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参考人(
山根一眞君) 温暖化問題というのは実は非常に分かりにくい、ほとんどの国民の方
たちも理解をしていないんではないかなと思います。私
自身も、今お二人の先生方の
お話伺って理解できてないところがたくさんあります。これは地球科学、化学、物理学、気候学あるいは最近は経済学、生物学、あらゆる学問、分野の問題がここに入っていまして、その一つ一つが理解できないと分からなくなるという問題ですが、つまるところは何かといえば、僕は、地球のあらゆる生命が死滅する、つまり人類も含めてあらゆる生物が死に絶えるという問題だというふうに考えているんですね。(
資料映写)
そういう視点から、私はジャーナリストですので、この温暖化問題を少し基本的なところからもう一度見直して考えて、皆さんと考えていきたいというふうに思っています。
時間がありませんので本当に簡単にいきますけれ
ども、まず、この地球という
概念、
考え方はやはり宇宙から地球を見るということから始まりまして、今私
たちが描いている地球像というのはこういうものだと思いますけれ
ども、じゃ、この地球がどうして温暖化になっていったんだろうかと考えますと、大気中に二酸化
炭素が増えたということなんです。
大気というのはどれぐらいの量があるんだろうか。これもほとんど知られていないか理解されていないことですが、これは地球のへりを非常に大きくアップにした写真なんですけれ
ども、ここに見えているのがスペースシャトルです。大体これぐらいの高さのところを飛んでいます。三百五十キロぐらい上空ですね。
私
たちが
排出した二酸化
炭素というものはどの辺りにどれぐらいたまっているかというと、大体標高八千から一万メートルぐらい、まあヒマラヤの頂上ぐらいです。それぐらいまでしか空気がありませんから、重立った。その中に約二百年にわたってたまってきた。
どれぐらいたまっているんだろうか、あるいは元々どれぐらい二酸化
炭素というのはあるんだろうかと。
二酸化
炭素は大気中にありますと、地球に当たった光が熱となり赤外線となって宇宙に放射されるのを反射する鏡か布団のような役割をしていますけれ
ども、これは二リットルのウーロン茶の中でどれぐらいが二酸化
炭素かというと、大体一滴ぐらいですね。元々、二酸化
炭素というのは極めて大気中に少ないんですね。極めて少ないために、私
たちが
排出している二酸化
炭素が極めて大きな影響を持ってしまう。わずか一滴の二酸化
炭素で私
たちの地球を
平均気温十四度から十五度に保ってくれているというのが二酸化
炭素の役割ですね。
ここに私
たちがどんどん出してしまったということが非常に大きな問題です。扱いにくいものだと思います。
これは宇宙から地球を見たところですけれ
ども、夜の地球ですけれ
ども、さん然と輝いているのが
アメリカ、
ヨーロッパ、
日本。そして今、中国とインドがどんどん明るくなっていきます。これは何を示しているか。ここから二酸化
炭素、たくさん出ているということが言えるわけです。
では、どうしてこういうことになったのか。必ず言われるのが、皆さんも
御存じのように、
産業革命以来ということです。ところが、
産業革命以来といって、
産業革命で何があったんだろうかということに関して、またこれがほとんどメディアでも語られることがありません。
私は、これもいろいろ考えたんですけれ
ども、結論は火です。人類が言語と道具と火というもの、この三つを手にしたことによって私
たちの文明を築きました。今日のこの豊かな文明はこの三つによるわけですね。そのうちの火というものを私
たちが使うことによって、これはもう二酸化
炭素が大気中に出ていくということは宿命です。
これはネアンデルタール人の
世界ですけれ
ども、この火によって暖を取り、そして食べ物を調理をし、そして照明を得ると、そういう私
たちの身体の安全や健康や寿命というものが実現できたわけですね。
こういう火の証拠を持っている人を探したいと思って見つけたのが、私は、アイスマンという、五千三百年前の人、これは一九九一年にイタリアのアルプスの氷河で発見されたミイラですけれ
ども、彼がその火種というものを持ち歩いていました。彼は製錬を専門とする人だったんですけれ
ども、金属をやはり火で溶かすことによって道具を作ることもやっていた。そういう歴史に残る、歴史的な最初の人なんですね。そういう時代から、もう私
