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2008-04-23 第169回国会 参議院 国民生活・経済に関する調査会 第6号 公式Web版

  1. 会議録情報

    平成二十年四月二十三日(水曜日)    午後一時開会     ─────────────    委員異動  四月十六日     辞任         補欠選任         川合 孝典君     小林 正夫君      鈴木 陽悦君     増子 輝彦君      白  眞勲君     犬塚 直史君      平山 幸司君     藤原 良信君  四月二十二日     辞任         補欠選任         犬塚 直史君     藤田 幸久君      増子 輝彦君     川合 孝典君     ─────────────   出席者は左のとおり。     会 長         矢野 哲朗君     理 事                 広田  一君                 藤本 祐司君                 愛知 治郎君                 加納 時男君                 松 あきら君     委 員                 亀井亜紀子君                 川合 孝典君                 小林 正夫君                 友近 聡朗君                 中谷 智司君                 姫井由美子君                 藤田 幸久君                 藤原 良信君                 舟山 康江君                 松井 孝治君                 石井 準一君                 長谷川大紋君                 森 まさこ君                 山田 俊男君                 大門実紀史君    事務局側        第二特別調査室        長        今井 富郎君    参考人        早稲田大学社会        科学総合学術院        教授       岡澤 憲芙君        文化人類学者        明治学院大学国        際学部教授        ナマケモノ倶楽        部世話人     辻  信一君     ─────────────   本日の会議に付した案件 ○国民生活経済に関する調査  (「幸福度の高い社会構築」のうち、ゆとり  とくらしについて)     ─────────────
  2. 矢野哲朗

    会長矢野哲朗君) ただいまから国民生活経済に関する調査会を開会いたします。  委員異動について御報告いたします。  昨日までに、白眞勲君、鈴木陽悦君及び平山幸司君が委員辞任され、その補欠として藤田幸久君、小林正夫君及び藤原良信君が選任をされました。     ─────────────
  3. 矢野哲朗

    会長矢野哲朗君) 国民生活経済に関する調査を議題とし、「幸福度の高い社会構築」のうち、ゆとりくらしについて参考人からの意見聴取を行いたいと思います。  本日は、お手元に配付の参考人名簿のとおり、早稲田大学社会科学総合学術院教授岡澤憲芙君及び文化人類学者明治学院大学国際学部教授ナマケモノ倶楽部世話人辻信一君に御出席をいただいております。  一言ごあいさつを申し上げます。  大変御多用のところ今日はこの調査会に御出席をいただきまして、誠にありがとうございます。  本日、本調査会が現在調査を進めております「幸福度の高い社会構築」のうち、ゆとりくらしについて忌憚のない御意見をちょうだいしたいと思います。是非参考にさせていただき、調査に生かさせていただきたいと考えております。よろしくお願い申し上げます。  議事の進め方でありますけれども、まず、岡澤参考人辻参考人の順にお一人三十分程度意見をお述べいただきたいと思います。一時間程度の後、各委員からの質疑に約一時間程度でありますけれどもお答えいただきたいと存じます。その後、委員間の意見交換を行いたいとも考えていますけれども、時間の都合でその辺は私が対応させていただきたいと思いますので、御協力、御理解をお願いしたいと思います。  なお、御発言でありますけれども、着席のままで結構であります。  それでは、岡澤参考人からお願いをいたします。
  4. 岡澤憲芙

    参考人岡澤憲芙君) どうも初めまして、岡澤でございます。  今日はこういう場をお与えくださいまして感謝いたしております。非常に短い時間でございますけれども、何かの参考になればと思っております。  日ごろ九十分をベースにしてしゃべっておりますので、三十分でしゃべれということですので、ちょっと早口になろうかと思いますが、実は手元に私ほぼフルページのペーパーを持ってきておりますので、その別紙の方でございます。  まず最初に、二十一世紀福祉システムを考えるときの議論前提として、私はこのように考えております。  まず、与件の一が高齢化で、西暦二〇二八年に三千四百七十三万人が高齢者になる。私の場合、これが非常に重要な起点になっておりまして、二〇二八年の三千四百七十三万人が高齢者になるというところからバックキャスティングをして、それまでの二十年間にどう政策対応していくかという、その基準を二〇二八年に置いています。それ以後のことはもう考えない、私どもはそのころいませんので、その後はその後の若い研究者に考えていただきたいと。西暦二〇二八年に三千四百七十三万人になる、そのときに労働力の維持と確保がどれだけ困難化するかという問題、生産技術の伝承が困難になっていくだろう、年金支出が増大し、福祉サービス受給者が増大し、そして一方で福祉財源負担人口が縮小していくだろう、これが議論前提の一であります。  議論前提の二は財政赤字であります。八十兆円の予算に約五十兆円の歳入だと。  与件の三が少子化でございまして、基本的には、戦後日本労働市場人口というのは大体六千五百万から六千七百万で推移しておりました。現在は大体六千三百万ぐらいなんですが。それで、西暦二〇二八年に三千四百七十三万の高齢者が存在するようになる。だから、最低限度六千五百万から六千七百万の労働人口若しくはより大きな納税人口をどう確保していくかということが重要な前提になっていくと思います。  そして、それと同時に、与件の四は、地球規模コンペティション時代になるだろう。エネルギー原料食料をめぐるメガコンペティション前提になっていくだろう。現在の途上国工業化し、そしてより豊かな生活を求めていくということになると、当然のことながら工業化のプロセスで膨大なエネルギー資源が必要になっていくだろう。そして、原料の奪い合いになるだろう。しかも、豊かになったときに、もう少し良い食事をといったときに食料をめぐるコンペティションも始まっていくだろう。エネルギー原料食料をめぐるメガコンペティションの中で、福祉水準を維持し、経済成長をどうして達成していくのかという課題が出てくると思います。  その意味で、そういうことを背景にして、企業の国際競争力を維持拡大するためにどうすればいいか、若しくはこれに失敗すると福祉財源の安定的な調達が不可能になっていくだろうという問題であります。そしてその一方で、労働コストの低い膨大な人口地球規模で移動する時代になっている、そのときにどう政策対応をしていくか。  その次ですけれども、結局は新規産業分野の開発を必要とするだろう。それはなぜかというと、中国、インド等のハイテクノロジーに対して膨大な投資をしている国々が、確実にキャッチアップし超えていこうとするとき、日本としては新しいネクストインダストリーをどういう形で発見していくか。そのリーディングインダストリーの発見に対してどのような形で資源を投入していくかということが重要になっていくだろうと思います。その一方で、エネルギーバランスの動揺がどうしても出てくるだろう。石油の多くを海外に依存している国としては、このエネルギーの安定的な確保が非常に重要な問題になっていくだろうと思います。  それとともに、労働意欲にかつてのような伝統とは違う形の要素が出てきた。若年失業者若しくは引きこもり、ニートといった現象が確実に顕在化してきているということ。  そして、与件の六ですが、先ほど述べましたが、石油などエネルギー源のほとんどを輸入している。加工貿易の国で原料の多くを海外に依存している、食料ですら自給率が四〇%である。このとき、海外依存率が高い体質を、逆に言うと人的資源が唯一の武器なのに、その教育、研究に対する投資が少し低いんではないかと思います。  以上の与件前提にして、二十一世紀社会システムというのはどういう構図で描くかということなんですが、私自身は、経済大国の論理から生活大国の論理という、これは恐らく二十年ぐらい前に出した本だと思いますけれども、そのときと基本は変わっておりません。  議論前提としての政策目標は何かというと、安心感、安全の提供プラス持続可能な経済システム構築だと、これは第一の政策目標であります。そして、その次の政策目標は、財政再建、子や孫に借金をしないということ。そして、その次の政策目標は、国際競争力を持つ産業構築で、産業こそ福祉の糧だという認識で、国際競争力を持った産業社会をどう構築していくかという問題であります。そして、それは一方で、完全雇用で雇用、失業をめぐる安心感を確保し、日常生活安心感や安全を実感できるような社会をどうつくっていくか、こうした二つが活用可能経済資源の蓄積の前提になっていくだろうと思います。  ちょっと早口で申し訳ございませんが、突破口として、西暦二〇二八年に三千四百七十三万の高齢者がいる、戦後日本労働市場が、大体キャパシティーが六千五百万から六千七百万だと。どのように、どこから労働人口納税人口を調達、確保していくのか。労働人口納税人口の増幅が不可能なら、一人当たり負担が負担の臨界点に接近してしまうだろうという問題であります。  そうすると、労働人口納税人口の確保というのは、選択肢はそんなにありません。選択肢の一は、女性の社会参加を促進して男女共同参画型社会構築していく。選択肢の二は、外国人労働力に対して門戸を開放していくという方法。選択肢の三は、定年年齢年金受給開始年齢を引き上げるということ。そして、選択肢の四、それでも不可能なときには企業が海外に移転してしまうだろう、そうすると国内の産業が空洞化していってしまうという。だから、一、二、三で何らかの政策対応が必要であろう。  北欧諸国というのは、よく言われますが、多くの国々に比べると一足先少子高齢化を経験した国なんですけれども、大体私が一九六〇年代からずっと言っているんですけれども、そういうところの経験を見ると、基本的には、一、二、三をどうコンバイン、組み合わせながらソフトランディングしていくかということが非常に重要だろうと思います。そのときの基本は、いざというとき、慌てない、騒がない、動揺しないで済むシステムをどう構築していくかということだろうと思います。  そのときの結論前提になりますが、私自身は、結論というのは、参加枠の拡大と情報の公開だと。どのようにして市民納得を調達するのかという、その納得を調達するという技術がやはり日本の、私は政党政治専門家ですから政党政治視点でいいますと、やはり納得を調達するという技法について、やや日本パブリック技術を習得する必要があるんではないか、ちょっと問答無用型の意思決定が多いなという気はします。それプラス公への不信感猜疑心の解消が貢献意欲前提になるだろう。  パブリックに対する不信感猜疑心がある限り、なかなか市民からの貢献期待できないだろう。それは、今日の朝のニュース報道なんかも、ああいうニュースが出ると、わずかな問題で悩んでいる人にとって十億円単位のお金が急に消えていくということに対する不信感というのはやっぱり非常にきついですね。その辺をどう考えていくか。その意味では、見える政治、分かりやすい行政、時短と年休消化完全消化で、社会全体での社会的分業が必要だろう。そして、内部告発奨励制度も射程に入れて情報公開若しくは組織内情報共有が必要だろう、これが大体の結論になります。  政治というのは、基本的には限りある資源で限りない欲望を調整する作業であります。変化に直面して作動不全に陥ると支持期待も低下する、しかも無関心と嫌悪、不信、拒否感が拡大する、そのために合意形成が一層困難になり、納税意欲が低下している、これが複数政党制を採用している国の意思決定一つの大きなジレンマなんですね。欲望は限りないけれども、欲望を調整するために活用できる資源には限りがあるという問題であります。その中でどう合意を形成し、有権者の納得を調達していくのかということだろうと思います。  貢献意欲を刺激するための工夫というのは、政治市民交換過程貢献サービス交換過程であります。市民から政治への支持期待、希望、要求というのがありますが、支持期待や希望や要求が政治的エネルギーの源泉であります。政党政治家に対する支持期待や希望や要求がなくなれば、それはもう政党政治としての基本的なエネルギーがなくなってしまうだろう。一定レベル支持期待があるからこそ欲望の調整を行い、更なる貢献を調達できるんだということが言えると思います。  以上のことを前提及び中間の結論として今日の話の内容に入りたいと思いますけれども、人々の二十一世紀ライフスタイルというのはどう変わるかというと、基本的には環境からの挑戦を受けてライフスタイルは変わっていくと考えます。  市民生活を直撃する環境からの挑戦とは何かというと、一つ国際化グローバル化一つ高度情報化一つ少子高齢化、そして最後に商業化合理化若しくはロボット社会化という現象になっていくんだろうと思います。  この四つの環境からの挑戦で人々のライフスタイルは大きく変わっていこうとします。その大きく変わっていこうとするのに意思決定過程が従来の常識に余りとらわれていると、意思決定の場と市民の意識のギャップ、ずれというのがどうしても出てきます。そうすると、時代を遅れて、気が付いて政策対応したときにはもうツーレートであるという状態になってくる。その市民意識の変容とライフスタイルの変化に応じるぐらいの速さで政治行政が微調整をしていく作業という、きめ細かな政治行政の姿勢が必要になっていくんだろうと思います。最近の言葉で言うと、環境からの挑戦市民価値体系を揺るがし、ライフスタイルを大きく変容させる。その意味で、価値観ライフスタイル多様化が進む、いよいよダイバーシティーマネジメント、多様性をどのようにしてマネージするかという視点政治行政を考えていく必要があるだろう。  その中で、市民が追求する価値というのはどのように変化するかなんですが、これが大体人々が日常生活で追求する価値です。経済的利益マネー。権力、ポスト、官職。知識、情報、教養。専門的技能技術精神的充足満足感達成感。愛情、友情、夫婦愛兄弟姉妹愛祖国愛郷土愛、その他の多様な形の愛。安心感、不安の解消、ゆとりの実感。連帯感、人や社会とのつながり。健康。尊敬、権威。自己実現、趣味や個性的人生の追求、マネーよりタイムポストよりタイム社会的貢献社会に参加し貢献し、影響力を持っているという実感。  こうしたものが大体市民日常生活で、人生で追求する価値なんですけれども、我々の、一九四〇年代に生まれた世代からいうと、今述べた市民基本的価値の一番なんというのが非常に優先的な価値だったですね。経済的利益だとかマネーという、貯金通帳に並んだゼロの数で幸せを測定するみたいな人生観ありましたけれども、今若い世代から徐々にそれが揺れようとしていると思います。それは何かというと、やっぱり安心感であるとか、ゆとりであるとか、あとは人と人とのつながりとか、社会的な存在感を経験したいという。ゆとり、そういう自己実現、そうした価値観が徐々に多様化しているというふうに考えていいかと思います。  そして、ちょっと急ぎますが、今からライフスタイルはどう変わるかという話をしますけれども、ライフスタイルというのは基本的には五層構造で考えていく必要があるだろう。一番大きい地球社会システム、その次、国民国家システム地域社会システム家庭システム個人。つまり、地球環境が劣化すれば、当然個人生活にもかかわってくるんだと。地球システムが劣化すれば国民国家システムにも、地域社会にも、家庭システムにも、個人生活にも関連してくるんだという五層構造で考えていかないと、個人の問題を個人の問題だけで考えるであるとか、国民国家の問題をそのレベルだけで考えていく時代は終わったんだと。やっぱり地球温暖化という問題は個人生活にももろに関係するし、地域社会にも、家庭生活にも、国民国家システムにも関連してくるんだという視点で多層的に判断していく。その意味では、各省庁間を横につなげるような統合的な構造がちょっと必要になってくるなという、省庁間構造のためのシステムをもっと有機的にするにはどうすればいいのかという視点が必要だろうと思います。  話をずっと戻しますと、結局、そうすると、先ほど述べました地球環境からの挑戦に対してライフスタイルはどう変わるかというけれども、ライフスタイルには元々どういう要素があるかというと、構成要素の一は、産んでもらう、受胎する、生まれる。構成要素の二は、育ててもらう、育てられる。構成要素の三は、学ぶ、学習する。構成要素の四は、卒業する、進学する。構成要素の五が、働く、就職する。構成要素の六が、恋する、出会う、出会う、別れる、恋愛する。構成要素の七が、結婚する、結婚、同棲。構成要素の八が、産む、出産する、第一子出産、第二子出産、第三子出産構成要素の九が、育てる、育児する、家庭で、保育所で、地域社会で。そして、高等教育で言うと、社会教育する、高等教育社会人大学院資格取得の生涯学習。そして、これから決定的に重要になると思うのは、職業教育というのをどのような形で促進して、職場失業生活、そして次の職場との回転をどうしてフレキシブルなものにしていくかということが重要になろうと思います。  そして、構成要素の十が、転機だろうと思います。転機を経験する、離職、失業、転職、職業訓練、再就職。離婚、再婚。大病、闘病生活職場復帰。こういうような、かつてなら、平均寿命が短い時代ならある程度断念したことでも、今は平均寿命が非常に長くなっていますから、どうしても人生のうちに何度か転機が来る。その転機が来たときに次のステップを踏み出せるような仕組みをどう構築していくかということが非常に重要だろうと思います。  構成要素の十一が、子供の巣立ち。そして、構成要素の十二が、退職する、労働からの引退、退職、シルバーライフ老後生活年金生活構成要素の十三、休む、いやす、病気、療養生活寝たきり生活、ある場合には。構成要素の十四が、別れる、パートナーとの死別、後期シングルライフの開始。そして、構成要素の十五、死ぬ、死亡する、墓に入る。  私たちライフスタイルを構成するライフステージというのは、大体一番から十五番のステージがあります。その十五番までのステージの中に、国際化、グローバリゼーション、高度情報化少子高齢化、そして合理化商業化ロボット社会化という変数で非常に大きな変化を与えざるを得ない。その与えざるを得ないということは何でというと、別に難しいことを言っているわけではありません。ただ一つ長寿化という視点で見ると、人生八十五歳以上の総時間数、持ち時間は、二十四時間掛ける三百六十五日掛ける八十五で合計七十四万四千六百時間ですが、今から百二十年前の平均寿命が四十四歳時代には、二十四時間掛ける三百六十五日掛ける四十四年で三十八万五千四百四十時間です。だれにも平等に配分される時間という最も貴重な資源は三十五万九千百六十時間も延びている。三十五万時間も延びたのにライフスタイルが変わらないわけがない。学びもますます生涯化していくでしょうし、就職、転職ももっと頻繁化していくだろう。そのときに、果たして現在のシステムがそれにキャッチアップできるような形になっているかどうかということが問われていくんだろうと思います。  そうすると、今日の話の中心になりますけれども、社会システムが成熟し、ゆとりと豊かさを経験するための条件は一体幾つあるのかというと、一つは不安の除去、これが一番大きな要素だろうと思います。  経済大国の活力というのは、不安と恐怖心競争エネルギーに変えて、競争心を成長ばねに転換してまいりました。いわゆる、何々せよ、さもないとという形の恐怖心です。勉強せよ、さもないと。貯金せよ、さもないと。一生懸命働け、さもないとという形で恐怖心と不安をあおって、それを競争エネルギー成長エネルギーに変えてきたんですけれども、それが結果として突然死や過労死の恐怖を背負った立身出世主義を生んできた。それが短期間に高度経済成長を実現したのも事実だろうと思います。ただ、私たちの世代で、平均寿命よりはるかに早い段階で突然死や過労死で死んだ仲間のことを考えると、随分むなしいなという気もしないわけではありません。  そして、多様化時代は、新しい不安を市民に与えます。その新しい不安とはどういう不安かというと、ざっと並べておきました。病気になることへの不安、年を取ることへの不安、老後生活の不安、年金が目減りするのではないかという不安、未来への不安と過去へのざんきを拡大する、これが一番大きな問題になると思います。要介護になる不安、家族に迷惑を掛けるのではないかという不安、寝たきりになる不安、職を失うことへの不安、あとこれも多いんですが、一生正規社員になれないのではないかという不安、そして天変地異や人災への不安、そして教育不安。  特に、この教育不安は、今のようにテクノロジーの進歩が速い時代には、若い時代に学んだテクノロジーで新しい時代の最先端にキャッチアップできるかという不安を常に持ちながら社会生活を送っているわけで、その人たちが、働くということと新しいものを学習できるということが両立できるような仕組みをどう社会的に構築していくかとやらないと、日本を取り巻く国に、非常に技術革新に対して膨大な投資をしている国があります。そこと本当に戦っていけるのかという気がいたします。しかも、総人口が減少している過程の中で新技術ニューテクノロジーを学べるのかという、そのチャンスをよっぽど拡大していかないと競争力は非常に低下するだろう。なぜかというと、十三億の国があって、そこの一割が勉強したらそれだけで日本の総人口というふうになると、ニューテクノロジー若しくはネクスト・リーディング・インダストリーをどう確保するかということに対してもっと真剣に考えておく必要があるだろうというふうに思います。これはずっと手元に書いておきました。  そして、成熟化の条件の二番目は、豊かさ、ゆとり制度化であると思います。時間的ゆとり空間的ゆとり物質的ゆとり経済的ゆとり、この三つのゆとりができて初めて気持ちのゆとりが生まれるんだろうという気がいたします。これが今日のお話の中心になるかと思います。  そして、成熟化の条件の三は、生活空間の充実だと思います。私たち生活空間というのは、住空間、通勤・移動空間労働空間職場空間、余暇・学習空間、社交・交際空間社会活動空間、休息・療養空間地球空間があると思いますが、その空間がちょっと貧弱だなというそれはなかなか町に出れないという、町に出れないということは、どうしても家庭に閉じ込める可能性がある。そのときの医療費の高騰をどう考えていくかという。  北欧諸国は今福祉と経済成長が非常によろしい。特に、国際競争力を持った国はどこですかというと、今北欧諸国がほとんど上位に来る。一体なぜなのかといったときに、この問題があるんですよね。どこの国もやっぱり福祉が充実していますから、医療費が相当高騰しているのは事実なんです。そのときに発想なんですね。寝たきり老人をつくってから手厚く介護するのがいいのか、寝たきり老人をつくらないで社会参加してもらうようなところに資本を投下していくのか、投入できる財に、資源に限りがあるとしたらどちらを優先するかといったときに、北欧諸国寝たきり老人をできるだけつくらないで社会資本に投入していこうというふうな選択をしたわけですね。  それが結果としてバリアフリーであるとかユニバーサリズムの町づくりにある程度成功した。日本に帰ってきてやっぱり一番気付くのは、そうした意味でのバリアフリーの町づくりができていないで、高齢者はなかなか町に出にくいなというのは実感としてあります。特に感じるのは、歩道を自転車が平気で走っているという、これは高齢化社会にとっては非常に怖いと思いますね。歩道だから安心できるだろうと思って散歩していたら後ろからリンリンリンと鳴ってくるというのは、高齢者にどれだけの心理的な影響を与えるかということを考えると、きっとこれからは歩道における自転車事故が起こってくるんじゃないかなという気はします。  そういうことを考えて、ちょっと時間があと三分しかありませんので、成熟化の条件の四番目として考えますと……
  5. 矢野哲朗

