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山下芳生君 確認させていただきました。
私がこの寄宿舎のある養護
学校を訪ねて、もう
一つ大事な役割があるなと感じたことがあるんです。これは滋賀ではなくて別の大阪のある養護
学校の話なんですけれども、この養護
学校は、元々は病弱な
子供さんが通うあるいは入舎する
学校であり寄宿舎でした。戦後すぐは結核の
子供さんたちに始まって、その後、肥満児それから不登校児、発達障害児と、この
学校と寄宿舎が受け入れてきた
子供たちは時代によって違ってきているんですね。社会の変化に伴って
子供たちの抱える心身の困難、その現れ方も変化するんだなということがこの歴史を見ただけでもよく分かりました。その変化に対応してどうすれば
子供たちの生きる力、自立する力を引き出すことができるか、この大阪の養護
学校と寄宿舎の
先生たちは常に模索しながら実践を積み上げて、理論を練り上げてきているなというふうに感じたんです。
最近の具体的な
子供さんの事例を聞きました。小学生時代から
学校に行けずに、一年前にこの
学校に来たときも車いすやベッドの上で嘔吐を繰り返していた中学生のA君。彼は一年たって今は自分の身体症状との向き合い方が分かったようで、もうしゃんしゃんしているというんですね。運動会にも元気で参加されたようで、このA君のお母さんは、我が子が運動会で走る姿を初めて見たと、どきどきしたという感想をお述べになっております。
それからB君。周りが自分をどう思っているか気になって仕方のなかった発達障害、ADHD、注意欠陥多動性障害を持つこの中学生のB君は、運動は全く駄目だった、音楽も非常に苦手だった、でもこの
学校に来て一年でこんなに速く走れるようになったよと
指導員の
先生方に自分で走ってみせるようになった、本人はこの
学校に来て良かったと、自然がいっぱいだしと言っているようです。
それからCさん。二年前にこの
学校に来た発達障害、アスペルガー症候群というふうに聞きましたけれども、彼女は、当初は自分の心身の症状を認められずに、三十八度を超える高熱があっても平気で何にもないと
学校に出てきた、活動していたらしいですけれども、二年たってこの
学校の中で、寄宿舎の中でその症状を自覚できるようになって熱も出なくなったと。同じように突然熱が出るような
子供に、どうしてあげたらいいのということを
先生が今度はこのCさんに聞いて教えてもらうようにまで今なっているという実践例でした。
目に見える障害のほかに、心身の中から出てくる病気のために
学校にも行けない、周りにも理解してもらえずに苦しんでいる
子供たちたくさんいると思います。親御さんも対応が分からずに必死でもがいている。そんな親子にとってこの寄宿舎のある大阪の養護
学校は、まあいっときといいますか親子が離れることによって、家庭も再出発できるし、
子供たちも再出発できるという機会を与えてくれているようにも思いますし、また、集団の中で
指導員の
先生、
子供たち同士でいろいろこれまでなかったかかわりを持って発達、成長しているんだなというふうに思いました。お母さんたちはこう言っております。やっとたどり着いた
学校、ここに来るまでいろんなところに相談したけれどもうまくいかなかったんですね、こんなところはどこを探したってない、心のふるさとです、そんな親子の
言葉にこの
学校と寄宿舎のかけがえのない役割が示されていると思います。
私は、この
学校で培われてきたものとか、それからそういう場所があり、そういう専門家集団がある、そういう点で、これからも培われるであろうものは、これは単に現在障害を持っている
子供さんや親御さんだけ、当事者だけではなくて社会全体にとっての宝物だなというふうに思いました。恐らく、これからもいろんな社会の変化に応じていろんな困難や症状を抱える
子供が出てくるでしょう。そういうときに、こういう
子供たちをゆとりを持って受け入れて、どういう働きかけをすればこの子の成長を促すことができるかというふうに寄り添って実践の中で理論を練り上げていくという機能は、これ非常に今の社会、私たちの社会にとって必要な機能だなというふうに感じたわけですが、その点、新しい症状にも対応する力を持っている、そういう養護
学校と寄宿舎の役割、
大臣、いかがお考えでしょうか。
大臣どうですか。