○
公述人(小坂祥司君) 私は札幌
弁護士会に所属する
弁護士です。札幌
弁護士会では、約二年ほど前に
憲法委員会という
委員会がつくられました。私はその中に参加しまして、
憲法の問題、改正の問題、さらにその手続の問題、こういうものについて
委員の皆さんと一緒に研究をしてきました。その上で、今回は私自身の
考えを述べさせていただきたいというふうに思います。
二〇〇七年四月十三日、
憲法改正国民投票法案が
衆議院で可決されました。しかし、それは全野党の
反対を押し切って、与党である自民党と公明党の強行採決で可決されたものであります。このようにして
衆議院を通過したこの
法案は、しかし、後に述べるように様々な
問題点を抱えています。もっと
議論を尽くして
解消すべき
問題点があると
考えています。しかし、それをしようとせず、結論を急ぐ、数を頼んで押し切るというやり方が、個々の条項についての検討の甘さ、不十分さを招いていると言わざるを得ません。
この採決につきまして、私の所属する札幌
弁護士会は、同日、廃案を求めるとの
会長声明を出しました。これは資料の後ろにくっ付いておりますので、ごらんください。この声明も、そのような検討が不十分な
規定のまま強行採決で
衆議院を通過させたことについて、
立法府としての責任を果たしていないと強く批判をするものであります。
また、これも資料として
付けましたが、二〇〇七年四月二十九日の北海道新聞でありますが、道民世論の
調査結果を発表しております。この
法案に賛成する人は三二%という結果となりました。一年前には五五%の賛成があったのですが、大幅に減少したという
報道でありました。しかも、
反対とした人の約七六%を見ますと、
審議が不十分であるということを
理由としているというふうに
考えられます。このことをよくお
考えいただけないかと思います。
参議院の
議論をするに当たっては、いま一度
憲法改正の
国民投票とはどうあるべきかという原点に立ち返っていただきたいのです。第一に
考えなければならないことは、いかにこの手続において
国民の意思を反映できるようにするかということです。そして、
国民の一人一人が自分の
意見を持って
投票できるようにするには、何よりも国
民同士が自由に
議論し、
意見表明できることが必要であります。それが民主主義を基本原則とする国の
憲法改正の在り方だと
考えます。
憲法改正国民投票法を作るにしても、このようなことが意図されていなければなりません。そのためには、時間を掛けて慎重にも慎重な
議論がなされるべきです。拙速は絶対に許されないと
考えます。
今、強行採決までしてそれを急いで成立させなければならない
理由はないと
考えます。このような不十分な
内容の
立法を強行することは、将来に必ず禍根を残すことになるというふうに
考えます。
実際の
法案について幾つか述べさせていただきます。
まず
一つ目です。
最低投票率あるいは絶対得票率の定めを置くべきではないかということです。
憲法九十六条一項の
規定は、「この承認には、特別の
国民投票又は
国会の定める選挙の際行はれる
投票において、その過半数の賛成を必要とする。」としています。
憲法が
国民投票を
憲法改正の要件とした
理由は何でしょうか。
国会は選挙を通じて
国民から選出された
議員から成っているわけです。その
国会両議院のそれぞれ三分の二以上の賛成で
憲法改正案が可決されたとしても、なお
国民投票を行えというのが
憲法の
規定なのです。
日本国憲法は、ここで改めて
国民の意思を直接確認する必要があると、そう
考えているからです。したがって、そこで行われる
国民投票は
国民の意思を正しく反映するものである必要があります。
そう
考えると、この
国民投票の過半数の賛成はどんな形であってもよいということにはならないと思います。棄権者が余りに多い場合には、仮に
投票した人の中では賛成が過半数であったとしても、それをもって
国民の意思確認ができたとすることには無理があると思います。
最低投票率あるいは絶対得票率を定めるべきであるという
議論はここから生じてきます。
日弁連が二〇〇六年八月二十二日に出した
意見書では、
最低投票率と絶対得票率を併用すべきであるとしていました。そして、
最低投票率を定めるときは
投票権者の三分の二とすべきであると、こういう
意見を出していましたが、このように一定の
投票数の確保は必要であるというふうに
考えます。
これに対しては、
憲法九十六条が
最低投票率や最低得票率を定めていないのに
法律でそのような
規定を入れるのは
