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参考人(
五十嵐敬喜君)
五十嵐です。今日はお招きいただきましてありがとうございました。
既にレジュメを出しておりますので、それに基づきまして今回の
通称国民投票法案について私の
意見を申し上げさせていただきたいと思います。
中身は大きく言いまして二点ございます。
一つは、
国民の
立法権といいますか、
国民の
憲法制定権力にかかわる問題についてこの
国民投票法案について若干の御
意見を述べさせていただくということです。もう
一つは、これは
国民投票ですけれども、その
投票についての
運動についてどのように考えるかと、大きく言ってその
二つについてお話をさせてください。
一つは、
国民の
立法権の問題でありますけれども、御
承知のとおり、
日本国憲法は
国民主権というものを定めております。
国民主権とは何かについていろいろ
議論がありますが、一番明確な
定義を下しているのが
ルソーであると思います。そこで
ルソーは何を言ったかといいますと、
主権の究極は
国民が立法する
権限を持っていることということが
ルソーの
主権の
定義であります。私自身もいろんな
憲法、
世界各国憲法を見てみますと、
国民の
立法権について定めた
憲法が多数ありまして、その
意味でいえば、普遍的な二十一世紀を見通し得る
原理としてこれを考えてよろしいというふうに思います。
その
立場に立ちまして
日本国憲法と今回の
国民投票法の
関係を見ますと、若干非常に調整的な
規定に
日本国憲法はなっているということですね。
一つは、
国民の
立法権について
日本国憲法自体は
憲法四十一条に基づきまして言わば
間接民主主義という形である種の限定を加えていると。つまり、
国民はその
立法権を
投票活動によって
議員に委託し、
議員さんはそれに基づいて唯一で
最高の
立法機関としての
権力を行使するということです。その
意味でいえば、
日本は
間接民主主義の国であります。この例外となっておりますのがこの
憲法改正と
特別投票でありまして、これはある種の特別な
規定を設けまして直接
民主主義というのを採用していると。だから、
間接民主主義を
前提とし、かつ特殊な問題、
憲法改正を含むもう
一つの問題については直接
民主主義を採用しているということです。
これを
国民から見ますと、すべてのことについて、
国政レベルですけれども、
議会に委託しながら、
憲法改正等せっかくの直接
民主主義の
規定についてもイエスかノーかしか言えないと。そういう
意味で非常に消極的な
国民主権の発露の仕方になっているというのが
日本国憲法の特徴です。
これを今回、この直接
民主主義あるいは
国民投票を考える上で、もう少し豊かなものにできないかというのが私の
意見でありまして、これをもう少し正確に学問的に分析して申し上げますと、
国民改正に関する一連の
プロセスというのがありまして、これは
発案、
発議、
投票という形で
規定されると思います。御
承知のとおり、このうち
発議と
投票に関しては
憲法マターでありますから、正に
憲法改正をしないとこれは
改正できないと。しかし、
発案という
部分については、これは言わば
法律マターになっておりまして、
国会でどのようにこれを考えるかということによって自由になし得る事項というふうに考えてよろしいかというふうに思います。
この
発案権について
幾つか
意見を申し上げたいと思いますけれども、現在のところ
発案権については、この
国民投票法によりますと
議会あるいは
議員の数に限定しておりまして、
内閣とかあるいは
国民については一切触れておりません。これは全くできないというふうに解釈しているのか、場合によっては、
法律の考え方によっては
内閣にもあるいは
国民にもあると考えていいのかというのが
論点であります。
これは少し比較を、
憲法的な考察を加えていただくと分かりますけれども、
世界各国の
憲法の
発案、
発議は別ですけど
発案に関するいろんな
規定がございまして、この中には
国民が
発案できるという
規定を持っているところもありますし、あるいは大統領などある種の
政府機関も
発案できるというところがありまして、今回、
参考人に関して
意見を述べる機会がありましたので、この
発案権の問題がどのように処理されているかということを私の持っている
資料の
範囲内で見てきたんですが、何となくあいまいなままに余り触れずにこれを過ごしてきたんじゃないかと思います。
私としては、この
発案権について、
国民投票をせっかく作るわけですから、もっと十分な
議論をなさっていただいて、いろんな方がいろんな形で
発案できるということの方がより開かれた二十一世紀的な
憲法改正プロセスではないかというふうに考えますので、できれば
内閣からの
発案ということ、本当にできないかどうか、あるいは
国民からの
発案ということ、本当にできないかどうかを考えていただければ有り難いというのが
一つです。
その実質的な
根拠を申し上げますと、今の言っていることは、単に
国民が
立法権を持っているという直接的な理論的な帰結でありませんで、一番の厄介な点は、
議会しか
発案権がないとすると
議会改革は一体だれがやるのかということであります。
つまり、
二院制を含めまして、
憲法上、
議会に関しても様々な
論点、大きく言えば
議院内閣制も
議会の
構造とはっきりかかわる問題でありますし、その他の
