○
冬柴国務大臣 ありがとうございます。
私も、
平成七年、今から十三年前になりますけれども、
阪神・淡路大震災を経験した者でございます。
先ほどの
質問の中にもありましたけれども、神戸港、
港湾はほとんど壊滅しました。ただ、耐震
岸壁とされておりました摩耶埠頭、ここは本当に傷つかなかったんですね。威力を発揮しました。対岸の大阪湾の方から、土運船とかを
利用していろいろな資材を神戸に陸揚げしようとしましたけれども、なかなか難しかったんですね。しかしながら、生き残った摩耶埠頭等を
利用し、それから、壊れた中央突堤に仮設の桟橋などをつくって陸揚げしたことを記憶いたしております。
こういう災害のときに耐震
岸壁というものは非常に威力を発揮するということを体験したわけですが、最近の新潟県中越沖地震のときも、
岸壁が生き残ったがゆえに、そこに海上保安の巡視船が接岸をいたしまして、それには一千トンの飲み水を積むことができたんですね。したがいまして、これで四千数百トンにも及ぶ上水を被災地に供給することができたわけです。
そこの耐震
岸壁のところへ給水車等の小さなものが来まして、海上保安庁の巡視船から給水を受けてそれを家庭へ配ったわけでございます。テレビではその小さな給水車が被災民に水を配っているところだけが映っていますけれども、実は、その水はどこから来たかというと、耐震
岸壁に接岸した巡視船から来ていたわけでございます。
そういうことから、震災と耐震
岸壁、私は非常に重要なものだと思います。
今回この法律で、我々が、国が直轄でつくったものについて、これは
港湾管理者が管理するわけですけれども、いざというときには国に管理を戻していただいて、そこを救援物資の集積所とか、あるいは、ある場合は被災した
人たちの避難所にするとか、そういうような非常に重要な
役割を果たすわけですが、こんなことは予想するのも嫌ですけれども、首都圏直下型の震災等に備えまして、
東京湾、そしてまた大阪にも堺に一カ所そういうところをつくる。これは本当に適切だし、威力を発揮するだろうというふうに
考えるところでございます。
今回も、四川省の、三国志で有名な蜀の国でございますが、ここで大震災がありました。そこへ海上保安庁の特救隊を中心に
国土交通省では十三名の職員を国際緊急援助隊として派遣をいたしましたけれども、出発が外交
関係等の調整で一日おくれたのが本当に残念でしたけれども、しかし、着くなり、もう新聞でも報道されていますが、親子の、若い二十七歳のお母さんとその幼児を直ちに引き出して、もう亡くなっていたものですから、この
人たちに敬意を表するために黙祷を捧げた。この写真が新聞にも載りましたけれども、
中国でもこれはテレビとかインターネットで広く配信されて、
中国人の感動を呼んだようでございます。
私は震災というものを経験いたしましたけれども、あの
阪神・淡路大震災こそボランティア元年と
考えていいのではないかと。あのときにボランティアがたくさん来てくれましたが、その後、これを契機に、日本人があちらこちらで、そういう震災が起こればボランティアが駆けつけるというすばらしいあれが展開されておりますが、この法律もそういう震災に備えた一つの法律でございますので、御
議論をいただいてこれの成立をお願いしたい、こういうふうに思っております。