○高野
博師君 それでは、先ほどの続きは別の機会にと思いますが、
アフリカに対する
ODAについてお伺いしたいと思います。
先般、この
委員会で
参考人からの意見を聞きました。私は
発言の機会はなかったんですが、そのときに、
援助の理念として人間としての共感だということを強調されたんですね。これはアインシュタインなんかも、生きとし生けるものすべてに対して共感の輪を広げようと、こういうことを言っているんですが、
日本としての責任ではなくて、
日本人の品性とか感性とか知性とかという問題だと、広い
意味で
日本自身の
安全保障の問題だと、こういうことを言っているんですね。
僕は、ちょっと、ちょっと待ってくださいよと。
日本人の知恵とか感性とか品性と言われると、ちょっと違うんじゃないかなという気もしたんですが、若干違和感がありました。しかし、
日本という国は金が幾らでも余っている慈善団体ではありませんから、税金に基づく
ODAという限られた
予算の中で国家の存在があり、意思があり、戦略があるわけですから、人間としての共感だけで
援助ができるわけではないと思うんですね。
そこで、なぜ
アフリカに
援助しなくちゃならないのかということなんです。小泉前
総理もサミットでかなり大盤振る舞いをしたようでありますけれ
ども、現実に
アフリカ諸国の人口の四六%は一日一ドル以下で生活しているという貧困状態にあると。貧困の問題、環境破壊の問題、民族紛争、あるいは
感染症等、様々な深刻な問題がある、できるだけ
援助してやりたいと、これはもう当然だと思うんです。
しかし、そもそも今のような
アフリカになってしまった原因はどこにあるのかという歴史的な経緯も考えてしかるべきではないかと思うんですね。これは、ヨーロッパの国々が
アフリカ大陸を勝手に線を引いて、そして数百年も植民地支配をやってきたと、搾取を続けてきたんではないかと。あるいは民族紛争にしても、例えばルワンダのツチ族とフツ族、これは元々言語が同じだったと。遊牧民族か農耕民族の違いしかなかった。しかし、あそこに入ってきた、具体的な国は挙げませんが、彼らにIDカード、身分証明書の中にツチかフツかということを明記させたと。そして民族の紛争もあおった部分があるわけですね。あの数か月間で八十万というすさまじい大量の虐殺が行われたというようなことで、いろんな権力闘争、ルワンダの中での権力闘争、いろんな
事情がありますが、しかしその背景にあった国々の責任というのはどうなんだということであります。
アフリカの現状についての歴史認識というのはどうなっているのかと。
日本と
中国、
日本と韓国、アジア、歴史認識ということが非常に強調されておりますが、なぜこの
アフリカについてこういう問題、歴史認識の問題というのが議論にならないかというのが私は不思議でしようがないんであります。
ここもちょっと
大臣に
質問通告してませんので、結論的に言いますと、
アフリカ支援というのは、第一義的にはヨーロッパがやるべきじゃないのかと。それを補完的に、
日本は人道的な観点からやるという、かなり限定してもいいんではないか。しかしもう一方で、国連安保理の常任理事国入り云々ということがありますんで、戦略的な
意味での
ODAの使い方というのは当然あると思いますが、その辺は
大臣はどうお考えでしょうか。