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公述人(佐々木健次君) 仙台弁護士会に所属する弁護士の佐々木健次と申します。
本日は、
公述人としての発言の機会を与えられたことに感謝いたしますと同時に、参議院の
先生方におかれては、私がこれから申し述べることを
法案審議に当たって十分しんしゃくし、慎重審議を尽くしてくださいますよう、心よりお願いいたします。
私は、
昭和五十二年の四月、仙台弁護士会に入会し、今年で弁護士生活三十一年目を迎えております。在野の町医者ならぬ町弁護士としての三十年でした。
入会した翌年から仙台弁護士会の人権擁護
委員会に所属し、今年で人権擁護活動三十年になります。その間、平成八年から現在まで、仙台弁護士会から
日本弁護士連合会の人権擁護
委員会に派遣されまして、平成十五年、十六年度の二年間は日弁連の人権擁護
委員会委員長を務めさせていただきました。そのほか、現在、仙台では
憲法改正問題対策本部
委員、日弁連では
憲法委員会副
委員長を務めさせていただいております。また、平成十三年から五年間、ハンセン病回復者の皆さんの救済を目指した補償金給付の認定作業を宮城県にあります東北新生園において座長として行ってきました。
このように、私は、長く人権問題、
憲法問題、平和の問題、そして人々の人権救済ということに長らく携わってまいりましたけれども、そのときそのときの活動のよりどころとなるものは、
日本国憲法が持つ高邁な人権思想でありました。
皆様御案内のとおり、
日本国憲法は、
国民主権や全世界の
国民の平和的生存権を認めた格調高い前文に続き、十一条、九十七条では「この
憲法が
国民に保障する基本的人権は、侵すことのできない永久の権利として、現在及び将来の
国民に与へられる。」と高らかにうたっております。個人の尊重や
国民の幸福追求の根拠をうたった
憲法十三条などは、プライバシーの権利、環境権などの根拠
規定となっています。主権者たる
国民の知る権利に奉仕する取材の自由や報道の自由は、
憲法二十一条から導き出されております。そして、
憲法九条は、二十一世紀の今日、地球温暖化など深刻な世界的な環境悪化に立ち向かう指針として新たな輝きを放っているのではないかと私は思っております。
しかし、残念なのは、平和の問題、人々の人権問題や人権侵害を救済することに取り組み感じることは、
日本国憲法の立憲主義の理念、これは
先生方御案内のとおり、
憲法はすべての人々が個人として尊重されるために、最高法規として国家権力を縛り、人権保障を図るために存在するというものですけれども、こういった立憲主義や
国民主権、基本的人権の尊重、恒久平和主義という基本原理はまだまだ
社会の隅々まで浸透していないということです。
ハンセン問題にしても、立法の不作為を違憲
指摘した二〇〇一年五月の熊本地裁判決を出すまでもなく、二〇〇三年に発生した熊本黒川温泉宿泊拒否事件、これはハンセン病の元回復者の方の宿泊拒否でございますけれども、
選挙区における議員定数の不均衡、刑務所などにおける暴行事件、男女差別を始めとする障害のある人、外国人など民族的少数者に対する差別、貧困と格差の拡大、自殺者が七年連続して三万人を超えていることなど、これらを克服し乗り越えていくためには、あらゆる分野においてもっともっと
憲法の基本原理を尊重し、
社会のあらゆる分野で
憲法の基本原理を浸透させていく必要があると思っています。
日本国憲法を変える前に、
憲法の高邁な人権思想を実
社会で現実化するため、立法、行政等々でなお一層の最大限努力する必要があると思っています。
本論に入りますけれども、このような見地から見ると、
憲法改正手続法案は以下に
指摘する
問題点が多くあるのではないかと考えております。
まず、議員の発議、修正動議の
要件でありますが、修正動議は発議と同じ
要件が加えられておりますけれども、修正動議に要する人数に関しては弾力的に、少数
意見も尊重しながら柔軟な国会審議がなされるように変更されるべきではないかと考えております。
続いて、
最低投票率に関してでありますが、与党修正案には
規定がありません。
しかしながら、現行
憲法は、人権尊重主義、
国民主権及び恒久平和主義を掲げ、六十年間広く
国民に浸透、支持され、定着してきた国の最高法規であります。
憲法改正というものは、このような
国民の間に定着している現行
憲法を積極的に変更しようとする
行為であり、百年、二百年単位で
国民と国家に多大な影響を与えるものであります。それゆえ、
憲法自身が一時の政治勢力、
権力者の思惑などで容易に変更されないような厳格な
改正手続を定めております。よって、
憲法改正には
国民の多数が現状を変更する旨の
意思を明白かつ積極的に表明することが必要と考えるべきです。
憲法の
解釈論としても、国会が
国民に
憲法改正を発議するには三分の二の多数を要するものとしている
憲法が、決定権者である
国民の承認がある意味ではどんなに少ないものでもいいと考えているとは私は到底思われません。
最低投票率の定めが
導入されなければ、例えば、
投票率四〇%の場合には
投票権者の二〇%程度の
賛成で足りることになり、
投票権者の五分の一程度の
賛成により
憲法が
改正されるというおそれがあります。このように三分の一にも満たない少数の
