○
参考人(
磯村尚徳君) お二人の
参考人の方から大変学究的な
お話がございましたが、私はNHKに三十八年おりまして根っからのジャーナリストでございますので、事実に即した
お話、とりわけ一九九五年から二〇〇五年まで、
パリに
日本と
フランスの官民の四者で設立をいたしました
文化会館の館長、初代館長を十年間務めましたので、その経験を基に具体的な
お話を申し上げたいと存じます。
第一に、まずそういうものを、
文化会館のようなものを
パリにつくるに至った経緯、委員の皆様方は若干は
御存じかとも思いますけれども、簡単になぞらせていただきますと、バブルのころに
日本に対するいろんな通商摩擦が深刻化いたしまして、その中でオランダのロッテルダムの有名な新聞が、
日本列島がある日、海中に没しても
世界でだれも涙を見せる者はいないであろうと、メイビー・エクセプト・オーストラリアンズ、オーストラリアの人は泣くかもしれないという大変厳しい表現をいたしました。その論拠というのは、
日本は、なるほどいいエレクトロニクスとか車とかを作るけれども、しかし、例えば
パリが、ある日、壊滅的打撃を受けたら全人類が涙を流す、それは
文化があるからだ、
日本に
文化があるのかというのがそのオランダの新聞の論点だったわけですね。
これに
日本のその当時の
政府の首脳を始めとする
方々が大変な一種の問題意識をお持ちになって、総理官邸に私的懇談会、といいましても、総理官邸で何回か
会議を行われまして、私も末席を連ねて、特にテレビの面からの話をいたしましたけれども、その際に、
一つの
文化発信必要の
哲学というので、これは確か梅棹忠夫先生がおっしゃったことだと思いますが、
文化は最上の
安全保障であるというお
言葉がございまして、この梅棹さんの説をだれよりも好き好んで非常に、度々私におっしゃったのが中曽根総理大臣と、そして竹下総理大臣でした。特に竹下さんは日仏議員連盟の
会長もなさっていらっしゃいまして、この竹下総理の
時代にこうした
一つのテストケースとして、
フランス政府との間で協議をして
パリに
日本文化会館をつくるということが合意されたわけですね。
というのは、なぜ
パリかということなんですけれども、御承知のように、
パリが第二次大戦末期、ドイツ軍が占領しておりまして、ヒットラーは敗戦の色濃くなったときに、
パリにいるドイツ軍の総司令官に
パリを焼き払ってから撤退せよという命令を下します。これは、皇帝ネロとともに有名な話でありまして、映画にもなっておりますね、「
パリは燃えているか」と。ところが、そこのドイツ軍の司令官にコルティッツという将軍がおりまして、これが今のムーリスホテルの最上階に陣取っていたんですけれども、ここから見る
パリの光景は正に一幅の絵であって、こういうものを破壊するというのは人類の
文化遺産を破壊することになるとして抗命をして、結局
パリは戦火を免れたわけですね。
同じようなことが、ランドン・ウォーナー博士という有名なハーバード大学の東洋美術の専門家がおりますが、その方の進言で京都と奈良が空襲を免れたといったようなことも同じコンテキストでありまして、こういうのをよく
ヨーロッパでは法王の師団という
言い方で言っております。
なぜ法王の師団かというと、ある日、独裁者のスターリンが、君
たちはすぐローマ法王の話をするけれども、そいつは一体何個師団持っているんだと。こういう、唯物主義者でかつ力というものしか分からないようなヨゼフ・スターリンの
言葉をよく
ヨーロッパのマスコミは使います。
つまり、この冷戦を終結せしめたのはもちろん
アメリカ軍の圧倒的なソビエトに対する軍事的優位、レーガン路線というものであったということは自明の理なんですけれども、しかしその裏に、結局、連帯労組、ワレンサの率いる連帯労組がポーランドで火の手を上げて、そしてさしも固かった鉄のカーテンを崩していくわけですが、その背後にポーランド出身であったヨハネ・パウロ二世の偉大な
影響力があったということは、これまた
ヨーロッパでは常識になっていることですね。つまり、スターリンはいみじくも変な予言をしたわけで、ローマ法王というのは何個師団にも勝る
影響力を冷戦の解消について
発揮したということだろうと思います。
そういうことを何よりもよく知っておりますのは
フランスでございまして、
フランスの場合には、
フランス語というものが
フランス文化の中心だという考え方が根強くございますので、まず対外
発信をする場合には
フランス語の拠点をつくっていく。
日本の場合ですと、一九二五年、関東震災明けたすぐのときに渋沢栄一男爵と話をいたしまして、ポール・クローデルという詩人大使が日仏会館というものをつくりました。そしてまた、第二次大戦終わった五年とたたない一九五〇年に、今、飯田橋にもございます日仏学院というものをつくりました。これらはいずれも
