○柚木
委員 私は、この点、もうこれ以上申し上げませんが、やはり同じように薬害エイズで問題になった際、フランスなんかでは、当時のそういう
行政関係者のみならず、担当
大臣あるいは総理にまで政治責任が追及され、実際に起訴をされ、そして有罪判決を受け、そういったことも実際にほかの国ではなされているわけです。我が国の、責任の所在をあえてあいまいにされている部分、これはぜひ今後の薬事法の改定の中で本当に真摯に御検討いただきたいと思います。そうでなければ、同じことが必ず繰り返される、私はそのように考えております。
時間がございませんので、引き続きまして
和解案について、これはきょうの報道、たくさん出ておりまして、私も本当に心配をしているといいますか、今後の成り行きを注視しているわけでございます。
先ほど山井
委員の方から、まさにこの線引きの問題の当事者にもなっている加地智子さんのお話がございました。実は私も、昨日、御本人にお会いをいたしまして、そして、今のお気持ちについてさまざまな思いを承ったわけです。
きょう、この資料の中に、御本人の御了解を得た上で、御本人の思い、そして
原告番号七十一番としてのプロフィール、さらには、先ほどの
山田委員からの御
質問にありました、
フィブリノゲン製剤をめぐる時系列の年表をおつけしております。
まず、この御本人の文章、ぜひこれは
委員の
皆様にも、頭ではおわかりいただいていると思いますが、実際に当事者となってそういった
状況にあるということを共有いただきたいという意味で、少しお目通しをいただきたいと思います。
私の方から、抜粋をして少し読ませていただきたいと思います。この資料の、これは右下には二十一ページとあって右上には七ページとあるところ、途中ではございますが、こういった記述があります。
「私は、
肝炎になったことを恨みました。思うように動かない身体で、育児も思うようにできませんでした。自分
自身が生きていくのがやっとでした。
家族には申し訳ない気持ちでいっぱいでした。しかし、運命だから仕方がないと自分に言い聞かせてきました。」その下に、
治療のしんどさや、あるいは、その後初めて、この四百十八人
リストの中に入っている、それを聞いたときに、頭の中が真っ白で、ほかには何も考えられませんでした、そういったことも書かれております。娘さんにそのことを報告したときに、娘さんは、お母さん、体、大丈夫、どうなの、長生きしてほしいと涙声で言われたと。
そういう方が実際にいらっしゃる中で、そして、私は、ここに記されている、「運命だから仕方がないと自分に言い聞かせてきました。」この部分は、ぜひこの
委員会の中でも、そうではないんだという
認識を共有しなければならないと思います。
まさに国の過失による薬害で、それを十六年間も知らされないままで、今日、肝硬変直前にまで
病気が
進行してしまっているんです。
大臣、なぜ加地さんがこんな苦しみを負わなくてはならなかったんでしょうか。一体、加地さんにどんな責任があったというんでしょうか。
当時、九一年三月に実際に投与され、その後の
治療が続けられて、その後、
治療をやめられて二〇〇二年を迎える。九四年と二〇〇二年とでは全く
治療の進歩、
状況も違います。二〇〇二年であれば、国がしっかりと
告知をして、そして
対策を講じていれば、ちょうどその前年の十二月からは効果の高いリバビリン併用療法も
保険適用になり、九九年時点では実はだめだった二回目の
治療への
保険適用もできるようになっており、加地さんは、間違いなく
告知をされていれば
インターフェロン治療を行っていたというふうにこの中にも書かれておりますし、そして
調査チームの
報告書にもそういった記載が実は述べられております。
そこで、
大臣、今回の
和解の問題、こういった方に対しての線引きがあっては決してなりません。このおつけしております年表、先ほどの
質問の中でも取り上げられた年表ですから既にもう頭に入られていると思いますが、いま一度、十六ページの
フィブリノゲン製剤をめぐる時系列の年表をごらんください。
線を引いておりますように、八九年十一月には既に、十二月という言い方もありますが、日赤におけるスクリーニングが始まっておりました。それにもかかわらず、旧ミドリ十字は、それまでの非加熱、そしてその後の加熱製剤をスクリーニングなしで製造し続けるという、本当に考えられない措置をとり続けました。その結果、九一年の三月についに加地さんに対する
フィブリノゲン投与がされてしまいました。
当然、この責任というものは現在裁判もしくは
和解の中でも大変重要な案件となっているわけですが、これは、私は先ほども実は同様の観点から薬事法のことを申し上げたんですが、八九年にスクリーニングを開始して、その前段、八八年六月に緊急安全性情報を出しているんです。当然、八九年にスクリーニングが始まって以降もミドリ十字においてはそういったことが行われず、販売が続けられ、製造が続けられ、それを認可していた
厚生労働省の当時の担当責任者の責任、これは〇二年の
告知義務とはまた別に、まさに、それこそ業務上過失致死あるいは過失傷害、そういったことにも問われかねない大変重要な論点だと私は思います。
この点、
大臣、私は、この論点を言っておりますと多分また答弁がいろいろ長くなると思います。そこはあえてきょうは申しませんが、そういった観点もあるという中で、私は、この
和解の中でこそ、こういった部分も含めて、本当に今切実に困っている
方々に対しての線引きなき全員救済というものを
お願いしたいと思うんです。
ごらんください。この八九年以降に加地さんは投与されているんです。ですから、東京地裁基準、八七年四月から八八年六月までが国の責任、プラス、先ほど
山田委員がおっしゃっていた前後一年ほど広げた
製薬会社の責任も含めてのこの東京地裁の基準というものは、こういった加地さんのような方を切り捨てることになる。
そして、それを実は
基本方針、基準とした
和解案というものが国から提起をされ、それが原因となってきょう恐らく
和解案が提示をされなかった。そういった東京地裁基準というものを、
大臣、これは
和解と
関係なくこの年表を本当によくごらんください、これが果たして本当に
和解の基準として正しいのか。
大臣は四日に
原告の
方々と、できるだけ広く救済したいというのが
基本方針だ、きょうもそういった趣旨の答弁をされました。国の責任を最も広く認定しておるのは名
古屋地裁の七六年四月以降でございます。本当に広く救済したいと言うのであれば、こういった他の地裁判決も含めて、東京地裁基準を適用することは私はやはり合理的な根拠に欠けると思うんです。
大臣、
原告の皆さんは、
お金は減ってもいいと言われているんです、一人が三分の二の減額になってもいいと言われているんです。報道にもあります。官邸にも行かれている、そしてまた十日には行かれると。自分だけが助かるのではなくて、とにかく全員救済、このことを求めておられるわけです。それがそんなに理不尽なことでしょうか。国がなぜそこまでして命の線引きをする必要があるんでしょうか。
大臣、ここまでお聞きになられて、本当にこの年表もよく見ていただいて、純粋に考えていただいて、この東京地裁基準というものが仮に
和解方針の骨子になっているのであれば、これが正しいとお考えでしょうか。お答えください。