たちは火というものによってこの文明をつくってきた。
それが
産業革命で何が起きたかというと、これが
世界で最初のイギリスのコールブルックデールというところにあります製鉄所、
世界最古の製鉄所です。そこの製鉄所で初めて、それまでは木炭、木を使っていましたけれ
ども、
石炭を使って、それをコークスという燃料にして、そして効率的に鉄を造る方法を見出して、そして
世界最初の鉄の橋、アイアンブリッジというのが造られました。
これが言わば
産業革命の原点、ここから
産業革命が始まったと言われています。
こうしてできた鉄によって今度は蒸気機関が造られます。蒸気機関が更に何をするか。更に
石炭を掘り出す。これはその炭鉱の様子です。
化石燃料と機械というものが、
化石燃料によって鉄を造り、鉄がまた新しい機械を造りということで、これがスパイラル状に私
たちの大きな文明をつくっていくことになります。
これは更に進化した蒸気機関ですけれ
ども、それが何を造ったか。今度は繊維機械を造りました。この繊維機械によって何が
産業革命に起こったか。
まず、衣食住の衣から始まりましたけれ
ども、これは紡績機ですけれ
ども、更に大きなこういう蒸気機関ができるようになる。そうしますと、三千人ぐらいの労働者に匹敵する仕事をするようになります。そして、この蒸気機関による繊維
産業を支えたのが
アメリカからの綿花の輸出です。
アメリカという国は、当時はまだ農業国ですから大変な量の綿花を、言わば農産物をイギリス、
ヨーロッパに輸出をして、
ヨーロッパはそれをもとにして製品を作るという形で富を得ていくわけですが、じゃ、
アメリカの繊維
産業はどういうふうにして支えられたか。綿花工業はすべてアフリカから連れてきた、これ奴隷船ですけれ
ども、奴隷の労働力によって賄ってきたわけですね。
ですから、今
アメリカが抱えている、あるいは
世界が抱えている人種問題というものも、これは言ってみれば
産業革命にやはり原点があると。私
たちが
化石燃料を使い始めたのと同じ
意味で、同じときにこの問題が起きてきたんだということも考えなければいけません。
そして、この
産業革命によってもたらされた富、これはマンチェスターの綿花の
取引所ですけれ
ども、この部屋は
世界最大の部屋と当時言われまして、ここで言わば
市場経済あるいは資本主義の基本というものが生まれて、富の蓄積が行われるようになるわけですね。
これが
産業革命の最初の象徴的な絵と言えますが、この赤く燃えている、これは何かよく分からなかったんですけれ
ども、専門家に聞きましたら、これは
石炭を蒸し焼きにしてコークスにしている様子なんですね。ですから、私
たちの
産業革命というものの、これはまさしく今の温暖化の始まりだったんだということが言えると思います。
では、こういう温暖化というものは一体いつからそういうことが言われるようになったのか。
実は驚いたことに一八二七年に既にこの温室効果ということが科学者によって語られ、そしてその
原因が二酸化
炭素にあるという、人間が出す二酸化
炭素にあるということは明治二十九年にもう語られているわけですね。そして、
アメリカの学者が昭和三十三年にはそれが増加をしているということを伝え、そして昭和五十四年には
アメリカの科学アカデミーがそのことに対する警告を発し、そして六十三年にIPCC、気候変動に関する政府間パネルが発足します。これは
世界の科学者の英知を結集したものと考えていいと思いますけれ
ども、九〇年、平成二年に今日の温暖化に関するスタートが切ったと、関心がですね。そして、ブラジルのリオデジャネイロで地球サミットが開催されました。
これは画期的な
会議で、実に
世界の百十八か国の大統領、首相、元首、総理大臣、あらゆるトップが集まりました。残念ながら、そこに一か国だけ
出席しなかったのが
日本、宮澤さんです。
どうして行かなかったのか。このとき国会ではPKO法案でもめていました。わずか三日か四日、休みを取って国会を、行かせてあげてほしかったと私は思うんですけれ
ども、これで
日本に対する、実は基本的な
日本のこの問題に対する熱意のなさということが
世界に強く印象付けられました。このとき宮澤さんを行かせなかった野党の皆さんには深く私は反省を求めます。
九七年、この同じ年ですけれ
ども、その後、私は
環境による
産業革命という
意味で環業革命を提唱しました。その年の暮れに京都