    会長矢野哲朗君) 先生、多少オーバー結構ですから、お願いいたします。
  6. 岡澤憲芙

    参考人岡澤憲芙君) はい、分かりました。  多様性と選択で、これは、私はこれが重要だと思うんですが、自分で決定できるという、自己決定、自己選択、自己投資、自己責任ということが極めて重要である。やっぱり、二十一世紀社会構造の非常に重要なキーワードは何かというと、自立と自律だと思うんですね。インディペンデンス・アンド・オートノミーということだと思うんです。インディペンデンス・アンド・オートノミーだとすると、日本の場合、自己決定と自己選択はするんですが、なかなか自己投資と自己責任がしにくいというカルチャーがあります。それをどのような形で制度化していくのか。  そして二番目には、複数の選択肢がある、そしてそれが発見できるためには、つまり多選択社会をつくるためには情報公開情報能力を向上させる必要があるだろう。そして三番目、選択の幅が存在することも重要だろう。そのためには、情報収集、生産、加工、蓄積、判定能力を向上させる必要があるだろう。そして四番目には、選択能力を常に学習できること、生涯学習環境構築する必要があるだろう。  先ほど、ちょっと北欧の話をしましたけれども、北欧諸国日本と少し似ているなと思うのは、最近でこそノルウェー、デンマークには石油や天然ガスが出ましたけれども、それ以外はもう本当に貧しい国だったわけですね。あるのは大体人的資源だった。その人的資源だった国が何に資本を投入したかというと、やっぱり教育に投入したんですね。与えられた最大の資源はヒューマンリソースだと。ヒューマンリソースを充実させること以外に生き延びる道はないんだという発想で社会資本をつくっていったというのは、非常に生涯学習環境の整備水準を見ればよく分かることだと思います。  これは、もう書いたとおりです。ライフステージの充実ということで、胎児・児童環境から地球環境までの十の環境をどのような形で先ほどの視点構築していくかということだろうと思います。  そして、成熟化条件は、最終的には成熟した消費者をどういう形でつくっていくのか、そして成熟した消費者をつくって連帯感で公的社会資本をどう蓄積していくかになると思います。その意味で、個人の独立や個の確立、家離れ、子離れ、親離れ、妻離れ、夫離れというのがどうしても必要だろうという気がいたします。別に、これだけ見るとちょっとと思いますが、例えば大学の入学式で大学の総長が、どうも学生の皆さん、少し親離れしてくださいということをスピーチとして言わなきゃならない国というのはそんなにないんですよ。だけど、日本はその数少ない国だと思います。  今、実際問題として、私は三月三十一日まで外国の大学でちょっと講義をしていたんですけれども、そこにいるクラスと四月一日から今度早稲田の大学で見たときの、これはもう教室の雰囲気が本当に違いますね。それは何かというと、圧倒的多数が十八歳から二十二、三しかいないんですね。ヨーロッパの大学だと四十、五十の学生が当たり前という、その中での違いだろうと思いますね。非常に難しいんですが、所得税を一回も払ったことのない人に福祉社会における財政負担議論をするというのは非常に難しいなという気はしますね。だけど、それはもう少し早い段階、高等学校のレベルぐらいからやっぱり社会生活と税金なんということをきちっと教えていくのが必要なんじゃないかという気はします。  二番目が社会企業との選択的接触、そしてあと重要なのは自立と自律だと思いますが、国際的連帯、地域間連帯、世代間連帯、男女間連帯だろうと思います。  国際的連帯については、先ほどから繰り返しておりますが、エネルギー源原料及び食料ですら海外に依存している国ですから、これなしでは日本産業はあり得ない。地域間連帯というのは、基本的にはどこに住んでも同じレベルサービスを受けられるということは非常に重要になっていくだろう。そして、世代間連帯、負担と安心の世代間分かち合いが重要になっていくだろう。そして、最終的には男女間連帯も必要であろう。  その次の条件としては、先ほど述べましたが、新しい税金哲学が必要だろう。長期的視点負担と受け取るサービスの相対的比重を勘案して税金を評価できる能力を市民学習していく必要があるのではないかというふうに考えております。  もう最後の結論だけ言います。人はなぜ新しい制度や今ある制度を変えようとするときに反対するんだろうかというとき、十個理由を挙げておきました。この十個の理由をクリアするのがうまかったんですよ、たまたま北欧は。第一党が相対多数なんですね。一つの法案を通すためには必ず他党の協力がなきゃ法案が通らないという状態でずっと政権運営をしていますから、合意形成が非常にうまいんですね。その合意形成がうまい、だから余り衝突しない政治システムなんですが、それをちょっと書いておきました。  結論です。突破口は何かというと、私自身は、非常に手短に言えば時短だろうと思います。社会全体でワークシェアリングする必要があるだろう。三千四百七十三万の高齢者人口西暦二〇二八年になると、そのとき六千五百万から六千七百万の労働人口がどうしても必要だとするならば、片方で過労死で悩んでいる人がいて、片方で働きたいのに職場がないという人が悩んでいるとしたら、社会全体でワークシェアリングする仕組みをつくって労働人口納税人口確保することが必要だろう。そのためには、参加と公開影響力、すべての市民納得調達できるようなシステム納得できる、恐らく納得というのが非常に重要なキーワードになっていくと思うんですね。インディペンデンス・オートノミー・アンド・コンビクションというのが重要な要素になっていくと思います。  そして、その次に重要なのはリーダーの倫理観だろうと思います。公に対する信頼なくして市民貢献期待できない、倫理がリーダーの基本条件になる時代になってきたんではないか。銀行に貯金することがこれほど好きな国民が政府に預けることをなぜかくも嫌うのかということだろうと思うんですね。そうすると、自分の預金通帳に常にお金をキープして社会に出ないという、それでなかなか経済は浮揚しないだろうと思いますね。やはり、銀行に貯金することがこれほど好きな国民だから、それをそのまま政府に預ければ随分社会資本は潤ってくるんでしょうが、そこに対する不信感が強い。自分で確認できない、自分に戻ってくるという実感がないのに政治家や公務員の不祥事が多発しているという状態があるんだろうと思います。  三分長引いてしまいました。申し訳ございません。ありがとうございました。
  7. 矢野哲朗

