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土師参考人 まず最初に、このような
機会を与えていただきましたことにつきまして感謝いたしたいと
思います。
私は、
少年事件の
被害者の
遺族という
立場でお話をさせていただきたいと
思います。私の子供の
事件は、改正
少年法施行以前ですので、現在の
少年法とは少し異なっておりますので、その点を御
理解の上、お話を聞いていただきたいと
思います。
皆様の中でもまだ記憶されている方も多いのではないかと
思いますけれども、十一年前に日本じゅうを震撼させましたあの神戸連続児童殺傷
事件で私は次男を亡くしました。私ごとになりますが、先週の土曜日は十一回目の命日でした。一九九七年五月二十四日、当時十四歳の
少年により私の子供が殺害されました。そして三日後、私の次男の頭部を犯人の
少年が通っていた中学校の正門前に放置した上、さらに警察に対する挑戦状までつけられていたという極めて残酷で猟奇的な
事件でした。
事件発生当初から、
事件のその特異性のために、マスコミ各社の報道合戦は非常に激しいものでした。当時、私はメディアスクラムという言葉を知りませんでしたが、この激烈をきわめた取材合戦のために、私たちは通常の
生活を送ることさえもできず、そして何の罪もない
被害者遺族である私たちの
プライバシーは暴かれてしまいました。このような
状態が一カ月ほど続き、マスコミもやっと少し落ちつく気配が見えたころ、犯人が逮捕されました。そして、それが顔見知りの十四歳の
少年であったため、やっと鎮静化しつつあったマスコミ各社の報道合戦はさらに一層熱を帯びたものとなりました。
逮捕された犯人が十四歳の
少年であったことで、初めて私たちは
少年法というものに向き合うことになりました。それ以前にも、私は
少年法というものがあるということは知っていましたが、現実に
少年犯罪の
被害者遺族になって初めて、この
法律がはらんだ矛盾に驚かされると同時に、
我が国の後進性に気づくことになりました。
十四歳の
少年が被疑者として逮捕された後、
少年法に基づいて
手続が
進行していきました。しかし、私たちの心にたまったおりのような悲しみや憤怒は全く晴れることはありませんでした。最愛の我が子をあのような形で失ったという悲しみとショックがすっかり心をふさいでしまっていたことも理由の一つでしたが、それ以外にも全く別の理由が
少年法そのものにありました。
いかに
少年といえども、犯した罪を考えると、余りにも
保護され過ぎているのではないか、また余りにも
被害者を無視しているのではないか、実際、
少年法に接してみて感じざるを得ませんでした。
審判が開始されますと、私たち
被害者遺族は完全に蚊帳の外に置かれることになりました。捜査中は、まだしもどのような
状況かを知ることができました。もちろん、詳しい調書を見ることができるはずもありませんでしたので、
少年が犯罪を犯した動機などのことについては知ることもできませんでした。しかし、
少年審判ということになりますと、どのように
審判が進んでいるのか、
少年はどのようなことを述べているのか、また
少年の両親は自分たちの子供が犯した犯罪についてどのように
思い、
被害者やその
遺族に対してどのような謝罪の気持ちがあるのか、またはないのかなど、私たち
被害者遺族が知りたいこと、当然知ることができると思っていたことさえ知ることができませんでした。
そのような
状況の中、私たちは、
法律については詳しいことはわかりませんでしたので、弁護士の方の援助が必要と感じていたため、
事件があった年の八月に、井関弁護士、乗鞍弁護士に代理人をお願いしました。
私たちは、
事件の真相を知りたいと思っていました。
加害少年がなぜ、どうして私たちの子供の命を奪ったのか、
加害少年はどのような顔で、どのような雰囲気で、そしてどのような性格を持った人間なのかを知りたいと
思いました。そして、
加害少年の両親は自分たちの子供が犯した犯罪を本当に知らなかったのか、知っていて黙っていたのか、また
事件についてどう思っているのかなどのことを知りたいと
思いました。
これらのことを知りたいと思ったことに加え、知ることは、亡くなった子供に対する残された私たちの義務だと思っていました。さらに、私たちの苦しくつらい
心情を
審判廷の中で
加害少年やその両親に向かって話をしたいと思っていました。
井関、乗鞍弁護士の両代理人を通じて、神戸
家庭裁判所の担当判事に対して、
審判傍聴をしたいこと、
審判廷で
意見陳述を行いたい旨を
申し出ました。私たち自身がだめな場合でも代理人が
審判傍聴はできないかなどと、何度も繰り返し申し入れをしましたが、やはり私たちの
思いはかないませんでした。
審判を
傍聴することが認められず、
審判の
状況を知ることもできず、また私たちのやりきれない、つらい
心情を
審判廷で
発言することもできませんでした。
被害者遺族として、
事件の背景を知りたいと思う気持ちは至極当然のことだと
思います。そのため、せめて両親の供述調書と犯人の
少年の精神鑑定書くらいは見せてもらえないかと
思い、代理人を通じてこれを要求しましたが、それらもかないませんでした。
