○松岡徹君
憲法附属法としての、言えば
憲法九十六条に規定されている附属法としての法整備を整えると。そして、国民が
憲法を変える、変えないという主権が国民にあるわけですから、そういうことがいつになるか分かりませんが、できるという環境を整えるためにやると。それは理屈としては分かるんですが、ならば、なぜ六十年間それができてこなかったのか。
私は、国民の民意といいますか
考え方、思いというものをしっかり見なくちゃならぬと思うんですが、国民の多くは、六十年間そういうことが整備されてなくても、これからも別に急がなくてもいいよという
意見があることも事実なんですね、一方でね。すなわち、立法不作為だということというのは客観的にはあるかもしれませんが、六十年間それを国民が、別に、なぜ作らないんだというふうな声が特段高まったということも記憶にはございませんし、むしろ逆に、
憲法を変えるべきだという国民の強い声が六十年間の間に盛り上がってきたということも私は記憶にないわけであります。
そういうことからすると、今なぜなのかということを
考えますと、どうも小泉さんから安倍さんに替わって、安倍
総理に替わってから、すなわち
憲法改正や
手続法の
議論が非常に活発になってきたんですね。今年の一月の安倍
総理の年頭所感のところでこういうことを言っているんですね。新しい時代にふさわしい
憲法を今こそ私
たちの手で書き上げていくべきだ、その前提となる
憲法の
改正手続に関する
法案について本年の通常
国会で成立を期すと。安倍
総理は、正にその決意の前提となるのが戦後レジームからの脱却、そして美しい国づくりということを掲げられてやってきたんですね。
すなわち、イメージとすれば、安倍
総理の言っている戦後レジームの脱却と、そして美しい国づくりのために
憲法を改正し、そのための
手続法の
国民投票法をこの
国会中に成立させたいというふうに言うと、今なぜこういうことを急ぐのかという
議論の重要なポイントは、
総理が言っている戦後レジームの脱却とはどういうことなのか、それによってどういう
憲法に変えるべきなのか。あるいは美しい国をつくるという
総理のおっしゃっている
中身で、そのために
憲法をどういうふうに変えていくべきなのかということの
議論が、
提案がしっかりなされなければ、国民はなぜ今この時期に
憲法改正につながる
国民投票法が、ましてや最近の
新聞記事では、五月三日の
憲法記念日に合わせて、そして六十周年の今年に成立させることがいいだろうというようなことを言って、もうあたかも、出口がもうそこに決まって、そしてそれに合わせるかのような
審議の
やり方をやっている。
国民は全く、そういうことからすると、六十年間、今まで我々に、
国会議員に対して
憲法改正のための
手続法を早く作れ、早く作れというようなことの世論も盛り上がってもこなかったと。すなわち、それは、今の
憲法を早急にあるいは早急に変える必要はないという大勢の
意見が国民の
意思としてあったんだというふうに思います。
それを変えて、こういう国をつくるために
憲法をこういうふうに変えていかなくてはならないというのなら、安倍
総理に戦後レジームの脱却とはどういうことなのか、
総理の描いている日本の姿というものが、美しい国というものがどういうものなのかということをしっかりと
議論として出さなければ、私は軽々に、五月三日までにというような出口が決まったかのようなこの
審議の進め方、急がせ方というのは私はちょっとおかしいんではないかというふうに思うんです。
ですから、安倍
総理は是非ともこの場に来ていただいて、安倍
総理からのその思いを改めて私
たちも聞きたいと思いますし、当然国民の側も、初めてそういうことを知って、
国民投票法の成立の必要性、あるいは
憲法をこういうふうに変えていくことがこれからの日本の国の、将来の国の姿形をイメージしていくためにとっても重要な前提となるものだというふうに思うんですけれども、いかがですか。