    会長矢野哲朗君) 限られた時間で本当にありがとうございました。  それでは次に、辻参考人にお願いを申し上げます。
  8. 辻信一

    参考人(辻信一君) ナマケモノ倶楽部の世話人をしております辻信一です。自らを環境運動家というふうに呼んでいます。  昔、僕がこの辺に来ていたのは大体デモで来ていたんですけれども、今日も、いまだに運動家なんですが、運動という場合に僕が今考えているのは、自分が暮らしている世の中をそして自分の子供たちが暮らしていく、またその子供たちが暮らしていく世の中を少しはいい場所にしたいという意味での運動ですね。そういう意味では運動家でない人はいないわけで、ここに座っていらっしゃる皆さんも皆、僕と同じ運動家だと思います。  今日は、僕が提唱していますスローライフということについて、それも特に政治経済にかかわるところ、僕は勝手にスローポリティクスとかスローエコノミーとかいう言葉も作っているんですけれども、その辺のことについてお話しさせていただければなと思います。  スローエコノミーとかスロービジネスという言葉を僕はもう十年ぐらい使っているんですけれども、皆さんはどういうふうに感じられるでしょうか。特に、スローとビジネスというのは非常に一見矛盾していますよね。スローというのはゆっくりという意味ですし、ビジネスというのは元々忙しさという意味ですから、スローとビジネスというのをくっつけることがどうして可能なのか、その辺のことを今日はちょっとこれから話していきたいんですが。  まず、ナマケモノ倶楽部という名前が出たときにちょっとほほ笑みが幾つか浮かんでいたのを僕見たので、ちょっと説明させていただくんですけれども、ナマケモノというのはこれ動物からきているんですね、中南米に暮らしている動物です。僕が環境活動で出かけていく場所には必ずと言っていいほど登場する動物です。非常にゆっくりなんですね。どうしてそんなにのろいのかよく分からなかったんですけれども、最近の生態学の研究でだんだん分かってきました。かつては、生物学者というのはナマケモノなんか研究すると自分の評判にかかわるというので避けていたみたいで、あれほど立派な動物、哺乳類を研究した人が余りいなかったというのが非常に面白いところなんですけれども。  研究によりますと、筋肉が非常に少ないんですね。どうして筋肉が少ないかというと、筋肉を少なくするようなそういう進化を遂げてきた。筋肉が少ないということはスローになるわけですけど、同時に非常に軽くなるわけです。そして同時に、非常に省エネで生きていくことができるんですね。つまり、省エネによる生存戦略であった。軽くなるというのはどうしていいかというと、高い木の先の方まで、木の枝の先の方まで行ってそこにぶら下がっていることができる、そこが一番安全な場所なわけですね。そういうことが分かってきたわけです。  しかも、スローだということは、例えば消化なんかも非常にスローで、排せつ行動なんかは大体週に一度ですね、せいぜい。木の根元に降りてきて排せつする。これがまた生物学者にとっては非常に不思議だったわけです。これだけのろい動物が木の根元にわざわざ排せつのために降りてくる。猿なんかですとみんな木の上からしてしまうわけですね。人間と一緒で結構いいかげんなんですね、その辺は。ところが、ナマケモノはちゃんと木の根元に降りてくる。これはなぜなのか。  研究の結果、こういうことが分かりました。木の根元にしっぽでこうやって穴を掘ってそこに排せつをして、中にはちゃんと葉っぱを掛けておくのもいるそうです。つまり、熱帯雨林の高温多湿の環境の中でふんをただほうり出してしまったら、すぐに分解されて土を肥やさないわけです。栄養が木に行かないんですね。ですから、ナマケモノは自分を育ててくれている木をちゃんと育てる、支えるという。こういうのを人間の世界では何と言うかというとお百姓さんというわけですけれども、考えてみればここに、僕たちが循環型の暮らし、自然と調和した暮らしというようなことを今合い言葉のように言っていますけれども、その姿が見事に表現されているということが分かります。  初めのうちは僕は、森を守ろう、そしてナマケモノを守ろうというようなことを言い始めたんですけれども、こういうことが分かってきまして、これはナマケモノを守るんじゃなくてナマケモノに守ってもらう、つまりナマケモノに我々がなることによって人類の未来というのが開かれるのではないかということを半分まじめに考えています。  さて、怠けるという、ナマケモノというのはそういう意味なんですけれども、同時に僕は、文字どおり怠け者になると、人間としての怠け者になるということも、これも半分まじめに考えています。  こういう小ばなしがあるのを御存じでしょうか。これ実は世界中にギリシャ、ローマの時代から広く語られてきた小ばなしなんですけれども、ちょっとやってみますね。何か、いつもは僕は立ってしゃべっているんだけど、こうやって座ると何となく落語でもやりたくなる方なんですけれども。大家さんがこう言うわけですね。おい、クマ公、何だ、昼間からぶらぶら働きもしないで、せっせと働け。大家さん、働くと何か得なんですか。それはお前、働けば銭が稼げるだろう。銭稼ぐと得なんですか。それはそうだ、そうしたら金持ちになってもう働く必要もなくなって、昼間からぶらぶらして遊べるだろう。あ、それならやっていますという。これ実は、ディオゲネス、要するにギリシャの哲学者にも非常に似たような話があって、世界中で語られている言葉なんですね。これ実は非常に深いことを意味しているのではないだろうか。  さて、それが前置きですけれども、何で忙しいんでしょうか。皆さん、忙しいでしょう。最近、僕も長い間海外に暮らしていたんですけれども、日本に帰ってきて、こんなに忙しい人というのは世界中にちょっといないんじゃないかと思いますよね。何でこんなに忙しいんでしょうか。あいさつも、最近はこんにちはというあいさつもうしなくなりましたね。お忙しいところをとか、お忙しいところをありがとうございましたと。それから、お疲れさまって、もううちの学生たちなんか朝会ったときからお疲れさまと言っていますね。  これはどういうことなんだろうか。これは僕に言わせれば、かつて経済の世界の中にだけ限られていたファスト、速いペース、ファストなペースが経済の外まで今やあふれ出して、今では僕たち生活のあらゆる場面にひたひたと押し寄せてきている。子供たちも忙しいですね。僕が小さいときには忙しいという語彙はなかったと思うんですね、子供の世界には。  では、そこで問題ですね。経済の世界ではなぜ時間が加速するのかという非常に根本的な問題があります。簡単に言えばこういうことだと思います。経済仕組みがそういうものなんですね。例えば生産ということに関して言えば、より早くより多く作る、そしてそれをより早く売る者が勝つという、そういう競争の世界なわけです。  経済がゲームだとしますと、そのルールというのは早い者勝ちなんですね。だれも後れを取るまいと、ゲームですから。負けるためにゲームに参加する人はいないんですね。後れを取るまいというふうにしてスピードアップします。ですから、経済の世界では全体として時間が加速します。そして、それがしまいに経済を優先する、経済を最も重要だとする社会の中では社会全体が加速していくことになるだろう。気が付くと、辺りには、国際競争力を、効率性を、生産性を、GDP、GNP、消費増大、会社の業績アップ、これが最優先になるわけです。そのためには、こういう最優先事項のためには、生態系、自然環境、それから平和だとか家庭の幸せだとかを犠牲にしても構わないというようなビジネスあるいは経済社会にはびこってきたのではないか、非常に単純ですけれども、こういうふうに僕は考えています。さて、こういうゲームに未来はあるのか、それが問題だと思います。  さて、そもそも競争というのは何かという問題がありますね。競争というのは、同じゴール、ある目標に向かって競い合うことですね。一人一人のゴールが違ったら競争になりません。そうですね。まず、ですから、社会の原理として、同じゴールに向かって人々が進むというような原理を社会の原理とするにふさわしいのかという非常に哲学的な問題がここで浮かび上がってくると思います。  それから、もう一つ、今の経済仕組みというのは、そこには時間が組み込まれているんですね。時間をめぐる競争なんです、この仕組みは。ということは、時間が加速しますね。そして、早い者勝ちというのがこの競争のルールだ、やはりここに最大の問題があるのではないか。もちろん競争、勝ち負けがありますから、勝つ人がいれば必ず負ける人がいるわけです。勝ち組、負け組なんていう言葉が平然と語られる、これは社会としては非常にまずい状態、文化としては非常に劣悪な、貧困な文化と言わざるを得ないと思います。  さて、だから、問題は時間なんです。先ほどのお話にもありました。僕は時間こそが最大の問題だと思います。そして、これから幸せという言葉を使ってちょっと話をしたいんですけれども、幸せのかぎもまた多分時間にあると僕は考えています。だからスローという言葉なんです。スローというのは時間の概念です。この時間をもう一回見直そう、我々と時間との現在の不幸な関係を何とかしなければいけないというのがスローであり、スローライフです。  さて、僕がスローということを強調する場合、時間というのがこの現代社会の最大の問題だということが理由だというふうに言いましたけれども、実は僕は、戦争とか紛争とかというのは大きな問題ですね。そして、今、現在最大の問題といったらやっぱり環境問題ですね、地球温暖化、気候変動。そういう巨大な問題、地球規模の問題からこの日本社会の問題、様々な問題、そして身近な問題ですね、地域の、あるいは家庭の、個々人の問題に至るまで、根っこのところには同じ問題があるのではないか、それが時間の問題なのではないかと僕は思っているわけです。  例えば、環境問題もこんなふうに考えることができます。人間が作り出した経済の時間、人工的な時間ですね、がますます加速して、自然時間とのずれが大きくなったというふうに言えないだろうか。例えば、サケという魚は数年大海原を回遊して故郷の川に帰ってくるわけですね。これがサケの時間です。キャベツにはキャベツの、ニンジンにはニンジンの時間があるわけです。しかし、加速する経済の時間というのは、もはやこういう生き物たちの固有の時間を待てなくなってしまったわけです。その結果、サケの場合には養殖をするとか、しまいには遺伝子組換えをして、今北米では普通のサケよりも八倍、十倍速く育つサケというのが開発されています。経済の時間を我々は力付くで無理やり自然の時間に押し付けようとしたわけですね。地球温暖化というのも経済時間をこの地球のメカニズムに無理やり押し付けようとした結果だというふうに考えることができます。  それぞれの生き物にはそれぞれの時間がある。僕は、森には森の時間があると思いますし、山には山の、川には川の時間があると思うんですね。それを私たちは全く無視して人間世界の経済、つまり人間世界にとっての豊かさを増進することだけに集中してきたわけです。  かつて、伝統社会ではそれぞれ人間が自然界の世界に何とか折り合いを付けながら自分たちの暮らしのペースを編み出してきたんだと思います。しかし、産業革命、二百年ぐらい前から大きな変化が起こったわけです。人間は科学技術の進歩をてこにしてその経済活動を急速に加速させました。これはいろんな研究があるんですけれども、簡単に言うと大体百倍なんですね。かつての百倍のスピード、百倍の力を得たわけです。その背後には、もちろんそれまでのバイオマスのエネルギーに対する化石燃料ですね、石炭や石油の利用ということがあることは皆さん御存じだと思います。  しかし、こういう自然界に経済の時間を押し付けたというのが一つの側面ですけれども、そればかりではない。地球温暖化というのは単に孤立して存在しているわけではないんですね。実は、早い者勝ちの競争社会は人間同士が一緒に生きていくことを難しくしてしまったわけです。互いに待ったり、待ってもらったりしながら一緒に折り合いを付けて何とか生きていくということがますます困難になってきているわけです。特に遅い人ですね。特別の遅さを持った人、高齢者とか障害者とか病気の人とか、身重の女性とか小さな子供とか、特別な遅さを持った人たちだというふうに考えると、その人たちにとってはますます生きづらい世の中になってきていると思います。  さて、僕はスローダウンと言うんですけれども、どれぐらいスローダウンすればいいのか、そんなことできるんだろうか。僕が言っているのは実に単純なことです。人と自然とが、また人と人とがもう一度つながって何とか一緒に生きていけるところまでスローダウンしようよ、これがスローライフなんですね。そういう人間らしい暮らしのペースをサポートするのがスローエコノミーでありスローポリティクスというものではないだろうか。  さて、日本の実業界の父とも言われる渋沢栄一さんですけれども、ビジネスという言葉を日本語に訳したんですね。何という言葉だか御存じですか。実業です、実業。  江戸時代の商業は、ともすれば虚業に陥ることがあったというので非常に社会的に低い評価しか与えられなかったという反省を踏まえて、彼は新しい時代にふさわしい本物のなりわいとして実業というのを構想したわけです。彼が生きていたら、渋沢栄一さんが生きていたら、今日の現代社会のビジネスの現状をどういうふうに思うでしょうか。世はまさに虚業全盛ではないでしょうか。大量生産、大量消費、大量廃棄、そして投機がビジネスの主流になって、国際競争力のためには、まあ、ない方がいいけれども、環境破壊も戦争も仕方がないかと言わんばかりですね。経済成長を遂げて企業の業績を上げるという至上目標のためには手段を問わない、まさにこれは虚業でなくて何でしょうか。  では、数十年にわたる驚異的な経済成長の末に、そこに暮らす日本人が一向に幸せそうに見えないのはなぜなんだろうか。せめて、環境も破壊した、戦争も起きた、でもその結果こうやって豊かになって幸せなんだから、まあいいかって思いたいですけれども、じゃ何でこんなに日本人は幸せそうではないのか。  最近、こういう本を出したばっかりなんですけれども、僕の本で、これ「幸せって、なんだっけ」という、ちょっととぼけたようなタイトルを付けてみました。その中で、今経済学者の中に、そして政治学者の中にも幸せということをキーワードにして盛んに研究している人たちが世界中に増えてきました。幸せの政治学、幸せの経済学というのが今ちょっとしたブームなんですね、僕もそれにあやかっているわけですけれども。その研究の結果、こういうことが分かっているんです。今まで、豊かさの中、豊かさを追い求める社会の中で常識とされてきた三つの命題があります。一、豊かな国の国民は貧しい国の国民より幸福である。二、同じ国の中では金持ちの方が貧乏人よりも幸福である。三、人は金持ちになるほど幸福である。常識でしたよね。僕もそう思っていました。  僕は仕事柄、僕は文化人類学をやっているんで、いわゆる貧しいと言われている国、GNP、GDPでいえば物すごく低いところにあるような国によく行くんですね。そして、僕の実感というのが僕の常識を揺るがしました。そして、現在進んでいる、こういう幸せの経済学、幸せの政治学の研究者たちによりますと、今の三つはすべて正しくない、間違っているということがもう立証されつつあるわけです。  さて、ヒマラヤの小さな国、僕は今はまっているんですけれども、そしてこの本を書くことになった大きなきっかけなんですけれども、ヒマラヤにブータンという国があります。行かれた方はありますか。僕、是非行っていただきたいと思いますけれども。今は面白いですね、王制から民主制に国王自らが率いて転換しているところなんですね。そしてつい最近、最初の選挙が行われたという、投票の仕方からみんな勉強して。  さて、その今の大変革を率先したブータンの前国王があるときこう言ったんですね。GNPよりGNHが大事である。GNHとは、GNP、国民総生産のPの代わりにHを入れたんです、GNH。Pというのは何でしょうか。もちろんプロダクツですね。物、商品、そしてそれをやり取りするお金の総額です、一国で一年の間に。それをGNP、GDPというわけですけど、それで世の中の豊かさを測るというのはおかしいんじゃないかと彼は考えたわけです。そして、GNPやGDPのレベルでいえば、こんなに貧しいはずの我々の国の農民たちを見てくれ、みんな結構幸せそうだよと。  僕は本当かどうか見に三回行ってきましたけど、いや、やっぱり本当にそうなんですね。非常に幸福度が高い。これは物やお金の量を物差しとするもうけ主義や経済成長主義への痛烈な批判であり、本当の豊かさとは何かという僕たちへの問いかけだったと思います。  今日ちょっと是非皆さんに紹介したいと思って持ってきたのは、ロバート・ケネディの言葉なんです。なぜ僕ロバート・ケネディを最近思い出したかというと、オバマさんなんですね。オバマさんを見ていると、何か僕ロバート・ケネディを思い出すんです。ちょうど四十年前の今ごろ、次期大統領確実と言われていたんですね、ロバート・ケネディは。あのジョン・F・ケネディの弟さんですよ。  そして、これはちょうど今から四十年前、一九六八年三月十八日のスピーチの中の言葉です。  余りにも長い間、私たちは人格や共同体の重要さよりも物質的な富を蓄積することをはるかに優先させてきた。今や八千億ドルを超えたアメリカのGNPだが、その中には空気汚染やたばこの広告やハイウエーでの多数の事故死者を運ぶ救急車が含まれている。家を守るための特殊なかぎ、それを破って侵入する犯罪者たちを収容するための牢屋もGNPのうちだ。巨木の立ち並ぶレッドウッド原生林の破壊、美しい自然をのみ込んでいく都市化の波もGNPを上げる。戦争で使われるナパーム弾も核弾頭も、街頭のデモ隊をけ散らす警察の装甲車も。ウイットマン社製のライフルもスペック社製のナイフも、子供たちにおもちゃを売るために暴力を礼賛するテレビ番組も。しかし、そのGNPの中には、子供たちの健康も教育の質も遊びの楽しさも含まれていない。そこには、詩の美しさも夫婦のきずなの強さも政治における知的な議論も役人たちの誠実さも勘定されない。私たちの機知も勇気も知識も学びも。私たち一人一人の慈悲深さも国への献身的な態度も。これが四十年前のロバート・ケネディの言葉です。  要するに、こういうことだと思うんですね。国の富を測るはずのGNPからは私たちの生きがいのすべてがすっぽり抜け落ちている、これもロバート・ケネディの言葉です。もう一度言いますよ。国の富を測るはずのGNPからは私たちの生きがいのすべてがすっぽり抜け落ちている。つまり、幸せが抜け落ちているんです。豊かさでは幸せは測れないということなんです。そういう意味で僕はあのオバマ現象を見たいと思いますね。オバマ現象の背後にはこれがあるんだと思うんです。  さて、実業という言葉に戻りましょう。すべての人々の暮らしの質を高めるのが実業なのではないか。満足度や幸福度を向上させるもの、それが本来の実業であり、経済というものなのではないか。それが渋沢さんを始め多くの創業者たち、多くのビジネスの創業者たちが考えていたことなのではないか。つまり、GNPではなくてGNHを高める、ハピネスを高める、それがスロービジネス、スローエコノミー。僕、ロハスという言葉皆さん御存じだと思いますけれども、スローハスと言っています。ロハスにスローをくっつけてスローハス。  さて、この「幸せって、なんだっけ」という本なんですけれども、僕は、幸せって何だっけと、幸せとは何ぞやじゃないんです。幸せとは何ぞやと言うとみんな引きますよね。そうじゃなくて、一人一人が、あれ、これまで突っ走って忙しくやってきたけど、幸せって何だっけというふうに立ち止まって、一見ナイーブな、ちょっととぼけたようなこの問いを発することこそが今重要なのではないか。この本の中で僕は、まず、豊かさにもかかわらず不幸せな、いや、むしろこうですね、豊かさだからこそ不幸せな現代世界の有様を描こうとしました。そして、こう問うたわけですね、でも本当に豊かなんだろうか、そもそも何のための豊かさだったんだろうか、そして本当に私たちにとって大切なものというのは何なのかという、そういう問いかけです。  環境危機と言われます。地球温暖化、もう壮大な、人類の存続が危うくなるような危機です。でも、どうしてここまで来ちゃったんでしょう。なぜでしょう。自分で自分の、あるいは自分の子供の首を絞めるようなことをどうしてやってしまったんでしょうか。どうしてそんなことにまで私たちを駆り立て、私たちは駆り立てられてきたんでしょうか。あるいは、何かそういう、私たちを駆り立てるような何かそんなに魅力的なこと、自分の生存よりも大事なことというのはあったんでしょうか。それが僕は豊かさだと思うんです。そして、豊かさというのが幻想だと僕が言うのはそういう意味なんです。競争による豊かさの追求、それがこれまでの経済活動でありビジネスであった。  そろそろ時間ですから、まとめたいと思います。  しかし、それこそが世界中に多くの不幸せをつくり出してしまった。そればかりではない。僕たちの豊かさが実は未来に生きるはずの無数の人たち、人間たちやほかの生き物たちが享受すべき分を奪い取ったんです。今、僕たちが豊かだ豊かだと、六本木辺りで誇りにしているものというのは、基本的にはあれは未来から盗んできたものだと考えた方がいいんじゃないだろうか。盗品の山です。  地球温暖化は、その豊かさ幻想がとうとう命の星地球をがけっ縁まで連れてきてしまったことをあかし立てていると思います。これまでの豊かさの経済に代わるべきは幸せの経済、これまでの豊かさの政治学に代わるものは幸せの政治学だと思います。そして、競争のビジネスに代わるものは共生のビジネスだと思います。  共生、つまり家族が、友人たちが、共同体が、地域が、国々が共に生きていく力を養うのがビジネスであり経済の本来の役割なのではないか。そして、生態系とのつながりを回復して、それを維持していく力、それが共生力。競争力ではないです、共生力だと思うんです。  それでも競争、どうしても競争したいんだという人たちは、これからは、この世界にどれだけ共生力をもたらしたかというこの一点でみんなで競争したらいいんじゃないでしょうか。そして、政治家たちはどれだけこれからこの社会に幸せを増進させたかというこの一点で競争、切磋琢磨されたらいいんではないでしょうか。  つながるのには時間が必要なんです。つながりをはぐくむためには時間が必要です、相手がいますから。スローライフというのは、そういう僕たちが切り捨ててきてしまったつながりをはぐくむことだというふうに理解していただきたいと思います。  どうもありがとうございました。
  9. 矢野哲朗

