○河村(た)
委員 ありがとうございます。そうしたら、こちらの関係は結構でございます。
最後に、ずっと私がなぜ
法務委員会におるかという、非常にあれなんですけれども、名古屋の刑務官の話がありまして、先ほどから冤罪の話がよく出ていますけれども、
下村委員長も一緒にチームをつくりまして、刑務官が暴行したというのは本当かどうかということをやってきましたので、御承知だと
思います。
冤罪と皆さんは軽く言っていますけれども、実は世間がつくるので、これは他人事じゃないのですね。意外と自分が関与しているんですよ。自分が関与したことはみんな言わないのですよ。人の冤罪のことだけは言うということでございます。
ちょうど細川さんが見えますけれども、
予算委員会の筆頭
理事をやっておって、これはもう五年ぐらい前になるんですよ。
予算委員会から始まって、刑務官が暴行したという話が出て、それで私もかかわっておるから
法務委員になった。何十回となく質問しましたよ、皆さんで。
とにかく、刑務官を殺人者呼ばわりしたということだけれども、この間、一人無罪になりました。一人は有罪が確定しております。ということで、私はこれは、普通のいわゆる無罪の事案ではなくて、明らかな、異常な経過をたどった冤罪
事件だ、こういうふうに思っておって、本人から手紙が来たんです、無罪になった方から。
きのう
法務大臣にお届けして、それから
下村委員長あてにも来ております。これは、本当は配らないかぬのだけれども、いかぬよ、こんなこと、配るのをストップしては、本当に。これは言っておきます。やはり、全部の手紙をやるというのではなくて、この
委員会でこれだけ物すごくやったわけです、刑務官が暴行したと。それで無罪になった人の叫びですよ、これは。こういう人たちに反応しなければ、自分としてとらえなきゃだめですよ。
ということで、大至急で読み上げますので、皆さんに本当は配りたかったんだけれども、何か知らぬけれどもやめてくれと言うものだから配りませんが、聞いていてください。若干、私の名前が出てきて、初めちょっと私のことが書いてありますけれども、それは御容赦いただいてということです。
法務委員会委員長 下村博文様
法務大臣 鳩山邦夫様
衆議院議員
河村たかし様へ
前略、日頃は大変お世話になっております。ところで、私は
平成十九年四月十四日を持ちまして、名古屋
刑務所へと復職することができました。それも全て
河村たかし先生が事実
調査に実直に打ち込んでくださったおかげでございます。心から感謝いたします。
しかし、未だ無実の刑務官が地獄の生活を送っている状態は続いております。今後も
河村たかし先生には真実追求をもって、無実の刑務官を救っていただきたくお願い申し上げます。本事案の真実の追究こそが今後の
矯正界の発展への道だと確信しております。
話を本題へと移させていただきますが、私は復職してから、自己の名誉回復とともに、私自身が関わった事案の真実を知りたいとの強い
思いから、名古屋
刑務所、名古屋管区、
矯正局へと質問書として数度提出してきました。私は五月事案において、起訴されたわけでありますが、起訴されるまで、その後も、さらに起訴後半年が過ぎるまで名古屋
刑務所はもとより、名古屋管区、
矯正局などから一度も
調査を受けておりません。そんな中私は名古屋管区長名において「告発」を受けたのです。
調査も受けていない、事実も何も
調査していない、それなのに私は告発されました。私は五月事案で亡くなったとされる、被収容者(村松正夫氏)について取調べを受けるまで名前も顔もわかりませんでした。いつ亡くなったかも知りませんでした。そして、私自身懲らしめ行為など一度も行ったことも、起こそうとも思っていませんし、また、名古屋
刑務所で日常的に懲らしめ行為が行われていた事実など到底ありません。しかし、
矯正局から
法務委員会へ提出した「中間報告」の中には、私の懲らしめの意思があったことを明記してありました。この中間報告を見て、
人間不信にまで陥りました。どこまで自分たちは傷つかなければならないのか、何が世の中の正義なのか、失意のどん底に追い散りました。恐ろしいことは、この中間報告が個人名をアルファベットにしているとはいうものの、インターネットに流れていたことです。事実と違うものが
世界に向けて発信されている状態が私は悔しいです。また、革手錠の回数が名古屋
刑務所は突出して多いと世間で批判されていましたが、その回数もきちんと管区、局へと報告されているのです。それに数が多くておかしいと思えば、所長なり、管区なり、局なりが
調査をし、不必要に使用していれば是正していたはずです。このことから、名古屋
刑務所の革手錠施用回数が多いといえども、その内容は適正であったことは明白です。それにも関わらず、当時
