただ、地域性といいますか、それもありますし、それからその間を、じゃどういう形でつなぐのかという方法がすぐに編み出せるかというのは非常に難しいとは思うんですけれども。ただ、日本の中にあってそういった二種類の学校の関係者の先生方が集まって、協議をしたり方法を考えたりするということは非常に意義があるというふうに思います。  それで、非常に重要なのは、やっぱり子供たち学校に入ったときに、自分を受け入れてくれているかどうかといったところは、学校で安心して学ぶということにもう必要条件なんですね。その中に例えば入ったときに、外国人学校との交流の経緯なりあるいはその証拠のようなものがあって、そして自分もこの学校で安心してやっていけるんだというようなことが思えれば一つの前進だろうと思うんですね。そういう意味で、交流をするということは非常に重要だろうと思います。  次に重要なのは、やはり学力保障の問題があります。これは両方の領域の学校においてもう常に問題になることだと思います。ですから、じゃ学力保障をするために、それぞれの力をどうやって出し合ってそれぞれの現場でやっていくかということを更に研究していくということは非常に重要だろうと思うんですね。  先ほど申し上げたように、日本先生方にとっては、こういう子供たちを受け入れて指導するという経験がやはり少ないあるいは全くないという状態でこういう子供たちを受け入れざるを得ないわけですね。そういう中にあって、他方、外国人学校の方で様々な方法論があればそれを学んで一緒につくっていく、そしてそのことが子供たち学力の保障につながるというような方向に行ってくれればなおいいのではないかなというふうに思います。  どうもありがとうございました。
  93. 植松恵美子

    植松恵美子君 じゃ、もう一つ質問させていただきますけれども、本当に進学のことについて非常に心配されている親御さんたちがいらっしゃったんですけれども、これ、どちらがどうとはなかなか言えないとは思うんですけれども、母語で、いわゆる抽象的な概念ですね、数学だとかそういったものを習って、それに日本語勉強して当てはめていく方がいいのか、あるいは日本語通訳を交えながらいわゆる日本のカリキュラムで勉強していっても十分に進学はできるのか、そのことについて私もちょっと分からないので、実際に子供たちを見ていらっしゃる参考人の方々に、川上参考人川瀬参考人、教えていただけますでしょうか。
  94. 川上郁雄

    参考人川上郁雄君) 今御指摘のことは、母語教育をしたらいいのか日本語教育をしたらいいのかといった御質問だったと思うんですけれども、現実的には非常に今は複雑になっております。  どういうことかといいますと、日本で生まれた外国人子供が家庭の中で母語で暮らしていると、学校に入ると日本語になるというようなケースですね。こういう場合に、母語教育を受けてこなかったために、母語の力が非常に弱まっていると。でも、この子は外国人子供だから通訳者を雇って母語を使って言葉を教えたらいいというふうに思って指導すると、その母語の単語も実はその子は知らなかったというようなことも起こるわけです。つまり、今、日本の中では、外国人日本人というふうにきちんと分けられない、様々な子供たちが現実にはいるということですね。  そういう中にあって、じゃ、どうやって言葉の力を育成するか。もちろん、母語で行われる学校に入れるというのも一つの方法論ですね。母語でカリキュラムができて、ずっと継続して教えるということも一つの方法論です。それからもう一つは、母語も維持しながら日本学校の中で日本語を使って考える力というものを付けていくということも可能だろうと思います。これはその子供に応じて異なってくるんだろうと思います。  あるいは、保護者の方との御相談とか、この子が将来日本でこういうことをやりたいとか、あるいは祖国に帰ってこういうことをやりたいとか、あるいはこういう分野の仕事をしたいんだとか、子供たちは様々だと思うんですね。だから、そこの子供たちの様子を踏まえながらその教育の在り方というものをやっぱり是非考えていっていただきたい。ですから、こうやればいいですというふうなことは簡単に言えないのではないかというふうに思います。  それから、通訳者を入れてずっと指導していったらいいのかという御質問もありましたけれども、これは非常に重要で、通訳者を入れて授業内容を教えているということが必ずしもその子の言葉の力の育成にならないということと、必ずしもそれが学力にすぐつながるかということは言えないということなんです。ここが非常に難しいところだと思います。通訳者ができることというのは言葉を換えることだけなので、そのときは分かった気になるんですね。しかし、重要なのは、その子供が一人になったときに、自分で考えてそして自分課題を解決していける力、これをつくっていかないといけないわけですね。ですから、そのためには試行錯誤もあれば自分苦労したりとか、あるいは課題に一人の力でかかわっていくというようなことも経験として必要なわけですね。  そういう意味で、単に通訳の問題ではなくて、その子供がどういうふうに成長し、そのためにどういう教育的支援を、母語でやるのか日本語でやるのかということをやっぱりトータルで考えていくというアプローチが必要だろうというふうに思います。
  95. 川瀬充弘

    参考人川瀬充弘君) 日本語母国語を交ぜるというのは、とても僕、今までやってきたことに対して言いますと、すごく問題があると思うんです。やっぱり先ほどおっしゃられたように、子供の将来、親の考えを踏まえて、母国へ帰るのであれば母国語日本へ永住すれば日本語学習をされればいいと思います。  二〇〇三年から二〇〇六年までは高校三年生で三名ずつ、毎年ですけれども、卒業していって大学進学しているんですけれども、これは母国の大学進学しているので、当然ポルトガル語勉強をしております。二〇〇七年は九名の高校三年生が出ましたけれども、まだ結果、合格したのが何人かというのは聞いていませんけれども、受験はしたというのは聞いております。  どうして日本語ポルトガル語を交えてやったらいけないのかといいますと、具体的に申し上げますと、数学なんかは、もう計算しますと、やり方が違う。例えば、簡単にもう百割る十、これは日本ですよね、これ。百割る十、これ当然答え書きますよね、ここへ。ポルトガルの数学の勉強はこれです。これが日本語ポルトガル語でやったら、どうでしょう、子供が混乱します。僕たちが数学を習ったことがすべての国で習うのかということは、これは間違いです。もうこれは経験しました。ですから、母国へ帰られる子は母国語で、日本でお見えになる子は日本語勉強を続ければいいと思います。  以上です。
  96. 植松恵美子

    植松恵美子君 大変貴重な御意見をいただきまして、ありがとうございました。
  97. 田名部匡省

    会長田名部匡省君) 質疑も尽きないようでございますが、予定の時間も参りましたので、以上で参考人に対する質疑は終了いたしました。  参考人皆様方には、長時間にわたり貴重で有意義な御意見をお述べいただきまして誠にありがとうございました。ただいまお述べいただきました御意見につきましては、今後の調査参考にさせていただきたいと思います。  余談でありますが、私はサッカーのペレと友達でありまして、ブラジルへ行ったり、東京へ来たときは随分仲よく付き合いをさせていただいて、農林大臣のときブラジルまで行きましていろんな施設を見て、援助も大分やったつもりであります。いずれにしても、これから更に関係を深くして頑張っていきたいと、こう思っております。  本調査会を代表いたしまして厚く御礼申し上げます。  大変ありがとうございました。(拍手)  次回は来る四月十六日午後一時から開会することとし、本日はこれにて散会いたします。    午後四時三分散会