    会長矢野哲朗君) 辻参考人、ありがとうございました。  以上で参考人からの御意見の聴取は終わりました。  これより参考人に対する質疑を行います。  本日の質疑でありますけれども、あらかじめ質疑者を定めずに行いたいと思います。質疑及び答弁の際は、挙手の上、会長の指名を待って着席のまま御発言をいただきたいと思います。  なお、質疑に当たりましては、参考人の方々の御意見の確認など、簡潔に行っていただければよりスムーズに進むと考えます。御協力をお願い申し上げます。  それでは、質疑のある方の挙手を願います。  小林正夫君。
  10. 小林正夫

    小林正夫君 民主党の小林正夫です。  今日は、テーマがゆとりくらしということで、この調査会、大変楽しみにしておりました。また、両参考人からそれにふさわしいお話が聞けて本当によかったなと、このように思います。  まず、岡澤参考人にお聞きをいたします。  先ほどのお話の中で、成熟化条件は時間的ゆとりであると、こういうお話がありました。それと、事務局の方から事前に参考人関連資料というのもいただいておりまして、これも拝読いたしました。その中に、先生の方で書かれた中で、時短こそ出発点、ここにも時短、時間的な話が書いてありました。さらには、福祉社会構築前提は時短と年休の完全消化であると。  私、議員になって労働問題を中心に取り組んできたものですから、この時短だとか年休の取得というのに本当に興味がありまして、ここがなかなか思うようにいかないものですから、いろんな場面で発言もさせていただいているんですが、今日はちょっとここに視点を絞ってお聞きをしたいと思います。  私たち、千八百時間の労働時間を目指そうと、こういうことで多くの労働組合が運動しておりますけれども、実態としては、二〇〇七年の厚生労働省の集計によると二千四十七時間になって、二〇〇三年から見ると二十三時間も実労働時間がプラスになってしまっていると、こういう今は社会になっていると思います。そして、労働基準法があって、一日八時間週四十時間と、こういう縛りがある中で、いろんな手は打っているんだけど働く時間がどんどん延びていってしまっている。  私、あるときに厚生労働委員会で労働大臣の方に、いろいろ手を打ってきてやっているんだけれども、時短というのが日本ではなかなか実現しないから、更に思い切った角度で何か施策をするべきだと。そのときに、いろいろ文献を見たり外国の方のお話を聞いてみると、EUの方では十一時間の休息時間を設けると、こういう規定を作って、一日の仕事が終わった後、十一時間休んでから次の仕事をスタートさせると。私は、日本社会にもこういう制度が必要じゃないか、このように委員会で提言をしたことがございます。  これから日本も、あるいは厚生労働省も、時短は大変大事な問題なんで、そのことも含めていろんな審議会で検討はしていきたいと、こういうお話もいただいたんですが、岡澤参考人は、この十一時間休息をしようという、こういう日本のルール決めたらどうだろうかという考え方についてどう思われているのかということと、有給休暇の完全取得の中で、なかなかこれまた有給休暇の取得率が伸びていかないというのが現状なんですね。  そこで、いろいろ労使関係を聞いてみると、半日休暇制度だとか、場合によっては、今論議されているのは、有給休暇を一時間ごとに分割をして、それで休暇が取りやすくなって、結果的には有給休暇の取得率が進むんじゃないだろうかという考え方も今論議をされているんですが、働く立場から見ると、やはり有給休暇というのは一労働日に対して二十四時間休みなさいということで元々始まったものが、使い勝手が良くて時間ごとに分割をして休暇を与えるという、こういう制度そのものについて先生の御所見をお聞きをしたいと思います。よろしくお願いしたいと思います。
  11. 岡澤憲芙

    参考人岡澤憲芙君) まず、働いた後十一時間ぐらいというのは、これは先ほど私が強調しておりますけれども、多様性時代になるんで、やっぱりどういう仕事の内容かということによって非常に難しい問題になると思うんですよね。だから、それこそ一般原則を決めながら、職種によって物すごく多様性が大きい。それが本当にうまくシステム化できるかどうかというので、ちょっと難しいかなという気はするんですね。  だから、私自身はむしろ、どちらかというと突破口としては、基本的には労働時間の短縮ということと年休の連続消化なんですよね。だから、私がよく言っております北欧諸国というのは、結局すべての勤労者が五週間年休を持つんですが、ほぼ一〇〇%なんですね、消化は。それは何かというと、それによって社会全体でみんなが楽しようという発想なんですね。多くの勤労者は三週間か四週間まとめて夏休みを取って、海外か別荘か若しくは学校にでも行くという形です。残りの一週間か二週間はクリスマス休みを取って家族で全部で団らんするという。  その基本的な発想はどこにあったかというと、二時間サービス残業する人が四人いたら、その人が仲間の一人を失業に追い込んでいるんじゃないかと。逆に言うと、あなたの勤勉、仲間の失業だと。それならば、四人がエキストラワークをして、税をより高い、所得は多いけれどもその部分だけ税金に跳ね返りますから、より増税になって、そこから払った増税分で仲間の失業手当を出すのがいいか、それとも働く人たち自身が、ほとんど二割程度時短をして、ほどほどの労働、ほどほどの所得、ほどほどの納税者になった方がいいんじゃないかと判断したときに、北欧諸国は後者を選んだんですね、ほどほどでいいと。先ほど、辻先生とよく意見が一致するところはそこなんですが、やっぱりすべての人に与えられた基本的な資産というのは時間だとするならば、やはり二時間職場を早く抜けることによって、労働時間を短くすることによって、仲間が五人ともがほどほどの所得を得て、ほどほどの時間をエンジョイできる方がいいんではないかという発想で来たんですね。だから、その辺の説得力だろうと思うんです。  それは何かというと、先ほど申しましたけれども、片方で猛烈社員、我々の世代はそうだったんですが、猛烈社員になって過労死や突然死の脅威を背中に負いながら一生懸命働いている人、今でもいますよね、はっきり言って。一方で、働きたいのに簡単にアクセスできる仕事がなくて困っている人がいっぱいいると。それを何とかうまいこと調整できないのか。それが実際にできないのかじゃなくて、できている国があるわけですから、それはもう日本のようにこれだけコンピューターが発達して、きちっとしたシステムがつくれる国でなぜしないのか。  あとは、一人一人の市民が、先ほど言いました、人の幸せって一体何だろうかという基本的な哲学について、やはり貯金通帳に並んだゼロの数なのか、それとも自分の自由にできる時間なのかという視点議論がもう少しあると分かってくるんだろうという気はしますね。それが答えです。  だから、十一時間でやってというのは、やっぱり職種のあれでケース・バイ・ケースが余りにも多いので、余り一般論ではちょっと言いにくいなという気はします。
  12. 小林正夫

    小林正夫君 ありがとうございます。  辻参考人にお聞きをいたします。  スローライフというのは大変私も共感をいたしました。ちょうど私たち世代が六十を迎えて定年になる、こういう仲間が多いものですから、これからの生き方をどうしようか、こんなような雰囲気の中で今生活をしているんですけれども。  今先生がおっしゃったように、非常に今時間が速く過ぎ去っていく、このように感じがいたします。なおかつ、今の日本社会は大競争時代に進んでいるんじゃないかと私は感じがして、殺伐な雰囲気の中でみんなが忙しく仕事をしたり生活をしているなということを感じている。そういう中で今日のお話、大変私は参考になりました。  それで、辻参考人がこのような考え方を持ったという、スローライフを提唱するきっかけになったのはどういうことだったんだろうかということと、もしかしたら辻参考人が小さいとき、子供のときに何かそういうきっかけなり教育なり家庭環境なりがあって今のようなスローライフというものの必要性を提言しているのかなと。何がきっかけだったんだろうかなということを大変私興味を持ちまして、是非お聞きをしたい、これが一つです。  それと、先ほど言ったように、大変余裕がなくて殺伐とした雰囲気の中で、今日の朝のニュースを見ていると、チューリップが折られてしまっただとか、少し前になると、せっかくこれから収穫をしようと思った果物などが結局もぎ取られてしまうという、そういう事件だけ見ると非常に今の世の中少し狂ってきちゃったなと。それと、親が子供を殺したり子供が親を殺したり、そんなようなことが本当に多くの報道がされる今日なんですが、今の辻さんのスローライフという考え方の視点に立って、今の家庭教育だとか学校教育に対して何かお感じる点があれば、また教育というものはこうあるべきだ、このような考え方があればお聞きをしたいと思います。  二つについてよろしくお願いいたします。
  13. 辻信一