会議が開催をされまして、今日の言わば温暖化への取組が始まりますけれ
ども、二〇〇〇年には、過去千年間で最も暑い十年間であったという報告が出ます。
事もあろうに、そしてブッシュ大統領は二〇〇一年に
京都議定書を離脱します。このとき、
CO2排出は
削減すべきでないということをはっきりと明言しているわけですね。なかなか各国が批准しないために遅れた
京都議定書の
発効をやっと二〇〇五年二月の十六日、私も京都へ行きましたけれ
ども、この日が最初です。残念ながら、京都でありながら小泉さんはここに参加してくれませんでした。
そして、二〇〇七年、去年ですね、非常に大きな
意味を持って私
たちに突き付けられたものがIPCCの第四次報告書ですね。
これは非常に怖いことが書いてありまして、よく読んでみますと、この部分なんですけれ
ども、気温が一度から二度、三度、四度上がった場合に何が起こるか、生態系で何が起こるか書いてあります。そこで、わずか一度上がっただけで、ここで
最大三〇%の種が絶滅リスクと書いてあります。つまり、地球上の三割の生命が滅びてしまう危険が一度温度が上がるだけで起こるぞということを述べているわけですね。
もちろん、IPCCの報告書では、気候は二一〇〇年に六度上がるとかそういうことが言われていますけれ
ども、幾つものシナリオがあって、懸命にやればそんなに上がらないわけで、私
たちが、マスメディアが報じるときは最も極端な例で約六度以上上がるという言い方をしているわけです。でも、これを見て分かりますとおり、一度から二度で既に三〇%の生物が絶滅するというのは、このシナリオの中で一、二、三、四、すべてに当てはまっているんですね。
そういう中で、昨年、ゴア副大統領とIPCCがノーベル平和賞を受賞しました。これは十月の十二日のことでありまして、私は十数年間この問題を訴えてきたんですけれ
ども、この日、実は私の誕生日だったんですね。その日にこの知らせがニュースとして入って、まるで何か自分のことのようにこの日をうれしく受け止めました。
先ほど
お話にありました化石賞ですけれ
ども、これは
バリ島の
会議、非常にたくさん引用されているこの写真ですが、
日本はやるべきことはやっているにもかかわらず理解されない、そういう面があるんだと思うんですね。この化石賞についても、実はこの期間中毎日、化石賞が発表されるんですが、ここを見ていただくと分かるように、
日本が受賞したのはこの赤いところなんです。そのほか、カナダも
EUもそれぞれなりに受賞はしているということは忘れちゃいけないと思います。
しかしながら、こんなポスターまで作られて
世界中に配布されて、今もインターネット上にこれが掲示されてアップされたままというのは、非常に私としても不愉快な思いをしています。何が不愉快といえば、そういうことを出されてしまった
日本、あるいはそういうことをいつまでも出し続ける人
たちというところに対して非常に不愉快な思いをしているんですね。
今年は
京都議定書の
約束年に入りまして、洞爺湖サミット。さて、その先何があるんだろうかと考えますと、今年はどういう年なんだろうかと考えますと、この温暖化の問題の根本は何かというと、ただ単に
産業が伸びてきた、あるいは
化石燃料の消費が増えてきたということだけではなくて、つまるところは人口が増えたんですね。
今三十八歳の方が、一九七〇年生まれの方が生まれたときの
世界の人口は約三十九億人だったんです。京都
会議の
COP3のときの人口はまだ五十八億六千万人ぐらいだったんです。それが今六十七億人、やがて六十八億人になろうとしています。既に京都
会議から九億人も人口が増えているんです。更にこのままいくとどうなるだろうか。私のこのワールド・ポピュレーション・カウンターによれば、二〇三四年に百億人を突破します。私はもう生きていないかなと思ったんですけど、一九四七年生まれですから八十七歳です。
委員長も同じ年ですので、多分百億の日を迎えるんではないかなと思っております。今三十八歳の方はまだ六十四歳です。
こういう時代に何が来るか。
世界の人口の増加あるいは物の消費あるいは
化石燃料の消費量を考えると、インド人と中国人が圧倒的な
世界を占めているだろうという感じがいたします。昨年、インドと中国へ行ってきましたけれ
ども、そのすさまじい
エネルギーは、もう私、
言葉も出ないほどでした。両方ともそうです。そして、この問題について私
