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国務大臣(
塩崎恭久君)
官民の癒着というのは、
天下りがあろうとなかろうといいことではない、悪いことだと、これはもう間違いないことだと思います。その
原因は、先ほど来申し上げているように、
予算と
権限、これにまつわって
官民の癒着が起きるということではないかというふうに思います。
したがって、その
原因の一部である
天下りについては
根絶をしていくということを我々は提案をしているわけでありまして、
天下りというのは、何度も申し上げているように、官から民に行くことを
天下りと言うんではなくて、
予算や
権限をバックにして、相手が喜んでいるわけではないにもかかわらず行くというようなこと、あるいは、お互いの、何というか、良からぬプラスのために行く、それはすべて
権限と
予算が裏にくっ付いている、こういう形での
天下りというのはよくないというふうに考えているわけでございます。
それから、早期勧奨退職でありますが、これがよろしくないということで、これは大体コンセンサスだと思いますけれども、これの
原因がキャリアシステムにあるというお
言葉でございました。一部確かにそういう側面もあると思いますが、キャリアシステムというのはそもそも何なのかという
定義もはっきりした方がよろしいかなと思うんですね。いわゆるⅠ種、Ⅱ種、Ⅲ種というような、上級職とか、これをもってキャリアシステムと言うならば、そのこと自体が問題なんではなくて、むしろⅠ種ならⅠ種で入った人がみんな同期が同じだけのペースで昇給して位も上がっていくということで、花形ポストかそうじゃないかぐらいのことで散らばっていくけれども、同期でずっと行く。それがずっと五十歳まで行って、そこから早期勧奨退職というものが起き出すというところは、実は、根っこは能力・実績主義に基づかない
人事評価が、その
人事に結果として結び付かない。それでずっと同期が同じように上がっていく、そこが問題だと私は思うんです。
したがって、何度も申し上げておりますけれども、
天下りと能力・実績主義の問題というのはかなり密接に結び付いていて、
人間の評価というのは、
民間に行ったらもう二年次ぐらいから差が出てきて、どんどん差が出ていってしまうというのは常識であるわけでありますが、それがずっと表面上は給料でも位でも出てこないという今までの仕組みが、結局、無理な五十歳からの押し付け的な
天下りを生み出してきたということだと思うんです。
ですから、私たちは能力・実績主義に基づく
人事に変えることが、実は、官でずっと残っていた方がいいかなと思う人もそれはいるでしょう。しかし、いや、これはちょっとそうじゃない方がいいのかなと考えて、早くから自分で第二の人生を探すという人たちも出てくると。そのためにも、やはりこれは能力・実績主義の、ごくごく世の中では当たり前に行われている
人事評価制度にしていこうじゃないかと、こういうことを言っているわけであります。
したがって、長くなるからやめますが、我々としては、能力・実績主義と、それからこの
退職管理の問題というのはもう一体不可分のものだと。ですから、最終的には、再
就職をしようと例えば四十の人が思っても、その実力で
民間の人たちに評価してもらうような評価で民に行くことが可能になるようにこのセンターも使ってもらおうということであります。
Ⅰ種、Ⅱ種、Ⅲ種というようなものについては、今度、総理の下にできる有識者会議の中でその採用の在り方、あるいは職制の在り方についても幅広く
議論をしていこうということになっていますが、本質は能力・実績主義という、今回先行的に御
議論を賜っているこの制度が根っこになって、それでⅠ種、Ⅱ種、Ⅲ種みたいなものはもうやめようということになるのか。あるいは、残すけれども、そんなものは
関係なく、
先生おっしゃるように、能力のある人がそれぞれの適材適所に就いていくという形にしていく。ですから、若い人が年上の人を監督するということもあり得るという制度にするということは変わらないんだろうと思いますけれども、キャリアシステム、確かに問題だと思いますが、その中身をやはりちょっと
定義した上で、何が悪いのかということを考えなければいけないのかなと思います。