    参考人(辻信一君) きっかけはいろいろありますけれども、僕は高度経済成長時代の子供ですから、要するに明日は今日よりも良い日だとか、来年は今年よりもより良い社会になってとか豊かになってということを空気のように僕も呼吸して育ってきたんですよね。  でも、同時に、僕、東京生まれ東京育ちなんですけれども、違和感は常にありましたね、大人の社会に対して。大人がとにかく何か落ち着きがない。子供の目から見て大人は格好よくなかったですね。そして、こんな例えば夫婦になりたいとか、こんな家庭を持ちたいとか、こんなおじいさんになりたいというモデルが物すごく少なかったです。僕、今も必ず聞くんです、自分のゼミ生なんかに同じ質問を。いまだにすごく少ないですね。そして、そういう質問をされて、みんな唖然としています。自分でびっくりしているんですね。  だから、僕は日本に非常に違和感があったんです。風景も何か汚いなと思って、最初は東京オリンピックがあるからとか万博があるからというので、ああ、じゃそうしたら工事も終わるのかなと思ったら終わらなかったですね。結局いまだに続いています。僕の住んでいる横浜の近所でも工事がずうっと続いているんです。これはまともな社会ではないだろうと、そんな感じを持って僕は海外に脱出したんですよ、結局十数年暮らしちゃったんですけれども、住んでいるときは日本に帰ってくるつもりなかったんですね。アメリカとかカナダとかメキシコとかなんですけれども、やっぱりそこで、やっぱりおかしかったと思いましたね。  そして、その中で、特に少数派と言われている人たち、僕の場合は黒人とか、黒人音楽が好きだったもんで、黒人だとかそれから先住民、インディアンですね、そういう人たちと交流することになって、結局文化人類学をやっちゃうんですけれども、その人たちが持っている主流の社会とは外れたところで持っているゆとりとか豊かさですね、これも全くGNPで測れる豊かさとは違うものです。人と人とのつながり、共同体的なつながりもありますし、インディアンなんかの場合は、本当に自然界と一体となった知恵ですよね。そういうものが、これこそが豊かさだなというふうに感じるようになったという、大体そんな経緯ですね。  それから、二番目の方ですけれども、教育、これはまさに僕にとっては現在進行形で、子供たちのことを毎日見ているわけですね。  僕、昔は本当に悪い、不良だったんで、カンニングなんかよくしていたんですけれども、今、何とそのカンニングを取り締まる役になっちゃって、非常につらいんですけれども。  やっぱり試験ですよ。何ですか、試験というのは。何でそんなに競争させるんでしょう。そして、試験をたくさんやれば学力が上がるなんて、そんなことは間違いだというのは国際的に考えれば当たり前のことですね。でも、もっともっと子供たちを追い詰めようとしていますね、日本社会は。試験なんか全部やめればいいんです。だって、今の勉強というのは試験の準備ですよ、みんな。試験の準備に何やるかって、ドリル、これも試験なんです。日本の子供は二十歳までに一体何回試験やるんでしょう。試験というのはテストですね。つまり試すんです。何を試しているんでしょう。だれが何を試しているのか、もうそれも分からなくなってきているんじゃないでしょうか。  つまり、僕はこういうことだと思います。この社会は子供たちに何百回という試しを与えて、つまりそれをパスしたらあなたたち社会に生きていく資格を与えると。一昔前まで、どんな社会でも、生まれたらそれでよかったんです。生きているだけでよかったんですよ。何にも生きていく資格なんか要らなかった。そういう原点にもう一回戻るべきなんじゃないかな。自分の大学ですら入試をやめることがなかなかできない。だから、これは決して易しいとは思いませんけれども、やっぱり全力でこの試験地獄、受験地獄を解消しなきゃいけない。もう五十年、六十年と同じこと続けてきているわけです。  それで答えになるでしょうか。
  14. 小林正夫

    小林正夫君 どうもありがとうございました。  お二人の先生、ある意味では私の頭の中の発想になかったような今日はお話を聞かせていただきまして、また今後の政治活動に生かしていきたいと思います。  どうもありがとうございました。
  15. 矢野哲朗

    会長矢野哲朗君) その他。  森まさこ君。
  16. 森まさこ

    ○森まさこ君 自民党の森まさこでございます。  両参考人、今日は大変参考になるお話をありがとうございました。  私は、海外に三年間いたことがございまして、生まれたばかりの初めての子供を連れてニューヨークに留学をしたんですが、その話をすると、皆さんがどんな大変な生活だったんでしょうというふうにお聞きになるんですが、自分としては大変充実したとても楽しい生活だった、その答えが今日先生方からの時間とかゆとりというお話を聞いて何か分かったような気がします。  アメリカだったんですけれども、アメリカで非常に私は生まれたばかりの子供と時間的にも絶対量もたくさん一緒に過ごせましたし、心、精神面でもゆとりを持って子育てができたというふうに思っていて、元々が私は弁護士なんですが、弁護士として日本にもし同じ時期、生まれたばかりの子供を育てながら弁護士活動をしたらあんなに楽しい三年間は過ごせなかったんであろうなというふうに考えております。  そこから、それでは、今から日本において同じように女性が又は男性が楽しくゆとりを持って子育てをしながら働いていくにはどうしたらいいだろうかということを常日ごろ考えているんですけれども、岡澤参考人の方の資料には、突破口の選択肢の第一番目に女性の社会参加と男女共同参画社会を書いていただいて非常にうれしかったんですけれども、私は一つには、子育てをしていてどうしても必要な外出をしなければならない、仕事を抜け出していかなければならない用事ができたときに自由に行けるような、そういう職場環境があれば非常にストレスを抱えながら子育てをすることもないし、また、私の同僚の多くの女性弁護士が、子供ができて仕事場を辞める、辞めて仲間と一緒に事務所をつくったり自分だけで独立したりするんですが、なかなかそこでは自分の思うような好きな専門的な仕事はできないんですけど、そういう選択をせざるを得なくなっている、そういうことが解決できるのではないかなと思っています。  具体的には、ちょうど私の子供たちは今小学生が二人なので、PTA休暇というのを考えました。PTAの活動が小学校低学年ですと非常に数が多いんですね。ほとんど毎週のようにこれはあります。先生との個人面談、それからクラスのPTAの役員会、学校行事に保護者が参加をする、お手伝いをする、そういったことが、私がアメリカにいたときに見聞した限りでは、仕事を持つキャリアの女性も自由にそれができておりました。  ところが、日本に帰ってきて私は金融庁という役所に二年間勤めたんですけれども、自由に抜けることができませんでした。有給休暇が何日間か与えられておりますが、これを子供が熱を出したり、それから夏季休暇、お正月休暇というのに充ててしまいますと、それを引いて残りでPTA活動に出ようとすると全部は出れません。本当に限りある部分、時間で取れるんですけど、先ほど先生から御質問あったとおり一日単位ではなくて一時間ごとには取れるんですが、そうやって取って抜け出していったとしても時間が全部取れません。また、一つ一つ取るのにやはり上司に良い顔されないという部分があって、これはPTA休暇というのがあって、学校からのお手紙さえ持っていけば堂々と取れるようになるということであればよいなと思って政府の方に提案をしたことがございますが、余り前向きな回答が与えられませんでした。  そして、もう一つには、このPTA休暇を実行していくに当たって、役所からそれを実践してみたらどうですかということを申し上げてみたんですけれど、先ほどの岡澤参考人、一番最後に納得ということをおっしゃいましたが、役所が言うには、今公務員に対して非常に国民の目が厳しい中で、PTA休暇を女性公務員に与えるというようなことを先にすると、国民の税金で働いておきながら休暇を取って何事かと言われてしまう、だから役所から始めることはできないんですというような回答をいただいて非常にがっかりをいたしました。  そこで、岡澤参考人にお伺いしたいのは、公務員からそのような女性の社会参加、男女共同参画社会に模範となるような制度を先に導入していくということについてのお考え、それから、辻参考人の方にも同じように、ゆとりある生活をしていくということを公務員の方から実践していくということについての御意見を伺えたらと思います。
  17. 岡澤憲芙

    参考人岡澤憲芙君) 公務員の世界の方から社会を動かすときのモデルケースになったらどうかというのは、もう大賛成であります。  これはもう基本的に、先ほど例に出ましたけれども、いわゆる北欧型のシステムというのは基本的にはそこがリードしていくという形になっていますね。その前にですが、児童のPTAの休暇というのはもうとっくに制度化されていまして、子供が学校に呼び出される日は親も一緒に会社を休んで行くという、それがもう制度化されております。  日本でそれの突破口をやるときに、基本的には経営体としての経済的合理性で納得調達しない限りなかなかうんと言わないと思うんですよね。そのときに、多くの人々社会参加して、ほどほどに働いて、ほどほどに労働の現場にいて納税人口を増やしていくんだという形になると、マクロに見たら、それでプラスになるという発想にどこまで行くかなんですよね。それさえ納得ができればそれほど難しい問題ではないんですが、今のところ、より多く働く心の準備ができている人にやたらに働かせて、タイムカードを押した後もまたこっそり職場に戻って働くというような状態になっているんですね。私自身は、だから、そういう意味では突破口はやっぱり時短になるのかなという、それに対する社会合意ができれば多くの問題が解決しやすいんじゃないかという気はしますね。  それとあと一つ、PTA休暇で休みを取るということは、その分だれかが代理をしてということですね。ということは、それだけ就労のチャンスをほかの人に与えるということなんですね。そういうふうにして、社会参画と労働現場に参加する数を増やしていくというふうな視点で物を考えていくと、休んでくれたおかげである人が働くチャンスを得るんだ、全体として見れば働く人口納税人口が増えるんだという視点にどう頭を切り替えていくかということだろうと思いますね。
  18. 森まさこ

    ○森まさこ君 ありがとうございます。
  19. 矢野哲朗

    会長矢野哲朗君) よろしいですか。
  20. 森まさこ

    ○森まさこ君 あと、辻参考人の方にも。
  21. 矢野哲朗

    会長矢野哲朗君) 辻先生にもということですか。
  22. 森まさこ

    ○森まさこ君 はい。
  23. 矢野哲朗

    会長矢野哲朗君) 辻先生、お願いします。
  24. 辻信一

    参考人(辻信一君) 僕も公務員からというのは賛成ですね。  必要なのはモデルだと思います。どんな場所でも、どんな形でも、とにかくこれまでの常識とされていたものと違うライフスタイルを実現して幸福度の高い暮らしが実現されている、そういうモデルがこの国の中にどれぐらいあるかというところが僕は勝負だと思うんですよね。  最後に、これはちょっとショッキングというかきついことを言うことになるかもしれませんけど、僕、友人たち、科学者も含めて、今いろいろ話をしている中で、大体こんな考え方が多いんですね、この世界の今の仕組みというのは、五年はもつけど十年はもたないという。どこからか破綻が始まっていくと。今、恐慌の話もありますけれども、どこかの自然災害だとか原発事故とか、いろんなことがあり得ると思いますけれども、その始まり方はですね。どっちにしても、この今のグローバル経済仕組みが大きく破綻していくだろうと。そのときに、今のままでいくとやっぱり絶望に向かいますよね。やけになる、これが僕、非常に怖いと思います。  一方で、もう一つの道筋というのがすべての人に見える形で存在していれば、そちらへの流れというのがつくり出せるんじゃないか。ですから、今そういう仕組み自体を変えていくということも非常に重要なんですけれども、同時に、僕ら注目すべきなのは、仕組みの外側で既に動いている人たちがたくさんいて、世界中に今までの近代的な価値観とは違う価値観で生きている人たちがたくさんいる。そういう動きに注目することだと思いますね。僕は自分の学生たちにできるだけ多くそういうモデルを示して、自ら違うライフスタイルをできるところからつくり出していくということを今進めようとしているんですね。  例えば、面白いのは、半農半Xという言葉が今若者たちの中ではやっています。それは、農というのは農業の農なんですけれども、農的な暮らしを自分の暮らしの中に取り入れて、半分農ですね、それに半X、コンピューターだったりアートだったり音楽だったり、違うものを組み合わせて自分のなりわいをつくっていく。こういう独創的なライフスタイルをする人たちが実に多くなっているんです。  アメリカでのある研究によりますと、こういう人たちをカルチャークリエーティブ、新しい文化をつくる人々と呼ぶんですけれども、このカルチャークリエーティブがアメリカの人口の三分の一、大人の人口にして五千万人が既にシステムから外れたところで暮らしをつくり始めているという、そういう社会意識調査があるんですね。是非皆さんにもそういうところに注目していただきたいなと思います。
  25. 矢野哲朗

    会長矢野哲朗君) その他、質疑をお願いします。  松あきら君。
  26. 松あきら

    ○松あきら君 公明党の松あきらでございます。今日は、岡澤先生そして辻先生、本当に当調査会にお出ましをいただきましてありがとうございます。両先生のお話を伺っていてもう本当にうなずくことばかりでございます。  まず、岡澤先生にお伺いしたいと思います。  私は、スウェーデンという国はまさにワーク・ライフ・バランスの進んだ国だと非常にうらやましいという思いでいっぱいなんですけれども、少子高齢化というのも日本に先駆けてスウェーデンではもう経験したと。しかし、私どもの日本はスウェーデンの三倍ぐらいの急速さで高齢化になっているわけでありますけれども、うらやましいと思う反面、高負担福祉の国であると。しかし、高負担であっても国民が納得しているからきちんとこういうふうに成り立っているというふうに思っているわけでございますけれども。  一つは、人口が、私は地元神奈川県なんですけれども、神奈川県とほぼ同じ九百万人弱のスウェーデンという国は人口であるということですけれども、例えば人口が適度に少ないから政策を実行しやすいのだと、そういうふうに言う人もいるんですけれども、例えば、スウェーデンで高福祉政策を展開できる理由というのも教えていただきたいなと思います。  それから、百年ほど前のスウェーデンは貧しい農業国で、人口の四分の一、当時は百二十万人と言われる、この人たち海外へ移民したそうなんですね。その後、経済の安定化に伴って今度は移民を労働力確保として受け入れたと。これがこれからの私どもまさに日本少子高齢化人口減少社会に突入をしているという中で、外国人労働者の受入れというものが今日のスウェーデンという国の在り方にどのような影響を与えているのか、まさにスウェーデンから勲章もいろいろいただいて御専門家の先生にこの二点をまずお伺いをしたいと思います。  それから続きまして、辻先生にお伺いをいたします。  辻先生はブータン国王が提唱したGNHのお話もしてくださいました。私も実は昨年当調査会で、イギリスのレスター大学のホワイト教授が独自で、世界に暮らす八万人にインタビューを行った独自の国民幸福度ランキングというものを紹介させていただいたんですけれども、そこはもちろん医療制度、健康というものも入っています、教育環境あるいは経済面、裕福度なんというのも入っているそうでありますけれども、寿命まで入っているそうでありまして、その一位がデンマークで、ちなみにブータンは八位で、日本は九十位ということなんですね。  日本は本当に、先ほど岡澤先生もほどほど、そして辻先生もスローライフと、私などちょっとそれのまさに反対をいっている生活をしているかなと非常にじくじたる、もう毎日毎日忙しいなんという思いで暮らしてじくじたる思いがあるんですけれども。やっぱり戦後の日本は、それ行け、それ抜かせ、世界に負けるなということで、経済成長を目指して戦ってきたと。生産性の高いマシンのような能力を身に付けることが大事だなんというそういう勉強を身に付けさせられたというか、そうなってきたというふうに思います。  ですから、辻先生のおっしゃるようなスローライフというのは非常に懐かしくて、またそこにもう一回帰らなきゃいけないんだという、私などもその考え方というのをもう一回改めなきゃいけないんじゃないかなという思いを強くしているんです。  けれども、どういうふうにしていったらいいのか、つまりGNHを高めるためにはまず何からしていったらいいのか、何をしたらいいのかというのをその前に伺わなきゃいけないのかもしれませんけれども、これをお伺いしたいと思います。両先生、どうぞよろしくお願いいたします。
  27. 岡澤憲芙