賛成で
国民の間に定着した
憲法改正が承認されるのは、
憲法改正の正当性、信頼性に疑義が生じ、極めて不当というふうに私は思います。
例えば二〇〇五年の
衆議院選挙小
選挙区を見ますと、与党、自民党、公明党の得票数は四九・三三%に対し、無所属を含む野党連合は五〇・〇七%でほぼ同数でありました。しかし、議席獲得数は、小
選挙区制で自民連合が二百二十七に対して野党連合が七十三で三分の一弱であります。要するに、小
選挙区制の
選挙では民意が誇張した形で
議席数に反映されます。したがって、国
会議員の三分の二の多数により発議があったとしても
国民の三分の二が支持しているとは限らず、
国民の多数が明白かつ積極的に
憲法改正を望んでいることを確認するためには
最低投票率の定めが必要だと思います。
最低投票率の定めがなければ、小
選挙区の場合、誇張された民意が修正されることなく、ほんのわずかな
賛成で
憲法改正がなされてしまう危険があり、硬性
憲法の本質に照らし許されないことではないかと思います。
近時、朝日新聞の調査では、七九%の人が
最低投票率の定めを必要としていると言っております。四月二十三日付け毎日新聞、
日本のスイッチ欄では、低
投票の場合、
憲法改正の
国民投票を無効にしてよいと考える人は七四%に上っています。
国民主権の見地から、国会はこれらに示された民意を到底無視できないものではないかと私は思っております。
また、定足数というものは、どの議会でもどの民間の
会議でもあるのではないでしょうか。
会社の
憲法である定款の変更には株主総会の特別多数決が必要とされております。
次に、
最低投票率を
規定するとした場合、どのように定められるべきでしょうか。この点、近時、地方公共団体で行われている住民
投票などでは五〇%を必要とするというような定めがありますけれども、これはやはり民意を正確に把握するということで
最低限の基準ではないかというふうに思っております。事は、重大問題たる
憲法改正国民投票においては最も厳しい基準を設けるべきであり、私は、国家百年、二百年の方向性を定める
憲法改正の重要性や硬性
憲法の趣旨からして、少なくとも
投票権者の三分の二の
最低投票率が定められるべきではないかと思っております。これは、今日、私から資料として皆さんに配付させていただきました日弁連、仙台弁護士会の
意見も同旨であります。
続いて、過半数の計算に関してでありますけれども、与党修正案は、
投票総数、
賛成票プラス
反対票の二分の一超えれば過半数であるということでありますけれども、時間の
関係で詳しい
説明は省略しますけれども、やはり
無効票あるいは白票など、そういったものも分母に加えた総数の中の過半数ということに考えていく必要があるのではないかと。要するに、これは、
改正行為というのは、先ほども申し上げましたとおり、明白かつ積極的に国の最高法規を変えようとする
意思がどのぐらいあるのかということを見るものであります。だとすれば、多数の
国民が明白かつ積極的に
改正を意図するという、表示をするという、これをはっきり見定めることが必要だと思います。
次に、発議の仕方に関してでございますけれども、私は、国会の審議において、関連する事項ごとに
投票するということになっておりますけれども、何が関連するのかということをとことん議論しておくべきではないかと思っています。例えば自衛軍の創設と海外派兵を認める
規定が関連するのかどうか、あるいは自衛軍の創設と軍事裁判所の創設は関連するのか関連しないのかなど微妙な
組合せも多くあります。
法案成立の前に考えられる問題をとことん国会で議論して、後でこんなはずではなかったなどとならないように、考えを確定しておく必要があるのではないかと思っております。
次に、
周知期間でございますけれども、与党修正案は、発議から六十日以降百八十日以内としております。しかしながら、これでは私は大変短過ぎると思います。
最低一年、可能であれば二年ぐらい置くべきでないかと考えております。東京大学の
憲法学者、長谷部教授は、薄っぺらな情報に乗せられて安易な
投票をする危険を避けるため、また、発議する政治家側にも熟慮を求める効果を期待するため、二年置くべきだというふうに述べております。
世論調査や街頭インタビューを見ましても、
国民投票法案の中身はもとより、現在の自民党
憲法草案がどのような
内容を有しているのかなど、正確に把握しているのはごく少数だと思います。そのような大多数の人々に
憲法改正の中身を十分知ってもらい、
改正したら
日本という国家が今後どう変わっていくのか、人々の人権が守られることになるのか逆なのか、自由な
社会になっていくのか、あるいは思想、良心の自由、
表現の自由が制約される窮屈した、硬直した
社会に向かうのか、平和な国が守れるのか、イラクやイランなどでアメリカとともに戦争する国になるのか、より平和な国家になるのかなど、しっかり勉強する必要があります。
国民が将来に禍根を残さないためには十分な時間が必要だと思います。十分な時間を確保することにより、
国民投票運動を
日本国民全体が国の将来を考えるという意識、自覚の底上げをするための
民主主義の生きた
学校とすることが可能です。よって、百八十日あるいは六十日というのは余りにも短過ぎると考えます。
続いて、
国民投票運動を
