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参考人(
毛利よし子君)(
通訳)
日本の参議院議員の皆様、大変に重要な
国会の場で
お話しすることができて、光栄に存じます。また、同時に、大変恐縮しております。
私はヨシコ・モーリと申しまして、日系二世で、マリアの宣教者フランシスコ修道会の宣教師をしております。所属は
NPO・SABJAです。
日本には一九八六年から暮らしており、私の中には
ブラジルとその文化が生きていると同時に、両親が懐かしみ愛した
日本も生きています。
祖国を離れた両親は、懐かしさゆえ、
日本の誇らしいこと、美しいことだけを思い出し、話していたのだと思います。そして、
子供に、自分のルーツを誇りに感じ、重んじ、愛してほしかったのだと思います。
今日の私の発表は、学術
調査の結果ではありません。しかし、出稼ぎの人々と過ごす毎日から得た結果です。私にとって、皆様に直接
お話できるということはとても特別な意味を持っています。なぜなら、皆様は人道的な価値や福祉、人の幸福のために闘う人々であり、希望と質の良い暮らしに満ちあふれた未来の
日本のために働く人々だからです。
過去二十年間、様々な変化が起き、私
たちはそれに順応してまいりました。しかし、私
たちの目的は、常に
外国人が居住地である
日本の
社会に溶け込めることであります。ですから、私
たちは原則として対立するということをしません。良いこと、美しいことをもって悪いことを溶かしていこうとしています。
出稼ぎの
人たちの悩みは電話相談をしていると分かります。電話相談には三種類あります。
一つは、disk・SABJAと呼ばれる一般的な相談、あとは心理相談、健康相談です。健康相談は医師によって
対応されています。
一八九五年、
ブラジルと
日本は友好条約を締結し、移民の奨励に必要な条件を定めました。一方で、
ブラジルはコーヒー栽培を基礎とした経済と政治を支えるための
労働力を必要としていました。
日本も
状況はいいとは言えず、海外で自活の道を探る必要がありました。そして、
日本では
ブラジルは黄金郷であるように宣伝されて、すぐに裕福になって
日本に帰れると言われていました。
さて、一九八〇年、
日本の経済は成長し続けていました。
ブラジルでは国内経済危機を迎え、
ブラジル人が海外で
仕事を見付けて暮らさねばならないようになりました。
ブラジルでは、
日本企業が求人を募りました。
日本では、経済成長を支えるため
労働力を必要としていました。
派遣業者が雨後のタケノコのように現れ、
ブラジル人を口約束で集めました。約束を果たさないといった問題が発生し、若い
ブラジル人の道徳心を傷つける
就労口も珍しくありませんでした。
私の
仕事は一九八八年に、
日本人と結婚した女性
たちへの支援という形で始まりました。夫の行動が変化しても、
日本の文化や
日本語が壁になり
理解することが困難だった
人たちです。
日本人と結婚したコロンビア人女性のことを思い出します。彼女は妊娠した体で
日本へやってきました。夫が失業したので、夫妻は夫の母親の元へ身を寄せました。彼女は夫と夫の家族から妊娠中絶をするようにと強く迫られました。しかし、彼女はカソリックですので、産むことを選びました。妊娠中は健康問題が多く、彼女は入院しなければならなくなりました。私は彼女を見舞いました。彼女は現金の入った封筒を見せてこう言いました。おしゅうとめさんはひどい。彼女は夫の母に辱められていると思っていたのです。私は、
日本には現金を贈る習慣があるのだと説明しました。彼女はそれを
理解し、夫の母親との
関係もよくなりました。こうしたことはとても単純で、ちょっとした
言葉さえあれば大きな問題を避けられます。
ブラジルからは
労働者が少しずつ
日本にやってくるようになりました。受け入れられていたのは二十代の若者、家族のいない人だけです。彼らは希望と健康とやる気に満ちあふれてやってきました。受け入れられた三人に二人は大卒の若者でした。
日本と