法務大臣であった森山
大臣は私たちのことを「あきれてものも言えない、個人の資質の問題がある」と
国会答弁したのでした。今回の事案を全くの個人的なものへと置き換えたのです。拝命して二年足らずの私でも心をえぐられるような答弁でした。ましてや、心身を削って勤務されてきた先輩方はこの言葉を聴いてどれだけ心を痛めたのだろうと想像すると悔し涙が出てきます。
先にも書きましたが、私は何
一つ名誉回復をされておりません。無実の
人間を告発して、全
世界にインターネット発信している
国会答弁で嘲笑しておきながら何の名誉回復もありません。私は起訴されて、刑事休職となり給与支給がゼロとなりました。ただゼロというわけではありません、保険代や税金、食費、光熱費などの生活費は今まで通りかかるわけで、大きな赤字の生活半年も続きました。半年後休職給が本俸の六割支給となりましたが、とてもそれだけでは生活していくことはできませんでした。夫として父として、家族を養えないのがどれほど苦しいか、私の心は全く晴れておりません。この五年間はなんだったのだろうと感じています。私は公判期間中に無実を訴え、復職願いも提出しております。このことからもわかっていただけると
思いますが自分の意志で休職したわけではありません。それなのに、休職期間の残り四割分の給与を未だに支払って頂いておりません。私は無罪であり、この五年間地獄の拘束を受ける理由は無かったのです。在宅起訴といえども、生活費は当然かかります。
裁判があれば何かと制限も受けます。体を拘束され心を拘束されているのとなんら変わりはありません。起訴を受けるということがどれだけ負担になるのか、皆様にはなんとかご理解いただきたいです。私、私の家族のためにも是非保証してください。
私はこの起訴を受け、
矯正界から迫害され、世間から
犯罪者、それも殺人者扱いを受けました。死にたいと思うこともありました。力が抜け、立っていられないこともありました。私の味わったこの地獄の苦しみは何だったのでしょうか。未だ無実の罪を着せられて、地獄の苦しみと戦っている先輩たちは何のために戦っているのでしょうか。
法務委員長様にはどうか本件の事実を見極めていただく
機会を持っていただきたいと
思います。そして、私の話を聞いてください。どうか証人として私の話を聞いてください。私たちは無実です。冤罪なのです。この事実を避けては今後の
矯正の正しい発展は望めないのではないでしょうか。新法も発足しめまぐるしいスピードで
矯正界は走っております。現場の刑務官がどれだけ死に物狂いで日々勤務を遂行しているか、私は復職して改めて実感しております。
鳩山大臣のもと国のために、
国民のために一人一人自分のもてる力を十二分に発揮し勤務しております。その
気持ちは今、被告となっている刑務官についても全く同じで心に熱いものを持っております。何度も言いますがどうか真実を究明してください。本件は冤罪です。そして、ぜひ私の話を聞いてください。
私は起訴を受けたということで、当然に取調べを受けております。地獄のような厳しい取調べを受けました。多数回の取調べを長時間受けました。体調不良を起こしたこともあります。家宅捜索も受けました。密室の中、検事と事務官のみ、本当に心細いです。本
裁判でも問題となっておりましたが、黙秘権についても私は明確に告知を受けておりません。取調べ者の力が強すぎて取調べを受ける側の証言が通らないことがあるのも現実です。初めて取調べを受ける
人間にとって、その空間は孤島に監禁された気分になります。取調べを受ける者の
権利をもう少し明確に浸透させる必要があるのではないかと痛感しました。本件取調べにおいて、心を傷つけられた刑務官も本当にたくさんいます。
精神的な病気に陥った方もいます。取調べを受けたことによって、職場の仲間に冷たい扱いを受けた人もいると聞きました。仲間同士疑心暗鬼になってしまいました。それほど取調べは厳しいものです。ですから正しい取調べが必要であると考えます。
最後になりますが、名古屋
刑務所に復職し、いかに刑務官の勤務が激務であるかを体感しております。
日本の刑務官は本当に日々頑張っております。職員不足のために職員一人当たりの負担率の増加など厳しい
状況が続いておりますが日々激務を忠実に遂行しております。名古屋
刑務所も所長はじめ諸先輩方が一致団結して日々、
日本の最後の砦を守っております。そんな
施設に復職できたことを心から感謝いたします。
平成十九年、きょうの日付にしておきました、十月三十一日、名古屋
刑務所佐藤孝雄ということで判が押してありますけれども、こういうお手紙をいただきまして、きのうは
大臣にこれをお渡ししましたけれども、これを読まれて、佐藤さん、どうしたらいいですか、この
状況で。