禁止する特定
公務員に関しては、できるだけ制約的に考えるべきだと思います。
また次に、
地位利用による
国民投票運動の制限に関しては、
公務員、
教育者に関して与党修正案はいろいろの規制を掛けておりますけれども、やはりこれは大変問題でありまして、
表現の自由、
国民投票運動の自由は、
憲法二十一条、九十六条、十三条に照らし最大限尊重されなければなりません。したがって、これらは、できる限りこういった制限は規制から外すということに考えられるべきであると思います。確かに、
罰則はなくなったようではありますけれども、
罰則がなくとも行政処分などを受けるということははっきり国会の議論の中でも言われておりますので、行政処分が重なれば失職し、生活の糧を失うという危険すらあります。
また、十八歳が
投票権者となった場合には、高校の教師が高校三年生相手に
憲法改正問題を
学校で取り上げること自体も負担に感ずることになりましょう。それでは高校生に対し、自律した国の将来につき判断する能力を取得させることもできないと思われ、十八歳を
投票権者とした趣旨も没却されるのではないかと思っております。
公務員の政治的
行為の制限についても、できるだけ制約がないように考えられるべきであると思います。
また、政党による放送、新聞
広告に関しては、
広報協議会がこういった
広報を担うということに関してはいろいろ問題があるのではないかと思います。やはり、国会は、発議までは国会の権限でありますけれども、その先は
国民自身の問題になりますので、こういった
広報に関しても、やはり場合によっては中立的な第三者機関によって行われるということも
十分検討する必要があるのではないかと思います。
次に、
国民投票運動のための
広告放送に関してでありますけれども、私は、やはり有料のコマーシャル
広告というのは全面
禁止にすべきではないかというふうに考えております。確かに、
表現の自由の重要性は認めますけれども、ラジオ、テレビのコマーシャル
広告放送であれば、それは非常に時間も短いものですし、理性ではなくて情緒に訴えるものであり、掘り下げた理性的な議論はできません、訴えもできません。短期間繰り返し
広告が流されることにより洗脳される危険があることなどから、国家百年の大計を計るに当たって主権者たる
国民に必要な情報ではないと考えます。これは、経済的な負担によっても大きなハンディキャップが出てくる場合もあります。よって、これは一律
禁止とすべきであって、その代わり、
国民が参加し自由な討議が可能な
公共空間をつくるべきだと思っております。
あとは、多数
人買収罪の
規定もありますけど、できるだけこういったことはやめるべきだというふうに思っております。
続いて両院協議会に関してでありますけれども、この問題に関しては、このレジュメにも書いてありますけれども、やはり
憲法にはその
規定がないということで、
衆議院の優越も
憲法改正問題についてはありません。やはり両院独立した存在であり、独立した考えで
意思表示をすべきであって、むやみに両院協議会をつくって
意思を調整するというのは
憲法の予想するところではないと思っております。
その意味で、
憲法審査会及び合同審査会の
規定に関しても、非常に硬性
憲法の趣旨から大変問題ではないかと。つまり、常時そういった審査会をつくって
憲法をどう変えるかということで議論することは、やはり硬性
憲法の趣旨及び
安定性から非常に問題ではないかというふうに思っておりますし、合同審査会が勧告を出すということに関しても非常に問題があって、より慎重な
憲法の本質に照らした十分な審議が私は望まれると思います。
無効訴訟の提起期間、管轄、無効判決に関しても、大変短い三十日ということでありまして、東京高裁一本に絞るというようなことでは、
国民の万一のときの訴えの利益というものの、裁判を受ける権利の
憲法上の
規定に照らしても大変問題ではないかというふうに考えております。したがって、この辺に関してもこれから十分な審議が参議院で尽くされることを切に望みます。
公聴会の開催についても、与党修正案には
規定はありませんけれども、やはりこれはきちっと
規定を設けるべきではないかと思います。
最後に、まとめでございますけれども、
国民投票法は改憲を認めるかどうかを決定する際のルールです。
賛成、
反対双方が納得できるルールでないと双方後味が悪いと思います。したがって、もっと審議を尽くして双方納得できるルール、
国民投票法にすべきではないでしょうか。
最低投票率を設けることは、改憲を目指している人にはハードルが高くなるかもしれません。しかし、それを越えられないときは
国民が改憲の
必要性を感じていないということではないでしょうか。改憲を行うのであれば、その
必要性を
国民の多数が感じて
投票所に行き、
最低投票率を楽々クリアし、
反対派も納得せざるを得ないような堂々としたことを行うべきではないかと思います。
最後に、
荻原先生がここにおられますけれども、大変スキーでお強くて、ジャンプのルールを
改正されて金メダルの後大変苦労されたと。しかし、それを乗り越えて二個目の金メダルを
荻原先生取ったというふうに理解しておりますけれども、そういうことで、政権党としては堂々と審議をとことん尽くしてやっていただきたいと切に思っています。
どうもありがとうございました。