ブラジルの間には何の協定も締結されていませんでした。
日本は
ブラジル人を受け入れる準備がなかったし、
ブラジルにも海外に
労働力を送り出す準備がありませんでした。
現在、我々
ブラジル人は
日本におよそ三十二万人が暮らしています。国内では三番目に数の多い
外国人集団です。この数字には
日本に帰化した
ブラジル人は含まれていません。また、文化や考え方が
ブラジル化している
ブラジルで育った
日本人も入っていません。彼らの平均滞日年数は十年です。七万八千人の
ブラジル人が
永住ビザを持っています。これは
日本に住む
ブラジル人の二五%に相当します。多くの人々が既に不動産を購入しています。
日本の
学校で
教育を受けた若者
たちは、
日本人と同じように考え行動します。
ポルトガル語をしゃべらず、
ブラジル人であることを恥だと思い、
ブラジルとは心理的なつながりもなければ、
ブラジルへ帰ろうとも考えていません。
日本対
ブラジルのバレーボールの試合があった前の日の晩、私はある
ブラジル人家庭を訪問しました。その家の五、六歳の
子供と遊んでいたとき、その子にきっと
ブラジルが勝つねと言ったら、何の反応もありませんでした。さらに、きっと
日本は負けるよと言ったら、その
子供は怒って立ち上がり、どうして
日本が負けるんだと言い返してきました。
在日
ブラジル人が
日本国内で住む
地域を変えるという問題は、
労働環境や経済や
社会の不安定さに起因しています。彼らは人材
派遣会社と契約しています。いわゆる使い捨て
労働力になっていて、職が安定していません。勤務する工場の生産計画に左右されて、しばしば家族を連れて住む
地域を変えなければならなくなります。常に移動しているということが、
子供の
教育や近所の
日本人との付き合いという面で悪い影響を与え、ルーツのない、浮き草のような人や家族を生み出しています。
健康保険に
加入しているのは
ブラジル人の六〇%だけです。あっせん業者は従業員を
社会保険に
加入させなければいけないという法律を遵守しておらず、
幾つかの市町村では彼らを
国民健康保険に
加入させることを困難にしています。
社会保障がないという問題、特に
年金の問題は、近い将来、
日本と
ブラジルの両国にとって深刻な問題を引き起こすことになると思います。
これらの要因に加えて、不安定性、自尊心の低さ、励ましがないということから、人間としての尊厳や価値というものを大切にしなくなり、知らず知らずのうちに失うものは何もないという気持ちになっていきます。そのような状態では、いい意味でも悪い意味でも、どんな誘惑でもチャンスにも乗ってしまうのです。
久里浜の少年院で一人の
ブラジル人に会いました。彼は、老人が強盗に襲われているのを見付けて、その老人を助けました。警察が来てその強盗は捕まえられました。彼の行為は賞賛され、新聞にも載りました。しかし、その一週間後、彼は窃盗の罪で逮捕されました。失業中でお金もないところに、二人の知り合いから窃盗しようと誘われたのです。彼が犯した罪を正当化することはできません。しかし、人が弱い
立場にいて自尊心がなくなっていて、何も失うものはないと思っているときにこういうことは起きてしまうのです。人間としての価値観を失ってしまっているのです。
日本の
学校。
高校や専門
学校又は
大学を終えた
ブラジル人は
日本の
企業でもキャリアを積んでいますが、
学校に付いていけなかったり、高学年で
学校に入ったりした
子供たちは、
社会の中で行き詰まっています。
言葉は、ボキャブラリーの問題というだけではありません、感情的な問題にもつながっています。母国語ないしは第二外国語で感情をとらえるようにならないと、自分の考えもまとめることができないわけです。
次に、
ブラジル人の
学校についてです。
日本の
教育システムに適応できなかった
子供たち、まあいじめの問題もあると思いますが、両親がいずれ
ブラジルに帰ると決めている
子供たちがこういう
ブラジル人学校に通っています。
学校、
幼稚園の数は百二十校あります。その中で四十九校だけが
ブラジルの