その結果、私たちは、
審判についてほとんど何も知らされず、そして何も
発言できないという
立場に終始させられてしまいました。唯一私たちが
情報を得ることができたのは新聞やテレビ、雑誌などによる伝聞のみであり、私たちはその信憑性すら検証するための手段を何も持っていませんでした。当然のごとく、何が真実なのかということは一切わかりませんでした。
私たちが唯一
意見を述べることができたのは調査官だけでしたが、そのときも
少年や両親に対する
情報を知ることにはつながりませんでしたし、また私たちの
意見が正確に判事に伝わったかということも甚だ不確かなものでした。
そのような
状況の中、
審判は終了し、犯人の
少年は医療
少年院に入所の上更生の道を歩むという決定が下されました。
このときの
審判では、異例なことでしたが、
審判の決定要旨がマスコミに対して公表されました。しかしながら、
事件の当事者である私たち
遺族のもとにはこの決定要旨が届けられることはありませんでした。私たちが入手したのは、
裁判所ではなくマスコミからでした。
さらに、当然の気持ちだと
思いますが、
審判決定書の全文を見ることぐらいはできないものかと
思い、代理人を通じて神戸
家庭裁判所に要求しましたが、やはり見ることはできませんでした。
このような八方ふさがりの
状況の中、私たちは、
事件の背景を知るため、また責任の所在を明らかにする
目的で、民事訴訟を起こしました。裁判の
過程で調書を見ることができるのではないかと期待していましたが、
少年側が事実を争わないという
立場に終始したため、争点にはならず、私たちが見たかった資料などは一切見ることができませんでした。
民事訴訟を起こして勝訴したからといって、訴訟費用がかかるだけで、
少年側からの賠償金の支払いなどは、当時、全く期待できる
状態ではありませんでした。この裁判を起こして唯一よかったと言えることは、判決という形で、
加害少年だけでなく両親の責任が認められたことでした。
二〇〇〇年に
少年法が改正され、一部
記録の
閲覧ができるようになり、
意見聴取の
制度もできましたが、あくまで限定的なものであり、
権利ではなく、
裁判官の裁量によって決まります。そのため、現在でも、
少年犯罪の
被害者やその
遺族は、
少年や両親に対しては直接的には何も言うことができず、
事件の
情報についても限定的にしか知ることができません。
少年法が抱える問題につきまして、私なりの考えを述べていきたいと
思います。
もちろんのことですが、
少年法の
基本的な精神には私も賛同しており、異を唱えるつもりはありません。犯罪を犯した
少年の
保護、更生を考えることは重要なことだと
思います。しかしながら、傷害、強姦、傷害致死や殺人などの重大な犯罪と他の軽微なものとを同列に扱うことは許されることではないと
思います。多くの軽微な
少年犯罪については、
少年の
保護、更生を第一に考えることは非常に大事なことだと
思います。しかし、
少年が犯した犯罪が
遺族というような形の深刻な
被害者を生み出す場合は、やはり考える次元が大きく変わってくると
思います。
現行少年法において最も大きな
問題点は、
被害者や
遺族を
審判から完全に締め出していることだと
思います。この点については、改正前と何ら変わってはいません。
少年審判は、
非公開が原則になっています。憲法上は、「裁判の対審及び判決は、公開法廷でこれを行ふ。」と定めており、裁判は公開が原則になっています。しかし、
少年審判では、
少年の将来の不
利益を避けるという理由に基づいて、
非公開の原則が採用されているようです。しかしながら、
審判を一般に公開しないことはまだしも、一方の当事者である
被害者にさえも一切公開しないということは、
被害者の知る
権利を奪っているわけです。
どのような理由で、またどのような
状況で
被害を受けたのか、その加害者はどのような人間か、そしてどのような
環境で育ったのか、どうすればその
被害を未然に防ぐことができたのかなどのことは、深刻な犯罪に遭った
被害者であればあるほど、知る
権利があるはずです。加害者を守るために
被害者がその
権利を奪われるということは、本末転倒ではないでしょうか。
私たち
遺族は、
家族を守ってやることができなかったという
思いにさいなまれ続けています。
被害者にとって、
審判廷に
出席をして事実を知ること、そして自分のつらい気持ちを言うことは、実は
立ち直りへの第一歩でもあります。この一歩目が踏み出せないと、
被害者は立ち直ることが困難な
状況に追い込まれてしまいます。その意味でも、
審判への参加は重要な意味を持っています。
犯罪を犯した
少年を更生させることを目指すのは、当然のことです。更生とは、犯した罪を忘れ去ることではありません。
加害少年に、一刻も早く
事件のことを忘れて
立ち直りなさいということではありません。
では、更生の第一歩に何をなすべきなのでしょうか。
私は、何よりもまず、犯した罪を十分に認識させることが必要だと
思います。その罪の意識が真の更生の第一歩だと
思います。その意識が生まれないままでは、どのような指導も説教も彼らを真の更生へと導くことはできないに違いありません。