憲法九十六条違反だと、こういう
主張があります。また、
最低投票率を定めると、不利になる
可能性のある側がボイコットを呼び掛けて
投票を成立させない、そういう
運動をする危険があるという指摘もあります。
しかし、改正案の発議に
国会の両議院のそれぞれ三分の二以上の要件を設けている、更に
国民投票を要求している
憲法九十六条が、
国民投票に限っては低い
投票率でも構わない、それでも過半数でもよいとしているとは到底
考えられません。やはり
国民投票で過半数を得たと呼べるだけの
内容を求めていると
考えていいのではないでしょうか。したがって、
最低投票率や最低得票率を設けることは
憲法九十六条の
要請にこたえるものでありこそすれ、
憲法違反であるとは
考えられません。
また、ボイコット
運動の
可能性については、
一つの
考え方としては、棄権することも
国民の側の
一つの意思表示だという
考え方があるでしょう。そのような
運動に賛同する人が多かったということ自体が
憲法改正の発議が民意を反映していないということを示すという
考え方もできると思います。また、ボイコット
運動についての
議論は、原子力発電所の設置など、こういうところで行われた
住民投票を例としているようですが、ここでボイコット
運動をしているのは推進派でありまして、
反対派の
意見表明の
機会を奪うために行われていたわけです。
憲法改正国民投票法では、賛成する側も
反対する側も自らの
意見を
表明する
機会は与えられています。このような状況の中でだれがボイコット
運動を行うのか、そこを
考える必要があると思います。ボイコット
運動自体がどのようにして起こったかという事情を
考えないで抽象的にボイコット
運動の問題を
議論することは危険だというふうに
考えます。
憲法改正のための
国民投票に
最低投票率を定めている国もほかにはあります。この定めが民意を問うことに逆行するかのような
議論は、それから
考えても一面的に過ぎるというふうに思います。
また、
最低投票率ではなく最低得票率を
考えた場合には、ボイコットの問題はなくなります。民意の反映についていかに工夫するか、まだまだ
議論が十分ではないということを示すものであると
考えます。
二つ目は、
投票運動の自由を
制限してはならないということです。
憲法改正は、
国民の一人一人が直接の利害を持つ重要な事柄です。したがって、その
賛否についての
意見表明、討論の
機会はだれに対しても最大限保障すべきであり、
活動の制約は、
国民投票制度の趣旨からどうしても必要なもののみに限られるべきです。
法案では、
公務員及び
教育者について、
地位を利用した
投票活動の禁止が盛り込まれました。しかし、どのような場合に
地位を利用したというのか非常にあいまいなままであります。そのような
状態で
公務員や
教育者が、今自分がやろうとしていることがこの
規制に当たるのか当たらないのか、それを常に
考えながら
活動しなきゃいけないということになります。そういう
萎縮効果が非常に大きいところがありまして、この
規定には賛成できないのであります。
よく言われる、改正に賛成あるいは
反対の
投票をしなければ例えば成績を不可にする、あるいは
公務員であれば何らかの申請を許可しない、あるいは受け
付けない、そういうような
行動はこれは余りにも非常識なことでありまして、このような
規定を設けなければ排除できないというものではないと
考えます。
それからもう
一つの問題ですが、今回、
衆議院を通った
法案の中には、
国家公務員法、
地方公務員法の
政治活動の禁止
規定についての
規定が、以前の
法案には適用しないというそういう明示の条項がありました。ところが、今回、
衆議院を通過した
法案についてはその部分がなくなっております。当初、国家
公務員あるいは
地方公務員法のその
政治活動禁止の
規定を適用しないと明示した条項を入れたのは、やはりこの条項があることによって
公務員の
投票活動が自由に行えなくなる、そういう強い
規制になってしまうことを恐れてのことではないかと思います。今回の与党案では附則十一条を設けて、「必要な法制上の
措置を講ずるもの」としました。しかし、実際に検討した結果果たしてどうなるか、ここはまだ分からないところであります。
公務員は、先ほどの
地位を利用したというそういう
活動の問題、それからさらに、この
政治活動禁止の条項の問題、この二つの
規制がある。それを気にしながら
活動しなければいけないということになります。これは非常に大きな抑制効果をもたらすことになる、そこのところを危惧いたします。
