○篠原
委員 今の点は
高村外務大臣のおっしゃるとおりであります。品の悪い私が言っていいことと
外務大臣が言っていいことは違いますから、そのとおりだと私は思います。
ただ、この問題はうやむやに絶対すべきじゃないと思います。それは、我々の命にかかわることです。これも、この問題を余り長くやっているとチベット問題の時間がなくなってしまうものですからちょっとだけ触れさせていただきますと、アメリカは厳しいんですよ。きかんしゃトーマスというおもちゃがありますね。あれを塗るのに鉛が入っていて、それでもって四歳児が一人亡くなった。それで、二カ月間で二百五十万個のきかんしゃトーマスを全部リコールして回収している。それから、食品についても輸入禁止だと。
私は、
日本でどうしてこういう声が出てこないのかと不思議なんですが、BSEの変異型クロイツフェルト・ヤコブ病患者が一人も出ていない、もっとも潜伏期間が八年とか二十年ですから当然ですけれ
ども、それでアメリカの牛肉の輸入禁止をしているわけです。
それを、十人が塗炭の苦しみで病院に行って、五百人ぐらいが苦しんでいる。亡くなられた方は一人もおりませんでしたけれ
ども、こんな重大案件が起きているわけです。これは輸入禁止にすべきなんです、一時的に。何か中川昭一さんが、きのうかおととい、同じことを言っていたようで、気が合うので、同じようなことを
考えるのかなと思うんですけれ
ども、なぜそういうふうに論理的に
考えないのかというのは私はあるんですよ。
ですから、これはやはり
外務大臣がおっしゃる必要は私はないと思います。
外務大臣がおっしゃると大ごとでございますけれ
ども、アメリカやイギリスのIOC、オリンピック選手団団長などはどう言っているかというと、アメリカは、ニューヨーク・タイムズ紙にきちんと書かれていますけれ
ども、北京入りはなるべく遅くする、そして食料は全部外から持ち込むと。イギリス・IOCは、マカオに滞在していて競技の前日北京入りするとか、食料は
中国のものは食べないというような、そういうことまで言って警告しているんですよ。これだけ
日本は
中国から輸入しているんですから、
日本もそれらしきことはそれなりの関係者が警告を発していいんじゃないかと私は思います。
大気汚染の問題なんかもあります。マラソンの世界記録保持者のハイレ・ゲブレセラシェ、エチオピアの選手ですけれ
ども、大気汚染のひどい北京で走るのは嫌だと言って不参加を表明したりしている。こういうのがあるわけですが、こういうことでちょっと警告を発する必要が私はあるんじゃないかと思います。
では、これはこのぐらいにいたしまして、次に、大事なチベット問題でございます。
これは非常に悩みが深いんじゃないかと思います。この表のところをちょっと見ていただきたい。チベットをめぐる主な動きのところを見ていただきたいのですが、これは、右と左、左側は
中国の弾圧の動きとチベットの反抗です。
中国も波があるんですよ。右側、融和の動きというのもあるのです。
例えば、毛沢東はやはり立派だったんですよね。あのでっかい
中国を全部統治するのはなかなか難しいということで、言語は強制しなかったんですね。それから、一九五四年にはダライ・ラマと毛沢東が会っているんですよね。そして、毛沢東は自治を認めるとまで言っているんです。いい方ですね。
ところが、五九年に動乱が起きまして、ダライ・ラマは御存じのとおりインドに亡命する。そして、
中国政府がチベット自治区をつくる。
中国が言っていることはうそでして、さっきのギョーザ事件もそうですけれ
ども、結構うそをつく国ですよ。チベットと
中国なんかは交流はなかったわけです。右側の方の二〇〇六年のを見ていただくとわかると思いますけれ
ども、鉄道もなくて、鉄道をつくった。毛沢東が、一九五一年、ラサに進駐したときに、道路がなくて、一番最初にしたことは道路をつくっているわけです。道路がなかったということは、交流がなかった。とても
中国の一部みたいな
感じではなかったということなんです。
しかし、よく見てみると、胡耀邦総書記、一九八〇年、見てください、チベットを訪問して、共産党の失政を認めております。先ほど野田さんから中曽根さんの話が出ましたのでちょっと触れさせていただきますと、このころ
日本はだれだったかというと、中曽根さんが総理になったりされていたんですよ。胡耀邦はチベットを訪問して、共産党の失政を認めるんです。
この胡耀邦は、改革・開放派、自由化、民主化路線をとっていたわけです。それで、靖国神社問題、一九八五年、中曽根さんは参拝するんです。それで、どうしたらいいかという検討の
会議を持ったわけですけれ
ども、やめるわけです。やめた理由に、いろいろあるわけですけれ
ども、その
一つに、親日派で民主化、自由化路線を歩み始めた胡耀邦が、
日本が困らせると失脚してしまう、それをおもんぱかって中曽根さんはやめられたとも言われているんです。私は直接聞いていないからわかりませんけれ
ども、そうやって物の本に書いてありました。しかし、彼は、残念ながら守旧派に追い詰められて失脚していくんです。そして八九年に死亡して、これが天安門事件に結びついていきます。胡耀邦のような立派な方がいた。
その反対が二〇〇一年の江沢民です。江沢民国家主席がチベットの独立阻止の方針を示す。このころから、さっき触れましたけれ
どもおかしくなって、九六年に台湾海峡にミサイルをぶち込んで、さっきの、選挙のところに
高村さんは何も言わないという、それが常識なのに、台湾の選挙のところに影響させるためにミサイルをぶち込んだりしている。そういうことをやり出したわけですね。それで、教科書問題とか、歴史的認識が違うと言って
日本にも難癖をつけてくる。
これは、よく見ていると、一事が万事なんです。江沢民は
日本に対してもチベットに対しても非常に高圧的な態度をとり、胡耀邦はチベットに対しても
日本に対しても非常に穏やかな態度をとっているということですね。
今、
中国がどういう態度をとっているかというのは、よく見ていただくとわかるんです。一九八九年の三月のところを見てください。胡錦濤主席がこのときにチベット自治区のトップだったわけです。そして、軍を動員して鎮圧したんです。ここの働きがもとで国家主席に上り詰めていくわけです。歴史の偶然で、今それで困っているわけです。
それで、この騒動について
日本国政府は一体どのように対応しているのか。各国はいろいろコメントを述べておられます。
外務省の報道官談話では、関係者の冷静な対応を求め、今回の事態が早期かつ平和裏に鎮静化することを強く期待すると。福田総理が、憂慮している、双方が冷静に適切な対応をとってほしいというようなことを言っておられますけれ
ども、
日本国政府はこれについてもうちょっときちんと言うべきじゃないかと思いますけれ
ども、いかがでしょうか。