罪の意識は、
被害者への謝罪の念と密接な
関係があると
思います。
被害者やその
関係者に対する痛切なおわびの気持ちが、犯した罪への激しい後悔の念を導くのだと
思います。悲しみの底に深く沈んだ
被害者や憤怒に震える
遺族の姿を知るところから、本当の意味での更生は始まるのではないでしょうか。
次に、事実
認定についてですが、通常、
少年審判においては検察官は関与しません。その場合、
審判廷では
加害少年の主張に対して反論する人はいません。そうしますと、
加害少年の主張はそのまま事実として
認定されてしまうことにつながります。
加害少年が自分の
立場を有利なものにするためについたうそが、事実として
認定されてしまいます。そうしますと、
少年に対する処分の決定にも大きな影響を及ぼしますし、何よりも、そのうそのために
被害者の
尊厳がさらに大きく損なわれてしまう結果となります。
被害者やその
遺族が
審判に参加した場合、彼らの前では
加害少年もうその主張をしづらくなり、本当のことを言う
可能性が高くなると
思います。すなわち、
被害者やその
遺族の
審判への参加は、正確な事実
認定を行う上においても非常に重要なことだと言えると
思います。
以上のように、
被害者や
遺族が
審判に参加することの意義は非常に大きなものです。
被害者や
遺族の
事件の真相を知りたいと思う気持ちをかなえるなど、
被害者自身にとって非常に重要な意味を持っています。そして、副次的には、これらのことに加え、
加害少年の真の更生への第一歩となるだけでなく、さらには正確な事実
認定においても重要な役割を果たします。正確な事実
認定は、冤罪を防ぐとともに、
少年に対する
処遇を決定する上でも必須なことです。このように、
被害者の
審判への参加は非常に有益なことだと
思います。
最後になりますが、少し聞いていただきたいことがあります。
少年の
健全育成について、少しだけ話させていただきたいと
思います。
少年事件において、
健全育成の
対象になる
少年とはどのような
少年でしょうか。
少年事件において、当事者である
少年として
思い浮かぶのは、一般的にはまずは
加害少年ではないかと
思います。次には、どのような
少年が当事者でしょうか。それは、
被害を直接受けた
少年であり、その兄弟たちです。これらの
被害を受けた
少年の数は、統計はされていないでしょうが、現実的には
加害少年の数よりも多いのではないでしょうか。
例えば、私たちの子供の
事件の場合、
加害少年は一人ですが、殺害された
少年は二人、重傷が一人、軽傷が二人、それに兄弟を加えると、優に十人は超えてしまいます。これらの
被害を受けた
少年たちは、
事件の当事者でありながら、
加害少年とは異なり、公的な機関からの支援は全くありません。私の長男も、それはひどい
状況に陥りましたが、全く何の支援もありませんでした。私たちは、
家族三人で対処するしかありませんでした。
少年法によって、一方の当事者である
被害を受けた
少年たちが健全な育成を阻害されていることは忘れてほしくないと
思います。この件につきましては、
少年法とは別の
観点から、支援
制度を早急に確立してほしいと思っています。
被害を受けた
少年たちも、大人と同様に、自分や兄弟たちが、なぜ、どうしてこのような
被害を受けたのかを知りたいと望んでいます。彼らが、どん底の
状態から
立ち直り、前に進んでいくためには、事実を知ることは必須のことです。しかしながら、
少年の
健全育成といいながら、一方の当事者である
被害を受けた
少年の
健全育成については全く放棄しているのが現在の
少年法です。皆様方はこのような話を聞くのは初めてなのではないかと
思いますが、これが現実の
状況です。
少年犯罪
事件とは、
少年審判という、
被害者からも一般世間からも見えない
場所で秘密裏に処理されているような
事件です。加害者が成人であろうが
少年であろうが、甚大な
被害に遭ったことに変わりはありません。
被害者にとって
少年事件とは、加害者は存在せず、
被害者のみが存在するような異次元の世界の出来事に思えます。
二〇〇四年十二月に
犯罪被害者が切望していた
犯罪被害者等基本法が成立し、翌年には
基本計画が策定され、昨年六月には改正刑事訴訟法が成立しました。このように、
犯罪被害者を取り巻く
環境がよい方向へと変わってきています。しかしながら、現在の
少年法は、二〇〇〇年の改正で若干の
被害者配慮規定が盛り込まれていますが、
被害者の
尊厳については全く
配慮しているとは言えない
法律だと
思います。
加害少年の
保護と同時に、
被害者の
尊厳に
配慮した
少年法に改正していただきたいと切に希望する次第です。
最後になりましたが、
少年法は、二〇〇〇年に一部改正され、
被害者等に対する
配慮規定が少し盛り込まれたとはいえ、
被害者やその
遺族にさらなる犠牲を強いることにより成り立っている
法律であるということに変わりはないということを、国
会議員の先生方には肝に銘じていただきたいと切にお願いいたします。そして、その上で、改正に対する
議論をしていただきたいと心よりお願いいたします。
どうもありがとうございました。(拍手)