○古賀(一)
委員 今
大臣の方からは、いわゆる発着回数ということで、ほかの国も頑張っているけれども
我が国も頑張っているんだというような、
航空行政に深い反省はないようにも受けとめましたけれども、私はおかしいと思うんです。
実は、私は、十三年前に予算
委員会で当時
亀井静香大臣、その後、歴代運輸
大臣に、
国際空港、
ハブ空港論を、本当に心配して
質問をしてきました。当時、上海浦東は全くの草むらでございまして、私は、いろいろなアドバイスをしに上海に何度も呼ばれて行った。だから、浦東はもう草っ原のところから私は見ております。そして、そのときに、ここに近々浦東の
国際空港の建設が始まるというような話がありました。以来、ずっと私はフォローしてまいりました。
それで、予算
委員会でこれを聞いたときに、浦東、
香港のチェク・ラップ・コック
空港、仁川もまだできていませんでした。どういう設計で、どういう
戦略でやっているかを説明してくれと言ったときに、当時の運輸省の担当局長の御説明は、浦東については二〇〇五年に開港するものと考えておりますと。結果としては、五年前に先倒しだったんです。私は、二〇〇〇年にはできますよと。それほど各国の
国際空港、とりわけ
ハブ空港争奪の戦争というものはすさまじくて、各国はそういう
国際的な視野に立ってやっているんだと。それは運輸省の航空局たるものが、まさに
成田の競争相手、
関空の競争相手になる浦東の
国際空港について、あと九年後、二〇〇五年、そんな発想だから、これは必ず後でしまったと思いますよと言ったら、案の定そうなったんです。
今の
大臣の
答弁は、いずれも私は、
航空行政、
空港整備行政の体質をあらわしていると思うんです。それは、非常に内向きなんですね。
国内事情がどうだ、背後人口がどうだと需要追随であり、内向き、
国内の要請ばかり考えている。中国がどう出る、韓国がどう出る、マレーシアがどうだ、
チャンギの
シンガポールがどうだ、今後、
経済がどうなるから、こういう
ハブ空港機能の争奪を国としてやらぬといかぬという発想が、この十数年全然ないんですよ。
結果として、今
大臣がおっしゃった発着回数はそれでいいですよ。しかしながら、これからもっと需要は伸びていくんです。
アジアは特に伸びるんです。大航空時代というのが来るんです。そして今度、ジャンボをはるかにしのぐエアバスA380、あれは
成田の開港三十周年の日に本当は
成田に
着陸する予定だったんだけれども雨で
着陸しなかったとこの週刊誌に書いてありますけれども、こういう巨大な航空もどんどん就航していく。
シンガポールはこれを買った。もっとすごい大きい飛行機が、大交流時代、大航空時代で来るんです。
では、ハードはどうかと見たときに、何と、もうはるかにおくれて工事を始めた上海浦東は、四千メーター一本、三千八百メーター一本、三千四百メーター一本。つまり、大きい飛行機、ジャンボはもちろんのこと、これがもう全部離発着できる
滑走路が三本ある。浦東がそうです。仁川は、我が福岡からすぐですよ。これは、四千メーター、三千七百五十メーター、そしてもう一本の三千七百五十メーター。
あの
香港は、今まで啓徳
空港というのがあったんです。非常に
香港は狭い、山が迫っている、あそこの代替
空港たるチェク・ラップ・コック
空港というのができたけれども、私はてっきり
滑走路が一本かと思ったら、とんでもございません。これも何と、三千八百メーター二本を有する
国際空港なんです。
ところが
成田ですよ。先ほど言いました、先週見に行ったこの
成田は、四千メーター一本でずっと来たんです。そして、扇千景
大臣のときにようやく
滑走路が二本になった。我々みんな見に行った。大式典もあった。そのとき扇千景さんが、目の前でみんなに、一千名ぐらいの
人たちに言った
言葉を覚えていますよ。開港二十五年たって、でき上がったのが二千百八十メーターのこんな中途半端な
滑走路といって、
大臣が言ったんですよ、恥ずかしいと言ったんです。
それが今、南伸ではなくて
北伸ということで三百二十メーター延長ということだけれども、たった一本ですよ。開港二十五年たって、ようやくできたのが何と二千百メーター級。これは、今後の大航空時代、大交流時代、航空を通じて
アジア、世界じゅうの人が交流するこの時代に、およそ対応できるインフラではない。
今度の
法律が、
空港整備法から
空港法になる、もういわば
整備は終わったような感じの中で
法律の名前が変わっていく。これは、
航空行政、これまで何が教訓であったか、そういうことを本当に総括しなければ、今後、今まで以上に
国際競争の激しくなる時代に、
国際港湾のように、いつの間にやら、神戸は全世界で四番目のコンテナ扱い港だったんですよ、もう今は見る影もない、どこに行ったんだ神戸は、横浜はどこだ、そういうふうになってしまうんです。
したがって、私は強く申し上げますけれども、今回、
空港整備法の
整備の時代は、まあ終わってはいないんですけれども、それから
空港法と名前を変えて、何か次は、法案を見ると例の
外資規制の話が飛んでいますから、あとは何かちまちまとした話で
法律が変わっていくということに関しては、今後大きく
航空行政は総括をすべきだ、かように思っています。
したがって、こういう結果をもたらした
航空行政の体質は、先ほど言いましたように、やはり内向きな
空港整備論であり、機能分担とネットワークという発想が非常に希薄です。
東京の需要が多い、
滑走路が足りない、駐機場が足りない、では拡張、そこだけ見ているんですよ。そうじゃなくて、
成田がこうなら
羽田をこうしよう。例えば福岡
空港の
議論もあるんです。現福岡
空港の駐機場満杯の
議論があるんです。これも、佐賀
空港がある、新北がある。ネットワークでどうしていくという発想が今後
航空行政に一番必要なんですけれども、その地点における地元の陳情、そして背後人口が何ぼだ、あそこよりこっちが大きい、駐機場が足りないという非常に局地的な、属地的な発想で
航空行政を見てきたそのツケが、今の
成田であり
羽田再拡張でもあると思うんですよ。
したがって、私は、そういうネットワーク、そして
国際的な、とりわけ
ハブ空港については
国際的な視野を持った上で
航空行政をこれから再構築していただきたい。十月一日から観光庁ができるんでしょう。ようこそジャパン、
日本にもっと来てくれ、そういう話も国策としてやっているわけですから、私は、もうくどくど言いませんけれども、これは強く
指摘をさせていただきたいと思います。
それで、これは重要な点ですから、だめ押しのように
確認したいんですけれども、今度、
空港整備は、この
法律を見た限り、名前から見ると何か終わったようにも見えるんですけれども、今後の
空港整備についてはどういうふうに基本的にお考えなんでしょうか、航空局長。
〔
委員長退席、西村(康)
委員長代理着席〕