附則十一条を設けたことについて、
公務員による自由な
意見表明を
制限しないよう、法施行まで政治的
制限に関する
公務員法等につき検討することを附則に明記したと、こういう説明をされました。しかし、これが問題であれば、なぜ
最初のときにあった
国家公務員法、
地方公務員法の
規定を適用しないというふうに明示した条項を外してしまったのでしょうか。そこは非常に私には疑問に思えます。むしろ、この部分は、そのような明示をすることによって初めて、
政治活動に対する、こういう
投票活動に対する抑制がなくなるのではないかというふうに思われます。ここは検討していただけないかというふうに思いますし、もしこのような
状態のままであれば、
国民の基本的な
運動の自由を奪うものとして
憲法違反のおそれさえあるというふうに
考えます。
それから、
国民投票無効訴訟についてでありますが、この点に関しては訴訟という専門的な手続にかかわるものです。ですから、本来は専門家などの
意見を十分聴いた上検討し、
議論をした上で
法案が作られるものだというふうに
考えるわけでありますが、このところが十分であるというふうには思われません。
まず、訴訟提起の期間です。結果が告知された、それから三十日以内に訴えを起こさなければならない。これは
公職選挙法の例に倣ったものと思われますが、しかし一
議員の当選の有効、無効を確定しなければいけないと、そういう迅速な期間の
要請と、
憲法改正が有効か無効か、こういう重大な問題を
議論するこのときの期間とが同じであっていいものでしょうか。普通の一般の
行政訴訟でも六か月の提訴期間があるのです。それから比べても余りにも期間が短いというふうに言わざるを得ません。
もう
一つは、提訴裁判所が東京高等裁判所に限られているということです。これは全
国民の関心のあることであります。その問題となる訴訟について東京高裁にのみ訴えを起こさなければならないとなれば、地方に住む私
たちのような
国民はどうなるのでしょうか。その負担、そういうものを
考えますと、事実上は私
たちはできないというに等しいことになると思います。ここは非常に問題な
規定であります。もっと検討がなされるべきであろうと思います。
一例を挙げれば、情報公開法が
制定されたときがありましたが、このときにも当初は裁判所が非常に限られておりました。これに対しては非常に
反対が起こりまして、最終的には各地方の裁判所で提訴ができるようになったわけでありますが、そういうことは十分可能ではないかと思います。この点については更に検討をしていただきたいというふうに思います。
それから、
投票無効の訴訟の
内容でありますが、現在のこの
法案でありますと非常に形式的な部分のみに限られております。しかし、
投票無効、この
国民投票自体の無効を争う訴訟として果たして十分なのかどうか、ここが
議論されるべきではないかと思います。
例えば、
公職選挙法では条文そのものには
規定はないのですが、
投票の平等、一票の重みを問題にした訴訟というのが実は行われておりました。最高裁でも、
議員定数が不平等であった場合にこれを違憲とする判断が出るということもあります。これは
公職選挙法を一応形式的に基にして行われた訴訟でありました。
例えば、今回の
国民投票がもしなされたとして、
最低投票率が定められず、非常に低い
投票率で出た結果、これを
憲法が
要請する
国民投票に合致しないということで
投票無効の訴訟を起こすということはあり得るのではないかというふうに思います。こういうこともやはり検討しなきゃいけないだろうと。
それからもう
一つです。改正の限界という問題がありましたが、これを超えた改正案が出され、そしてそれが賛意を得たといった場合に、果たしてそれが許されるものかどうか、これを
議論する場は一体どこにあるのかというふうに
考えられます。
憲法は違憲
立法審査権を与えています、司法にですね。ですから、それを
審議する場がなければやはりおかしいのではないか。そして、その
憲法改正の限界を超えるかどうかを
議論する一番適切な場は、実際に
国民投票が行われたその後ではないか、そういうふうに思われます。それ以降になって果たしてそれを争う場がどこにあるかというふうに
考えますと、今ここの、この場で
考えていくべきではないかというふうに思います。
以上のとおりで、私の
意見を述べさせていただきたいと思います。
幾つか
問題点あると思いますので、更に
審議を続けていただきたいというのが私の
意見であります。