議会の
権限についてもいろんな
憲法上の
論点あるんですけれども、仮に
議会がそういう既存の
制度について非常に保守的な態度になりますと、どんなに問題があっても
議会が変わらない限り
議会の
改革はできないという
構造になりまして、これ非常に不都合なことではないかと。
議論は少なくとも、最終的に
発議するかどうかは
議会で決めてよろしいわけですけれども、いろんな
議論をするとき、正式な
憲法改正案として、例えば
二院制を一院制にするというようなこともあり得ていいわけですから、そういうこと
自体はいろんな形で
国民あるいは
内閣からも提案されてもいいだろうというのが
一つであります。
それから二番目、もっとこれ
原理的な問題でありますけれども、果たして
議会が
オールマイティーの、
憲法改正という最も重要なものについて
オールマイティーの
権限を持っているかどうかと。
逆に言いますと、
議会も
憲法上の一
機関でありまして、
憲法があって初めて
設置が認められる
構造というかシステムです。その
議会が
構造そのものを否定するような議決をしていいかどうかということに関しては非常に
論理矛盾があるということでありまして、一七八〇年に今のアメリカの
憲法ができる前に
マサチューセッツ憲法がありまして、ここでは、
議会は少なくとも
憲法に関しては、つまり自らの
根拠法に関しては
オールマイティーではないということを
議論いたしまして、それ以来、
議会以外にも
発案権を認めるということが全
世界的に広がっておりまして、このある種の
ジレンマですね、
論理的ジレンマについてやっぱりもう少し深く
議論をしていただければよろしかったと思いますし、これからも
議論すべきではないかと私は思っております。
以上、まず
参考までに、
イタリア憲法などでは、例えば
国民の五万人、
日本に換算すると十二万人の
国民の署名があれば
憲法改正案を
発案できる。
請願との違いは、
請願は審議するかどうかを却下することができますけれども、正式な
発案権を
国民に与えればそれは審議しなければいけない。ただ、採用するかどうかはもちろん
議会ですから
議会で決めてよろしいということで、こういう
憲法なども
国民主権、
憲法制定権力にかかわる問題としてもっと深く
議論すべきであろうというふうに私は思っております。これが第一点であります。
第二点は、
投票運動といいますか
投票に関する
運動の問題であります。私、原則的に、
憲法改正に関しましてはすべての
国民がすべての方法で参加してよろしいというのが最も望ましい、
国民主権の姿では望ましい姿だというふうに考えております。ただし、今回の
国民投票法案について見ますと、
二つの面で非常に制約があるという感じをしました。
今日は
投票年齢のことについては触れません、まあ十八歳がいいか二十歳がいいかはいろいろ問題あると思いますけれども。もう
一つ、大きく言って
公務員の
政治活動とそれから
マスコミ規制に関して
幾つかの問題があると思います。公表されている限りで
資料を読んできましたが、
幾つかの非常にあいまいな言葉、
法律らしからぬ
定義がなされているということを感じました。
まず、
公務員の
政治活動に関して申し上げます。
国民投票法はある種の
選挙とは違いますので
公職選挙法は
適用にならないと、これはまあ原則、ルール、
共通原理ではないかというふうにまずは思います。しかし、
公務員に関する言わば
設置法とか
存続法がある。例えば
国家公務員法とか
地方公務員法がありまして、これと
国民投票法の
関係はどうなるかということが必ずしも分明でないということです。
投票法によりますと、国、
地方公務員、
特定独立行政法人等の
役職員は、その
地位にあるため、特に
国民投票運動を効果的に行い得る
影響力又は
便益を
利用して
国民投票運動をすることはできないということです。
法律家としてちょっと気になるのは、
投票運動を効果的に行い得る
影響力又は
便益を
利用してと、これは一体どういうことなんだろうかということが非常に抽象的で、
法律論としては必ずしも明確でないというふうにまず思います。
一方、例えば
国家公務員法を見ますと、
公務員の
活動に関しまして
人事院規則というのがありまして、これに
政治的行為というのがあります。それを見ますと、その
政治的行為にどういうことが当たるかといいますと、
特定の
政党その他
政治的団体を支持し又は
反対することというのが
一つです。それから二番目に、
政治の
方向に
影響を与える意図で
特定の政策を主張し又はこれに
反対することというのがありまして、この
憲法改正案には
賛成と
反対ありますけれども、これを言うことが
特定の
政治の
方向に
影響を与えるということになるのかならないのかですね。この辺が非常に
法律同士の間でよく分からない。ほとんどよく分からない。恐らくは実質的には物すごく
影響を与えるものだと私は思いますけれども、しかし、いわゆる
投票と違って必ずしもどの
党派を支持するということともイコールではありませんので、そういう
意味ではこういうことに当たるのかどうか分かりませんけれども、こういう
関係、よく分からないのです。
それで、非常に具体的にこの問題を提起しますと、こういうことです。これは皆さん答えられるんでしょうか。例えばある
国立大、
独立特定行政法人の
大学の
教員とかあるいは国公立の
学校の
先生、特に十八歳も仮に
対象になりますと
高校の