教育省から認可を受けていて、
日本では
企業として扱われています。一万一千五百名の生徒が
ブラジル人学校に在籍しています。私は、このような
子供たちの大半は
日本にずっと居続けると思います。
日本語の授業は費用が掛かるために、
日本語の授業がこのような
ブラジル人学校で少な過ぎるという問題があります。
日本の友達もつくれず、大人になってからは職場でのコミュニケーションに困ることになるでしょう。私は個人的に、
子供たちが今何人
学校に行っていないか、その正確な人数は分かりません。私は個人的に、
ブラジル人学校の役割は重要だと思っています。
子供たちが
学校にも行かずに町をさまよい歩いていたら、どんな
社会問題が起こるのか想像することができます。
ブラジルに移住した
日本人たちは
子供たちの
教育に力を注ぎました。でも、そのために、
ブラジル日系人は頭が良くて努力家で働き者だと思われています。家庭でも
社会でも期待度が高いために、
日系人は立派であらなければならなかったのです。そのために、今では
日系人は非常に
社会の中で高い地位に就いています。
それと同じことは
日本では起きていません。親
たちは働き過ぎで疲れ切っており、
教育には力を入れていません。一方、
日本社会も、
ブラジル人子弟が
日本の
社会に役に立つだろうとの期待は持っていません。
二〇〇〇年に受けた電話や報道から、
ブラジル人の青少年の犯罪率が高くなっていることに私
たちは気付きました。薬物依存症の青少年がいるということも知りました。そこで、私
たちは三年間、横浜のDARCという麻薬依存者の更生施設に通い、麻薬依存者の治療の仕方について学びました。
ブラジル人コミュニティーの弱い
部分を何とかしたいと思い、アンケートを実施したところ、青少年は遊んだりおしゃべりをしたりするためのスペースを望んでいるということが分かりました。彼らに近づくためには、スポーツや芸術、音楽を通す方法が良いという結論に達しました。
子供たちが
ブラジルの文化を学んで、
ブラジルの文化に誇りを持ち、
自身のアイデンティティーを見出せるような機会をつくりました。自分
自身のアイデンティティーや文化を持つことによってのみほかの文化を尊重することができるからです。このようにして、
日本人と他の国籍の
人たちの間の友情をつくっていくことが大切だと思います。
二〇〇二年に大泉町の
NPOとの協賛で、第一回日系
ブラジル人青少年フェスティバルを開きました。
ブラジル人学校の生徒
たちや横浜DARCの
人たちが参加しました。
第二回目のフェスティバルの準備をしていたとき、びっくりしたことに、前橋警察署の
方々が来られて、私
たちが大泉町や太田市で
活動した結果、次のような結果になったと言ってくださいました。逮捕される
ブラジル人の青少年がいなくなったこと、以前は
ブラジル人が
日本人を
理解しようと努力していたが、今ではその反対に
日本人が
ブラジル人を
理解したいと思っていること、そして警察としても私
たちの
活動をサポートしたいということ、そして
日本の
学校と同じように
ブラジル人学校も扱うということ、私
たちの方からは、
学校のある時間帯に
ブラジル人が町をうろついていたら補導して親を呼ぶというような
日本人と同じ扱いをしてもらうようにと頼みました。残念ながら、
最後の二点についてはまだ何も実施されていません。
大泉町長は、町に
ブラジル人が住むことに反対するということを掲げて選挙に勝ちました。この点からも二つの
コミュニティーの危機的な
状況が分かります。第一回のフェスティバルには大泉町長は
出席もせず、代理も送りませんでした。第二回フェスティバルには、まだ問題があると言いながらも
出席はしてくれました。警察の
報告書にも
ブラジル人の未成年の逮捕者がゼロになったというふうにありましたが、町長も私
たちのグループを応援したいというふうに言いました。事態は良い方向に進んでいき、町長の再選のときの演説もマニフェストも良くなり、
日本国籍の
ブラジル人はこの大泉町長に投票しました。
私