たちが真剣に考えたり論議している間にも、彼らは私
たちが手の届かない方向に向かっているんではないかという、恐れに近いものも持っています。
先ほどの、地球上の生物種が三〇%、確実にあるいは危機に瀕する、絶滅に瀕するという
お話ですけれ
ども、これはどんなことが起こるかといえば、これにはサンゴ礁が滅びることも書いています。
これは、私が一九九八年にモルディブへ行きましたとき、
世界で最も美しいと言われたサンゴ礁、この年、やはり海水温の急上昇がありまして、こんな形でほとんどのサンゴが死んでいました。唖然としました。
IPCCの報告書によれば、全
世界のサンゴがわずか一度の気温上昇で、
平均気温の上昇でこうなると書かれているわけですね。サンゴ礁は大気中の二酸化
炭素を吸収するということがはっきり分かってきていますので、その吸収源がまたこの温暖化によって失われるということにもなります。このサンゴ礁が失われれば、それによって私
たちの漁業資源というものも得られなくなり、食べるものも魚も得られなくなります。
こういう私
たちの、先ほ
どもお話ありましたが、文明の在り方を変えなくちゃいけないということになります。私
たちは、今まで無尽蔵に地球の資源があると思って、自由に取りたいだけ取って、今もそうですけれ
ども、それを文明の構築に使ってきました。
これは、私が一九八〇年代の半ばに行きましたアマゾンの金山の様子です。八万人がこのようにして金を夢中になって掘っていました。私も夢中になってここに金の権利を有り金はたいて買ったという、欲望に負けました。そういうものなんです、人間というのは。
なぜこんなに金が必要か。今、IT関係のデジタル機器にはあらゆる分野で金が必要です。あるいは触媒、二酸化
炭素、自動車の排気ガスを除去するための触媒、あらゆるところにまたこういう希少金属が必要ですね。
これはカラジャスという
世界最大の鉄の鉱山です。これもアマゾンにあります。この鉱山、私が行きました九〇年代の後半、一トン当たり二十ドルで鉄が売買されていましたけれ
ども、今七十ドルから八十ドルになっています。中国が中心になってこれを買いあさっているわけですね。
同じような形で私
たちは地下資源、
化石燃料というものを、これから特にインド、中国がとてつもないパワーでこれを消費し始める時代が到来しているということであります。
そういうことを考えて、私は、ともかく
環境による
産業革命、かつての
産業革命に匹敵するだけのものを、これは人間が起こしたんですから次は
環境ということを考えた
産業革命を起こすべきだということで、環業革命ということを一九九七年に提唱しました。
その
仕組みについては配付した
資料に入っておりますけれ
ども、言わば無尽蔵の資源を使って好きなだけな仕事あるいは豊かさを享受する時代を早くやめなければいけないということであります。
さて、今年サミットが来て、じゃ
日本は
世界に対して何をすべきなのかということ、ここでもう少し思い切ったことを原点に返って考えなければいけないんじゃないかと思うんですね。これは、
先進国として
日本が
世界の手本にならなければいけないというふうに考えています。
このためには決意が必要です。皆さんの決意が必要です。国というものを引っ張っていく政治家の皆さんの決意と
行動が必要です。それは、地球生命絶滅の危機を回避するのだという、言わばリーダーシップを持つということ。そして、今までとは違う新しい地球のマネジメント、そのリーダーになるんだという決意です。そして、それが本当だと
世界が納得するだけの
行動が必要です。
細かなことは言っても仕方ないです。思い切って、資源や
エネルギーの消費量を五分の一にする文明の新しい構築し直しということを考える。
今、二酸化
炭素の
削減をどれだけにするかということが一番大きな話題ではありますけれ
ども、
幾ら削減しようとも、既に出してしまったものは戻らないわけです。そして、
削減しようとも、出すことは出し続けるんですね。ですから、確実に温暖化はこれからも百年続くんです。
そういうことを前にしたときに、何%
削減するかという一つの攻防とは別に、もっと大胆な新しい文明を構築していくビジョンを持たなければいけない。それにこたえるだけの
企業や科学者の力、
日本には確実にあります。あるんです。
私は、約十七年にわたって、メタルカラーの時代という、
日本の物づくりの
技術者