先生などはじかに有権者を抱えるという
立場になりますので、その場合、例えば授業の中でこの
憲法改正について理論的にこっちがいいとかこっちが悪いと説明することは、まずその
政治的な
行為に入るのかどうか。あるいは
教授会若しくは
教員会ですかね、
高等学校の
教員会議でこれについては
賛成であるとか
反対であるとかと決めることは当たるのかどうかですね。
あるいは、これを
学校を超えてある種の
集会みたいなところへ行きましてこの
憲法改正に
反対だとか
賛成だとか言うことが当たるのかどうか。あるいはそれと関連して、
憲法改正に
賛成する
党派、
政党に
投票しろとかするなとかそういうことを言う。あるいはその
集会を超えて
自分たちで
ビラをまくと。例えば、何々
大学教授会あるいは何々
大学教授で、こういうことについては
賛成しろとか
反対しろという
ビラをまく。あるいは
デモに行きまして、
自分は
反対だとか
賛成だとかいうことについて看板を出しまして
デモをする。あるいはまた
戸別訪問をする。あるいは
インターネットで自由にいろんなことを言うというようなときに、恐らく現在のここの
理解によりますと、
国民投票法では
刑罰に処せられることはない。
しかし、そういう行動についてそれぞれの
機関の中で、例えば何々
大学なら何々
大学、何々
高校なら何々
高校の中でこれをどのように処置するかは自由といいますか、全くここは白紙委任するという形に読める形になっています。その際、例えば
投票法では自由だけれども、つまり
刑罰はないけれども、その
大学から
高校の
範囲内で
職務命令でこういうことをしてはいけないと、無視したら、これについて
懲戒処分に付すというようなことが起きてきたらどうするかということです。
現にこういうことは、これはいろいろな
意見があるかもしれません。日の丸・
君が代でもこういう問題が起きております。原則自由なんだけれども、しかし
職務命令でこういうことをやりますと、ある
種強制があったり
強制にやらしたりすると
職務命令で
懲戒解雇になると。もう後それは裁判になって、少なくとも
君が代に関して一審で
違憲判決が出るというようなことが起きております。
こういうことについて、今回の
国民投票法を考えるときにこういうことを本当に
議論したのかどうか、どこまでどうなっているのか。少なくとも
法律家としての感懐で言うと、先ほど言いました効果的に行い得る
影響力又は
便益を使ってと、これは一体、
憲法教授が
憲法の理論を言うというときに、これ、こういうことが当たるのかどうか、こういうことがほとんど分からない。これはやっぱりある種の不安と恐怖を与えるもので、これは立法府の責務としてはっきりしないと、なかなかこういうことを一概に、
余り議論をしないで通過させてはいけないと私は思っています。
それから、二番目は
マスコミです。時間がありませんので簡単に申し上げます。
マスコミについても、
発議以降と
発議前に分かれていろいろ対応なされています。この
マスコミといってもいろいろありまして、テレビジョンもありますし、新聞もありますし、
週刊誌もありますし、その他
インターネットの
世界もある、あるいは公的なある
種NHKみたいなものと民営があると、様々な媒体があります。それから、
マスコミ内部で
報道をする、あるいはキャスターが何かを言うというのと、
コマーシャルがあります。
それで、この中で何が
報道良くて何が悪いのかを、これを見ますとよく分かりません。一般的に言えば
発議前は自由と。しかし、これは
放送の
公平性ですか、
中立性を損なわない
程度というふうになっておりますが、
発議以降は原則
禁止されますけれども、その少なくとも前についていいますと、これ、ある種、
党派が
無限大に金を掛けて
コマーシャルはいいのかどうか、それから、
政府広報と新しくできるある種の
委員会がどういう
関係に立つのかというようなこと、そういうことについてほとんど
議論をされません。
それから、
放送の
公平性とか
中立性といいますけれども、実は
選挙と違いまして、今回の
国民投票は若干ニュートラルとかを考える場合にちょっと
選挙と違うところが
一つあります。それは、この今回の
投票が問題になるのは、
国会で既に三分の二の決議を得ているということが
前提です。だから、それに
反対する
政党とか
議員の数というのは、少なくとも
国会レベルで非常に少数です。
そうすると、公平にというとき、例えば時間的公平とか費用的公平をやるときに、この三分の二対三分の二以外というときに公平とは何なのか、そのまま
議席数やら何やらを反映してやることが公平なのか、あるいは全く平等に、三分の二であろうとなかろうと全く平等に
賛成論、
反対論をやらせるのか、その辺も
公平中立の概念について普通の
選挙とは違うある種の工夫が必要だと思いますけれども、少なくとも
マスコミの動きなどを見るとこの点についてほとんど
議論をされていないということがありまして、この
国民投票運動に関して今の
公務員と
マスコミについて問題があると。
私としては基本的にいろんな、もう一回
二つまとめて言いますと、
国民からの
立法権を多様に認めること。だから、
憲法改正だけじゃなくてその他のことについても
国民投票法というようなことを含めて考えてもらいたいということと、もう
一つは、今言った
マスコミとか
公務員の
活動についての
規制をできるだけ自由にして、
国民的に討議できるような形に
改正してほしいと思います。
以上です。