たちが学ぶことができる例があります。神奈川県には多くの
外国人が住んでいます。インドシナからの難民や中南米からの出稼ぎ
労働者です。それぞれ違う問題を抱える
外国人の数が多いにもかかわらず、ネガティブなニュースは聞こえてきません。それは
自治体の予防的な
政策によるところが大きいと思います。例えば、
学校には
外国人の
子供の適応を助けるためのバイリンガルのスタッフを配置しています。そうすると、
ブラジル人学校の
必要性というのはなくなります。
そして、一九九二年、県では
外国人のメンタル面の健康のために外国語で
対応するいのちの電話の設置を提案しました。そして、一九九三年九月には、
ポルトガル語とスペイン語によるいのちの電話がスタートしました。その後、中南米からの
人たちの健康が危ないと気付くと、県では病院での
通訳また
通訳付きの弁護士相談などを行いましたが、これらの
活動はすべて神奈川県が運営しています。
民間
企業のイニシアチブについては、三井物産が
ブラジル人の青少年の福祉のために貢献してくれています。二〇〇五年と二〇〇六年には四つの
ブラジル人学校に財政支援をしてくださり、二〇〇七年にはそれが、今までの間、三井物産はSABJAを最も支援してきている
日本企業です。三井物産の後援がなかったらSABJAの
活動を維持することはできなかったでしょう。三井物産の
社会貢献には計り知れないものがあります。このようなアクションのおかげで、
社会の中で対立するような可能性があったものも避けることができ、それを希望や夢に変えることができました。
これは
ブラジル人コミュニティーだけに対する貢献ではありません。
日本の成長とダイナミズムのための貢献でもあるのです。人は
社会的に支援され守られていると感じるとき、より大きなやる気を持って働き、生産も上がり、周囲の人々とより快適な
環境をつくる手伝いをしようとします。
子供たちのために何が必要でしょうか。
ブラジル人学校が各種
学校として認められるよう規制を緩和してほしいです。補助が受けられれば、現在の非常に高額な学費を下げることができます。また、
学校に年間学費を払っている両親に対して所得税の控除があるといいと思います。また、学割を使えるようにしていただきたいと思います。そして、年ごとに健康診断をできるようになるといいと思います。また、
日本語と文化の授業を毎日できるように、これについては
日本の
学校で放課後に授業をすること、
ブラジル人学校側が生徒を連れていくことを提案したいと思います。また、警察には
ブラジル人青少年にも
日本人青少年と同じ扱いをしていただきたいと思います。
労働者のために何が必要でしょうか。私
たちは、
日本政府に
社会保障面で御協力を願いたいと思います。
ブラジルで支払った年数を
日本の
年金にも算入していただきたいのです。あるいは、その逆もあっていいと思います。そして、
派遣業者に法律を守らせてほしいのです。それができない間は、さかのぼって支払をしなくても
保険に入れるような免除措置があるといいと思います。
そのほか必要なことです。
民事面での御協力。
日本に住む
ブラジル人たちが
ブラジルにいる
子供に養育費を払う義務を帯びている問題について十分に御検討ください。
ブラジルの司法当局の嘱託書の四〇%のみが実際に履行されている事実があります。刑事面での御協力でも、両国間に協定があれば裁判はもっと迅速になり、官僚主義も避けられ、費用も下がります。とりわけ、被害者にとっては負担が大きく軽減されると思います。先日のミルトン・ヒガキそれからウンベルト・アルバレンガの裁判は、いまだ両国間協定がないにもかかわらず成功したケースでした。
私
たちに与えてくださったこの機会に感謝いたします。
日本の人道、
社会的な問題に当たっておられる参議院の
皆様方に
お話しできたことは、ここに暮らす同胞
たちにとって希望の未来を見せてくれます。
日本で成長する日系
人たちは
日本のために働くだろうと私
たちは信じています、
日本人が
ブラジルのために働いたのと同じように。
どうもありがとうございました。