政府が直接に関与しておりますけれども。そのほか、アリアンス・フランセーズ、アテネ・フランセ、あるいは各地方にもございますそうしたいろいろな
フランス語教育に
フランス政府が大変な力を入れてそういうことをやっている。
しかも、
政府というよりは、大統領自らがそういうものの指揮を執っておりまして、閣僚のポストに
フランス語を守るフランコフォニー担当大臣というものが必ず一人おります。そして、私も、
フランス語、
日本でいえば国語審議会に当たりますが、フランコフォニーの最高委員会というのがございまして、そこにシラク大統領から
アジアでは一人指名されてメンバーになっておりましたけれども、ただ単なる国語審議会なんですけれども、必ず大統領自らが主宰をしてエリゼー宮にいろんな学者、国語学者やなんかを呼んで、そして
外国の人も招いて
フランス語を大事にしていくということをやっているわけですね。それぐらい
文化が最上の安保であるという観念が徹底しているんだと思います。
こういうことで来まして、次の問題である、じゃなぜ
日本の
発言力が弱いのかというお問い合わせがございましたので、これにもお答えしたいと思います。
これは、先ほど来、
山崎先生も大変いいことをおっしゃいましたし、
北岡さんもおっしゃったとおりで、すべて私、賛意を表しますが、より具体的に申しますと、
北岡さんのお書きになったものにもあるんですけれども、例えば今イギリスでオックスブリッジというエスタブリッシュメントがやや力が弱くなって、したがって、イギリスの代表は
国際場裏では、もうイートン、高校のときから鍛えに鍛えた
エリート中の
エリート、
フランスの場合には名門校のグランゼコールというものを出た名門中の、
エリート中の
エリートが出てきてちょうちょうはっしとやるのが、イギリスの
発信能力がエスタブリッシュメントの低下とともに少し衰えたというようなこともお書きになっていらっしゃいますが、
フランスの場合には依然としてまだそういうことを非常に強く意識しておりまして、御承知のように、大体皆様
御存じの
フランス人の名前を挙げれば、サルコジ大統領を除いてほとんどの人は名門校の出身であります。
例えば、ベルナール・アルノーという
フランス一の金持ちでルイ・ヴィトンの総帥は、エコール・ポリテクニーク、理工科系でありました。このエコール・ポリテクニークの私、講師を十年間やっておりましたけれども、本当に頭脳のいい連中がわずか一学年三百人、しかも軍からお金をもらって、国がそういう者を育てているわけですね。
そこで、何が違うかというと、例えば口頭試問というものを非常に重視します。筆記試験でいい成績取っても口頭試問で通らなければ駄目だということですね。そのために、数学ですら、広中先生がおいでになるんですが、広中平祐さんのような方はよく
御存じだと思いますけれども、数学のような、何か式さえ立てていればいいというのですら、最後の決め手は、
自分の計算なり定理なりをきちんとした
フランス語できちんと表現できるという能力を育てているということですね。
二番目には、リベラルアーツと言っておりますけれども、
フランスや
ヨーロッパで
エリートたるには、ラテン、ギリシャの古典、あるいは
フランス人の場合には
フランス文学の古典的なものを小学校のころからさんざん暗記をさせられます。丸暗記をしていつでもそのクオーテーションができるような、引用ができるような、そういう教養面というものを非常に重視する、これが二番目でありまして、三番目が、
哲学というものを、今
フランスで話題になっておりますのは幼稚園のころから
哲学を始めようと、こういうんですね。なぜ幼稚園かというのは、
哲学というのはそう難しく考えることじゃなくて、あらゆることに疑問を持つと。
私が
メディアの人間として非常にショックを受けましたのは、
フランスの小学校の
社会科四年の教科書テキストの中に、テレビのニュースというのは物事の真実の一面しか示さないものだから、これを疑って掛かるようにということをちゃんと先生が教えているわけですね。これはテレビニュースにかかずらった者としては大変耳の痛いことなんですが、そういうような疑う心みたいなものを非常に養う、そして必ず
自分の
意見を持たせるということですね。
これは松浦ユネスコ事務総長が私にこの間も言っていらっしゃいましたけれども、
日本の例えばユネスコの職員、それに事務総長が、この問題はどうなっているということを聞いたときに、
日本人ぐらいきちんと筋道立てて
説明できる官僚はそれほどいない。ところが、どうしたらいいのと聞くと、
日本のそういう優秀なる官僚は、偏差値の高いところを通ってきた人ほどうっと詰まってしまうわけですね。これはもう教育の問題であろうと。
