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国務大臣(
石破茂君) まさしく本質論なんだと思うんですね。
日米同盟というのは、合衆国がいろんな国と結んでおる同盟の中では極めてユニークなものであるということは我々日本人として認識をしておくべきだと思うんです。こういう形の同盟を合衆国はほかの国のどことも結んでいないということ。
それはどういうことかといえば、人と物との
関係というふうに言われますが、アメリカはいろんな国と条約を二国間で結びますが、世界中どの国も
アメリカ合衆国を
防衛し得る能力なんて持っている国はないわけですよね。しかし、それがどんなに小国であり、軍事的な能力が低いという表現を仮に使うといたしますと、であったとしても、主権国家同士ですからあくまで同盟は対等なので、合衆国がAという国を守る、Aという国も合衆国を守るということにおいては全く同じ義務を負うわけです。
ところが、我が国と合衆国の場合には、合衆国は日本を守る義務を有しますが、集団的自衛権が
行使できませんので日本としては合衆国を守れないということ、守らないじゃなくて守れないということになるわけですね。そうすると、義務として対称的ではないということになるわけです。それはひどいじゃないの、同盟というからにはどんなにちっちゃな国と大きな国の同盟であろうとそれは内容は一緒じゃなきゃおかしいんじゃないのと、いやいや、我が国は
憲法上そういうことはできませんのですよということになる。
じゃ何なんだということになって、今度は物という概念が出てくるわけですが、日本の
防衛のためにも基地を提供するが、同時に極東の平和と安全のため行動する
合衆国軍隊は日本の
施設又は
区域を使用することを許されると、こういうことになるわけで、もちろん極東の平和と安全というものは
日本国の平和と繁栄にも寄与するものではあるわけですが、日本の基地を日本の
防衛のためのみならずほかのことにも貸しますよということによってバランスを取っているというところはあるのだと私は思っております。
そうでないと、同盟というのは、対称的であれ非対称的であれ、双務的なものでなければそれは永続性はもたないものなのだと。どっちかが一方的に裨益をし、どっちかが一方的に与える、片っ方が与えるだけの
関係、片っ方が与えられるだけの
関係というのは、これは個人と個人とでもそうですが、そんなものが長持ちするはずはないのだということで、だから人と物との
関係というふうに言われるわけですよね。
そうしたときに、じゃその中身は何なのだということを考えたときに、単に基地を貸すということだけではなくて、そこに掛かるいろんなコスト、あるいは
外務大臣がおっしゃいますように、故国を遠く離れて日本の地で勤務しなければいけない、そして合衆国が日本
防衛の義務を負うわけですから、日本の
防衛のために自らの命を懸けねばならない、そういうような青年たちに対して
日本国として何ができるかということを考えてみたときに、それが妥当なのかどうなのか。そのときの経済
状況というのもそれはあるでしょう。じゃ、日本がもっともっと豊かであったとして、日本が本当にもう何もない極貧国であったとして、じゃどうなのだ、いろんなケースを考えてみなければいけないのだと思います。
これは、これがあるべき姿だという絶対的なものがあるわけではございません。可変的なものだとは思いますが、問題の本質はこの非対称性というところをどう考えるかということにあるのであって、だから、
委員として、あるいは御党としてこれはこうあるべきだというお考えがきっとおありなんだろうと思います。私
ども政府としてもそれをよく承らねばなりませんが、私
どもとして、この非対称的であるという、しかしながらバランスが取れているということは何ら矛盾をしているものだとは思いません。そこは整理して考えておるつもりでございます。