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西田昌司君 余りこの問題ばっかり言っていましても話進みませんから、最後にもう一言
付け加えさせていただきたいんですが、要するに、
先ほど言いましたように、私は何も、
日本の歴史、自分たちの都合のいいことだけ教えろとか、都合の悪いこと教えるなとか、そういう次元で言っているわけじゃないんですね。要するに、こういう検定の
制度があって、その中できちんとした手続がされてきて、それが一部の数の力によってもう一度訂正し直すと、それをまた文部省もそれを受けるということ自体非常に問題じゃないかと思うんですよ。
やっぱりそこは毅然として、検定
制度というのは独立してあるんですから、それはそれで、具体的に何が客観的な事実が違っていたのか。
先ほどおっしゃったように、一足す一が三であるならそもそも間違いですから、それが通ること自体が本来ないんですよね。ですから、普通書いてあるのは誤植とかそういうことなんですよ、これが書いてあるのは。ところが、そうじゃないと。明らかに政治的な配慮がここにうかがわれるわけですね。正にそれは政治介入そのものになるんじゃないでしょうかと、これは。
ですから、これは我々のいかなる政治的な勢力、私がこうしろと言ったから訂正するとかしないとか、そうでもないんですよ。そういうことは私はしたくもないし、するべきではないと思っています。そうじゃなしに、独立した形でやっているその
制度を、これをやっぱりゆがめてしまってはならない。ですから、そこはきちんと筋道を立てていただきたいと。これはもう何遍も言っても堂々巡りになりそうですから、これはきつく要望したいと思います。
それで、そのことを受けて、今言いましたように、歴史というものは非常に大事な問題なんですが、その歴史が実はきちんと
日本人の手によって
日本人の歴史が教えられてきたのかなということに実は私自身、一番大きな戦後の
教育に対しては疑問があるわけなんです。
といいますのは、
日本人自身が自分たちの国の歴史をきっちりと語ること自体ができなかったわけですね。戦前と申しましょうか、戦争中といいますのは正に戦時体制でありますから、自分たちがとにかく挙国一致で当たらなければ、国から攻められているわけですから、ほかの国から、戦争状態なんですから、これはどこの国でもそうです。それが終わった後、平時になった後、じゃ、あの戦争は一体何だったのかと、そういうことも含めたこの歴史に対するもう一度研究なりそういう自由な討議ということが当然必要になってくるんです。
ところが、そのことが、
日本は占領されておりましたから、昭和二十七年四月二十八日までの間というのはいわゆる占領中であります、自由に
日本人自身が自分たちの国の歴史を語り、発言し、出版する、この当たり前のことができていなかったんですね。できずに、占領された
立場で、占領した国の
立場での様々な報道がされ、それが一つのいわゆる東京裁判史観と言われる言葉になろうかと思うんですけれ
ども、それが
日本の正史だという形で教えられてきた。占領期間中は仕方なかったかもしれません、主権というものが認められていなかったわけですから、自由に我々が
議論することができていなかったんですから。しかし、占領は終わったわけですね。だから、終わった段階で、本来、今からもう五十年前にそういうことを取り組むべきだったんだが、実はそのことが全くされてこなかった。その一番もとというのが、
教育基本法もそうですけれ
ども、この昭和二十七年までの間に、占領直後に全部作られていると。
だから、そういういろんなタブーがあったじゃないかと、そこをもう一度勇気を持って改正していこうじゃないかと。正に、私は、
教育基本法の改正というのは、安倍総理がおっしゃっていましたけれ
ども、戦後体制、戦後レジーム、正にそういう占領体制から一歩、二歩踏み出して、本当の
意味での
日本人による
日本人の歴史をもう一度取り戻す、そのことが一番に言われていることだと思うんですよ。
ですから、この問題といいますのは、枝葉末節の問題じゃなくて、
教育の根幹にかかわる話なんです。その根幹にかかわるところが、今言いましたように、教科書問題のような形で何か政治的な、私は
国民の大勢からすると、決して多数じゃなくて少数だと思いますけれ
ども、いわゆる数の力でそういう圧力が掛かってなってくるような形で歴史がまたゆがめられてしまう、教科書の検定がゆがめられてしまうということはとんでもない話でありますし、むしろきちんと堂々と事実を事実として報じるべきだし、
日本側に、あの戦争に対して、
日本にももちろん責任があったでしょう、軍部にももちろん様々な問題があったと思います。しかし同時に、それは戦争というのは他の国との間の関係でありますから、自分たち一国だけではこれは
説明付かないんです。ですから、大きな流れが必要だと。その大きな流れを、どこにあるのかなという、そのことを考える、そのことが
教育そのものだと思うんですよ。
歴史
教育というのは、また伝統を教えるというのは、正にそういう大きな流れ、その中に真実があるんじゃないかと。正に歴史に対する謙虚さです。そういうことを
子供たちに教えていく、これが歴史
教育そのものじゃないでしょうか。そして、もっと言えば、それが
教育そのものじゃないんでしょうか。
私は、さきの指導要領の改正のときに、十年前のときに、生きる力、こういうことが言われましたね。生きる力とは何ぞやという
議論がありますけれ
ども、私自身は、例えば今言いましたように、そういう歴史的な、そういう
日本人の長い物語ですね、こういうことを教える。つまり、我々の国というのは今これだけ豊かになっている、しかし、つい五十年、六十年前、戦争があった直後どれだけ貧しい生活をしていたのかと。もっと言えば、もう百年前、明治の初めから江戸の末期、外国の勢力に国が攻められようとしていた、そういう困難の歴史を乗り越えて今日我々の国があるんだと。そういう国の物語というもの、そういうことをしっかり教えるところから、よしと、この国をしょって立とう、自分たちの家族を守っていこう、地域社会を支えていこうという公の精神なり生きる力が生まれてくると思うんですね。ですから、生きる力というのも正にそういう
日本人としての大きな歴史観、これをしっかり教えることが一番大事だと思うんです。
ところが、残念ながら、そういう大きな
教育改革がされてきましたけれ
ども、そういうことがほとんど触れられていないんじゃないかなと、言葉だけが躍っているような気がするんですが、
大臣、いかがお考えでしょうか。