北岡先生の
責任ではないかと思うわけです。
そういう、つまりことからやはり物事を、その中で政治家というものを見てみますと、これは委員の
先生方を前に大変恐れ多いんですが、私が接しました政治家で
フランス人に例えばすぐに名前が出てくる人、それはムッシュ・ナカソーネであります。なぜ中曽根さんということになるかというと、あの方は非常にサービス精神がおありになる。
例えば、
フランスにおいでになったときに、たまさか七月十四日の大革命記念日に遭遇して、閲兵式に
フランス大統領の横に立つ。そこへ沛然と雨が来て、すぐ俳句を詠まれるわけですね。その俳句をすぐテレビを通じてこれを発表するというようなことをなさる。
あるいはまた、有名なパスカルのアフォリズムで、もしクレオパトラの鼻がもう少し短かったら
世界の
歴史は変わっていたろうにというのがあります。それはみんなちょっとした学のある人なら知っていることなんですけれども、その前後を少し引用して、
自分はちゃんとブレーズ・パスカルのパンセを全部読んでいるということをちゃんとひけらかしたい。ですから、
磯村君といって、いきなり官邸から電話が掛かってきて、君、
フランスだからちょっと調べてくれと。パンセのあのアフォリズムの前後の引用をしたいからちょっと知らせろというようなことをお手伝いした覚えもございます。これ、あの大勲位に怒られるかもしれませんが。そういうような、やっぱり政治家もそういうあれがある。
一方、高級官僚はと申しますと、非常に皆さん、
日本の官僚は、今たたかれていますけれども、私がNHKに三十八年おりまして、そのうちの半分の二十年を、ワシントンに七年、あと
パリに二回、八年ぐらいになりますか、それから
アジア、中東におりましたけれども、いずれも優秀な方が多くて、非常にミッションオリエンテッド、
自分の使命感というものを非常にお持ちになっていらっしゃる。しかし、およそ、クライアントオリエンテッドといいますか、そういうものを受ける
相手の気持ちになることは少ないんですね。
例えば、
パリ日本文化会館である出し物をいたしまして、そこに何人来たか、どういう評判になったかということよりも、どういういいものをやったか、これで自己満足。お能の例えば観世榮夫さんのこういうものをやったらもうそれで満足、能事終われりで、閑古鳥が鳴いてもいいということがあるんではないかというふうに思います。
今度は具体的な話で、語学力ということになりますと、これは長くなりますから簡単に言わせていただくと、
北岡先生は、ネーティブじゃないからなかなか
日本人はハンディだとおっしゃいますが、これはまた先生がおっしゃっているように個人の能力別もありまして、別に
海外で子供
時代を過ごさなくてもすばらしく英語なり
フランス語の達者な方がいらっしゃいますが、しかし、一般的に言えることは、
日本人は割合発音とか文法のディテールにこだわって、したがって何を言っているか分からないということがあります。
これは笑い話じゃなくて本当の話ですけれども、
日本の全日空、JAL通じて機内アナウンスぐらい何を言っているか分からない。あるいはまた、
国連の演説で
日本の代表の演説を聞き終わったある国の代表が、何か
日本語というのは非常にちょっと英語に似た発音があるんだけれども、何をおっしゃっているのかよく分からない。
それに対して、私、
国連で一番強い印象を受けたのはバルーディというサウジアラビアの大使がおりまして、この人はパレスチナ人なんですけれども、この人の演説、一時間ぐらいなんですけれども、その当時のサウジアラビアというのは今の産油国のサウジアラビアとは違いまして、およそ
国連の中で
影響力のある人じゃない。ただ、物すごいブロークンイングリッシュで、いわゆるアラブ人の巻き舌の英語なんですけれども、大変面白いメッセージが一杯あるので、これはもう弁論大会を聞きに行くようなあれで、その会場も結構満員になるんですね。そういう人は
日本には残念ながらいない。ブロークンイングリッシュでいいから、余り細かいことを言わないであれすべきだというのが私の考えでございます。
結論というのではございませんけれども、では何を
発信すればいいかというのを、
パリ日本文化会館でちょうど私が館長をしております間に三千百ぐらいのイベント、大小のイベントをいたしました。その中で成功したベストファイブというものを挙げますと、一に草間弥生さんの展覧会があります。二番目が縄文展。
三番目が、これが大変私どもも、また皆さんもあっと言われたんですが、平家
物語の展覧会でございました。これは要するにいろんな、成功自体が、なぜ何万という人が平家
物語の何でもない三十二の場面に、壇ノ浦とか一谷の合戦とか、そういうのを紙で作った、和紙で作った人形で