    参考人岡澤憲芙君) 非常に正しい御指摘でして、今から百年ほど前、ヨーロッパで最も貧しい農業国家といったらもうスウェーデンの代名詞でございました。大体総人口の四人に一人が海外に移民せざるを得なかったと。それが一九六〇年以後、世界で最も豊かな福祉国家という定着があって、それから移民を受け入れるようになった。移民を送り出す国から移民を受け入れる国、これはスウェーデンのサクセスストーリーの代名詞のように使われているんですね。  問題は、一つの問題なんですが、人口が九百万なんですけれども、よく日本の大学でスウェーデンの話をしますと、小さい国だからうまくいったんでしょうと。スウェーデンの大学で日本の話をすると、大きな国だからうまくいったんでしょうと。まさにそのとおりなんですね。生産過程をいえば人口が多い方が楽ですよ、一人当たりの負担小さいですから。だから、百メートルの道路を十三人で造るか一人で造るかという話ですよ。ところが、今度道路ができたら、それを十三人で使うか一人で使うか。一人で使った方が楽なんですね。  だから、大量生産大量消費という視点から見ると、人口九百万の国でよく国際競争力を持った企業を幾つも持っているなと。ボルボだとかサーブだとかイケアだとか、ESABであるとかABBであるとか、世界的な企業を幾つも持っている。日本でそれに匹敵する都道府県が自動車会社二つもつくったかというと、やっぱりつくっていないですね。大量生産大量消費型ではないんです。  だから、そういう意味じゃ小さい国なのによく頑張ったねというのがスウェーデンですね。スウェーデンの大学で講義をすると、日本は大国だから楽ですねと言う。日本の大学でスウェーデンの話すると、小国だから楽ですねと言う。全部、生産の方に視点を合わす人は負担の話をしないし、負担の話をしている人は生産の話をしないという、どうも生産の方に視点を合わせた議論をするのか、分配とか消費に視点を合わせた議論をするのか、それを混同して話をしてしまうから、逆の現象ですね、日本議論すると小さいからうまくやっているんだろう、スウェーデンで議論すると大きいからうまくいっているんでしょう、それは両方とも正しくもあり正しくもないんですよね。  なぜかというと、スウェーデンというのはヨーロッパじゃ大国です。ほとんどの国はもっと小さい国ですから。世界には今約二百八ぐらい国があるんですが、九百万が小さな国だとすると、世界のほとんどは小さい国なんですね。その小さな国々はスウェーデン以上にうまくいっているかというと必ずしもそうではない。今度、スウェーデンの大学ですると、大きな国だからうまくいっているというなら、じゃ日本よりも大きな国は日本よりうまくいっているかという、これもまた非常に難しいという。やっぱり自分の視界に入る視点で何かほかの国をどうしても評価してしまうけれども、それはちょっと違うんではないか。もう少し、世界に二百国があればやっぱり二百のパターンがあるという考え方の方が妥当ではないかという気がいたします。  それと、あと一つ、あの高負担の中でどのような形で市民納得しているかということなんですが、これはやっぱり、先ほど言いましたけれども、開かれた政治と見える行政なんですね。だから国民の納得がしやすいんですよ。年収三百五十万ぐらいの人で大体税金が五〇%近い、四五%ぐらいと思えばいいんですね。それで、残った可処分所得で物を買えば、基本的には消費税は二五%ですから、もう手元に可処分所得はほとんど残らない。それでも選挙をやれば増税を言う政党が勝つというのは一体何でなのかというと、基本的には政治行政の説明能力がうまいというんですか。  だから、町の真ん中に補助器具センターがあるとか、例えばストックホルムの駅の裏に高齢者センターがあるという。恐らく日本の都市計画だと駅の前だったらビジネスセンターだろうというところに、都心のど真ん中に置く。それで、高い税金でも年を取れば都心に来れるんだという見えやすい行政をするという、それがパブリック市民に対して説得力を持ち、そして納得調達するための技術だろうという気がいたします。  それとあと一つ、これは一つの究極の問題なんですけれども、スウェーデンというのは百九十年戦争をしていないんですね。最後の戦争がナポレオン戦争なんです。だから、ナポレオン戦争以来百九十年戦争をしていませんから、今税金として納めたものが必ず老後回収できるという手ごたえがある。これはやっぱり工業国家としては非常に珍しい国で、百九十年間戦争の加害者にも被害者にもならなかった珍しい工業国家、それがパブリックに対する基本的な信頼感につながっているんですね。若いときどんな高い税金を払っても確実に老後回収できるという手ごたえ。だから、平和こそ最大の福祉だという言葉がありますけれども、それは政治財としてもそうだし、経済財としてもそうなんですね。だから、貧しかった国がちりも積もれば山となるで資本投資した、それが百九十年そのまま残ったんですから、社会資本の整備が進んだというだけの話なんですね。それが一つだと。  あと、移民政策の問題なんですが、今スウェーデンが典型的に移民受入れが多い国なんですけれども、外国生まれ、外国に背景を持つ、両親が外国に背景を持つ人たちが今大体一七%ぐらいいます。やっぱりそれはかなりのパーセンテージですね。だけど、帰化方法が非常に簡単ですから、大体一〇%前後と考えていいと思います。元々は移民を送り出す国が移民を受け入れる国になった。今EUの中で、ちょっと過剰なまでに難民を受け入れるということで、やっぱり一つのターニングポイントで今過渡期だと思います。このまま寛大な政策をやってきたら、恐らく国内のタックスペイヤーからの反発が不況時には破裂していくでしょうね。今経済が非常にいいですから出ていませんけれども、ちょっと急速過ぎるという気はいたします。  だから、変な話ですが、そうした政策も、少子高齢化の問題も実は一九三〇年代から議論しているんですよね。だから、一九三〇年というと、第一次大戦と第二次大戦の中間期ぐらいから少子高齢化議論をしている国と、一九九〇年ぐらいから始めて、私が最初にその本を出したときだれも見向きもしてくれませんで、私の教え子だけはもう先生早く言っていましたねというだけのものでした。それぐらい、やっぱり日本の場合は短期的に問題解決するというのが好きな国民ですから、私は余り失望はしていないんですよ。気付くまでには遅いけど、気付いたら問題解決まで早い、余り科学的根拠はないんですけれども、それを信じておりますので、それは心配はしていない。  ただ、北欧のことでいいますと、EUに入って、しかもスウェーデンのように資源の余りない国というのはやっぱり世界市場に依存度が高いですから、果たしてこれでこのまま寛大な政策をやって大丈夫なのか。ちょうど今過渡期だと思いますね、北欧諸国は。  以上です。
  28. 辻信一

    参考人(辻信一君) 懐かしいという言葉をいただいたんですけど、僕もこれすごい大事な言葉だと思いますね。  小学校のとき、僕らはよく未来の想像図みたいなのをかけと言われて、みんな同じような絵をかいていましたよね。空に自動車が飛んでいたり、ずうっと高速のループがあって、高いビルが建っていて、だれがかいた絵にも自分がいないんですよ。自分の子供もいないんです。つまり、自分や自分の子供も暮らしたくないような未来を僕たちはせっせと描いていたんだなと。ですから、僕の好きな言葉は懐かしい未来というんですけど、本当に政治家の皆さんはやっぱり懐かしい未来をつくっていらっしゃる、それがお仕事なんじゃないかなと僕は思います。  まず、何からということなんですけれども、僕がやっぱり言いたいのは引き算なんですね。これまでは全部足し算ですよね、すべて足し算。足し算の方をプラスといいますよね。だから、プラス思考とかといってみんなプラス、いつの間にか小学校で習ったはずなのに引き算を忘れているわけです。でも、これは人間の知恵としては非常にお粗末なのではないだろうか。やっぱり幸せ度が高いところというのは引き算も知っているということだと思うんですね。足るを知るというふうな言葉もありますけれども、どこで止まるか、あるいはどこで引くか、過剰になったらどこで引き算をするか。  引き算というのは何か非常にネガティブでマイナス思考でというふうに思われがちですけれども、非常に物であふれたごちゃごちゃした部屋から引き算していくと、あれ、こんなに部屋は広かったんだって。僕は、これからの豊かさというのは実は引き算の先に見えてくる、引き算すれば必ず忘れていた非常に根本的な、本質的なことが見えてくるということが言えるだろうと思うんですね。分配という言葉が出てきましたけれども、やっぱりここですね、所有と分配とありますけれども、所有でどんどんどんどん足し算していっても幸せになれない。じゃ、どうしたらいいかといったら、引けばいいんですね。分かち合う。  僕、例えばビルマ、今のミャンマーと呼ばれている国によく行っていたんですけれども、本当に一日一ドルなんか稼いだらいい方ですよ、そういうところのおじいさん、おばあさんがすごく幸せそうに見える。あそこもブータンと同じように仏教国ですけれども。何がこの一生を振り返って一番幸せだった、何が良かったと聞くと、二つですね、答えは。一つは、お供えができたとき、仏様にお供えができたとき、もう一つは、困っている人を助けてあげることができたときだと言うんですよ。つまり、幸せってそんなものかもしれないですね。  そして、引き算というのは、同時に、さっき言いました今の富、六本木のあの富は、豊かさは未来からの盗品の山だ。それから引き算するということはどういうことかというと、未来と分かち合うということじゃないでしょうか。次の世代、またその次の世代、そしてそのときに生きている自然界とやっぱり分かち合う。そうすると、これは決してマイナス思考なんじゃなくて、とっても未来志向だということが分かってくる。  ちょっと付け加えさせてください。皆さん、この人知っていますかね。御存じでしょうね、イギリスの保守党の党首、デービッド・キャメロン。僕すごい注目しているんですね、この人を。彼が言っているのが、まさにこれからは幸福の政治学だと言っています。そして、今までの政治は完全に優先順位を間違っていた。彼が挙げるのは、さっき岡澤さんからの話にも出てきました、短期主義というんですけれども、短い期間しかもう物が見えない、政治家たちがそういうサイクルにはまり込んでいるという、ここからの脱却。そして、人間の幸せというものをもっと長い目で構想していかなければいけない。例えば家族との時間とか、それから地域の環境、森、地域の川というような基本的なこと、そして人間が社会的に果たせる役割、小さな子供からお年寄りまで持っているはずの社会的な役割。  この三つを軸として挙げているんですけれども、今や、どうでしょうね、いわゆる進歩派とか保守派とかというような区別はこの地球温暖化時代にほとんど昔の意味では意味をなくしてきたんじゃないのか。もう政党を超えて、もう一度幸せって何だっけというところに、個人レベルでも地域のレベルでも国のレベルでも考えて、引き算をやっていくということなんじゃないかなと思います。
  29. 松あきら

    ○松あきら君 ありがとうございました。
  30. 矢野哲朗

    会長矢野哲朗君) その他、質疑をお願いします。  亀井亜紀子君。
  31. 亀井亜紀子

    亀井亜紀子君 国民新党の亀井亜紀子でございます。  両参考人のお話を伺いまして、頭の中を整理していたんですけれども、共通項は多様性だと思います。そして、異なることは競争のとらえ方じゃないかなというふうに私は感じました。  まず、岡澤参考人のお話なんですが、人生八十五歳時代に突入したのだからライフスタイルが変わらないはずがないと、だれでもその中で転機が何度かやってくるし、人生が多様になっている中で社会がまだその変化に対応できていない。そういう中でいかにして労働人口確保して競争力を国として維持していくんですかというようなお話であったと思うんですね。  一方、辻参考人の方は、そもそも、人間、同じゴールに向かって進むべきだろうかと。人生多様なのだから同じ目標に向かって進むべきかどうか考えてみる必要があるし、今の経済、ビジネスのルールであると早い者勝ちの論理だけれども、ちょっとスローダウンしませんかと。ですから、何もあくせくそんなに競争しなくてもいいではないですかという、競争に歯止めを掛けるというお話だというふうに私は理解いたしました。  そこで、質問なんですが、ゆとり教育という言葉が頭の中に浮かんできたんです。岡澤参考人のお話の中で、北欧は社会資本に投資し、その中で人的資源、ヒューマンリソースが一番の資源だということで教育投資をしたとおっしゃいました。教育ではフィンランドが教育水準が高いということで最近注目されていますけれども、スウェーデンも北欧の国でやはり同じような教育システムなのか私もよく分かりませんが、フィンランドの教育、私も詳しくないんですが、余りあくせくした教育には感じられないんです。ただ、それでも国際的な競争力は強いと。一体、日本ゆとり教育は何を失敗してしまったんでしょうか。そして、北欧の教育が優れている点というのはどういうところなのか、それを岡澤参考人に伺いたいと思います。  また、辻参考人には、やはりゆとり教育に関する質問なんですが、今の二十代、大学生ぐらいというのはゆとり教育の中で多分育ってきた世代だと思います。この人たちの学力を見て昔よりも落ちているということで文部省もまた方向転換をしたんだと思いますが、この二十代はバブル崩壊後の世代ですし、ロハスという言葉を好み、先ほどスローハスとおっしゃいましたけれども、ちょっとやはり上の世代と考え方が違うと思うんですね。自給自足の生活にあこがれてみたり、世界放浪の旅に出てみたり、少しゆったりした世代だと思うんですけれども、この人たちはそのゆとり教育の影響を受けてこうなっていったのかどうかという、今の若者に対する見方、それから本来ゆとり教育とはどうあるべきなのかということについて伺いたいと思います。  日本教育は、やはり学校って何でも規範を教えるところで、その中で勉強しなさい、働きなさいということを教えてきたと思うんです。アリとキリギリスのお話なんかありますが、あれは西洋のお話だと思いますが、あれも怠けていてはいけませんというように教えておりますし、日本で言えば働かざる者食うべからずなんという言葉もありますけれども、基本的に人間は怠け者だと思うんですね。その怠け者を勉強させ、働かせということで教育をしてきたと思うんですけれども、その概念とゆとり教育というのはある意味相反すると思うんですが、どこの辺りでバランスを取ったらいいのか、その点について辻参考人にお伺いしたいと思います。
  32. 岡澤憲芙

