○
小野(晋)
委員 大臣から布石を打っていただくような御
答弁をいただいたわけでありますが、言われるとおり、
世界各国、二百近い国や
地域が
存在をいたしますし、その
一つの国の中にもいろいろな
文化を持つ人がいる、いろいろな民族が
存在する。多様な
存在がともにいるのがこの
地球社会であろうと
思います。
この
地球社会を
一つの
原理でまとめていこうという
考え方を持ちながら挑戦してこられた方々もおられたわけでありますが、
現状で見る限りは、それは恐らく頓挫をしておられる。
一つの
価値観に基づく、
一つの
法律のみに基づく
国際社会の運営ということは、まだ現
段階では困難なことであるというのが恐らく多くの有識者の
現状認識であろうと
思います。
そこで、では、私
たちは何を頼りにしながらこの
社会を進めていくことができるのだろう。
高速交通が
発展をし、一日あれば
世界の隅々ほぼどこへでも行くことができますし、また、瞬時に
世界じゅうの人と
通信回線を通して情報交換することができるというこの
現状の中にあって、
価値観の
対立等を含むいろいろな
個性というものが
対立の概念でとらえられるならば、これは恐らくどこまでも続く
紛争の流れを断ち切ることはできない、こういう
気持ちがしてならないわけであります。
そこで、私
たちが学ぶべきは自然なのではなかろうかという気がしてなりません。
法律にしろ、これは
人間がつくったもの、いろいろな
技術にしろ、これは
人間がつくったもの、
社会の仕組みも
人間がつくったもの。ある
文化に支えられた
人間がつくったものが最善であると主張しても、よりよいものであるという別の
人たちがいるわけでありまして、この
対立は恐らく決着をつけることができないだろう。こう考えました場合に、私
たちは、全
人類が
共通のものとして持っている
自然界に目を向けることから英知を引き出す、これが二十一
世紀人類社会における
課題ではなかろうかという気がしてならないのであります。
そこで、私自身の提唱する
人間の
森文明というのがあるのでございます。これはいかなるものであるかといえば、
自然界の森の中に私
たちが足を踏み入れるならば、上を見上げれば、そこには松の木がありヒノキがあり杉の木がある、いろいろな
種類の
高木がある。目を下に転ずれば、多種多様な灌木類があり、さらに多くの
種類の草が生え、土の中を見れば、ほんの少しの土の中に百万
種類にも及ぶような
雑菌類があるというようなことが言われる。森の中を小動物が駆けめぐり、昆虫が飛び交い、さらに鳥類もその森の中を飛んでいる。
こういう多種多様なものが同時に
存在しながら、その同時に
存在するものがたえなる
調和の中に置かれているという姿が
自然界の
原理であるとするならば、私
たちは、
個々の
文化が持ってきた
人間の
知恵を超える
知恵としてこういうものを尊重し、そこに二十一
世紀社会の新しい理想を見出すべきではなかろうか。
人間が
自然界の森のような
意識を持って生きる
社会、これを支える
文明というものを提起すべきではないかということで提唱しているものでありますが、その主な項目、六項目取り上げているわけであります。
一つは、
人間の
主体性を尊重する
社会。今申し上げたものであります。
二つ目が、個人の成長を尊重する
社会。これは、我々、二十を過ぎると体力が衰えるだの四十を過ぎると
記憶力が衰えるだのと言いますけれども、そういう
一つ一つの
現象ではなくて、
人間というものは生きている限り成長し続けるものだ、人格的な
意味を込めたり、またその
人間が発するオーラと言われるような雰囲気のようなものも含めて、
人間というのは亡くなる瞬間まで成長し続ける、
自然界すべてがそういう性質なのだと。
三番目には、
個性の
価値を重視し、千差万別の
形態を認め合う
社会。これはもう
自然界そのものであります。
四番目には、全体として大きな
調和を尊重する
社会。
個々に別々であったとしても、それらが全部組み合わさったところが美しいと我々は
認識する。美しいと
認識するということは、その
認識の奥にそれを好ましいと考える心がある。その好ましさというものは、それこそが
お互いを生かし合う姿であるというような本性が働いていると考えるべきでありましょう。
第五番目には、
官僚的統制ではなく、
自律的コントロールによって運営される
社会。ある特定の
人たちがいかに優秀な人であったとしても、それがすべてを席巻して動かそうというのではない。
お互いの
主体性において自律的に調整が行われながらたえなる
調和を生み出すということを考えるべきだという主張であります。
六番目には、譲り合いの
精神でみずからを周囲にささげ合う
社会。循環的に物事が動いていくということも含めまして、
お互いがもっと譲り合う
精神というものを尊重する。
お互い、現在生きる者同士の間でも、
未来に生きる
人たちに対しても、また過去に生きた人に対しても、みずからが譲る、譲り合う、こういう
気持ちを持って
調和を生み出していくことが大事ではなかろうかという
考え方でございます。この
思想が新
世紀の根本的な
思想になるのではなかろうかと私自身は考えている次第なのであります。
環境政策というものは、今
大臣からも
科学技術に基づいて解決せねばならないという御主張がございましたが、それのみならず、やはり
人間の
思想に足場を置かなければ本当の解決は生まれないのではないか、こんな
思いを持つところにこんな提唱をしているわけでありますが、こういう
人間の
森文明という
考え方に基づく
環境ビジョンというものを描いてみようというお考えをお持ちか否か、お尋ねさせていただきたいと存じます。