物語をしたものなんですね。あと、平家びわが伴奏として使われまして、そして祇園精舎の鐘の声というあれが出る。
フランス人のマスコミの解釈は、今
アメリカが余りにもユニラテラリズムで、イラクなんかで無謀なことをしているから、おごれる者久しからずと、こういうことで言ったんだということがありますが、一般的な解釈は、今、禅というのが非常に
フランス語になっているぐらい
関心がありまして、そうした無常観みたいなものを知りたいということだろうと思います。
それと反対の例で大成功を収めましたのはロボットでございますが、ここら辺は別に私は
国際交流基金の悪口を言うわけじゃないんですが、
文化に携わっている方に言わせると、ロボットというのは、
磯村館長、あれは経産省の所管ですよと言うんですよね。こういう感覚で大いに本部に反対されましたが、強行いたしまして、これが大成功した
一つの例でございました。
このほか、例えば女性問題のセミナーですね。これも、
日本の女性の地位は低いという抜き難い、抜き難いというかある程度本当ですが、
フランス人の考えがございますので、これを、ウーマンリブのような激しい
人たちを含めて、三日間
日本の女性問題を日仏の学者で討議をいたしまして、これも大使館並びに
交流基金本部には大反対を受けたんですが、強行いたしまして、これも大変大成功いたしました。
これは先ほどの
北岡先生の
お話とちょっと絡みますけれども、一種の
セカンドトラックでありまして、実際上は、よく聞いている
日本の女性の地位はそれほど低くないよということを、
フランスのウーマンリブの指導者が納得させるような内容になってしまうんですね。ですから、あえて、何といいますか、ちょっと傷に触れる方がかえって広報という
意味では成功だったということになると思います。
そして最後に、
山崎先生が大変見識のあることをおっしゃったのでこれは重複を避けますけれども、
フランスにおけるクール・
ジャパン、これは私は、クール・
ジャパンというのは、ブレア・イギリス首相が、クール・ブリタニアと言いまして、イギリス格好いいという運動をやったのにちなんでクールという、格好いいという
言葉をクール・
ジャパンと、こう今言っているわけなんですが、私はむしろネオジャポニズムという
言い方の方を好んで使っておりました。
というのは、第一回のジャポニズム、十九世紀末から二十世紀初めのジャポニズムと非常に共通点とまた相違点があるからなんですね。共通点は、何といっても浮世絵という市井の
文化が、
日本自体で評価されないものが
フランスとか
ヨーロッパで評価をされる。しかも、印象派にも強い
影響を与えるような
影響力があった。そういうことで逆に、逆輸入されて
日本でも浮世絵の価値が高まるというようなことがありますが、クール・
ジャパン現象と言われている今の
漫画、アニメ、テレビゲームみたいなものも、むしろ
外国で騒がれて、そして
日本がようやく気付いて、麻生大臣のように大変それを推奨される方もいらっしゃいま
すし、現在では恐らく外務省の首脳も皆さん、その推進に力を尽くしておられると思いますが。
むしろ、先ほど
山崎さんがおっしゃったように、何か
日本の高級なハイカルチャーの
イメージを下げるんじゃないかという御心配をお持ちの方がいらっしゃるんですけれども、私が感じているところでは、ジャポニズム同様、ネオジャポニズムもむしろ新しい
現象だというふうに考えております。つまり、そこが第一回のジャポニズムと違う点ですが、今、
日本の
漫画、アニメなどのポップカルチャーに心酔しておりますのは、年のころ十二歳から二十歳まで、そして圧倒的に六五%が女性、そしてほぼ圧倒的に下層階級、よく
パリ郊外で騒ぎを起こすような連中でありまして、こういう連中が非常に熱中して
ジャパン・エキスポというような催物に殺到をいたします。これも御質問もあれば、どういうものをやって、どういうのが熱狂的な人気を呼んでいるのかということを
お話し申し上げられますけれども。
とにかく、衣食住ということでいきますと、今やミシュランという、いわゆる料理、レストランの格付をするところまで、一応いろんなねらいもございます、これも御質問があれば申し上げますけれども、ミシュランのようなところまで今や
パリよりも
日本の方の
フランス料理に軍配を上げているような、そうしたことがございまして、私の結論は、
発信の
哲学がそれほどまだ確立もされていないのに事態はどんどん進んでいて、ル・モンドという有力新聞の見出しは、
日本、ポップカルチャーの超大国、ついにハリウッドを王座から引きずり降ろすという大きな記事を書いておりまして、それが現在の
フランスにおける
日本文化の存在感であるというふうに感じております。
以上、ちょっと時間がオーバーいたしましたが、以上でございます。