    参考人岡澤憲芙君) 一つ言えるのは、北欧諸国教育がうまくいっているかうまくいっていないかという評価の問題は、これはもう評価の問題ですから、何を判定基準にするかによってなんだと思います。だから答えは出ないと思いますけれども。ただ、基本的に生涯学習なんですよ。だから、長い人生、速く走りたいときもあるし、ゆっくり歩いていきたいときもある。ハードに競争したいときもあるし、競争は嫌だというときもあるという、そういう発想なんですね。だから、生涯掛けて自己実現できればいいんじゃないですかと。何も、大学卒業、できれば二十五歳までしてください、それが就職のときの条件ですよというシステムじゃなくて、むしろ高等学校を出たら二年か三年海外か、仕事をして、自分が何を勉強したいかを見てから改めて大学でも来たらどうですかという。  だから、時間を、枠を決めないで遅咲きの桜があってもいい、早咲きの桜があってもいい、そういう多様性の中でやっているから、ある人にとってはゆとりと言うし、ある人にとっては非常にハードなコンペティションだと言いますよ。だから、大学の学生のレベルからいうと、北欧の有名大学の学生のハードワーキングというのはやっぱり日本とはけたが違うぐらいハードにやりますよね。だけど、それ以外のレベルの、例えば一度社会に出て、そして就職しながら新しいテクノロジーを勉強したいために生涯学習機関で勉強する人はもっとゆとりを持っていますよね。だけど、そのときには目的意識が明確になっているという。  だから、日本の場合には年齢をきちっとある程度決めて、小学校はこの年に出るもの、中学はこの年に出るもの、高校は大体このごろで大学はこうというふうにやってしまうために、限られた時間の中で背中を押されながら何とかせいと言われるから、どうしてもそういうふうな発想が、今述べた、前につんのめるような形の教育になってしまう意識があるんじゃないか。  それをもう少し、ヒューマンリソースの開発なんというのは長い時間掛ければいいんじゃないかという、四十五で能力が開花して、またそれが社会貢献できればそれもまた人生じゃないかというふうに見れるか。いや、できれば新卒者は二十五歳までに学校を出ている方が望ましいという形でやる。それこそ公務員の世界なんかは年齢制限を取って何歳からでも公募制でやればそれこそモデルになっていくんだろうという気はしますよね。だから、これこそ公務員は人生経験やった人が五十ぐらいから始める、やっていくのが望ましいというポストがあるかもしれない。だけど、公務員の新採用者というのはそういう年齢では空いていないですよね。その辺はやっぱり違うんですよ。  だから、教育というのは生涯でとらえるか、それとも短期間にとらえるかという議論で、あるときには非常にゆとりがあるように見えるし、あるときには非常にもっと日本よりもハードコンペティションかもしれませんということですね。だから、どのスポットを焦点を合わせて分析するかによって違うイメージになってしまうという、それこそ福祉という視点で分配の方に目を見るのか、負担という形で税金の方に目を向けるかによって福祉システムというのは違うイメージになるのとよく似ていると思います。  だから、スウェーデンのように資源がほとんどない国でも、結局ヒューマンリソースしかないんだ、資源がないんだと思って非常に教育に大きなウエートを置いてきて、よく言うことですが、ノーベル賞をつくったのは一九〇二年ですからね。日英同盟のころにノーベル賞をつくった。そのころ世界の国々はソフトとか学問というものがそういう対象になると思っていなかったんですね。だけど、そのときに最終的に科学技術やソフトというのが非常に人類にとって重要な資産になるだろうということを一九〇二年の段階で考えてノーベル賞を制定した国ですから、やはり教育であるとかソフトということの重要性というのは非常に痛感していた国だと思いますね。それが長い目で見たら、今のようなシステムで、ああいう小さな国の割には世界的な研究者が随分出たり、ノーベル賞受賞者が出たりしているというのはやっぱりそういうところだろうと思いますね。  それは、余り年齢にとらわれずに教育システムを自由に選択させるという、だから、一つの言われ方として、国民高等学校というのが、コンボックスというのがあるんですが、それは若いときに義務教育をきちっと受けるだけの精神的余裕もなかった人が改めて年を取ってからもう一度行くという、そういうシステムを、知恵のリンゴを食べたいときがいつでも大学、学校に来る年齢なんだと。だから問題は、知恵のリンゴを食べたいと思った瞬間がいつなのかというのは個人が決めればいいんじゃないかという、その辺の発想だろうと思います。ただ、日本の場合、それをなかなかできないなという気はします。  以上です。
  33. 辻信一

    参考人(辻信一君) ゆとり教育というのは実現されたんですかね。僕から見ていると、ゆとり教育と言って、何かおっかなびっくりちょっと手を出したけれどもすぐ引っ込めたという、そういう感じで、子供たちに聞いてみたら、ゆとり教育なんてどこにあったのというのが実感なんじゃないでしょうかね。学力と言うんですけれども、意地悪な言い方をすれば、学力が落ちた落ちたって言っている人たちの学力はどの程度なのかなと思うんだけど。  これも量的ですよね、すべて発想が量的なんです。学力というのは量だと思っているんです、何か量れる量。それから、さっきから盛んに出てきている高齢化とか少子化というのもすべて量的な議論ですよね。世界の人口が多くてもう困っているわけだから、ある意味では少子化は有り難いことだというふうにも考えられるし、それから高齢化ってそれだけ多くの人が長く生きられるようになったんだからいいことですよね。それを困った困ったというのは、ある基準に従って、これは多分GNPとか豊かさという、競争力とかということなんだけど、そういう基準に従って困った困ったと大騒ぎしているのではないだろうか。  だから、僕はやっぱり根本的に、ゆとり教育って、大体そういう言葉が出てくることがおかしいわけで、教育というのは、今のスウェーデンの話じゃないですけれども、本当に人間が一生生きていく上で、その人を幸せにする知性というんでしょうか、それを磨くというような、もう一度その教育の根本に戻ってみたらいいのではないだろうか。  今の若者という話ですけれども、僕はゆとり教育の結果、ちょっとスローになったとは全然思わないんですね。むしろ、僕は日本に帰ってきてもう十五年ぐらいたつんですけど、ますます年々いいですよ、若者は。僕楽しくてしようがないんです、若者たちと一緒にいるのがね。僕のゼミでは一緒に田んぼやったり畑やったりいろんなことを一緒にやるんですけれども、ますます感性が敏感になってきていますね。それはそれだけ世界の危機が深まったということだとも思います。  彼らは危機感を非常に強く持っています。そして、何が本物か、何が偽物かというのが分かるよう、感じることができるようになってきているんですね。ある種のアンテナを持っているわけです。そして、今までの世の中の主流にあったものが、多くのものがインチキくさい、うそっぽいという感覚で本物を求めるんです。本物というのは例えばどういうことかというと、自分で種をまいて、それが育って、実を結んで、それを収穫して、それを食べるとか、それから自分の手を使って物を作れる人たち、それから自分の足を使ってどこかに行ける人とか、それから道具を使いこなせる人とか、そういう人たちが彼らがまぶしい目で見ている人たちなんですね。僕はこういうのというのはすごい知性だなと、広い意味でのね。  だから、学力なんてどれほどのものなんだろう。ましてや、世界のシステムが今崩壊するかというようなときに、今までの学力の基準でちょっと下がったとか偏差値がどうのとか、そんな議論は実にそれこそ短期主義、もう目の前のことしか考えない考え方なんじゃないんだろうかと。生きていく力、そして幸せになっていく力というのは僕は今議論されているような学力とはほとんど関係がないという気がするんですけれども。
  34. 岡澤憲芙

    参考人岡澤憲芙君) ちょっと追加が……
  35. 矢野哲朗

    会長矢野哲朗君) はい、お願いします。
  36. 岡澤憲芙

    参考人岡澤憲芙君) ちょっと先ほどの話の追加なんですけれども、実はスウェーデンは中学二年生まで成績表がないんですよ。個性がまだ明確じゃないときに競争させて何になるんだという。むしろ、そこは各人の個性を見極める時期だということで、今まで中学二年ぐらいから成績表、二年、三年と入れて、その成績で高等学校の進学を決めていったんですね。だけど、それに対してはやっぱり過渡期なんですよ。つまり、EUが二十五か国になって、企業国際競争力を維持しなきゃならない、確保しなきゃならないときに、国内でそこまで競争原理を排除していいのかと。アジアを見ろと。若いときからあれだけ言っている国に本当にスウェーデン企業は勝てるのかと。だから、できるだけ早めに成績表を導入したらどうかという議論を今しています。今のところは中学二年から成績表があるというのが現状なんです。それはもう一つの制度ですから、賛成論も反対論も、功罪両方ともあります。今のところは成績表はありません、中学二年までは。
  37. 矢野哲朗

    会長矢野哲朗君) その他、質疑お願いします。  山田俊男君。
  38. 山田俊男

    ○山田俊男君 両先生から大変新鮮なお話をお聞きしまして、大変ありがとうございました。  これまでの質疑で先生方に答えてもらっていることでもありますが、私から改めて質問させてもらいます。  まず、岡澤先生。我が国と比較してヨーロッパの皆さんは、公共的意識といいますか、社会的役割とか社会的存在であるということとか、そういう認識が大変高いということなのかと思うんです。先生の言葉で言うと、市民社会としての成熟というんですかね、そういうことがあるのかもしれないわけです。  ちなみに、私の経験からいいますと、ヨーロッパの農村は大変きれいなんですよね。これは御案内のとおり、集落、コミュニティーでしっかりきれいな農村をつくるということについて協定があったり自意識があったり、また一方で、農業者としての豊かさが場合によったらあるということかもしれないんですが、そういうところにあります。そのことを大変誇りにみんなしている。ですから、農村以外の都市部の住民といいますか国民も、そうした農業者の努力を高く評価して、そして農業についての国民的合意形成といいますか、それがあるというふうに思うんです。  ところで、我が国は、江戸時代はともかく、明治になってからなのか、それとも高度経済成長になってから、昭和末期の高度経済成長になってから特にそうだったのかもしれないんですけれど、ともかく、町もそうですが、農村の社会も、かわいそうだから自分に言いたくないんですが、余り美しくなくなってきたですよね。ともかく、もう計画性がないですし。  これは一方で、私の経験からしますと、アジアの国々、アジアの町なんかも非常に日本とよく似ているわけです。無秩序で余りきれいとは言えませんね。大分努力されているようですが、きれいとは言えない。一体、我が国とヨーロッパの違いを、先生ずっと分析されているわけですが、どんな理念や意識がそうさせているのか。  それから聞きたいのは、我が国はそうした方向へ努力すれば発展できるのかというふうに思うんですが、それをお聞きしたいというふうに思います。  それから、辻先生。辻先生とは、夏至の日にキャンドルナイトを芝の増上寺の階段から、みんな集まって、そして東京タワーのライトを消そうじゃないかというのに私も参加させていただいていたわけでありますが、これまで私たちは、それこそ生産性の向上とか競争による豊かさの実現ということに追いまくられてきた。そして、特に最近は、国際化、成長、構造改革と、この言葉に追いかけまくられておりまして、それに抵抗する動きもあるんですが、抵抗勢力と片付けられてしまってきていまして。  今、WTOの交渉が、これは農業だけじゃなくて各般にわたって交渉がなされているわけですが、二〇〇〇年にシアトルで新しいWTOラウンドを出発させようといったときに、あのシアトルにおきまして、フリートレードじゃなくてフェアトレードなんだということの動きがありまして、シアトルは立ち上げに失敗したんですが、しかし、その後ドーハへ行きまして、ドーハで一定の動きがつくられましたが、しかし、あのときも、ちゃんとあるのは途上国に配慮した開発ラウンドだと、常にフェアトレードということを念頭に置きながらこのWTOを進めていくんだぞということがあったというふうに思うんですが、今まさしく輸出国主導で、先進国の力がまかり通るという動きになっています。  ところが、ここ本当一年の間に、それこそ地球的規模での温暖化の問題や、それから世界各地での災害の多発、それに伴います食料価格の高騰と、そして一番苦しんでいるのは輸入国であるし、同時に輸入国であります途上国なんですね。その途上国に対する手だてというのは十分に行われないまま、配慮されることのないまま事態は進んできてしまっているという心配は非常にあるんです。まさに国際化と成長と構造改革という流れのまま転がっていこうとしているわけですね。  今、新しい環境で新しい貿易ルールをという動きをもう一回積み上げなきゃいかぬのに、先生、あきらめで言うわけじゃないんですが、スローライフという運動は、果たして今進んでいる市場原理や競争条件の導入や、改革、成長、構造改革と、そうした動きに有効な働きができるのか、それらの動きに迫れるのかどうか。あきらめているわけじゃないんですが、先生にその点ちょっと聞かせていただきたいなと、こんなふうに思いました。
  39. 岡澤憲芙

    参考人岡澤憲芙君) 北欧諸国の田園地帯が非常に美しいという話ですが、本当にそのとおりでございます。これはもう昔からの伝統です。  その背景にあるのは何かというと、実は法体系でいいますとアルメンシュレッテンという、アルメンシュレッテンという法の基本原則があります。自然と土地は共有で利用できるものなんだという。だからそこでは私権がなかなか入りにくいんですね。だから道路はきれいです。道路の端に民間の利益を表現するような看板は一切ありません。だから、高速道路を運転して周りがきれいなのはそういうこと、看板が一切ないということですね。  それは何かというと、自然と土地というのはすべての人の共有財産なんだと、だからそこで私的な利益が突出するようなことは駄目だということで。だから、別に農村だけがきれいではなくて、北欧諸国は町もきれいというのはそういうことですね。だから、そんなに日本のように大きな看板があるわけではないですね。それがアルメンシュレッテン。  だから、町を歩いていてのどが渇いたときに、人の家の庭先にリンゴがある。そのリンゴを家の中に入っていって取って食べて渇きをいやすことは何も罰則の対象にはなりません。それはお互いさまだと。バケツを持って大量に持っていって売ったらそれは違う話になりますが、一つや二つということですね、これはもうお互いさまだと。だから、各自が人の家の庭に行って一つぐらいリンゴや物を取って食べることは何の問題には、これはお互いさま、アルメンシュレッテン、土地、環境の公共利用権という。だから、そういう意味では農村部もきれいですし、町もきれいです。  これは環境問題に対して北欧が非常に大きなウエートを置いていることは御承知のとおりだと思います。地球環境の国際会議を一回目に開いたのはストックホルムでありますから、北欧諸国の国是です。それが世界環境会議の発端でありますから。環境に対しては非常にセンスのある反応をしていますね、これは。その背景にあるのはアルメンシュレッテンということで、町並みもきれいですし、農村も非常にきれいです。  それと、あともう一つの背景は何かというと、昔、今日の議会政治が生まれる前、身分制議会というのがヨーロッパの大きな国であったんですが、北欧諸国はその身分制、四身分制議会の中で農民が独自の議会を持っていたんですよ。これは世界の議会政治の中でも珍しいと思います。普通は聖職者議会、貴族の議会、そして商人、産業者の議会で終わるんですが、そこに農民議会というのをちゃんと持っていて、独自の議会を中世から確保していた珍しい国というわけです。  それは今でも、今は工業化が始まっていまして農民党という名前は全部消えましたけれども、農民党の代わりに中央党、センターパルティエットというのは大体北欧諸国にある昔の農民同盟なんです。それは、元々古い議会政治時代から独自の議院を持つ、ハウスを持つことを認められていたという、そういう存在なんですね。その人たちと都市との連携、先ほど言いました地域間連帯というのはそういうことだったんです。だから、男女間連帯、国際的連帯、世代間連帯、もう一つは地域間連帯というのはそういうことであって、比較的長い歴史を持っている。法的に言うとアルメンシュレッテンという法体系、政治制度的に言うと農民議会を既に独立したものを持っていたと、そういう背景から生まれてきたと見ていいと思います。
  40. 辻信一