たち約八百人にインタビューをしました。彼らは大変な力を持っています。しかしながら、そのチャンスやあるいは場が十分に与えられていないという感じがします。国というものがもっとそこに彼らの勇気と力が出る方策を考えてあげてほしい。思いも掛けない大変な
世界を引っ張っていくことができるはずです。
もう一つ忘れていただきたくないのは、温暖化による、温暖化は確実に進みますから、それによって大変な被害がこれから増えていきます。それは、人が命を失っていくという問題であります。そのための
対策を今から最も重点的な課題として進めていただきたいということです。
そして同時に、
日本がこの分野で
世界にイニシアチブを持っていくためにやるべきことが
幾らでもある。今年、GOSATという二酸化
炭素の観測衛星が上がります。これによって全
世界約六万か所ぐらいの
ポイントがどれだけ二酸化
炭素を出しているかの濃度が刻々ともう分かるようになるという、そういう手段を
日本は手にしているわけです。これによって
世界が、各国が本当に
削減すべき値もはじき出されてくるんですね。
そういう
意味での科学者
たちの今取り組んでいるものは、本当に私
たちのこれからの
温暖化対策に役立つものが物すごく多いんです。もっとそれに目を開いて、
日本は自信を持って、あるいは
日本の研究者や
技術者
たちとともにこの問題を進めるための方策を行っていただきたい。
そのためには、口先では駄目です。多分、もう洞爺湖サミットで
世界をあっと言わせることは間に合わないと思いますね、今からでは。一体今まで何をしてきたのかという思いが私はしますが、できないことはありません。
例えば、今この
温暖化対策に取組をされている省庁は、
環境省、経産省あるいは国交省、農水省、文科省、あらゆる省庁がそれぞればらばらに行っていまして、決して有機的とは言えないと思うんです。しかしながら、これは一つの文明を、新しい文明をつくっていくために必要な最も重要な仕事です。そうであるならば、地球
環境省というようなものに統合して独立し、そのマネジメントを、半分を民間人とともにこういう機関を動かして、
世界のお手本となる政策を次々に実行していってほしいと思います。
サミット間に合いませんけれ
ども、例えば、
世界最大規模の
日本が誇るたくさんの
企業が是非
世界に知ってほしいと思っているエコプロダクツの展覧会をプレスセンターの近くで行う。あるいは、すべての自動車をハイブリッドカー・プリウスにする。
これならできると思います。車が足りないということがあるかもしれませんが、私もプリウスを乗っていますけれ
ども、今日は残念ながらプリウスで来ようと思ったら、うちのスタッフが朝早く乗っていってしまいました。奪い合いなんです。ガソリン車に乗るなんというのは、もう乗っているだけで恥ずかしい時代ですね。
日本はプリウスという
世界に誇る新しいエコカーを造り上げた国です。であれば、サミットはすべてプリウスを始めとするハイブリッドカーだけでマネジメントをする。私も、車が足らなければそれを言わば供出してもいいと考えるんですね。そういうことによって国民の関心を高めることも大事だと思います。
もう一つ、生物多様性条約というもの、もう一つ忘れてはいけない条約があります。これは、リオのサミットで
地球温暖化条約と一緒に新しい道ができた大事な条約です。
日本もこれに対する取組をようやく始めましたけれ
ども、忘れ去られて、まだまだ関心が低いですね。ただ、
地球温暖化の問題は、生物がすべて滅びるというそういう危機の問題なんですね。であれば、この洞爺湖サミットで是非生物多様性条約に対する大胆な
提案をしていただきたいなというふうに思います。
最後に、先日、昨年ですけれ
ども、IPCCがノーベル賞を取る前なんですけれ
ども、八月の末にパチャウリ議長に私会ってきました。そしてこれは、日経BP社が行っている
環境賢人
会議というものに
出席をお願いをしたわけなんですけれ
ども、ちょうどIPCCの総会があるということで、ではビデオでのメッセージをいただくということになりました。大分話し合ってきました。インドまで行ってまいりました。そのメッセージ、実は今日出てくる前にもう一度、三分ほどなんですけれ
ども、見直してみましたらば、
日本の政治家の皆さんに是非考えていただきたいという
言葉が
最後にあったんですね。そのために、是非皆さんにもこれを聞いていただきたいと思って、これをもって終わりたいと思います。
ありがとうございました。