    参考人(辻信一君) やっぱり美しいという言葉は大事だと思うんですね。何かそういえばそういうスローガンもありましたけど。  僕、美しいという言葉はすごい大事だと思っています。日本、美しくないんですよ。一つ、僕、日本へ長い間海外に暮らして帰ってきたときに、びっくりした、一番やっぱり嫌だなと思ったことの一つは自動販売機なんですね。あれ日本に五百五十五万台あるんです。こんな国は世界にないですね、御存じのとおり。二十三人に一台という、すごいですね。  僕、日本に帰ってきた直後に、外国人の友達が自転車でそこらを回りながらコンセントを抜いて歩いていたというのを聞いて僕もいいなと思ったんですけど、僕もちゃんと就職するために帰ってきたわけで、それでは持続可能な運動ではないということで、こうやって僕は水筒を持って、以来十年は僕、自動販売機一切使ってないんですよ。  引き算ってさっき言いましたけど、例えばそういうことだと思います。引き算していく。現に、世論調査では自動販売機がなくてもやっていけるかなという質問がありましたね。そうしたら、これ八割、九割の人がはいって答えているんです。そういうときに抵抗する人はどう言うかというと、しかし雇用がとかすぐ言うわけです。でも、これは忘れていけないのは、環境問題に取り組むと雇用がとか、あるいは戦争をやめると雇用がと言うのと同じ論理ですね。僕たちは思い切ってやっぱり優先順位を決めて、そして引き算をどんどんしていくということが大事だろうと思います。  キャンドルナイトを一緒にやった仲間だというので非常にうれしいんですけれども、あのキャンドルナイトというのが元々どうやって始まったかといいますと、実は、今のブッシュ政権が発足したときに京都議定書から離脱するとかそういう新しいエネルギー政策を発表して、それに対する抗議の意味でやったものなんです。あれ、自主停電運動というふうにして始まったものなんですね。  やってみたんですけど、やってみたら分かるんです。ああ、単なるこれは省エネじゃない。もっと大事なことは立ち止まるということなんですね。ふだんついているのが当たり前の電気を消してみる、ろうそくをともしてみると、ふっと今まで日常に考えないようなことを考えるわけですね。悪者もつい何か思いやりを持ったりしちゃうわけですよ、悪い人でも。僕は、そういう時間が必要なんだと。キャンドルナイトが何百万人という人たちに今支持されて多くの人が参加しているというのは、多分そういう時間を持つことの大事さに多くの人が気付いたからだと思うんですね。  それから、一九九九年ですよね、本当に二十世紀の終わりにシアトルの事件がありました。今まだみんな気付いていないけど、今から五十年後の歴史の教科書には多分一九九九年十二月シアトルというのが赤い字で書かれるのではないか。僕が先ほど言いましたカルチャークリエーティブ、つまり、現在のシステムに代わる新しい文化の創造というのが世界的に表出したというか、表れた最初の例がシアトルだったのではないのかなと思っています。  スローライフというのが、しかし一方で世界はいまだに競争、効率ですね、その中で太刀打ちできるのか、それに代わる有効な手段なのかという御質問ですけど、それは無理ですよ。かなわないですね。しかし、スローライフがどうこうじゃなくて、僕は、今のシステムがもう終わりに来ている、破綻しているというふうに考えているんです。地球温暖化はその一番いいあかしだと思います。だとすると、我々に今必要なのはその先ですね。その先を今できるところからどう実現していくのか、スローライフというのはそういう提案だと思います。  ルターですか、宗教改革の、が言った言葉なんですけれども、仮に明日世界が滅びるとも、私は今日リンゴの木を植えるという言葉があるんですけれども、もう一つ思い出すのはガンジーですね。ガンジーはあるときに、投書が来て抗議を受けたわけです。あなたみたいな世界的な大スターが、口を開けば玄米菜食だとか何か糸車を回そうとか、何でそんなつまらない、そのころの表現で言えば女子供が言うようなことを言っているんだ、あなたみたいなすごい大政治家は、まさに世界に向けて必要な経済の大改革だとか政治の大改革のことを話すべきではないですか。ガンジーはこう答えたんですね。あなたの言っている政治的な大改革も経済的な大改革も必要でしょう、でも、それが起こるまであなたは自分のうちの庭先の掃除をしないで済ませることができますか、今晩のあなたの食べる夕食の心配をしないで済ませることができますか、自分の身の回りの小さな変革さえ起こせない人に果たして世界の変革が起こせるのか、ガンジーは答えたというんですね。  もちろん皆さんはお仕事としてそういう大改革を手掛けていらっしゃるんだと思うんです。でも、同時に、一人一人が人間として自分の幸せ、自分の家族の幸せ、自分の子供たちの幸せのために今を同時に生きているわけですね。そして、これは大変なことだというふうに思われるかもしれないけれども、実はとても単純なことで、経済政治の大改革は時間が掛かるかもしれないけれども、自分のうちの変化というのは一瞬にして起きちゃうわけですね。  僕は、極端な話、幸せって何だっけという問いを一人一人がもう一回、キャンドルでもともしながら、電気を消して、あれ、幸せって何だっけというその問いを世界中の人が持てたら、僕、世界中の問題の半分はもう解決していると思います。だから、ある意味では非常に楽観的なんです。そういう意味では、一瞬にして一人の人間の中には大改革が起こり得る、スローライフというのはそういう提案だと思います。
  41. 矢野哲朗

    会長矢野哲朗君) 藤原良信君。
  42. 藤原良信

    藤原良信君 私からも御質問をさせていただきますけれども、専門的な岡澤、辻両参考人のお話をお聞きいたしまして、大変ありがとうございました。  そのことを踏まえた上で御質問をさせていただきたいと思うんですが、今、辻参考人お話しの中で、スローライフのお話で、地球のいわゆる環境問題の破壊というのはそういうことの流れの中で起きてきたんだということを明示をされました。  私は、大変恐縮なんですけれども、それとこれは別じゃないかと思うんですが、これは、幸せというのは、価値観というのは、それぞれの人間が世界観とか、あるいはある意味での地域観、ある意味では国家観、国民観という中で、いろんなそれこそ歴史的な歩みとか環境の中で構築をされていくんじゃないかと思うんですね。ですから、今、そういう意味でいったら、何でも一緒くたにされて論じられるところが多々あるんじゃないかなと感じております。  これは、競争というのがすべからく悪いわけではなくて、そこに僕は危惧を持つ題材が転がっているようにも思います。スローライフということは否定するものでもないし、大変それの価値というのは十二分に認識をしているし、大事なものであるということを踏まえた上で申し上げているんですけれども、そういう意味で、私があえて申し上げたことについて御意見を賜ればと思うので、御質問という形で取らせていただきたいんですけれども、例えば、例でいきますと、今運動会等々で徒競走をなくしているところが出始めているんですよ。それで、何でかというと、差が付くから駄目だと。例えばですね。それから、これはジェンダーフリーと言うそうですが、男性も女性も何も一緒なんだということで、ある高校だったと思いますけれども、更衣室を一緒にすると。こういうようなこと等をやっている実例があったりする。  こういうことというのは、僕は一緒くたにされているところには行っちゃいけないんじゃないかなというふうに思っている題材なんですけれども、スポーツの世界でいったら、やっぱりライバルがいて、よって競争するからこれは伸びていくというところがあるわけでありますけれども、ある意味での、先ほど岡澤参考人辻参考人のお話の中で、一つのベースがあってゆとりというのが出てくるんじゃないかなと思うんですね。食べるものがきちっとそれなりに最低限のものがあり、それすら整っていなくてゆとりというのは生まれないんじゃないかなと思うんですよ。  この点も含めてお二人からお聞かせいただければと思いますし、それから、スウェーデンのお話をお聞きしまして、私もスウェーデンも何度かお邪魔しておりますけれども、スウェーデンの一つの、私はすべて分かっているわけじゃありませんけれども、やっぱりスウェーデンならではの、北欧ならではの環境条件があるんだと思うんですね。夜が長くて、それで、非常に恵まれていない、そういう意味での生産現場といいますか、食料も取れるわけでもないし。そういう中で、やっぱり夜が長いという中で、いろんな意味で知恵を一つの財産価値に付けていくというのが僕ははぐくまれてきたところなんじゃないかと思うんですね。ですから、そういう意味での国家観といいますか、そういう中から生まれてきた今のスウェーデンを含めた北欧のいろんな制度とか仕組みというのがあるんだと思うんです。  ですから、先ほど先生からもお話しになったけど、一長一短がある、それぞれに一長一短があると思うんです。ですから、北欧の良さを、世界のいいところの良さを日本環境、風土にやっぱり適応させるものはして、ただ、全部がこれは例にはならないと思うんです。そういう意味でのとらえ方をした日本の今後の進め方というのが大事なんじゃないかと思うんですね。  そういうことを申し上げて質問とさせていただきますが、ただいまの私の考え方につきまして、いかがでございましょう。
  43. 岡澤憲芙

    参考人岡澤憲芙君) もうそのとおりでございまして、北欧諸国でいいますと、工業化のプロセスの中で非常に大きなハンディを持っているんですよ。もう冬は寒い、長い、暗い。夜が長い。そして、余りにも寒冷地帯で、農作物が育たないんですね。そういう状況の中からどのような形で人々が生存を果たしていくかという、これはやっぱりアジア・モンスーン地帯の恵まれた環境で、四季があって、庭先に何かを植えたらば自然に何かが育っているというところとは、もうえらい違いですね。  逆に、面白いのは、そういう科学技術が発達するまでにはほとんど生存すらできない、つまり、先ほどの例でいいますと人口の四人に一人が海外に移民せざるを得なかったと。そういう逆境の中から短期間に比較的うまく福祉工業国家になったから面白いんであって、初めから気候状態がいい、天然資源がいっぱいあるというんだったら、別に好奇心もなかったでしょう、私が、ちょっと調べてみようかなという。だから、非常にハンディがある中で、ああ、ああいう逆境の中でもやればやれるんだと、政治行政というのは可能性があるんだと私は思いましたね。  だから、基本的には政治行政の知恵ですよ、はっきり言って。あれだけ貧しい、ディスアドバンテージアスな環境の中からこれだけ豊かな国をつくれたというのは、政治行政がやはり相当の知恵を出したという、そういう可能性は物すごく評価しますね。  それと、あともう一つは、競争という概念は、もうスウェーデンのような、北欧諸国はどこもそうなんですけれども、生命線です、はっきり言って。とにかく、最近でこそノルウェーに石油が出て、また天然ガスが出てということであって非常に豊かな地域になっておりますけれども、そうでない前は本当にもう貧しさだけで、だからどのようにして生き残るか。そうでなきゃ、バイキングがあれだけ世界を回るわけないんですよ。祖国にないから取りに行ったわけですからね、そういうこと。それが一気にですね。  だから、スウェーデンの歴史なんか見ると、大国家だったわけですよ、昔のロシアまでずっと攻めていったわけですから。特に、バイキングなんというのは、アメリカ大陸も発見しましたし、非常に大きなエリアを持っていたんですね。それがナポレオン戦争のときにぴたっと戦争をやめて、それ以来百九十年間一個も戦争をしていないという。結構、自分たちの置かれている地理的条件とか天然資源の逆境ということを勘案しながら長期的な国家戦略を描いてきたという、そういう意味では、政治行政というのはまだまだ知恵の出しどころがあるなと。  それで、日本にとっても面白いですよ。特に、資源がないわけですよね。そして、唯一頼れるのはヒューマンリソースだと。とするならば、政治行政がどのような形で知恵を出していくかと。そのときに、数多くあるアイデアの一つなんですよ。  だから、同じような国というのは、世界に約二百八国があるんですが、同じ国というのは一つもないんですね。文化も歴史も伝統も全部違うんですから。その中から、大体、周辺国家ですから、先進例のいいところと悪いところを結び合わせながらつくっていく。ちょうど北欧諸国がそうなんですね。地中海と北アフリカで発達した古代文明が北上していく過程の中で、どん詰まりがスカンジナビア半島ですよね。だから、ちょっと前の歴史は、スカンジナビア半島って真っ白に塗ってあった、あれは氷河の時代だという。我々の世界史というのは、ほとんど氷河の時代だったですね。それが二十世紀になって急に豊かな福祉工業国家になったというのは一体何だろうかというと、結局は、地中海周辺から生まれた文明が徐々に北上して、そのプロセスでいいところと悪いところを結び合わせてその国土に合った発展シナリオを書いていった。  そういう意味では、日本と非常によく似ていると思うんですよね。シルクロードを通って順番に文明がずっと来て、中国大陸、そして半島から日本の奈良の正倉院に行って日本独特のカルチャーをつくっていったというのと非常によく似ているというんです。だから、文明の周辺からいいところと悪いところを取捨選択しながら独特のカルチャーをつくっていったという意味では非常によく似ていますね。実際問題としてあるんですよ、そういう表現は、スウェーデン人はヨーロッパの日本人だという。非常に国民性は本当によく似ていますね。内気でなかなか溶け込まないで、そして科学技術が好きで、そしてある種の完全主義みたいなところがありますから。だから、北欧で生活している日本の人はそんなに違和感がないというのは、ここへ行くとこういうのがあるだろうと、大体あるんですね。非常に発想は似ているカルチャーだと思います。
  44. 辻信一

    参考人(辻信一君) まず、幸福という言葉が相対的なんじゃないかという、もちろんそうです、僕は文化人類学者なんで、文化が百あれば幸せの概念も百あるわけですね。でも、極端に言えば、百人の人がいたら百の定義があるわけです。ですから、幸せとは何かという問いに対する答えはありません。  でも、僕が大事だと言うのは、幸せとは何だっけという、幸せとは何かという問いを持つということなんです、答えがどうであれ。そして、驚くべきことに、僕たちは最近、この幸せとは何かという問いを忘れていたんじゃないのか、政治家も、経済学者も。経済学の中に幸せなんという言葉は出てこなかったですよね。何のための経済だったんだろうというところを今こそ問う必要があるんじゃないのか。なぜならば、地球温暖化なんという事態ですよ。競争もいいですけれども、何やっていたって地球温暖化でもって人類の生存が危うくなったらどうします。  ところで、競争というのは僕も大好きなんですよ。僕ずっとスポーツやっていましたし、結構アグレッシブな方だったんです、僕、スポーツでは。でも、僕が言っているのは、僕ラグビーやっていたんですけれども、ラグビーがゲームが終わるでしょう、そうするとノーサイドと言うんですよ。敵、味方なくなるんです。  ところが、今、僕が問題にしているのは、人生を競争だと、あるいは社会の原理を競争にするということがどうなのかということを言っているんです。競争が社会の原理だなんという社会はろくな社会じゃない。長くもちません、そんなものは。そんなのは歴史を見たらすぐ分かります。  以上です。
  45. 矢野哲朗

    会長矢野哲朗君) まだまだ御意見はあろうと思いますけれども、予定された時間であります。以上で参考人に対する質疑を終了させていただきたいと思います。  岡澤参考人及び辻参考人、貴重な時間を割いていただきまして当調査会に御出席をいただきまして、ありがとうございました。  本日お述べいただきました御意見は今後の調査参考にさせていただきたいと思います。本調査会を代表しまして心から厚く御礼を申し上げたいと存じます。  ありがとうございました。(拍手)  それでは、本日はこれにて散会いたします。    午後三時四十二分散会